第一部インフェルノ #14

 特に第二次神人間大戦後の人間にいえることなのだが、一般的に人間という生き物は、大きい音のことをとかく雷鳴に例えがちだ。それは日常生活においてよく聞く大音響の代表的なものが雷鳴であるからであって。神話時代であればまあ他にも大きな音がないわけではなかったのだが、神々自身の声とかね。人間時代に入ってからは、驚くほど大きい音なんて雷鳴くらいしか聞かなくなってしまったものなのだなぁ(詠嘆)。

 ただし、その時に、その耳で、真昼が聞いた音は。確かに、間違いなく、雷鳴に似た音であった。その大きさだけでなく、その種類も、落雷の際に生じるあの恐ろしいほどの絶叫とそっくりであったのだ。凄まじいエネルギーの放出現象によって周囲のあらゆる物質が引き裂かれる時の、膨大な爆発音。それから……真昼の体をばらばらに打ち砕いてしまいそうなくらいの衝撃波が襲い掛かってくる。白い色、白い色のアイテールみたいだ。そのアイテールは、飢えた羊の洪水のごとき勢いでこちらに向かって突進してきて……けれども、その衝撃波が当たる寸前に。デニーが、そちらに向かって、ぱっと左手を差し向けた。

 コッと舌を弾いて音を鳴らす。すると、その左手に纏っていた魔法円が、くあんという音でも立てるようにして大きく広がった。衝撃波とデニー達の肉体との間にちょうど巨大な盾となるようにして立ちはだかったということだ。白い色をしたエネルギーの波動、溶けたバニラ・アイスクリームの怒涛、全てを引き裂きながら驀進してくる時のごうっという音を立てながら、デニーの盾にぶつかって。そして、その魔法円の中に辛うじて残っていた紫のエネルギーが迎撃する。ちなみに、両手両足の魔法円は、それら全てがデニーによって予め接続されていたため、他の魔法円に残っていたエネルギーも右手の魔法円に注ぎ込まれている。衝撃波は盾によって弾かれて……その様は、まるで港を強襲した竜波が堤防によって押し戻されて、勢いよく仰け反ったかのように。がりがりと音を立てる紫と、ばちばちと音を立てる白。しばらくの間、目も耳も使い物にならなくなりそうな相克が続いた後で、ようやくのこと、それは収まったのであった。

 そして、紫のエネルギーは。

 右手、左手、右足、左足。

 ついに、完全に、使い尽くされて。

 その役目を終えた魔法円は。

 跡形も残さずに、消え去る。

 真昼は……毎度毎度のことながら、何が起こったのかということ、初めは全然分からなかった。それどころか、人間の感覚できる範囲を超えた音と光との氾濫によって、少しの間は何かものを考えることさえもできなかったくらいだ。耳の奥でキーンという音、目はスパークルの残像みたいなもので霞んでいて。随分とぼやけてしまっている世界の中で、何とかデニーだと識別できる影のような姿が、ふわんふわんとハウリングする声で真昼に向かって何かを伝えようとしている。

「真昼ちゃん、真昼ちゃん!」

「デナム・フーツ……」

「ほら、立って! 早く!」

 きらきらと輝く靄の中で視界が開けてくる。デニーは何かを指差しているようだ。デニーと真昼がいる場所から、テーブルがあるのとは反対の方向。その壁のことを指差していて……壁、壁、壁? 壁……違う、そこには壁がなかった。そこには、既に、壁がなかった。

 その代わりに。

 壁があった部分を。

 無残に引き裂いて。

 突き刺さっている。

 禍夢に響く絶叫のごとく赤く。

 バル・コクバよりも、魁偉な。

 目もない。

 耳もない

 鼻と口だけの。

 異形の、顔面。

「シャトルシップ……?」

 そう、珍しくも真昼の言った通り。それは、デニーと真昼とついでにマラーとをこの製錬所まで送り届けたあの送迎船だったのだ。っていうかよく分かったね真昼ちゃん、ちーょっとくらいは賢くなってきてるのかな? そして、ついさっき起こった、あの雷鳴のような音、白い衝撃波は。この送迎船によって引き起こされたものだったのだ。

 要するに、端的にいえば。白い六角柱であるところの構造物の、ちょうどこの空間を狙ってこの送迎船が突っ込んできたということだった。いや、なんか……まあどうでもいいことなんですけど、「何かが起こりそうだぞ」で一つのイシューが終わって、その次のイシューで「うわー、なんか突っ込んできた!」っていうの多くない? 実際のところパターン化してると思うし、もうちょっと考えた方がいいと思う。あんまり何度もおんなじこと繰り返されるとさ、読んでる方は興が冷めるっていうかさ。そういうの、分かってるよね。どうなの? はい……おっしゃる通りです、ごめんなさい……次からはもっとなんか考えてみます……AK、マンネリ化を反省したところで! 話を本題に戻しましょう!

 送迎船は赤イヴェール合金でできており、ということで、当然ながらその動力は魔力だ。しかも、これほど巨大な物体を、安定して空中に浮かせ続けるとなれば、よほど強力な魔力が必要になってくる。その「強力な魔力」の一部を。白い壁、内側の空間を外側の空間から隔離していたあの白い壁に叩き付けたということだ。何度か触れたように、この壁は一般的な意味合いにおける物体というわけではなく、ある種のフォース・フィールドであって。叩き付けられた魔力はそのフォース・フィールドを、揺らがせて、吹き飛ばし、突き破って。そのソリッド・エネルギーがアイテール的な状態へと疑似的な相転移をなして、そうして、瞬間的に、大量に、生み出された白いエネルギーが、爆発的に放出されたことによって、先ほどの衝撃波になったというわけだ。

 さて、送迎船は。

 があっとでもいうように。

 その口を、大きく開いて。

 デニーと真昼と、二人。

 己の中へと誘っている。

「早くって……あれ、ASKのシャトルシップでしょ!」

「そうだよ!」

「じゃあ、あんなのの中に入ったら、相手の思い通りじゃない!」

「大丈夫だよ! 今は、あれ、デニーちゃんが動かしてるから!」

「は!? あんたが動かしてるって……」

「後で教えてあげるからあっ! 急いでえっ!」

 もうなんか駄々っ子みたいになってしまってるデニーであるが、本当に駄々を捏ねているのは真昼の方なのでお間違えのないように。それにしても、デニーが言ったこと、あの送迎船をデニーが動かしているというのは、一体、どういう意味なのか? どういう意味というか、どうやって、そんなことが、できるというのか? 頭の悪い真昼にはさっぱり見当もつかなかったのであるが、お利口さんの読者の皆さんはもうお分かりですね。

 とはいえ、確かに。今の、この送迎船の行動は、明らかにASKの支配下に置かれているとはいい難い行動だった。このタイミングでこの空間に突っ込んでくるというのは、デニーがコントロールしているとしか思えない。デニーが、ここから逃走するために、出口と移動手段との双方を同時に手に入れようとして、それをさせたとしか思えない。ということは、真昼には、デニーの言ったこと、信じることができなくはないということだ。

 しかしながら。

 それと、これと、は。

 話が別というわけで。

「だからっ! この子をっ!」

 そう叫びながら、既に、真昼は、マラーが捕らえられている檻にしがみ付いてしまっていた。マラーをここから助け出さない限り、一歩も動かないという決意の表れだ。そんな決意はさっさとリサイクルに出して、もっとこの世界に役に立つ決意として再資源化した方がいいと思うのだが。遺憾ながら真昼がそういう真理に気が付くのはもう少し後のことだ。

 一方で、デニーは、ちらっと背後に視線をやる。背後というのはテーブルの向こう側のことで、先ほど一時的に無力化した少女達の姿のことだ。魔法円によって封印しておいた三人の少女については、もう暫くの間、少なくともここをバイバイするまでは止めておくことができそうだが。けれども、もう二人の少女についてはそうもいかないようだった。既にその体は立ち上がりかけていて……そして、二体ともが、同じ行動を取っていた。それは、全身から突き出たライフルのバレル、そのうちの、折れたり曲がったりしておらず、使えるもののうちの一本を。自分の体から引き抜いて、片方の眼窩に突き刺すという行為だ。

 不味い。

 ヤバい。

 よろしくない。

「あー、もうっ! 仕方ないよっ!」

 デニーは、そう叫ぶと。

 さっと真昼に向き直る。

「後で怒らないでね!」

 そして。

 ぱっと。

 手のひら、を。

 開いて見せる。

 もちろん、真昼は、デニーが何をしようとしているのかということ、いや、何をしてしまったのかということが分かった。それをされるのはこれで二回目だからだ。しかし、そのことに対して何かしらの抗議の声を上げようとした口は、開かれたままの形で動けなくなってしまって。口だけではなく、マラーを閉じ込めている檻を叩き壊そうとして何度も何度も殴り続けていた腕も。脚も、胴体も、指先さえも。どんよりと濁った泥土の中に閉じ込められてしまったかのように、鈍い痺れによって全身が麻痺してしまったということだ。

 デニーに、描かれた。

 あの魔学式によって。

「かっ……!」

「ごめんね真昼ちゃん! じゃ、行くよ!」

 いかにもおざなりではあったが、デニーはそう言ってきちんと謝った。デニーちゃんは賢いからその時その時の謝罪が今後のコミュニケーションを円滑にするということを知っているのだ。ホモ・サピエンス関係では色々と苦労していますからね。それから、右手で真昼の髪を引っ掴む。以前も書いたように真昼の髪はベリーショートだったので、あまり持ちやすそうではなかったのだが……まあ、咄嗟に掴もうとした時に、一番掴みやすそうなのは、確かにその部分ではあった。そうしてそこを持つところにして、デニーは、真昼の全身をぐいっと引っ張った。

 この小さくて可愛らしい姿の内側にどうしてこれほどの力が隠されていたのかと思うほどの力だった。真昼の体はいとも簡単にホログラムの牢獄から引っぺがされて、そのままずるずると引きずられていく。すたこらさっさとデニーが走っていく方向へ、つまるところ、あんぐりとして送迎船の口が開いている方向へ。といっても距離は二ダブルキュビトあるかないかだ、障害物も特にない。ということで、引きずっているデニーと引きずられている真昼とは、すぐにそこにたどり着く。

 えろりと流れ出ている舌を上って。

 二人の姿、口の中へと入っていく。

 ここを上り終えたら。

 ここを上り終えたら。

 この口は閉ざされてしまい。

 真昼は、マラーの、ことを。

 助けられなくなってしまう。

 鉛の冠だ。「砂流原」と刻まれた鉛の冠。お前は役立たずなんだと誰かが耳元で囁くのが聞こえた気がした。もちろんそれは被害妄想ではあったのだが、しかし紛れもない事実であった。真昼は役立たずだ、全く、完全に、絶対的に、役立たずだった。どろどろと溶けた鉛の冠を、口の中に流し込まれて。全身の骨を、ゆっくりと伝っていく。体の内側の灼熱が、真昼の神経系を焼き尽くしてしまったみたいだ。動けない、動けない、動けない、動かなければいけないのに。この体を動かして、マラーのことを、あの少女のことを、助けなければいけないのに。

 マラーは涙を流していた。マラーは叫んでいた。その行為は「泣く」と呼ぶのには相応しくない行為だ。そう呼ぶには、あまりにも荒々しく、動物的であって。どちらかというと「吠える」と呼んだ方がいいだろう、子供の獣が、母親の獣を求めて、鳴き喚いている。けれども閉じ込められた檻の中からは出ることができない。繋ぎ止められた体を解き放つことはできない。そして、母親の獣は、真昼は、それを見ていることしかできない。

 溶けた鉛の冠が滴っている。嘲笑うかのようにして、したしたと音を立てながら。真昼は……真昼は……どうしようもなかった。腹に描かれた魔学式は、しっかりと真昼の体をリストリクションしてしまっていて。それに、そもそもこの魔学式がなかったとして、それでどうなるというのだろうか? さっき、あれだけ、殴って、殴って、殴って。それでもあの檻は壊れなかった。要するに真昼にはあの檻を壊すだけの力はないのだろう。

 体は動かすことができず。

 檻は壊すことができない。

 全く。

 完全に。

 絶対的に。

 どうしようもない。

 しかし。

 真昼は。

 どうしようもないからといって。

 諦めるということをしないのだ。

「ぐ……」

 己の内側にある役立たずのはらわたを。

 引き裂こうとでもしているかのように。

 ありったけの力を。

 その肉体に込める。

 烙印された魔学式に。

 あるいは、鉛の冠に。

 全てを。

 全てを。

 全てをかけて。

 真昼は、抗う。

「が……」

 涙。

 涙。

 真昼の頬を、ゆっくりとつたう。

 どうしようもない、感情の、涙。

 そして。

 それから。

 何の意味もない。

 奇跡が、起きる。

「がああああああああああああっ!」

 背後で聞こえた聞こえるはずのない叫び声に、あまりにもびっくりしてしまって。口の中へと続く舌の途中、送迎船の中へと続くタラップの途中で、デニーは止めてはいけない足を止めてしまった。フードの奥、はっとした顔をして振り返る。「え? 真昼ちゃん、今……」その言葉さえも、途中で止まる。

 無論ながら叫び声は真昼の叫び声であって。それだけでも有り得ないことなのに、デニーが振り返った先では、真昼が、その両腕を動かしていたのだ。デナムの、デナム・フーツの魔学式に抗って。もちろん、現在のデニーはこの状態であるのだし、ということは本当の力を出せているというわけではない。

 それでも……それでも、そんなことは起こるはずがなかった。こんな小娘が、デナム・フーツの魔学式を、ほんの一部分ではあれ、無効化する? 考えられない、断じて不可能だ。しかし、実際に、それは起こっていた。真昼は、震えながらも、左手を持ち上げて。そして、その左手、マラーの檻へと向ける。

 それから。

 こう言う。

「ら……らいじょうどう……」

 黒い藤が。

 花を開く。

「すいは……」

 その弓が。

 起動する。

 更に、もう一つ、有り得ないことが起こった。ある意味では、この有り得ないことは、最初の有り得ないことよりももっとあり得ないことだった。真昼の全身を覆うように浮かび上がっている、デニーの魔法円が。「賢しらなる者」の魔法円が、静かに、静かに、滑るようにして、動き始めたのだ。それらの魔法円は、次第次第に一点へと集まっていく。真昼の左肩から、左腕を通って、その指先へと達して、なおもその先へと……つまり、重藤の弓の、目には見えない矢の先端へと。幾つも幾つもの魔法円は、その一点に群がり集って。最後には一つの魔法円になる。

 デニーは、まるで

 とても、とても、珍しいおもちゃを。

 見つけた、子供のように、見ている。

 だが。

 しかし。

 真昼はデニーのことを。

 気にしている暇はない。

 痺れた指先。

 番えた弓を。

 引いて。

 引いて。

 引いて。

「兵……破っ!!」

 矢を。

 放つ。

 真昼の咆哮に答えるがごとく、びいいいいいいいいぃんという音を立てて、矢の形をした衝撃波が空間全体を振動させた。その目には見えない力の描く軌道の通り、魔法円は、真っ直ぐ、真っ直ぐ、飛んでいって。真昼が狙った通り、マラーを閉じ込めているホログラムの牢獄に着弾する。

 奇跡は、祈りは、願い事は。そういった形をとって、何らかの欲望が叶えられる時には。いつだって、三つの奇跡、三つの祈り、三つの願い事が叶えられるものだ。パンと獅子と王国。夢と炎と龍。雨と雨と雨。それがそうであることについて、理由はない。少なくとも、人間に理解できる理由はない。三つの奇跡、三つの祈り、三つの願い事が、叶えられることに。人間は、疑問を抱くべきではないのだ。

 だから。

 それゆえに。

 その矢が、その的を捉えた時。

 三つ目の奇跡。

 最後の奇跡が。

 起こる。

 ぎっと、何かが軋んだ音がした。いうまでもなく現実が軋んだ音だ、奇跡によって圧力が掛けられて、現実が、本来あるべきではない方向に歪んだ音。あるいは、それは……マラーの檻、ホログラムの牢獄に。一つの、亀裂が、入った音。

 魔法円が、拘束のパスワードを解いたのだ。ということは、論理的に考えれば、真昼が、デニーの魔法円を調整したということになる。とてもではないが信じられないことだった、人間が惑星を呑み込んだというくらい信じられない話だ。

 しかし。けれども。いくら信じられない話であったとしても。いくらこれが奇跡であったとしても。残念なことに、何の意味もなかった。あらかじめコメントしておいた通り、これは無意味な奇跡なのだ。起こっても起こらなくても変わらない、全くもって無駄な奇跡。なぜなら……真昼が調整できたのは魔法円の一部分でしかなかったし、魔法円が解いたのはパスワードの一部分でしかなかったからだ。

 その檻は砕けなかった。その檻は破れなかった。その檻には、罅しか入らなかったのだ。マラーは閉じ込められたまま、解放されることはなかった。要するに。全てを賭して誰かを救おうとする善意も、己の内臓さえ得引き裂いてしまいそうな悲痛も、それに、愛と勇気によって引き起こされた三つの奇跡さえも。それ自体には、何の意味もないということだ。そういった綺麗ごとは、結果が伴わなければ意味がない、弱き者に与えられる死んだ魚に過ぎない。その究極的な証明として……ああ、哀れにも……真昼は、自分が持つあらゆる力、自分では気が付いていなかった力さえも使ったにも拘わらず。結局のところ、マラーのことを、助けられなかった。

 だから、いったのに。

 人間には、真昼には。

 どうしようもないことなのだと。

 自分のことを取り囲んで縛り付けているホログラムに罅が入ったことで。しかしながら、愚かなマラーは、希望を持ってしまったようだった。悲鳴を上げることをやめて、縋るみたいな目、あの国内避難民の目で、送迎船のところにいる真昼のことを凝視する。罅を入れることができるのならば、この檻を壊すこともできるかもしれないと思ったのだろう。残念でした! あれが真昼ちゃんの全力です! 真昼にはその檻を壊すことができない。だから、全ての希望を失った目をして、マラーの目を見返す。

 一方で、デニーは、そんな真昼のことを。先ほども少し触れたように……非常に興味深そうな目で眺めていた。興味津々といった感じだ、好奇心の強い子供。死にかけた蛙のことを、果たしてこの蛙は、ばね仕掛けが止まりそうだから死にかけているのか、電池が切れそうだから死にかけているのか、それを見極めようとでもしているような目。「真昼ちゃんって」ぽつりと呟く「奇瑞だったんだあ」。手のひらの中にあるおもちゃが、思いのほか楽しいおもちゃだったことに気が付いたとでもいいたいみたいに。

 しかし。

 今は。

 おもちゃで。

 遊んでいる。

 場合では。

 ない。

 滅多に……滅多にないことであるが。デニーは、どうやら、油断してしまったらしい。真昼がなしたこと、真昼が引き起こした出来事がそれほど驚くべきことだったということだ。そういう意味では、真昼の奇跡について、起こっても起こらなくても変わらなかったというのは間違いかもしれない。その奇跡は、たぶん、起こらない方がよかったのだ。

 真昼が愛と奇跡の愁嘆場を引き起こしている時に、一方で、ミセス・フィストの少女達がどうしていたかというと。まあ当たり前のことなのだが、堅実に着実に回復していた。特に、魔法円によって封印されていなかった二人の少女。確かにライフルのバレルのほとんどは折れたままであったが、唯一重要なバレル、つまり少女達が眼球に突き刺したバレルについては、既に再生が完了していた。間違いなく、狙い通り、一直線に撃てるようになっていたということだ。更に、デニーによって的確にダメージを与えられていたディメンション・コネクター(デニーはそこに狙いをつけてセミフォルテア弾を放っていた)も、少なくとも必要最低限の修理が完了していた。

 つまり、これで。

 装填と。

 射出が。

 可能になったということ。

 なすべきことが可能であるならば、ASKの「正社員」がそれをしないということはありえない。下等知的生命体である人間とは違うのだ。ということで、少女達は、行為可能な二人の少女は、その行為をすぐさま実行に移した。コンピューターの画面を流れていく数式のような態度で、淀むことのない速やかさによって、ガードナイト弾を装填し、それを射出したということだ。

 眼球に、視覚センサーに。

 直接接続したバレルから。

 真っ直ぐに。

 真っ直ぐに。

 その弾丸は、弾道を描く。

 今度は。

 デニーではなく。

 真昼を、狙って。

「あーっ、危なーいっ!」

 さすがにデニーも気が付いたようだ、というか、事ここに至るまでデニーが気が付かなかったというのは驚くべきことだ。思うに、このようなことが起こるに際して、びっくり真昼ちゃんインシデントの発生だけではなく、真昼がASKによって殺害されることは決してないというデニーの予測も関わっていただろう。

 ASKは真昼のことを取引の材料として利用しようとしている。ということはASKが必要としているのは真昼の死骸ではなく生きた真昼であるということだ。それならば、ASKが真昼のことを殺してしまうということは絶対に有り得ない。それが、例え、偶然であっても。ASKの計算に偶然が介入することはない。

 真昼の生命の安全性は百パーセント保障されているということである。それゆえに、デニーは、真昼への攻撃に対してはそれほど警戒していなかったということなのだろう。恐らくは。そして、少女達はそのようなデニーの盲点を狙って攻撃したのだ。

 とにかく、デニーは、気が付いた、真昼を狙って今にもその肉体を貫きそうなそれらのガードナイト弾について。慌てて、掴んでいた髪の毛を引っ張って。そのうちの一発の射程圏外から真昼の体をドラッグアウトする。真昼はかなり痛そうだったし、実際に何十本か髪の毛も抜けていたのだが、まあ仕方のないことだ、命には代えられないだろう。

 これで一発については心配がなくなったのだが……ガードナイト弾を放った少女は二人いたのであって、放たれたガードナイト弾は二発だ。二発目の弾丸については、真昼の体をどう引っ張ろうと、それを避けているだけの、余裕は、時間は、ないようだった。当たり前だ、少女達はそのように計算してそれらの弾丸を放ったのだから。ということで、デニーは他の方法で二発目の弾丸に対処しなければならない。

 いうまでもなく。

 デニーは分かっていた。

 それらの弾丸が。

 真昼を狙ったのではなく。

 真昼のことを庇うだろう。

 デニーを、狙った、もので、あると。

 しかし、分かっていたからといって。

 どうにかできることではない。

 だから。

 デニーは。

 その事実を受け入れて。

 なすべきことを、する。

「わーお。」

 デニーはその時に、まるで他人事のようにそう言っただけだった。真昼の体に着弾する直前に、その弾丸を、自分の右手によって遮った時に。ガードナイト弾の特性として、その弾丸が何らかの生物に着弾した時に、その生物の持つエネルギーに繋ぎ止められて外部へと貫通していかないということは分かっていた。その特性がガードナイト弾をより脅威的な兵器としているのだが……今回に関しては、幸いな方向に作用したようだ。デニーの右手、手のひらに着弾したガードナイト弾は。貫通することなく、その薄い肉と細い骨の中に留まったからだ。真昼は傷つけられることなく、(髪の毛を少々失った以外は)無傷で済んだのだ。

「っ……! あんた……!」

「諦めてね! 行くよっ!」

 真昼の「っ……! あんた……!」というセリフを、マラーを助け出すまではここを動かないという真昼の抗議の声であるとデニーは受け取ったようだが。いくら真昼でもそこまで礼節と常識と人の心とを失ってしまった鬼畜生の類ではない。そのレベルの人非人なんて、恐らくこの世界にサテライトくらいしかいないのではないかと思うのだが、マコト・ジュリアス・ローンガンマンとかアルフレート・フォン・マルクスとかアーサー・レッドハウスとかみたいな極端な例外を除いてね、アーサーはそもそも人じゃないか、それはそれとして真昼の「っ……! あんた……!」というセリフは自分を庇ったことによって傷付いてしまったデニーのことを気遣ったものだったのだ。気遣ったというか、驚愕と困惑と痛疚とが入り混じった複雑な感情の爆発によって、思わず口に出てしまったというか。

 そもそもデニーは真昼の気持ちなんて気に留めてもいないのだが、今の状況下では特にそんなどうでもいいことを気に掛けている暇はなかった。五人の少女達のうち、二人の少女達は早くも次の弾丸を装填しているところだったし、それ以外の三人の少女達は肉体の再構成が終わったところだった。魔法円から抜け出すのは時間の問題、それも秒単位の時間の問題だろう。

 真昼の体を引き摺って、急いでタラップを上り終わると。デニーはあわあわとでもいうような、いかにもわざとらしい大慌ての態度によって、喉の奥、軟口蓋の方へと向かう。デニーと真昼とがタラップを上り終わったことを確認したらしい送迎船が、可及的速やかに、けれどもあくまで送迎船にとっての可及的であるので、搭乗者の感覚からすればじれったくなるほどゆっくりとしたスピードで、ゆっくりゆっくりと口を閉じていく。不味い不味い、送迎船の外ではどんどんと事が進んでいっているのに。次弾を装填し終わった二人の少女が再びガードナイト弾を放つ。魔法円を解き終わった三人の少女は、またもやフルード・キューブの怒涛となって突進してくる。ガードナイト弾もフルード・キューブもまるで襲い来る運命のようなスピードによって送迎船へと攻撃を仕掛けてくる。

 さて。

 これは一つのゲームだ。

 プレイヤーは二人。

 デナム・フーツと。

 ミセス・フィスト。

 ルールは簡単。

 決まりごとは一つだけ。

 要するに。

 早い方が。

 勝ちということ。

 そして。

 それから。

 もちろん。

 いつだって。

 デニーちゃんは……

 勝者なのだ!

「せーっふ!」

 と、言いながら。本当にぎりぎりのところではあったが、デニーは軟口蓋の中へと滑り込むのに成功した。無論ではあるが、呆然として力なく引き摺られているだけの真昼も一緒にということだ。この送迎船は、口の方が閉まる速度は血反吐を吐くほどちんたらしているのだが、軟口蓋の方の開閉は意外と早い。少なくとも公共機関の自動ドアくらいの速度で閉まってくれるのである。とにかく、デニーと真昼とがあのラウンジみたいな空間に飛び込んで。その後ろで軟口蓋が閉まると同時に、その軟口蓋に二発の銃弾が着弾する音が聞こえた。マジで、まさに、すんでのところだったということだ。ちなみに「血反吐を吐く」って重言になるんですかね、「反吐」にも「吐」っていう字入ってますけど。

 一方で、軟口蓋が閉まるのに少し遅れて、どうやら口の方も閉じることができたようだった。随分と時間が掛かったものではあるが、タラップをしまったりなんだりしていたのでそれも仕方がないだろう。そしてその口が閉まるのと同時に、その口に何かが激突する音がする。何かというか、一つだけではなく、複数の何か、大量の何か。たくさんの、細かい、虫のようなものが激突した音。そう、それはフルード・キューブだった。三人分の少女の体積、正確には五人を100%とした場合60.8762014%(小数点七桁以下は省略しました)分の体積が、一気に送迎船に向かって押し寄せてきて……だが、それもやはり遅すぎた。大変申し訳ございませんが当機は既に離陸態勢に入っておりまして、新規のご搭乗はお断りさせて頂いております。残念でした、あっかんべー!

 ということで。

 デニーと。

 真昼とは。

 送迎船に乗ることができた。

 ただ、まだ終わりではない。

 一息つくにはまだ早すぎるのだ。マラーを救えなかったばかりか、デニーに傷まで負わせてしまった自分の無力さ、不甲斐なさ、それに傲慢さに身勝手さ。そういった現実に押し潰されてしまって、深く暗い絶望のアビスに飲み込まれてしまっている真昼のことは、まあいったんそこら辺に置いておくことにして。デニーは、ラウンジに並んでいるテーブルの一つに向かって、すたたっと駆け寄った。それからソファーにも座らずに、立ったままで、まるで寄り掛かるみたいにして、そのテーブルに両手で触れる。

「うわー、早く、早く、出発しないと!」

 デニーが言った通り。早くしないとだいぶんとヤバそうな感じだった。外側ではフルード・キューブの群れが何度も何度もぶつかってくる音がしている、確かにご搭乗はお断りされているが、だからといって少女達が搭乗を諦めるとは思えない。そして、諦めさえしなければ望みはいつか叶うのだ。まあ、ついさっき真昼の望みは叶わなかったが、それは真昼が圧倒的弱者であるところのヒューマン・ビーイングであるからに過ぎない。少女達はヒューマン・ビーイングなんかよりももっと力強い、ソーマイティな存在であるのであって。従って努力次第で何かを成し遂げることができる種類の存在なのだ。

 ぶつかって、離れて、ぶつかって、離れて。それを何度もしているうちに、送迎船の外壁には抉れたような傷がもう出来ていた。これをいつまでも続けられていれば穴が開いてしまうのは時間の問題でしかないだろう、そう、時間の問題だ。そんなわけで、デニーは早くしないといけないということだ。

 デニーが、テーブルに、手を触れると。

 その表面、何かの図面が浮かび上がる。

 奇妙な光。

 中心には真円。

 直線と。

 曲線と。

 角度と。

 放射状に構成された。

 ある種のパズル。

 要するに。

 魔学式。

 しかも、ただの魔学式ではなかった。デニーが触れると触れた通りに図形の構造が変化するのだ。例えるならタッチパネルのような感じ。その魔学式は主に三つの部分から成り立っていて、真円によって構成された中心と、それとは別の、上側に描かれた円によって構成された部分、それに下側に描かれた円によって構成された部分。デニーは、右手の人差し指、テーブルの上でさっとスワイプすると。その内の上側の部分を他の部分から切り離した。他の部分は、左手でぱっと払うみたいにして端の方にフリックして。右手の人差し指・中指・親指によって、上側にあった図形を一気にピンチアウトする。拡大された図形、直線と曲線をいくつか入れ替えて、新しい角度を作って。

 これで。

 準備。

 完了。

「よおーしっ!」

 デニーは。

 右手の人差し指。

 やっ、と振り上げて。

 その、上側の魔学式。

 中心の円。

「はっしーんっ!」

 元気、よく。

 タップする。

 悲鳴……悲鳴だった。人間の悲鳴ではないだろう、もっと何か、大きく、恐ろしく、強いものが、惨たらしい拷問を受けた時に発するであろう悲鳴。長く長く尾を引くひどく耳障りな音、ぎぃいいいいいいいいいいいいっという音。意思を持った金属が軋み歪み捻じれるような凄まじい絶叫。それが、空間が続く限りに響き渡ったみたいだった。

 その声の主は、デニーと真昼とが乗っているこの送迎船であった。正確にいえば、この送迎船の本体であるところの巨大なクニクルソイドの頭上、何本も何本もの寄生根によってしがみついている小型のクニクルソイドの方だ。性行為の後の甘い痺れのように柔らかく開いていたあの唇からこの絶叫を喚いていたのだ。それからその絶叫に驚いたみたいにして、巨大なクニクルソイドの方がびくっと一つ身を震わせると。その後は、何の音もさせず、一つの振動もせずに、つまり前回の離陸時と同じようにして、送迎船は発進したのであった。

 同じように?

 否、一点だけ。

 違いがあった。

 それは速度だ。どう考えても前回よりも早い。デニーと真昼とを洗練所まで運んできた時の速度が観光用の遊覧船くらいだとすれば、今回は明らかに軍事用の高速船くらいの速度がある。まずは後退して、会議室に突っ込んでいた頭を引き抜いて。それから、白く、六角柱の形をした、このヒュージな構造物に尾部を向けると。ほとんど加速のためのインターバルを置くこともなく、ヤクトゥス・エンジンでもついているのではないかと思うほどの速度まで、一気に到達していたのだ。

 送迎船は見る見るうちに六角柱から離れていく。フルード・キューブ状になった少女達は、六角柱から離れたことによって、幸いなことに追跡をやめたようだった。ここで幸いなことにというのはデニーと真昼とにとって幸いなことにということ意味だが、とにかくフルード・キューブとなっていた(約)三人の少女は、ざらざらと流れるようにして、大きく開いた穴が早くも修復され始めて、次第に閉ざされていく会議室へと戻っていくと。他の(約)二人の少女と混ざり合って、元の姿に、過ぎたところも欠けたところもない五人の少女の姿に、自分たちの姿を再構成し始めた。

 これで一安心か?

 いうまでもなく。

 そんな訳がない。

 デニーはそのことを重々承知していた。こういうのはいつものことだからだ。だからこそ、送迎船が発進すると共に、既に次の作業に移っていたのだ。今、テーブルの真ん中に描かれているのは送迎船を発進させるのに使った魔学式。今度はこれをぱっと端の方にフリックして、今度は全体の魔学式のうち、下側にあった魔学式をスワイプする。中心の魔学式から切り離して、テーブルの真ん中に持ってくると。今度はこれをピンチアウトすることはなかった。その代わりに、右手の人差し指・中指・親指によって。複雑な図形を更に描き足していく。

 結果として、その下側の部分は更に三つの部分に分かれることになる。中心の円によって構成された部分と、その右側に新たに書き足された円から放射状に延びている部分、そして左側に新たに書き足された円から放射状に延びている部分だ。これで必要な部分は書き終えた。あとは実行するだけだ……迎撃を。

 デニーは、その下側の部分。

 中心に位置している、円を。

 ボタンみたいにして。

 ぽちりっと、押した。

 すると、その円から広がっている魔学式の部分が、ほんの一瞬だけ、例えば静電気が走ったかのようにして、ぱちりと光を放った。静電気といってもそれは科学的な現象ではなく魔学的な現象ではあったが、とにかく、魔学式によって送迎船のシステムが何らかの影響を受けたということは間違いないようだった。その証拠として、その静電気が弾けた直後に。ぽうっとでもいうみたいにして、デニーが向かっているテーブルの上にホログラム映像が映し出されたからだ。

 正確にいえば六枚のホロスクリーンだ。それらのホロスクリーンにテレビジョンみたいにして映し出されている光景は……この送迎船の周囲の光景だった。前方と後方、右方と左方、上方と下方。それぞれの方向を一枚ずつのホロスクリーンが映し出している。デニーは、そのうちの、後方を映しているホロスクリーンを選択すると。スクリーン群の最前面に持ってきて、ぱっと拡大した。それから、その画面を見つめながら「うっふっふー!」いかにも楽し気に呟く「パーティの始まりだよ!」。

 さて。

 それでは。

 その瞬間にホロスクリーンが。

 映し出したものを見てみよう。

 送迎船の後方にあるものは? 当然ながら送迎船が後にしてきた場所だ。要するに、巨大な、白色の、六角柱。その六角柱の、送迎船が飛行している方向に面している壁が。今、何か、ウィアードな動きを見せていた。一部分が、といってもかなり広範にわたる一部分ではあったが、ぶくぶくと泡立っているのだ。壁の表面、まるで沸騰しているかのように、小さな泡ができては破れて。破れたはまた新しい泡ができて。そして、よく見てみると……泡が破れた瞬間に、その中から何かが生まれ出てきていた。

 拍子抜けするほど小さい物体で、恐らく手のひらに軽々と乗ってしまうほどの大きさしかない。全体的には流線形をしているのだが、ただしその中心には拳くらいの大きさの宝石が埋め込まれている。この宝石がまたウィアードな物体で、形状こそ(純粋数学上の概念として)ごくありふれた真球であったが、ウィアードな点というのはその宝石が放っている光についてだ。その光は、真っ黒だったのだ。それでいて暗黒でも真闇でもなく、それは確かに光だった。目を引き込むような黒い色でありながら、目を眩ませるように輝く光。そして、宝石の下部からは、でろでろと滴るようにして、何本も何本もの触手が生えていて。

 つまり。

 それは。

 ASK製の。

 軍事用ドローン。

 本当によく見てみないと分からないくらい小さいドローンだ、というか、送迎船から六角柱までのこの距離ならば、普通であればこんなに小さなものは見えないはずだ。まあデニーちゃんはサピエンスなんかよりもずっと目が良いからぜーんぜん見えちゃうんだけどね! デニーちゃんの目の良さは置いておいて、それほど小さいにも拘わらず、それらのドローンは、ホロスクリーン映像によってはっきりと見ることができた。なぜなら、それほどに、大量のドローンが吐き出されていたからだ。

 百や千ではきかないだろう、万を超えて、下手すればミリオンに達しようとする数。それだけのドローンが黒い霧のごとく群がっていたのだ。ちなみにこの黒い霧のごとくという比喩表現は鳥肌が立つほど使い古された表現なので、なるべくなら使いたくなかったのだが。そのぞっとするほどの大群を意味するにはこのような表現しか思いつかないほどであったということだ。「鳥肌が立つ」と「ぞっとする」で掛かってるしね。ちょうどいい!

 それらのドローンは。一斉にこちらへと、送迎船へと向かってきているのだった。人間的な文脈で考えられるような推進機関はそれらのドローンには一切ついていなかったが、どうやら中央部に埋め込まれた黒い宝石がその役割を果たしているらしい。漆黒の光はただ単純に放出されているわけではなく、ドローンの後方へと、眩い閃光が稲妻の上を走るがごとき激しさで照射されていて。その黒い光がもたらすところの何かしらの「力」によってドローンは駆動しているようだった。

 その飛行の速度は、何というか、ちょっと笑ってしまうというか、冗談みたいな早さだった。マジかよって感じだ、そりゃ流線形にもなりますわって感じ。この送迎船だってかなりの速度で飛んでいるはずなのに、そんなの全然関係ありませんが?みたいなテンションで接近してくる。スーパー速やか、いや、ハイパー速やかといってもいいかもしれない。少なくとも音速程度であれば軽く超えているだろう。

 そんなドローンの大群を見て!

 デニーちゃんが取った行動は!

 ホロスクリーンから目を離すことなく、左右の手、テーブルの上の魔学式に滑らせた。下側の部分であった魔学式に新しく付け足された、左側と右側との魔学式。これら二つの魔学式は……核となる円から、主に四つの部分が放射的に伸びた形をしていて。デニーはそれらの四つの部分のそれぞれに、人差し指から小指までの五本の指を置いたということだ。

 すると、そのデニーの行為に対して、またもや送迎船が反応を示した。具体的には――ひどく痛みを感じているかのように――ひどく苦しみを感じているかのように――全身を歪ませるみたいにしてひねり始めたのだ。画期的な技術について特許も取っている革新的な構造のスタビライザー(Made in ASK)がついていたおかげで、そういった苦痛を訴えているかのような動作がラウンジに与えた影響は、そのほとんどが無効化されたのだが、それでも、画期的な技術について特許もとっている革新的な構造のスタビライザー(Made In ASK)でさえ全ての影響を緩衝しきれなかったらしく、中にいるデニー達は少しばかりの振動を感じた。だが、とはいえ、それはあくまでも付随的な現象だ。真に注目すべき出来事は、送迎船の内側ではなく外側で起こっていたのだ。

 ぐにゃりぐにゃりと、送迎船の表面が、捻じくれて、波打っていた。表面の全体。窓や顔、羽のような器官や鰭のような器官、そういったものが現れていない全ての部分。例えば悪性の腫瘍でもできるかのように、ぼこり、ぼこり、と盛り上がり始めたのだ。そうしてから、それらの盛り上がりは、それら全てが、次第にある形を取り始める。多関節の腕と、その先に取り付けられた巨大な眼球の形だ。全長は大体五ダブルキュビトから十ダブルキュビト、それぞれの長さによって関節の数は変わってくる。その先端にある眼球は、個体差がないわけではないのだが、ほとんどが人間の頭部一つ分くらいの大きさだった。どんよりと赤く濁った白目(形容矛盾ですね)と、それに透明な水晶みたいな虹彩。そんな腫瘍が、送迎船の表面のいたるところに、恐らく数百という数、発生したのだ。

 そして。

 それらの腫瘍は。

 デニーが動かす。

 十本の指。

 魔学式が、導いた。

 その方向に従って。

 一斉に。

 視線を。

 ドローンの大群。

 黒い霧に向けた。

「れっつ、えりみねいと!」

 デニーが、元気よくそう言いながら、左右の魔学式の核となっている円に右手と左手とのそれぞれの親指を触れさせると。その命令に忠実に従うようにして、送迎船の表面に生えた全ての腫瘍、全ての眼球から、一斉に、面白みに欠ける光線が放たれた。

 何の変哲もないというか、これといって特徴がないというか、とかくオーソドックスな光線だ。これは要するに、この送迎船を推進させているらしいあのぼんやりとした光、羽のような器官から放射されている光を、より凄まじい勢いで発射したものだ。確かに強烈な光線ではあるが……しょせんは強烈な光線でしかない。いかにも「光」っぽい凡庸な色で光りながら、まさに光線!という感じの直線で進んでいく、ありきたりな光線。何というか派手さに欠けるので、デニーちゃんとしてはちょーっとだけ不満なのだったが。まあ、仕方がないことだ。どんな生き物であっても配られた手札で何とかやっていくしかないのだから。

 ただし、見た目は退屈でありながらも。その光線は、破壊力としてはそれなりに優秀であるようだ。数百の瞳から発射された数百の光の筋は、幾つかは束なりあい、幾つかはそのままで、目標へと向かって平々凡々たる光の速度で進んでいき。目標とはつまること、中途半端な高度に向かんでいる叢雲が如きドローンの大軍勢のことであって。その叢雲に対して、マシンガンの集中射撃みたいな勢い、勢いよくラッシュ・アンド・ストライクした。すると、その光のシャワーを浴びたドローンは……その端から、次々と蒸発していったのだ。

 エンターテイメント性に欠けたじゅううううっという音を立てながら、その叢雲は、前方からどんどん消えていく。送迎船から盛り上がった眼球、眼球、眼球は、それらの光線を絶やすことなく光らせ続けながら。関節と関節とを精密に動かして、叢雲の一番分厚い層を狙い撃ちにしているのだ。叢雲はあっという間に三分の二程度の大きさになってしまって……そこで、この件に対応することを迫られる。

 これ以上、叢雲でいることはできない。そもそも叢雲でいる必要もないのだ。ということで、未だ大量といえる数が残っているドローン達は、稲妻に弾かれて飛び散った雲のように、ばんっと四散八散十六散した。叢雲だったものは、今まで見たこともないくらい巨大な蚊柱になって。その蚊柱は、送迎船のことを包み込もうとしているかのように大きく広がって……その状態として、襲い掛かってきたのだ。

「んあー……」

 デニーは、人差し指から小指まで。

 指と指の間を、さっと開くことで。

 四つの部分と、四つの部分。

 放射状に延びた八つの部分。

 散開させるように。

 ドラッグしながら。

 面白そうに。

 こう、言う。

「らんだむ、ふぁいありんぐ!」

 今まで一方向に集中して光線を発射していた大量の眼球が、今度はてんでばらばらにその視線を動かし始めた。僻目というか癲癇というか、僻目が癲癇を起こしたみたいだ。先ほどまでの整然と管理された射撃とは違って、今度は、無作為で、ランダムで、めちゃくちゃで。結構な数の腕の結構な数の関節がぐねぐねと動き回って、その先端の眼球はそこら中を見境なく打ちまくる。ただ……それで、十分に機能していたのだ。なぜなら、そこら中から、見境なく、ドローンは押し寄せてきていたから。

 一機、二機、三機、それから先はたくさん。そう、光線は、たくさんのドローンを打ち落として。撃ち落として、撃ち落として、撃ち落としまくって。だが、それでもまだ足りないようだった。何せ絶対量が多すぎるのだ、数百万のドローンに対して、こちらの空対空光線砲塔は数百。単純に計算しても、一機当たり一万は墜落させなければいけないことになる。まあ、それくらいのこと、デニーちゃんなら余裕でできないこともないのだが……ただ、残念なことに。ここで残念というのは誰にとってなんでしょうね、真昼かな? でも真昼は残念とか感じられる状態じゃないっぽいし、まあとにかく誰かにとって残念なことに、デニーは、どうやら、この状況を面白がっているようなのだ。誰だってちょっとしたゲームに、暇潰しのゲームに本気を出すことがないように。デニーも、今は……本気を出すつもりがないらしい。

「あははははははははっ! たーのしーい!」

 確かに楽し気に。

 デニーは笑って。

 しかし、そんなデニーのポジティブとは対照的に、状況はネガティブの一途を辿っている。「らんだむ、ふぁいありんぐ!」はドローンの数を三分の二から三分の一にまで減らすことができたようだが、それでも三分の一のドローンが生き残ってしまったのだ。そして、生き残ったドローン達は……そのうちの一機が、今、乱れ打たれる光線と光線との間をかいくぐって、とうとう送迎船にまで到達した。

 ドローンは目標に到達すると、その推進機関である宝石の、光の勢いを和らげた。すうっと、流れるような滑らかさで送迎船の表面に接近し、恋人の頬に触れるみたいにそっと着面する。ここで宝石の下部に繁茂した触手が役に立った。ドローンが着面した面とは送迎船の腹側で、つまりドローンは上下逆になった姿であったのだが。面に触れた触手の塊には、どうやらある種の接着性があるらしいのだ、そのためドローンは落下していくこともなく送迎船の腹部にくっつくことができたということだ。

 自分のボディがしっかりと送迎船にくっついたことを確認すると。ドローンは、その推進機関であった宝石を、またもや強く光輝かせ始めた。またもや? いや、違う。先ほどとは、飛行の時とは、全然違う。今度は、もっと、ずっと、強く。しかも輝きは、どんどんと、どんどんと、加速度的に光度を増していって。やがてその光は限界点に達してしまう。

 こうっと。

 一筋の。

 閃光を。

 放ち。

 その宝石は。

 暴力的に。

 炸裂する。

 暴力的でありながらも、それは黒一色の花火にも似ていた。黒一色の花火なんていうものがあるならばの話だが。ただし音はしなかった、全くの無音のまま、黒い光の塊が弾け飛んだということだ。その炸裂は――どうやら、何かしらの魔学的な力を帯びていたらしく――赤イヴェール合金でできているはずの送迎船の腹部に、なんとちょっとした傷を作っていた。

 そう、ちょっとした傷だ、小型の動物に噛まれたら血が出てしまいましたという程度の傷でしかない。けれども、それは間違いなく傷であって……しかも、たった一機のドローンが爆発したことでできた傷だ。もしも、このような爆発が何度も何度もあったら? 何度も、何十度も、何百度も、何千度も、何万度も。そして実際に、ドローンは何万機も残っている。

 生き残ったドローン達が矢継ぎ早に着面する。腹部であろうが頭部であろうが脚部であろうが、羽であろうが窓であろうが腕であろうが、なんのお構いもなしに。べたべたとくっつきまくって、くっついたそばから爆発していく。送迎船は黒い光に覆われて、まるでおしゃれなライトスタンドみたいになってしまっている。黒い光を放つライトスタンドなんていうものがあるならばの話だが。さすがにこの状況には画期的な技術について特許もとっている革新的な構造のスタビライザー(Made In ASK)もお手上げのようだ、なにせ送迎船の全体が前後左右上下に揺さぶられているのだから。ラウンジもやはり空気を読んで、ぐらんぐらんと揺れざるを得ないということだ。

 そんな中でも、デニーは笑っていた。優しいパレントに高い高いでもされている子供みたいに、しきりとけらけら笑いながら、それでもデニーの体はまるでバランスを崩すことなくテーブルの前に立ったままだった。ちなみに真昼ちゃんはどうしているのかというと、いつもであればデニーに対して「デナム・フーツ! 巫山戯てないで何とかしてよ!」とでも言っているところであろうが。長く暗い魂のティータイムの真っ最中であるところの真昼は、自己嫌悪に陥ることに忙しいようで、ぼーっとしたままでそこに座り込んでいるだけだった。この状況下にぼーっとしたままでそこに座り込んでいることができるというのはなかなか器用なものであるが、まあ真昼のことはもう少しそっとしておいてあげることにしよう。ということで、視点を現在の状況へと戻してみる。

 ちなみに、送迎船の位置を確認しておこう。実は随分と長距離を進んでいたのだ。前方には、霞んでしまうくらい遠いところではあるが、壁が見えていた。どこまでもどこまでも続いているように見えるあの壁、ASKの領土と外界とを区切っている白い壁のことだ。恐らく、あそこさえ超えれば、ASKの魔の手から逃れることができるだろう。一方で後方はというと……六角柱の構造物は、遥か後方に置いてきてしまっていた。その姿はもう見えなくなっているくらいであって。しかも、追いかけてくるドローンの群れは、どうやらこの群れで最後らしかった。追加のドローン、応援のドローンはどこにも見当たらないからだ。ということは――送迎船が、六角柱を構成しているフォース・フィールドを突き破ることができたことも考慮してみると――現時点でこの送迎船に群がっているこれらのドローン群さえ何とかすれば、もしかしたら、何とか、ASKの領土から脱出することができるかもしれない。

 そう。

 このドローン群さえなんとかすれば。

 とはいえ、それが、一番の、問題だ。

 息つく暇さえ与えないとはまさにこのことかと思うほどの間断なき連続攻撃であった。一つが船体にくっついて爆発すれば今度はその爆発跡に二つがくっついて爆発する、そんな調子だ。当然のことながら、そんなに連続して攻撃を受けた船体は、全面的に傷だらけになっていて。赤イヴェール合金でできた部分は大きく抉れてクレーターみたいなのができてしまっているし、窓には罅が入ってしまっている。腕に至っては、何本か、爆発のせいで千切れて、先端の眼球ごと地上に落下してさえいた。

 このままでは船体のどこかしら、恐らくは窓のあたりに穴が開けられるのは時間の問題だと思われた。そうなれば開いた穴(単数)、もしくは開いた穴(複数)から、どっと流れ込むみたいにしてドローンが入ってくるのは必定のことである。そして、更に、それらのドローンがデニーを排除して、真昼を誘拐するという目標に向かって全力で邁進するということは目に見えている。

 もーちーろーんー? デニーちゃんがその程度の攻撃に屈するのではないかという疑いは、全くもって傍らナンセンスな考えではあるが。それにしても、このシチュエーションが絶体絶命のエマージェンシーであるという意見を表明することは、アーガミパータ人民憲法が保障する表現の自由に照らしてみても、決して否定されるべきではない正当な行為なのではないだろうか。

 この世界においてアーガミパータ人民憲法と同じくらい役に立たないものなんて鼻をかんだ後の鼻紙くらいしか思いつかないのだが(両方とも火をつければ五秒くらい暖が取れるという点でも大変似通っている)、まあその件については稿を別にして論じるとして。とにかく、デニーと真昼とは危機的状況に置かれていたということだ。ドローンはあと週十万機は残っていて、そして、今や、その全てが送迎船を取り囲んでいる。その様はあたかも送迎船を核とした黒々とした雷雲のようであって。

 そして、それから、この状況こそが。

 デニーが待ち受けていた状況だった。

「んーと。」

 ぐらんぐらんと揺れる中で。

 可愛らしく、小首を傾げて。

 六枚のホロスクリーン。

 全体として眺めながら。

 デニーは。

 こう言う。

「そ、ろ、そ、ろ、いーかなあ?」

 今まで両手を置いていた下側の魔学式から手を離して。端の方に寄せておいた残りの魔学式の中から、中心の魔学式だけを持ってくる。それによって手元には、中心の魔学式と下側の魔学式との二つの魔学式が描かれていることになる。

 デニーは、それらの魔学式を……おもちゃの粘土を掻き混ぜる子供みたいに大胆な手付き、両手をきゅきゅっと滑らせることによって、勢いよく掻き混ぜ始めた。さーて混ぜ混ぜしましょう!みたいな感じ、曲線と直線、円と角度、魔学式間の区別がつかなくなるくらいに混ざり混んでしまって。二つの魔学式は、やがて、一つの魔学式へと統一されていく。

 中央に一つの大きめの円があり、その周囲を三つの円が回転している。ある種の星系に見えなくもない図形であった。これは、要するに、送迎船を動かしている機関部分を支配している魔学式と、送迎船に搭載された兵器を支配している魔学式とを一緒くたにしたものだった。

 つまるところ、この魔学式によって、送迎船全体に供給されているエネルギーを、船体維持と飛行とに必要な最低限のエネルギーだけを残して、それ以外の全てを攻撃用エネルギーとして使用できるようになったということだ。

 その魔学式が完成すると、デニーは……くすくすと、嬉しそうに笑いながら。魔学式の周囲を開店している三つの円に、一つずつ触れていく。ぽんっぽんっぽんっと、デニーの人差し指によって触れられるごとに、それらの円はぽうっとした光を放っていって。それから、その円のうちの二つ(これは下側の魔学式の中で右側と左側に描かれていた円だ)は、中央に位置している大きな円の上側に並んで。その円のうちの一つは(これは下側の魔学式の中で中心に描かれていた円だ)は、中央に位置している大きな円の下側に並んだ。惑星の直列のようにして、四つの円は整然と整列して。そして、全てが整ったとでも伝えたいかのようにして、中央の円、機関部分を支配する魔学式に描かれていた円が、とても強い、浮かび上がるような光を放った。

 その光は、つまり、スイッチだ。

 だから、デニーは。

 スイッチを見ると。

 我慢できなくなってしまう。

 とても好奇心の強い、子供。

 みたいにして。

「すいっちー……」

 ひどくご機嫌に。

 そのスイッチを。

 押す。

「おんっ!」

 これはあまりにも当たり前のことであって、わざわざ書くまでもないことであるが。雷雲とは雷を含んだ雲のことだ。雷光と雷鳴とを発生させる、黒々として、陰鬱な、雲のこと。従って、デニーがスイッチを押した後に起こったことは、これもやはり当たり前のことであって、わざわざ書くまでもないのかもしれない。それは、つまり、雷雲にも似たこの集合体から……万雷とも思える、凄まじいエネルギーの波動が迸ったということだ。

 その発生源は、無論ながら送迎船だった。もう少し正確に描くのならば、送迎船の機関部分。その機関部分が、溜め込んでいた魔学的なエネルギーのほとんどを外側に向かって解放したということだ。エネルギーの波動、恐ろしい厳霊は、送迎船の周囲百ダブルキュビト程度までに存在していた全ての物体を、引き裂いて、焼き尽くして。そして、その空間にあった主な物体とは……そう、ドローンの大群であった。

 ドローンの軍勢は、その全部が送迎船から百ダブルキュビト以内に集まってしまっていて。もちろんデニーはそうなるのを待ってからこのマイティワイズリーアンドオールアウトサンダーアタック(仮)を行ったのではあるが、とにかく、このマイティワイズリーアンドオールアウトサンダーアタック(仮)をその身に受けたドローン達は、次々と爆発し、弾け飛んで、粉々の破片となって地上へと落ちて行ったのだった。全ての、全ての、ドローンが、無力化されて。そして、もう、送迎船を攻撃するものは、何もいなくなったということだ。

「ふっふーん、どうだっ!」

 デニーは、ゲームに勝った子供のように。

 いかにも得意そうに、嬉しそうに言うと。

「おーる・くりあ!」

 万歳でもするように。

 大きく、可愛らしく。

 両腕を掲げてみせたのだった。

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