第一部インフェルノ #8

「クソがぁああああああああああああああああっ!」

 語彙のないやつはこれだから優雅に欠けると思わないでもないのだが、読者の皆さんのご想像の通りサテライトの絶叫だ。屋上への扉がぶっ壊されるとともに「ハハハハハハハハッ」というあの耳障りな笑い声をあげながら、五つの衛星、憎悪に歪んだサテライトの分身達が、びっくり箱の仕掛け物のように飛び出してきて。しかしデニーと真昼とマラーとに襲い掛かることもなく、ただふわりと空の方向へ舞い上がり、互いに互いを戯れの相手として、薄気味の悪い乱舞を踊り始めただけだった。

 その後に姿を現したのが、サテライトとエレファントだ。屋上に敷き詰められたコンクリートよりも少しばかり高い位置にふわふわと浮かび上がりながら、いかにも憎々しげに歯噛みをしているサテライト。それに付き従うように、粛々と、何らかの刑罰の執行者のような顔をして歩いてくるエレファント。扉、というか既に虚ろに開いた穴となってしまったその入り口から、二歩か三歩進んだところで、立ちはだかるようにして立ち止まる。そして、一方の真昼は、そちらの方をばっと振り返って、それと同時にマラーのこと、まるで自分の体によって庇おうとしているかのように背中側に匿った。

「逃げてんじゃねぇよ、クソども。てめぇらみてぇな連中に逃げる権利があるとでも思ってんのか? てめぇらはな、ただ、何の抵抗もせず、あたしのおもちゃになって、痛みと苦しみに許しの声をあげながら、無様に殺されればいいんだよ。」

「ハッピー・サテライト、何度も言っていることだが、私達の任務は……」

「うるせぇ、黙れ!」

 そんな風にいつものやり取りをしているサテライトとエレファントに対して、真昼は、すっと左手を差し向ける。「雷静動、水破」という言葉とともに、科学的現実との魔学的現実とのあわいは密かに破られて。真昼の左手は、黒く滴り落ちる藤の蔓、重藤の弓によって侵される。

「あたしは……」

「はぁ? んだよ。」

「あたしは、構わない。殺されても、連れていかれても、構わない。でも、この子には手を出さないで。」

 そう言って。

 真昼は。

 サテライトと。

 エレファント。

 二人に向かって。

 弓を引く。

 サテライトは、その時々によって程度こそ違えど、常に何ほどか錯乱しているために。およそ観察力というものとは無縁の生き物であって、そのために、真昼が何を言っているのか、全く理解できなかったのだが。けれども、エレファントには、その言わんとしているところがすぐに理解できたらしい。真昼の後ろで、真昼の足にしがみつくみたいにしてふるふると震えているマラーの方に、ちらりと視線を向けてから。真昼にこう答える。

「それは無理だ。」

「な……!」

「砂流原真昼、私達はこう指示を受けている。キャンプにいる人間は、避難民であるかそうでないかを問わず皆殺しにせよと。従って、キャンプにいる人間であるその少女を見逃すことは、私達にはできない。」

 エレファントがそう言い終わったタイミングで、サテライトがいかにも忌々し気にべっと唾を吐いたが。その行為には大して意味あるわけではない、何となく会話から除け者にされているような感じを受けた時に、自分もその会話に加わっていると主張したいサテライトが行うところの、標準的な行為の一つというだけだ。サテライトは結構さみしがり屋さんなので……いや、それはどうでもいいことなんですよね、ここで視線を向けるべきは真昼の反応。

 そのエレファントの言葉を聞いて、真昼はぎりっと奥の歯を噛んだ。なんというか……真昼って何かと奥の歯を噛んでいるような気がするが、まあこういう時の人間の反応パターンというものは案外少ないものだ。とにかく、奥の歯を噛んだ真昼は。その後、ざっと音を立てるように足を滑らせて、左足と右足の間を開く。体の重心を安定させたのだ、それから引いていた弓をエレファントの方へと向ける。

「それなら、あたしも、ただで捕まる気はないから。」

 そんな、真昼に対して。

 サテライトは。

 残忍で、捻じ曲がった、嘲笑、を。

 嬉しそうに向けながら、口ずさむ。

「おーっと、クソガキ!」

 それから、右手と左手、両方の手の人差し指を、まるで指揮棒のようにして突き出して。馬鹿にしたような優雅のカリカチュア、うっとりと柔らかい波の満ち引きにも似た態度で、その二本の指揮棒を、わざとらしく振って見せる。そう、それはまさしく指揮棒であって……ということは、サテライトは、オーケストラを率いているということだ。

 ぎりぎりっと、頭蓋骨の裏側を。

 嫌らしく、嫌らしく、引っ掻く。

 嘲笑と、哄笑の、オーケストラ。

「惨めで、哀れな、クソガキ!」

 つまり、サテライトがその指揮棒を振った時に。まるで、この屋上を取り囲むようにして、というか、実際に、完全に取り囲んでしまう形で。たくさんの、たくさんの、サテライトの衛星が姿を現したということだ。今までは、教会の建物の影に隠れていて見えなかったらしい。一、二、三……最初に浮かんでいた衛星、サテライトと一緒に屋上に上がってきた五つの衛星も含めると、三十匹は下らないだろう。ひょっとしたら五十匹くらいはいるかもしれない。それほど大量の衛星達。

 恐らくは、自分達がここに来る前に、デニーがキャンプへと送り込んでいた兵士達、その兵士達と戦闘を繰り広げていた衛星達も残らず集まってきたのだろうと思われたのだが、ただそんなことを思われたとしても何の役にも立たない。衛星達は、それぞれの体にぽっかりと開いている口から、「ハハハハッ」というあの苛立たしい笑い声をあげながら。ぐるぐる、ぐるぐると、屋上の周りを回転しているのだ。五十近い数の衛星が、デニーと、真昼と、マラーとがいる屋上を取り囲んでいて。数匹程度ならばなんとか足止めできたかもしれないが、この数では、真昼の弓なんて、間違いなく何の役にも立たない。それどころか逃げ道を考えることさえできないだろう。

「てめぇの抵抗に、なんか意味があると思うか?」

 自分より、力弱い獲物を追い詰めた時。

 腐肉を漁る、卑小で卑賤な肉食の獣が。

 だらだらと、濁った唾液を垂らしながら見せる。

 あの薄気味の悪い笑顔、にも似た笑顔で。

 サテライトは。

 満足げに笑って。

 サテライトは表情が豊かですね。というか笑い方にバリエーションがあるというか、まあそもそも感情が深い方の人間なので。それはともかくとして、真昼にとって、状況は絶望的であるように思われた。いや……正確には絶望的とまではいえないだろう、なぜなら真昼は少なくともこの場で殺されるわけではないからだ。エレファントが言うように、この二人の目的は、あくまで真昼の捕縛であって。この場にいるのがサテライトだけだったら殺されてしまうという可能性もあっただろうが。しかしながらここにはエレファントもいるのであって、ということは真昼殺害シナリオの確率は限りなく低い。もちろん真昼は思考の表面的な部分ではそんなことを考えていたわけではなかったが、もっと深いところ、無意識の段階では、間違いなくその事実を理解していた。

 まあ、マラーはまず間違いなく殺される、しかも惨たらしく全身を引き裂かれて殺されるだろうが、真昼にとってはしょせん他人事に過ぎない(と真昼の無意識は理解している)。ということで、真昼にとっては状況は絶望的ではなく、せいぜいが危機的というところであって。そのせいで、若干ではあるが、真昼には余裕があった。取り乱すこともなく、焦燥のゆえに馬鹿げたことをしでかすこともなく。かといって、自分自身の手には負えない状況であるために……真昼は、重藤の弓をエレファントに向けたままで、デニーがいる方、ちらと視線を向けた。

 デニーは……デニーにしては珍しく、ここまでの間、一言も口をきいていなかった。いつもならばぴーちくぱーちくと生まれたばかりの小鳥のように囀りまくっている口をぽかーんと開いたままで。屋上の縁のところに立って、ただ見下ろしていたのだ。眼下に広がっているキャンプを……赤く、赤く、染まっていく、その姿を。ちなみに、サテライトとエレファントとが立っている場所からは、そのキャンプの姿はほとんど見えていなかった。もしも見えていたとしたら、これほど危機的な(もちろんサテライトとエレファントにとって危機的な)、この状況に、気が付いていなかったはずはないだろう。

 とにかく。

 デニーは。

 そのキャンプを。

 見下ろしていて。

 そして。

 その時。

 ぽつんと。

 呟く。

「ねーえ、エレちゃん。」

「なんだ。」

「キャンプにいる人間は皆殺しってことはさ。」

 ここで、デニーは。

 くるっと振り返る。

「デニーちゃんも、殺されちゃうってこと?」

「ああ、そうだ。」

「へ、えー。そお。」

 それは、要するに、時が満ちたということ。

 その赤い色が、十分に、満ちたということ。

 だから。

 デニーは。

 くすくすと笑いながら。

 こう言う。

「それは、とーっても残念!」

 もちろんエレファントはとっくに気が付いていたが、他人については鈍すぎるほど鈍い、というかほとんど他人のことをまともに見ていないサテライトも。どうやら、何かがおかしいということに気が付いたらしい。おかしかった。デニーの様子は。間違いなく何か、何かを企んでいる、そういう生き物の表情だ。サテライトは、自分が信じているところの自分の優位を、決して手放すまいとして。自分の顎を少しだけ持ち上げて、デニーのことを見下ろすような角度にしてから、それでも用心深そうな口調でこう言う。

「てめぇ……おかしな真似するんじゃねぇぞ。」

「ふふふっ。おかしな真似って、なあに?」

「黙れ、クソが。」

「もう、サテちゃんったら、「サテちゃんって呼ぶんじゃねぇっつってんだろ!」そーんなにどきどきしなくてもだいじょーぶだよ! デニーちゃんはね、なあんにもしないから。デニーちゃんは、なあんにも、なあんにも、しないよ。ただ……あのね、一つだけお願いがあるの。」

「なんだよ。」

「えっとね、えっとね、最後にね、デニーちゃんは、エレちゃんと、サテちゃんに、言いたいことがあるの。」

 どう見ても、どう聞いても、どう考えても、明らかにおかしい。おかしいとしか表現のしようのない何かを感じている。けれど、サテライトも、エレファントも、デニーが何を謀っているのか、どんな策略を巡らしているのか、それが全く分からない。だから、二人とも、全身の神経を警戒によって張り詰めさせて。それどころか、屋上の周りをゆらゆらと漂っている衛星達さえも、その笑い声を潜めて。そんな中でサテライトは……デニーにこう言う、「言ってみろよ」。

 その寛大な申し出に対して。

 デニーは。

 まるで、ごっこ遊びでもしているかのように。

 とても、とても、芝居がかっている仕草。

 空に向かって、いっぱいに両腕を広げて。

 スーツの裾が、風にゆすらぐ。

 屋上の縁、ぎりぎりのところ。

 空を仰ぐようにして。

 いたずらっぽく。

 楽し気に。

 こう叫ぶ。

「Quod erat demonstrandum!」

 そして。

 そして。

 特に、何も。

 起こらない。

 サテライトは、デニーがその言葉を詠唱した瞬間に。一閃し、空間を引き裂くような視線で、ばっとあたりを見回したが。その視線の先で、特に何かが起こった様子はなかった。しばらくの間、慎重そうな態度を崩すことなくデニーの方を睨み付けていたのだけれど、待てども待てどもやっぱり何も起こらない。サテライトはすっかり拍子抜けしたような顔をして「なんにも起こらねぇじゃねぇか……」みたいなことを言いかけたのだが。その瞬間に、エレファントが、ハッシュの音で、上顎と、舌と、その間から息を吐きだす。

「んだよ、エレファント……」

「聞こえないか。」

「あ? 何が。」

「犬の遠吠えが。」

 その言葉にサテライトは耳を澄ませてみる。言われてみれば……確かに、何かが聞こえていた。遠く、遠く、まるで星と星との間を渡っていく風によって運ばれてくるかのように、遠くから聞こえている犬の吠え声。例えば何者かの死せる後にも、永遠に続いていくかのような、そんな遠吠えが……しかも、よく聞いてみれば、その狂い果てた歌を歌っているのは、決して一匹の犬ではなかった。一匹、二匹、三匹、それから先はたくさん。数えきれないほどの、犬、しかし、それは、本当に、犬なのか?

 と、ここら辺までの現状認識をした時に。サテライトは己の衛星達をデニーと真昼とマラーとの三人に向かってけしかけておくべきであった。そうすれば、少なくともマラーくらいは殺せたかもしれない、どさくさに紛れて真昼を攫うこともできたかもしれない。いや、まあ、デニーちゃんがいるので後者については全然無理でしたね、ごめんなさい。とはいえ、何らかの成果は上げることができたはずだ。

 しかし、サテライトは、それをしなかった。なぜならサテライトは、間違いなく、怯えていたからだ。本人はその感情のことを憎悪と呼ぶだろう、そしてそれは確かに憎悪だ。しかし、全ての憎悪は恐怖と怯懦とにその源を発する。サテライトは、その生命の全体において常に怯えていた。そして、今、特に怯えていたのだ。この、訳の分からない、吠え声に対して。

 それに。

 目の前で。

 くすくすと。

 笑っている。

 デニーに、対して。

「てめぇ……」

 しかしながらデニーに向かって言いかけたサテライトのその何かしらの罵詈は中途半端なところで閉ざされた、なぜなら、その禍々しい遠吠えが、近く、近く、へと、近づいてきていたからだ。くるくる、くるくると。次第、次第に。ある一点を中心として、円を描いて……例えるならば、別の空間から、この空間へと、薄っぺらいガラスの膜を通して、こちら側に、やってこようとしているかのように。そして、そのある一点とは……そう、教会前に広がっている、あの広場だ。より正確にいえば、その広場の中心で、静かに、何かを、待っている、あの、噴水に、似たもの。

 間違いない。

 何かが。

 何かが。

 起り始めている。

 サテライトは自分の顔に残っているたった一つの目をぱっと塞いだ。こうすることで、サテライトは自分の分身、衛星達のうちの一つが見ているものを自分も見ることができるのだ。正確にいうと別に隠さなくても見えるのだが、そうした場合は自分の見ているものと衛星の見ているものが二重写しになってしまうので、はっきりした像を把握することができない。とにかく、サテライトは自分の目を隠して。そして、あの噴水を見ている衛星の視界へと、自分の視界を移した。

 その噴水……そういえば、この噴水、というかこの噴水に似たものについては、まだその外見を表していなかったはずだ。これは噴水に似たものであって、噴水ではない。といって、それが果たして何であるのかということは……よく分からないのだ。半径二.五ダブルキュビト程度の円盤としかいいようがない。その円盤が、円形の面を上にして、地面に向かって真っ直ぐに埋め込まれている。それから、その円盤の中心には一つの彫刻が置かれているのだ。恐らく……何か、犬に似た生き物を模った彫刻だろう。犬に似たと書いたのは、その生き物がどう見ても犬ではない生き物であったからであり、普通の犬にはあのような羽は生えていない。光を透かせそうなくらい薄い、どちらかといえば昆虫類のもののような羽を生やした生き物が、犬に似た形をして、そこにうずくまっているのだ。山と積まれた頭蓋骨の上に鎮座ましましていて、明白に悪意を持った顔付きをしてキャンプのある方角を見つめている。

 彫刻の全体は、ぱっと見たところ、偏執狂的なくらい精密に彫り込まれているのであるが。それでいてどこかしら形式的というか、様式的なところがある。なんというか……マホウ界の方々には伝わらないかもしれないが、どことなくヴェケボサン的というか、レーグート的なところがあるのだ。そして、よく見てみると、この彫刻だけではなく円盤の全体までもが、一つの巨大な鸞翠から掘りぬかれているということが分かる。ラゼノ=コペアの緑色とは違って、その内側に何かの秘密、この世界が終わる時まで明かされない秘密を閉じ込めているような、曖昧な光を放つ緑色。静かに溶けていく、呪いの色。を、した、宝石。

 その噴水、彫刻、円盤――何でもいいのだが、とりあえずここではアミュレタムと呼んでおこう、なぜならそう呼ぶのが相応しいからだ――そのアミュレタムの周りの空間は、以前にも触れたと思うのだが、キャンプ中に張り巡らされた配電線の集結地点になっている。もっと詳しく書くとするならば、そのアミュレタムの一周を取り囲むようにして、等間隔に、十六本の電柱が立っているのだ。どこといって変わったところのない、ごく普通の電柱。そして、その十六本の電柱に向かって、ある限りの配電線がしっかりと結び付けられている。まるで……その配電線によって運ばれてくる何物かが何であったとしても、その何物かの全てを、貪欲に、貪婪に、そのアミュレタムが、貪ろうとしているかのように。

 まるで?

 いや。

 違う。

 これは、比喩ではない。

「は……? んだよ! これは!」

 衛星の目を通してサテライトが見たものは。まさに、貪りだった。キャンプの全体に、のたくるがごとく敷き詰められた配電線。その配電線が発している、あの濁り切ったような赤い光が、ものすごい勢いで、アミュレットを取り囲む十六本の電柱へと流れ込んでいたのだ。それは奔流であり、激流であり、濁流であった。そもそも赤い光にさえも気が付いていなかったサテライトにとって、町の全ての配電線が光を放っていることと、その光が一転に流れ込んでいること、その二つについての二重の驚きが……しかし、ここでいちいちサテライトの無知に付き合っている暇はない。とにかく、ここでいいたいことは、デニーの発した「指示」によって、赤い光が、アミュレットへと、流れ込み始めたということだ。

 そして。

 サテライトの驚愕の声に促されて。

 真昼も、はっと、後ろを振り返る。

 サテライトが見ている光景と、全く同じものが真昼の目にも入ってくる。配電線を伝って、あの赤い光が、怒涛のように、こちらへと押し寄せてくる様が。それから、真昼は、その時、不意に気が付いた。これは、この配電線は。配電線などではない。そんなありふれたものではなく……一つの魔学式だ。

 間違いない。こんな巨大な魔学式を真昼は一度も見たことがなかったが。それでも、これは、魔学式だ。電線によって描かれた、円と、角度と、直線と、曲線。そして、そのことに思い当たるとともに、真昼はもう一つのことにも思い当たった。この禍々しい赤色、どこかで見たことのある赤色について。これをどこで見たことがあったのかということを思い出したのだ。これは……赤イヴェール合金。真昼の小指に嵌まっていた、あの指輪を形作っていた、魔学的な特性を持つ金属。

 しかし、今は、真昼の悟性に。

 付き合っている暇もないのだ。

 なぜなら……さっきからずっと「何かが起ころうとしている」とばかり書いていて、一向に何かが起こる気配がないじゃないかとお嘆きの読者の皆さん、お待たせしました、ようやくその「何か」が起こりますよ。なぜなら、まさに今、全ての魔学式が解き明かされて。それから、とうとう、その解が求められたから。

 そう。

 それは。

 示された。

 赤い光の全てが、十六本の電柱を通じて、アミュレットに流し込まれた。その瞬間に、ほんの一瞬だけ、あの遠吠え、既に耳元ほどにも近く近づいていた遠吠えが、完全に沈黙して。それから、次の瞬間には……ガラスが、ガラスが、ガラスが割れる、あちらと、こちら、こちらと、あちら、二つの、世界を、分けてた、はずの、ガラスが、一枚、ぱりんと、割れて……ぱっと、その存在が、存在であるかのような顔をして。

 グリーンハウンド。

 が。

 この世界に。

 存在を。

 開始する。

 しかし、グリーンハウンドとは何者か? サテライトが見たそれは……とても、美しい、宝石だった。とても、美しい、宝石が……例えば一人の人間の肉体を蝕んでいる、無数の、悪性の、腫瘍のようにして。このキャンプの全体を、埋め尽くしてしまいそうなほどの数、現れたのだ。その出現は本当に唐突であった、一度瞬きして、そのあとで目を開いたら。あたかも、元からそこにあったかのようにして、既にそこに存在していたのだ。

 一体、幾つあるのだろうか。まともに数も数えられないサテライト(ろくな教育を受けていないのだからそれも仕方ないのだが)には見当もつかなかった。見渡す限りの視界に、少なくとも、二立方ダブルキュビトの空間あたりに一つ。ふわふわと浮遊しているというのではなく、その空間に埋め込まれているかのような、完全な静止状態で、浮かんでいたのだ。グリーンハウンドとは何者か? つまり、グリーンハウンドとはこの宝石だ。とても、美しく……この世界を侵食する、腫瘍。

「は……な……クソがっ!」

 確かにそこに存在していなかったはずの、確かにそこに存在しているその物体(複数)に向かって。サテライトは、獣が威嚇する時の声でそう言った。それから、目の前を薙ぎ払おうとでもしているかのようにして、ばっと広げた手のひら、大きく腕を振りぬく。すると、それを合図にして、またもや甲高い絶叫みたいな笑い声を再開させながら、衛星達、それぞれの近くにあったグリーンハウンドへの攻撃を開始した。

 だが。

 それは。

 とうに。

 遅すぎた。

 既にグリーンハウンドは存在してしまっているのだ。襲い掛かってくる衛星達の、その……敵意? 脅威? 何でもいいが、そういったものを感知して。グリーンハウンドは、その迎撃システムを起動する。

 その光のことを、果たして何と呼ぼうか? それは、厳密にいえば光ではない。魔学的な方角に歪められた世界が、その観念引力の持つエネルギーによって、結果として放つ実効性影響力の一種で。とにかく、グリーンハウンド、その実体としての宝石は光を放ち始めた。そして、その光は形を持ち始める。それは腐り果てたを肉持った何か。それは骨のように密かな羽を持った何か。それに、何より、目も鼻も耳もない、ただ飢えた口だけが虚ろな穴のように開いている、顔、を持った、呪い、の、ような、犬の形。

 そして。

 それから。

 その犬。

 この世界を、どうしようもなく汚して。

 それによって、空間に満ち溢れた、犬。

 は。

 衛星達に。

 向かって。

 移動する。

 襲い掛かるとかそういった感じではない。本当に、ただ単に、ある地点からある地点へと移動しているだけといったような。けれど、早かった。そこに永遠と瞬間とが同時に存在しているかのような早さだった。実体化したグリーンハウンド達は、そんな風にして衛星達に近づくと。まるで当たり前のようにして、その衛星を引き裂いた。

 虚ろな口で食い千切るかのように、呪われた爪で掻き切るかのように、そう、それはあくまで「ように」だ。実際には、それは口ではないし爪でもない。それに食い千切ったわけでも掻き切ったわけでもない。それは存在の提示だ、ある種の取引のようなもの。契約と履行、肯定と否定。けれども、だとしても、実際に起こったことは、こういうことだ。屋上の周り、取り囲むようにして浮かんでいた衛星達。その全てにグリーンハウンドが取り付いて。それから、ぐちゃぐちゃに引き裂き始めたということ。

「なんだ、なんなんだよ!」

 サテライトが。

 パニックに陥ったかのように。

 抑えきれない怒りを絶叫する。

 もちろんサテライトの衛星達は引き裂かれたそばから再生を開始する。スペキエースによってこの世界に引き起こされる現象は非常に概念的な側面が大きく、存在の側面に傾いたグリーンハウンドの攻撃は「決定的な意味」をもたらさないからだ。従って、確かに物体的には引き裂くことができるが、衛星達が持つヒーリング・ファクターまでは奪うことができない。ということで、衛星達はぐちゃぐちゃになった肉体をそのそばから再生して……そして、また、引き裂かれる。これでは、完全に破壊されないとしても、その攻撃から抜け出すことができない。いつまでも終わらない、しっぽを追い掛け回す犬みたいなものだ。

 「クソが、クソが、クソが!」とサテライトは叫ぶ。こいつ「クソが」以外のボキャブラリーないのかよと思わないでもないが、その通り、サテライトには「クソが」以外のボキャブラリーがないのだ。とにかく、あれほどたくさんいて、屋上を封鎖していた衛星達は。それ以上の数、このキャンプ、この世界に、満ちるように存在を開始したグリーンハウンドによって。すっかり足止めをされてしまったということだ。

 これでは、少なくとも、しばらくの間。

 サテライトは、ほとんど役に立たない。

 では。

 もう一人。

 エレファントは。

 どうか。

 エレファントのことを話すには、少しばかり、時間を遡る必要がある。デニーが指示の言葉、グリーンハウンド・プログラムの「実行」の言葉を発した時。あの、遠い、遠い、犬の吠え声が聞こえてきた時点で、エレファントは既に理解していた。これはちょっと不味いことになると。当然ながら、その不味いことが何であるかということまでは分からなかったが。とにかく早く対処しなければ手遅れになってしまうということだけは明確に理解していたということだ。

 なので、エレファントが動かなかったのは、サテライトとは全く違う理由からだった。サテライトの場合、それは無意識のうちに怯えていたからだが、エレファントの内部世界ではそもそも怯えという感情は完全に抑圧されていて……つまり、エレファントは、状況を伺っていたのだ。何かが起こっている以上は下手に動くわけにはいかないが、かといってこのまま動かなければ取り返しがつかないことになる。そのぎりぎりのところで待機して、自分がどうすればいいのかを理解しようとしていたのだ。

 サテライトが衛星のうちの一つに視界を移してキャンプの様子を見下ろした、その時の反応で。どうやら今起こりかけている出来事がキャンプの全体にわたって影響を及ぼしているらしいということを知る。ということは、この出来事は、このキャンプにあらかじめ仕掛けられていた防衛システムのようなものであるということを理解する。今回の件に関する情報提供者である「あの男」はそんな防衛システムについて一言も触れていなかったが、とはいえ、恐らく、間違いないだろう。よく考えてみれば、ただの難民キャンプならともかく、ラゼノ=コペアの生産拠点に何の防衛システムも用意しないというような頭の悪い真似を教会がするはずもないのだ。

 そして、このエレファントの推測が事実であるとするならば。これは非常に重要な事実ということになる。なぜなら、これが、あらかじめ設置されていた防衛システムだというのならば。まさに、今、この時に、デニーによって、サテライトとエレファントという対象を指定して、引き起こされた、そういう出来事ではないというのならば。それは、無差別かつ大規模なシステムということになるからだ。ということは、起動まで、それなりの時間がかかるはずということ。

 つまり。

 現時点でのこの静寂は。

 攻撃を誘う罠ではなく。

 ただ単純に、起動までのロスタイム。

 と、いうことで。サテライトが馬鹿丸出しかつ何の意味もなく「は? んだよ、これは……!」とかなんとか呟いていた、あの直後に。あるいは、真昼がはっと後ろを振り返っていた、あの次の瞬間に。エレファントは動いていた。手遅れになるその時まで動かなかった、動けなかった、サテライトと違って。エレファントは、既に、この時、動いていたのだ。この二人の間で、サテライトは低能を曝け出す役割を担当していて、エレファントは低能ではないという役割を担当している。ある意味でこの役割通りに二人は行動したということだが、それはそれとして、エレファントは、地を蹴って跳んでいた。

 しかし、エレファントの冷静さ、サテライトと違う意味でどこかファナティックでさえある落ち着き払った態度は。ある意味で分かり易かった、分かり易過ぎるほどに分かり切ったものであった。だから、デニーとて、理解していないわけがなかったのだ、全ての正しさを仮定として把握し、その結果として、エレファントが攻撃を仕掛けてくるということを。

 敷かれた線路の上を寸分の狂いもなく驀進してくるバレット・トレインのような態度で、あと一秒もしないうちに己の肉体に激突してくるであろうエレファントの姿を見て。デニーは、フードの奥で可愛らしく小首を傾げた。それから、デニーは、目の前にいた真昼の手、キャンプの方を向いていたせいでエレファントの突進にいまだ気が付いていない真昼の手を取って、それをぎゅっと握った。「え?」と、真昼の口から声が零れ落ちる。

 本当に、胸が締め付けられそうなほどキュートな笑顔を浮かべて。デニーは、真昼の手を握った方とは反対の手、あどけないとしかいえないようなやり方で、エレファントに向かって振って見せて。それと一緒に、声を出さずに、口だけを動かすやり方で――ば、い、ばー、い、と、デニーはそう言ったのだ――エレファントと、サテライトの、二人に、お別れの挨拶をする。

 そして、デニーは。

 屋上のエッジから。

 エレちゃんの方を。

 サテちゃんの方を。

 見たままで。

 背中から、落ちていくように。

 ただ足を滑らせたかのように。

 いたずらっぽく。

 飛び降りた。

 性的なファクターを欠片ほども感じさせない、戯れのような投げキスをする。ちゅっと音を立てて、エレファントに向かって。それから、デニーの体は、五階建ての建物の天辺から、呆気なく虚空に投げ出される。

 空気が掠れる音にも似た「は……」というような声が真昼の喉の奥の方から吐き出されて、それはすぐに消えた。なぜなら落下していくデニーの体に引き摺られるようにして真昼の体も空中への転落を開始したからだ。しかもそれだけではない。デニーに捕まえられていた方とは反対の手は、服の裾のところにしがみ付いていたマラーの体を、ほとんど脊髄反射として抱き締めていて。結論からいうと、協会の屋上から身投げしたのは、デニーと、真昼と、マラーと、その三人ということになる。

 それゆえに。つまるところエレファントの突進は空振りに終わった。既に手とは呼べないような、壮大な鉄槌としかいえない形に成形されたエレファントのナックルは。一種の爆発にも似た凄まじい音を立てながら、屋上に敷かれたコンクリートの一部を粉々に砕いただけで終わって。そして、それから……その瞬間に、緑色の宝石がその存在を開始したということだ。

 これで、ようやく、作中の時間は。

 有り得べきところへと帰ってきた。

 けれども、サテライトとエレファントの一人ずつを追っていくことで、なんとなく分かりにくくなってしまった文章中の時間軸が、やっとのことで一本化し、分かりにくさが解消されたところで。デニーと真昼とマラーとの三人の問題は一つも解決していないのだ。何せ三人は墜落を継続しているのだから。今は四階と三階の間くらいのところにいますね。

「デ……デナム・フーツ!」

「あー! 真昼ちゃん、初めて名前を呼んでくれたね!」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」

「でもさ、その呼び方は……ちょっと他人行儀すぎるぞ?」

「だから、そんなこと言ってる場合じゃない!」

 そんな風に日常系の会話を続けながら、三階と二階の間くらいの位置に到達してしまった三人だったが。まあ三人といっても、マラーはあまりに唐突に命の危機に晒されている今の状況を現実として捉えることができず、何やら呆然とした表情をしながら口をぱくぱくとさせていただけなのだが。それは気にしないとして、その三階と二階の間くらいの位置まで落ち終わった時に……デニーが、不意に、ぴゅぴーっという口笛を吹いた。

 そう。

 もう。

 お分かりですね。

 この口笛は。

 よく躾けられた。

 猿を呼ぶ。

 口笛。

 その瞬間に、真昼の視界の端、どうっという勢いによって、恐ろしく巨大な金色の毛玉が目に入ってきた。そして真昼が、その毛玉が一匹のウパチャカーナラであるということに気が付く前に。デニーと、真昼と、マラーの体は、すぽんっと音でも立てそうな感覚とともにルカゴの籠の中に納まっていた。

 確かにエレファントの足止めとして使用された四匹のウパチャカーナラはエレファントによって処分されていた。処分されたというのは詳しくいうと、肉が潰され骨が砕かれ内臓がそこら中に飛び散ってしまったため完全に生命活動を停止してしまいましたということだが、あまり露悪的に残酷な描写をするのは洒脱なことではない。なのでここでは処分されたというにとどめよう。とにかく、その四匹のウパチャカーナラに関してはぐちゃぐちゃに叩き潰されていて、既に腐敗さえ開始していたのだが……そう、あと一匹。このルカゴを引いていたウパチャカーナラだけは残されていたということだ。

「やっぱりさ、デニーちゃんとしては……」

 デニーは、隣のところ。

 ぽかんとした顔をして。

 開けっ放しの口のまま。

 阿呆のように座ってる。

 真昼の方に。

 笑いかけて。

「デニーちゃんって呼んで欲しいな!」

 なんでもない口調で。

 そう言ったのだった。

 ちなみに座っている順番としては、左からデニー・真昼・マラーの並びであって、二人か三人掛けを想定して作られているシートにちょうどいい感じで収まっていた。引っ張られている籠と引っ張っているウパチャカーナラとは、そのまま二階から一階、ちょうど放物線の頂点から先のルートを通っていく形、弧を描きながら落ちていって。それから、どしーんと騒々しい音とともに地面の上に着地した。

 いうまでもなくどしーんという音を立てたのはウパチャカーナラであって籠の方ではない。籠の方はヴァゼルタ反作用によって常に宙に浮かんでいるからだ。従って、その籠は、令嬢のスカートか何かのように、ふわりと音もなく揺らめいただけであって……ということで、真昼にもマラーにも、いうまでもなくデニーにも。傷一つなく、その墜落は完了したのだった。

 そのまま、落下の衝撃に怯むこともなく、ウパチャカーナラは暴れ狂う四つ足の獣として駆け抜けて。凄まじい勢いによって教会前の広場を横切った。真っ直ぐにキャンプの中へと突っ込んでいって、瓦礫を蹴飛ばし、土煙を巻き上げながら、あたかも計器類が全て狂ってしまったミサイルのごとく、めちゃくちゃなスピードで、その中を、疾駆する。

 そんな逃走劇、真昼は、ぽかんとした顔、大きな口を開けたままで放心状態であった。あまりにいきなりいろいろなことが起こってしまったのだし、それに人間という生き物は絶体絶命の危機から助け出されると、しばらくの間、そのことを信じられないものだ。しかし、そのしばらくの間が過ぎ去って、ようやく少しばかり自分を取り戻してみると……真昼は、自分の背後に、ある物音を聞いたような気がした。

 本当に、遠く、小さな音だった。しかし、それは見る見るうちに、というか聞く聞くうちに、近づいてきて。真昼が振り返った時には、すぐ背後とはいわなくてもあと五ダブルキュビトくらいの距離には近づいていた。その音は……あの、不吉な……聞こえる……つんざくように……不快な……笑い声……「ハハハハハハハハッ!」。要するに、サテライトの衛星達の笑い声。

 しかも。

 一匹や二匹や三匹やではない。

 十匹。

 二十匹。

 三十匹。

 四十匹。

 下手したら五十匹近く。

 全てを押し流す氾濫のごとく。

 ルカゴに向かって。

 押し寄せてくる。

 しつこいやつは嫌われるというが、まさにその通りであって、サテライトはちょっと信じられないくらいしつこい。恐らくは、デニー達三人が飛び降りた後で。このままでは埒がが明かないと判断したサテライトは、更に大量の衛星達を、可及的速やかに出産しまくったのだろうと思われた。出産しまくるってなんか面白いですね、とにかくサテライトはクオンティティによって活路を見出そうとしたのだ。いつだって解決策を物量に頼る。全く低能らしい、全くサテライトらしい解決策といわざるを得ない。

「デナム・フーツ!」

「だ、か、らー、そんな呼び方……」

「後ろ!」

 のーんびり!という感じのデニーの反応に、鬼気も危機も迫りまくってる口調で真昼は叫んだ。けれど、そんな真昼の喚き声を聞いても、やはりデニーはのーんびり!の態度を崩すこともなく。ただ、苛立たしいほど間延びした言い方で「んもー! 落ち着いて真昼ちゃん」と言っただけであった。

 そんなデニーに対して「落ち着いてって、すぐそこに……」と何か言いかけた真昼であったが。しかし、そこまで言いかけた時に、はっと、何かが起こりかけているということに気が付く。先ほども触れたことではあるが、あの宝石、唐突に出現した緑色の宝石は、教会の周りだけにではなく、キャンプの全体を埋め尽くすように出現していた。感覚も距離もばらばらであるはずなのに、どこか整然とした態度で、浮かび、並んでいる、それらの宝石が……次々に、光を放ち始めたのだ。

 あの光。

 犬の形をした。

 腐敗。

 呪詛。

 あるいは。

 もっと。

 簡単に。

 魔学的な、歪曲。

 要するに、こういうことだ。センサーが、侵入者の敵意を感知して。迎撃システムが、次々に、起動し始めたということ。犬! 犬という生き物はまさに防犯対策としては最適のソリューションではないだろうか? 彼ら/彼女らは非常に優れたセンサーを備えていて何物も何者も見逃すことがない。そして見つけた暁にはその身に生来から備わっている武器によって侵入者を九つ裂きに引き裂いてさえくれるからだ。と、いうことで。あまりに量が多過ぎて、縺れ合い、重なり合い、互いに蹴散らし合いながら、ある種の氾濫のごとき勢いで突進してくる衛星達へと。起動したグリーンハウンド達は一斉に襲い掛かったのだった。

「ね、だいじょーぶだったでしょ?」

 真昼に向かって。

 軽くウィンクしながら。

 デニーは、そう言った。

 その様は、一匹の巨大な獣に向かって襲い掛かる、小型の捕食動物の群れであった。集団で固まってこちらへと向かっていたはずの衛星達は。一匹、一匹、また一匹と、その集団から引き剥がされていく。一匹の衛星に対して、大体二匹から三匹程度のグリーンハウンドが、空虚な穴、あるいは口によって喰い掛かって。そして、そこらじゅうを引きずり回すようにして無力化していくのだ。巨大な獣は、己の肉体をだんだんと喪失していって……やがては、すっかりと、消えてなくなってしまう。

 そんな光景を、魅入られるみたいにして見送った後で。みるみるうちに背後へと遠のいていくその凄惨な聖餐のシーンから目を離した真昼は、どこか……恐れが入り混じったような視線で、周囲の空間に浮かんでいる、巣食っている、その緑色の宝石・宝石・宝石を見上げた。

「グリーンハウンド・プログラム。」

「え?」

「グリーンハウンド・プログラムだよ、真昼ちゃん。これは、グリーンハウンド・プログラム。」

 デニーは。

 何か物問いたげな雰囲気を察したのか。

 真昼が何も言わないうちから、答えた。

「うーんなんていえばいいのかなあ、契約術の一種でね。グリーンハウンド……あのわんわん達のことだけど、そのグリーンハウンドに、こっちの世界に来てもらうの。リリヒアント第八階層からね。で、怪しい人とか危ない人とかをばばーんってやっつけてもらうってわけ。アーガミパータにある教会の施設には、まあ、だーいたい、このグリーンハウンド・プログラムがせってぃーんぐされててね。標準的な防衛システムなんだけど、でも、本当に偉い人しか使っちゃダメだから、本当に偉い人しか知らされてないの。デニーちゃんはなんでも知ってるから知ってたけどね! それで、その防衛システムを実行したってわけ。もしかしたら、このシステムについてもフランちゃんがREV.Mに教えちゃってるかなーっとも思ったんだけど……ふふーん、やっぱり教えてなかったみたいだね。そりゃーそうだよ、もしもこのシステムのことを教えちゃったら、他の施設の防衛システムまで無力化されちゃうかもしれないし、そうなったらとってもクライシス!だからね。」

 ようやく、一先ずのところの安全が保障されたことで。

 デニーも、小鳥さんみたいな饒舌を取り戻したらしい。

 そう、とりあえずのところは。デニーの言葉でいうところのとってもクライシス!から、デニーと真昼とマラーとの三人は、脱することができたようだった。マラーは、未だに身を固くしたままで身動き一つせずに真昼の体にしがみ付いていたが。それでも、しばらくの間は、レッドアラートからイエローアラートくらいまでには警戒状況を緩和できそうだった。

 しかし、それでも……それは、あくまでも一時的なことであって。大状況の中の中状況の中の小状況であるに過ぎない。ここでいう中状況は真昼がREV.Mのテロリストに狙われているということであって、もちろん大状況はこの場所がアーガミパータであるということだ。この世の地獄で、テロリストに、狙われている。この状況をどうにかしない限り、真昼のとってもクライシス!は何一つ解決していないということなのだ。

 と、いうわけで。

 真昼はデニーに。

 こう問いかける。

「で。」

「ほえ?」

「これから、どうするの。」

 デニーは、可愛らしい唇に。

 ちゅっと人差し指を当てて。

 少しばかり。

 何かを考えていたが。

 やがて、口を開いて。

 こう答える。

「うーん、そうだね。あんまり行きたくなかったけど、こうなっちゃったら、もう行くしかないっぽーい。」

「行くって、どこに。」

「ASKの支店……アヴマンダラ製錬所に!」


 どうやら日が暮れてきたようだがそんな悠長なことをいっている暇はない。

「デナム・フーツ!」

「なーにー、真昼ちゃーん。」

「まだ着かないの!」

「もーちょっとだよーお。」

 重藤の弓に次の矢を番えながら問いかけた真昼の問い掛けに対して、ひどくリラックスした様子、ルカゴの背凭れにぐーっと寄りかかりながら、デニーは答えた。

 それにしても真昼は……随分とまあ逞しくなったものだ。こんなきりきり舞いな状況下、アーガミパータで目覚めたばかりの真昼であったらすっかり怯えてしまってルカゴの籠の中に縮こまってしまっていただろうが。今となっては雄々しくも立ち上がり、その右足でルカゴの背凭れをどんっと踏み付けて。そして、ちょうど今、三千本目の矢を放ったところだった。

 恐らく、この真昼の急速な成長の一番大きな理由は……ルカゴの籠の中に残っていて、座席を踏んでいる方の足、つまり真昼の左足のことを。まるで真昼が籠が転げ落ちないようにしているみたいに、必死に、ぎゅーっと、抱き締めて離さない、マラーの存在なのだろう。「しているみたいに」というか、実際に、真昼の体が転げ落ちないようにと、マラーは頑張ってしがみ付いているのだが。ただ、まあ、その行為にはほとんど意味がなかった。真昼は、魔学式によって与えられた優れた肉体能力と、それにほとんど超人的ともいえる根性・執念・気合いによって、身体のバランスを保ちつつも……ちょうど今、通算して三千匹目の衛星を撃ち落とすことに成功したのだった。撃ち落とされた衛星はごろんごろんと転がっていき、凄まじい勢いで追いかけてきていたグリーンハウンドの群れに捕まって千々の肉片に引き裂かれる。

 さて。

 現在の。

 状況に。

 ついて。

 そろそろ日が暮れてきたという冒頭の一文からお分かりいただけると思うが、前パートの終了時点からはかなりの時間が経っている。ということで、デニーと真昼とマラーの三人、避難民キャンプからはとっくに脱出していて。三人の乗ったルカゴ、今は、その上に教会が建っていたところのあの川に沿って、ひたすら驀進しているところだった。ルカゴのスピードからいえば……たぶん、夜刀浦邦の東端から西端までくらいの距離は走っているはずだ。しかし、未だに目的地、デニーのいうアヴマンダラ製錬所にはたどり着いていない。

 それどころか、最初のうちは順調に思えた行程、どんどんと暗雲が立ち込めてきて、現在では土砂降りの上に雷どんがらがっっしゃんといった感じであった。いうまでもなくこれは比喩的な表現であって、実際の天気はぴーかん照りにパーフェクトな快晴であったが。真昼とマラーはそれくらい悲劇的な状況にいるということだ。ちなみにデニーに関しては、こういうのはいつものことなのでそれほど悲観的に捉えていない。

 キャンプ場から脱出して四十分ほどは何事もなく進むことができていた。真昼もマラーも、警戒したり怯えていたりして高ぶっていた神経を、徐々に徐々に落ち着かせていって。三十五分時点から四十分時点までは、うとりうとりと居眠りをし始めてさえいたものだ。しかし、その四十分の時点で、泥濘のように重く沈み込んだ雷雲の、最初の兆候が表れた。

 たがいに寄り掛かり合って切れ切れの夢に漂っていた、真昼とマラーとは。ちなみに真昼がマラーの方に寄り掛かっていたのはデニーには死んでも寄り掛かりたくなかったからなのだが、それはどうでもいいとして、耳の端の方に何かの音を聞いたような気がした。その音は、本当に、小さな小さな物音ではあったが。それでも二人を目覚めさせるのには十分であった。なぜなら、二人は、その笑い声のこと、十分すぎるほど知っていたのであって……いや、無意味な仄めかしはよそう。それは、サテライトの衛星が発する笑い声だったのだ。

 真昼は、ずるずると嵌まり込んでいた座席からがばっと起き上がって。そのままの勢いで後ろを振り返る。すると……なんということだろう……そこには青く崩れ落ちた絶望を駆って……終末を告げる、禍々しい、蛙……つまり、そこにいたのは、サテライトの衛星。しかも、一匹ではなかった。一匹、二匹、三匹、遠過ぎてよく見えなかったが、かなりの数の衛星達が、三人の乗ったルカゴを追ってきていたのだ。

 それらの衛星達の姿は、みるみるうちに大きくなっていく。真昼とは違って、座席に身を隠すようにしたままで、いかにも恐る恐る、後ろを振り返ったマラーも。その姿を見る、そして思わず、また真昼の服の裾をぎゅっと握り締めてしまう。「ちょっと……」「どーしたの、真昼ちゃん」「後ろに……」「ふあー?」という会話を交わした後で、デニーも、ようやくのこと振り返って。しかし、何らの反応も示すことなく、いかにもどーでもいー!といった感じ、また座席の中にすっぽりと納まってしまった。

 「ちょっと!」「なーあにーい」「どうすんのよ、あれ!」「どーもしなーい」「どうもしないって……」なんていうことを言い合っているうちに、ふと、背後の状況に、変化が起こり始めた。追跡を続けている、その醜く歪んだ肌色の塊に。新たな色彩が交わり始めていたのだ。それは、腐り果てた、呪いのような、緑色。その緑色はたちまちのうちに衛星達の集団に追いついて……そして、その巨大な肉の塊を、捕食し始める。グリーンハウンドだ、グリーンハウンドが来たのだ。

 真昼はそれを見て、一瞬だけ喜びかけた。「やった!」という歓喜の声さえ上げかけた。だが、その喜びに、オン・ザ・ロックのグラス・オブ・ウォーターでもぶっかけるみたいにして。隣のデニーの声が聞こえる「真昼ちゃん、真昼ちゃん、真昼ちゃーん」「言ったよね? この世界は、そんなに、素敵なものじゃないぞーって」。その声に対して、真昼は。命を脅かされている卑弱な獣に特有の、激しい怒りとともに、ぎっと睨みつけるような視線を返す。「どういうこと」「見てれば分かるよお」。

 確かに見ていれば分かることだった。なのでこの状況を説明する描写にも、それほどポエジーのソウルをボンバーさせることなく、明確かつ簡潔に書くとすれば。要するに、衛星の数が多すぎたということだ。そもそも……真昼とマラーとはそんなことに思い至るだけの余裕がなかったのだが、サテライトが、グリーンハウンド・プログラムを潜り抜けて、追跡の衛星達を送り込んでこられたということこそが、そもそもの話として絶望的なことなのだ。

 グリーンハウンド・プログラムは、ゼロ・トレランス・プログラムであり、アニヒレート・プログラムである。つまり、侵入者について、仔兎一匹逃すことなく、皆殺しにすることを目的としたプログラムということであって。それにかかわらずサテライトの衛星がそのプログラムを逃れることができたということは、それだけ極大・莫大・甚大なインフレーションが起こされたということだ。一体どれだけの数の衛星達が生み出されたか知らないが――それに今もなお生み出され続けているのだろうが――その数に対して、もしもグリーンハウンドになんとかできるようならば。はなっから衛星達がルカゴに追いつくはずもないのだ。

 あまりにすっとこちんちきすぎて。

 忘れてしまいがちなことであるが。

 サテライトは、レベル5のスペキエースであって。

 もしも、本気を出せば。

 戦闘施設の一つや二つ。

 簡単に。

 滅ぼすことができる。

 もちろんエレファントの援護があってのこの結果であろうが、それはともかくとして。グリーンハウンドが千切っては喰い喰っては千切ってを幾ら繰り返しても衛星の数は減ることなく、むしろ増えていった。歪み切った肌色は、膨れ上がり、捻じれ、狂い、それから、当たり前のような顔をしてルカゴに近づいてくる。「どうにか……どうにかしないと!」「そうだね、頑張れ真昼ちゃん!」他人事のように言うデニーに、唖然とする真昼。「頑張れって……」一体、何を頑張れというのか? いや、その問いかけは無意味だ。もちろん、真昼は、自分が何を頑張るべきかということを理解している。

 ほんの一瞬だけ、自分の左側に視線を向ける。なぜ左側かというと、背後を振り返っている状況なので、右側に座っているマラーのことを見るためには左側を向かなければいけないからだ。そして、マラーの顔を見る。マラーは……そう、弱きもの。真昼よりも、ずっと、弱きもの。

 だから。

 真昼は。

 雄々しく。

 というか、雌々しく。

 立ち上がって。

 その弓に。

 目には見えぬ矢を。

 番えたのであった。

 ということで、時間は現在に戻ってくるのだが。真昼の雄々しさ雌々しさの蓄えにも、限界というものがある。あれから優に四十分以上は経っているのであって、根性・執念・気合いには限界が近づいていたのだし。あたかも修行僧が如きストイックさでどんなことがあっても他人事みたいな態度を崩すこともなく、たった今ふわーあっとあくびさえしたデニーに対する忍耐の心にも限界が近づいていたのだ。

 肉体が続く限り。

 矢を放ちながら。

 真昼は、また怒鳴る。

「デナム! フーツ!」

「だーかーらー、もーちょっとだってー。」

 真昼がこれだけ激怒しているというのに、よくもまあこうのんべんだらりとしていられるものだと思わなくもないが。デニーはそう答えた。それに対して真昼は更に何かを咆哮しかけたのだが……しかし、その前に。デニーが、その上半身を、ぱっと起こして。そして、ルカゴの走る先、前方を指差した。

「ほら、見えてきた!」

 確かに。

 それが。

 見えてきた。

 それは、なんというか、現実味のない光景だった。それがそこそこ遠くにあって、ルカゴを引いているウパチャカーナラが蹴散らす土煙の向こう側に見えているために、より一層荒唐無稽なものに思えたのかもしれない。それは、端的にいえば壁だ。だが、ただの壁ではない。右側を見ても左側を見てもその果てが見果てられないほど長大な壁なのだ。

 その壁が何でできているのかは真昼には分からなかった。白い色をしていたのだが、明らかに白イヴェール生起金属ではない。その白は白イヴェール生起金属にしてはあまりにも白すぎた。完全な空白、時間と空間に無理やりこじ開けられた陥穽のような白、どこまでも、どこまでも、真昼の視線は、その落とし穴へと落ちていき……その白は白過ぎるがゆえに白ではなかった。

 高さのほどは七ダブルキュビトくらいだろう。普通に考えればインセーンリーといえないこともないくらいの高さだったが、それでも、どこまでいっても終わりがない横の長さのせいで、なんとなくべったりと平べったく見える。

 そんな風な見た目の、物質とさえ思えないような壁。

 それが、真昼の視界に、入ってきた、光景であった。

「あれが……ちぃっ!」

 舌打ちなのか悲鳴なのか分からないような音を立てながら、真昼は再びある種の振動であるところの矢を放った。その振動は真昼を起点として速やかに拡散していき、一ダブルキュビト未満の距離にまで迫っていた三匹の衛星を一気に打ち落とす。ほんの一瞬だけ目を離した隙にもうそこまで迫っていたのだ。どう考えても、完全に、疑う余地もなく、余裕がない。

 まあ、先ほどまでよりは、つまりいつまでこんなぎりぎりの大活躍を続けていかなければならないのか全く分からなかった時よりは。遥かにましといえなくもなかった、少なくともいつまで耐えればいいのかということは判明したからだ。だが、問題は、あの壁までの、これほどの距離を、果たして真昼は耐え切れるのかということだ。

 確かに普通の弓と違って重藤の弓は物質的な弦を張り詰めているわけではない。ということで、弓を引く時には全く力が必要ないし、指のひらに与えるダメージというのも存在しない。とはいえ問題はそこではないのだ。問題は、この籠の上でバランスを取るという、その難行について。

 もちろん、以前にも書いた通り、ルカゴの籠にはスタビライザーがついている。ということで揺れは全くない、どんな地形を通ろうとも、人間の乗り物のように、無粋にもガタガタと揺れる、なんていうことはないのだ。しかし……だからどうしたというのか? 考えても見て欲しい、真昼の乗っているルカゴが、どういう速度で走っているのかということを。衛星達から逃れようとして、ウパチャカーナラは、今、最高速度で走っている。要するに限界まで尿意を我慢しているドライバーによって操縦されている自動車のようなものだ。制限速度を完全に無視して高速道路を走っている、という感じの速度。そんな速度で走る物体の上で、こんなバランスの悪い立ち方で立ち上がり、しかも真昼は弓矢で標的を狙っているのだ。どれほどの、いかほどの、筋肉及び神経への酷使であろうか。

 あと。

 どれくらいで。

 あそこまで。

 たどり着くか。

 恐らくは五分ほど。その五分が真昼には永遠にも感じられるのだ。これ以上噛み締めたら、圧力に耐えきれず全部の歯が一気に砕けてしまうのではないか。それほどまでに歯を噛み締めながら。真昼は次々に矢を放つ。迫ってくる衛星達の数は、どんどんどんどんと増えていって。それは、何か、この荒野に住むにはぴったりの、薄汚い獣の大群のようになってくる。グリーンハウンド達は、その大群に比べれば、ほとんど蟷螂の鎌にも似た有様となってしまっていって。

 あと四分。

 あと三分。

 あと二分。

 あと一分。

 矢を放つ、矢を放つ、矢を放つ、矢を、矢を、矢を、矢、矢、矢。「真昼ちゃーん!」「もうちょっとだよ!」「頑張って!」ぶち切れそうにムカつくだけでクソの役にも立たないデニーの声援を、完全に無視しながら。ちったぁ手伝えよ! それでも真昼は、健気にも立ち向かう。けれども、その抵抗は、この物量、あるいはサテライトの憎悪の熱量に対しては、あまりにも非力であって。今となってはその大群の全体があと一ダブルキュビトの距離にまで迫ってきてしまっている。打ち落としても打ち落としても、もう、その堕ちたる衛星を食い尽くしてくれるグリーンハウンドの姿さえ見えない。

 あと五十秒。

 あと四十秒。

 あと三十秒。

 あと二十秒。

 ふと、その時に。

 真昼の隣、デニーが、座席の上に立ち上がる。

 それから、籠の前方へと身を乗り出すように。

 こう、叫ぶ。

「デナム・フーツ、あーんど、とぅーあざーず!」

 白い壁に向かって。

 まるで。

 受付を。

 済ますように。

「おん、びじねす!」

 白い……白い壁に向かって? そう、ルカゴは白い壁へと向かっていた。間違いなく壁に、門や、穴や、その他の何らの入り口にではなく。全き平面を燦然と輝かせている、その壁の壁面へと向かって突っ込んでいくのだ。あと十秒。

 真昼は衛星達への対応のせいで、さっきまで全然気が付いていなかったが。その時にようやく気が付いて、びっくりしてしまう。あと九秒。もう今日はびっくりし通しで、これ以上びっくりすることがあるのかという感じだったが、またもやびっくりしてしまったのだ。あと八秒。「デナム・フーツ!」あと七秒「ほえ、真昼ちゃん? サインインはもう、デニーちゃんが済ませたよ」あと六秒「壁!」あと五秒「そうだね、真昼ちゃん」あと四秒。

 あと三秒。

 あと二秒。

 あと一秒。

「真っ白な壁!」

 いかにもチアーフルにそう言うと、デニーは、いきなり、跳んだ。真昼はまたもやびっくしりしてしまう、もう今日は(略)びっくりしてしまったのだ。デニーはルカゴの籠から、直翅目の昆虫か何かのように、元気よく飛び出して。その体は、そのまま、白い壁の方に、真っ直ぐに跳んでいく。真昼は……もうどうしていいか分からなかった、状況がめちゃくちゃすぎるのだ。前には壁、後ろには衛星達。しかも衛星達は、まさに鼻先にまで近づいて来ている。そのうちの一匹が……その腕、少なくとも腕のように見える肉体の器官を。三本まとめて束ね合わせて、勢い良く振りかぶる。真昼は弓を引くが、間に合いそうもない、まさに、今、その腕的な何かは、振り下ろされて……

 その瞬間に。

 デニーの体。

 白い壁の向こうに。

 すっぽりと消える。

「え?」

 更に。

 ウパチャカーナラは。

 その後ろのルカゴは。

 白い壁の中へと。

 突っ込んでいき。

 そして。

 それから。

 真昼と。

 マラー。

 二人の体も。

 白い壁の向こう側に。

 消える。

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