第一部インフェルノ #4

「え?」

 ふっと。

 世界が。

 揺らぐ。

「あっ、真昼ちゃんっ!」

 遠くに聞こえる。

 デニーの、声は。

 現実から。

 遊離して。

「だいじょーぶ!?」

 そして、真昼は、自分、が。

 倒れていることに気が付く。

 先ほどから、というのは#3が終わってからという意味だが、少しばかり時間がたっていた。数分くらいだろう、そして、真昼は、いきなり倒れたてしまったのだ。

 どうやら……いや、そんな深刻なことじゃないです、恐ろしい力を持ったスペキエースによる目に見えない攻撃とかじゃなくて。真昼は、ただ単純に、熱中症にかかってしまっただけ、ということらしい。

 よく考えてみると、当然といえば当然の話だった。真昼は、石窟寺院で目覚めて以来、一滴の水さえも口にしていない。人間という生き物はとかく不完全な生き物で、体を休めるための睡眠という行為の最中でさえ肉体は活動をやめることができない。というわけで、睡眠中でも汗をかき続けるのであって、石窟寺院で目覚めたその時点で、既に真昼の体は脱水症状寸前の状態だった。そんな状態で今まで耐えてこられた方が不思議なのだ。

 恐らく精神が極度の緊張状態に置かれていたせいで自分が熱中症であることにも気が付かなかったのだろう。だが、その後に、唐突にやってきた停滞の時間。ただ待つだけの時間。ぴんと張っていた緊張が次第次第に緩んできて、結果として、今までの分の熱中症の症状が、一気に襲い掛かってきたということだ。

「うわわわわ、どうしよーっ! お水汲んできてーっ!」

「かしこまりました、ミスター・フーツ。」

 なんだか緊張感のないやり取りを、聞いてはいるのだが理解できない。頭が全く働かないのだ。聴覚から入ってくる音の羅列、視覚から入ってくる光の羅列。体中が、凍えている時のように震えている。がくがくと筋肉が痙攣して、止めることができない。まるで、誰かに、無理やり、動かされているみたいに。奇妙なことに、さっきまでとは違って、体中が冷たかった。さっきまでは確かに暑かったはずなのに、全身に氷でも押し当てられたかのように冷たい。典型的な、熱中症の症状だ。

 この世の地獄であるアーガミパータに来て最初の命の危機が熱中症かよと思わなくもないが。熱中症は決して馬鹿にしてはいけないのだ。真昼のような症状が出ないように、読者の方々は日頃からの予防・対策を心がけよう! それはそれとして、真昼の症状は大変重度の症状で、こうなってしまったら無理やり水を飲ませるようなことは決してせずに、すぐさまお近くの医療機関で受診させなければいけないのだが。残念なことにここはこの世の地獄であるアガミパータで、お近くには医療機関がない。正確には少し行ったところにあるキャンプに過去にはあったのだが、一時間くらい前、エレファントマシーンによって粉々に粉砕された上、医療従事者はハッピーサテライトによって皆殺しにされてしまった。

 というわけで。

 デニーは。

 真昼に。

 仕方なく。

 無理やり水を飲ませる。

 絶対に真似しないでね。

「んもー、さぴえんすって、ほんとーに面倒っ!」

「ん……がっ、ふっ!」

 吐き出さないようにして無理やり喉の奥に突っ込んだのは、ドローンの部下がすぐそこの川で汲んできた水だ。ここで読者の方々に注意しておかなければいけないのだが、アーガミパータの河川から直接に水を飲むようなことは絶対にしてはいけない。ただでさえ死体や何やらのせいで腐りかけた水が、化学兵器だのなん何だのの影響で汚染され切っている可能性が非常に高いからだ。普通の河川であれば、川辺の土を掘って出てきた水は濾過されてて比較的安全だとかいわれたりもするのだが。アーガミパータの河川の場合はそんな小賢しいことをしても駄目なものは駄目だ。アーガミパータの河川の水を飲むべき時はたった一つしかない。河川の水を飲んで死にたい時だけだ。ただ、まあ、ここの水に関しては……上流にあるラゼノクラゲの養殖設備のために、比較的綺麗といえなくはないのだが。

 とにかく、デニー、は。

 真昼に水を飲ませると。

 またドローンの部下に合図をして。

 その体をソファーの上に運ばせた。

「ちょーっとだけ、ごめんね。」

 それからデニーは、ソファーの上に横たえた真昼の……いや、その前に。この物語の主人公は、まあ一応ではあるが、真昼だというのに。真昼がどんな格好をしているのかということについてここまで全く触れていませんでしたね。なのでちょっとだけそのことについて書いておきますと、なんというかひどく雑な格好をしている。ベリーショートにカットされた黒髪はぼさぼさで、リップクリームさえ縫っていないため唇がかさかさだ。着ている服は無地の丁字シャツの上に安っぽいフーディ、そして下に履いているのはてかてかと擦り切れたジーンズ。まあ、本人としては、男の家から有無をいわさず連れ帰られる時のファッションというわけだったし、仕方のないことなのかもしれないが……それにしてももう少し……という感じの恰好だ。偶然ですけどフードの部分がデニーちゃんとお揃いですね。

 で、その真昼が着ているフーディと丁字シャツを。デニーは、ぱっとめくったのだ。当然ながら、真昼は重度の熱中症をするので忙しく、その行為に対応するどころか気づくこともできないで、なすがままにされるしかないのだが。デニーは、そんな真昼の腹部を完全に露出させた。

 がくがくと揺れる全身を、ドローンの部下に押さえつけさせたままで。筋肉の痙攣のために、ぴくぴくと小刻みに振動する真昼の腹を。デニーは……その手のひらで、軽く、一度、撫でた「血と、肉と、骨と」。可愛らしい唇で、ちゅっと、口付けを施す「それから、内臓」。人差し指が、軽やかに、甘やかに、すべらかな肌の上を踊る「塵によって形作られた、出来損ないの体」。何か、何か、その指先は……まるで、何かの、式を描いているかのように「これは、デナム・フーツによる命令」。それは、人間のための記号ではなく、もっと、もっと、完全な知性のための記号、に、よって、構成された、式で「さあ」。そして、デニーは、その式を、真昼の腹に、書き終える「目覚めて」。

 その瞬間に。

 真昼は。

 感じる。

 肉体。

 細胞の。

 一つ一つに。

 口にしたばかりの。

 その液体が。

 浸み込んでいくのを。

 水分というのは腸管で初めて吸収されるもので、そのため液体が腸管に達するまでの時間と、その液体を腸管が吸収するまでの時間、この二つの時間が過ぎなければその摂取は効果を発しない。というわけで、何かの液体を飲んでも(ピリスティーンのようなスポーツ・ドリンクだとまた変わってくるのだが)その液体が熱中症に聞いてくるまでには、短く見積もっても三時間程度はかかるものなのだ。だからこそ、しつこいようであるが、読者の方々は真昼のような症状の患者を絶対に医療機関に連れて行かなければならないのだが……しかし、どうやら、今の真昼には、その「通常のケース」が当てはまらないようだった。

 どんどんと、体が潤ってくるのを感じる。それだけじゃない、その水分を使って、次第に、次第に、体が冷却されていくのを感じる。信じられない、信じられないくらい効率的に、真昼の肉体が、自身を制御しているのだ。がくがくとしたひきつけが、収まってくる。筋肉の痙攣が、落ち着いてくる。割れるみたいな頭痛、ひっくり返りそうな吐き気は、嘘みたいに消えて行って。そして、意識が、清明に、戻ってくる。これまで真昼が感じたこともないくらい、清明に。

 すっかりと、熱中症は治ってしまった。

 呻くみたいな声をあげながら、真昼は。

 焦点が合ってきた視線を、向ける。

「ごめんね、真昼ちゃん。ぜーんぜん忘れちゃってたよ。」

 ひきつけが収まったことを確認して。

 ドローンの部下が、真昼の体を放す。

 真昼は、ソファーの上に。

 上半身を起こす。

「さぴえんすの体が、どーしようもなく出来損ないだってこと。」

 それから、自分の。

 剥き出しになった。

 腹の上、を、見る。

 そこには、何かしらの図形のようなものが描かれていた。円と、直線と、曲線、それから角度によって構成された、ある種のパズルみたいな図形。中心に一つの真円があり、そこから周囲へと、放射状に構造が延びていくのだ。鈍く光る、奇妙な光のようなもので描かれたその図形は――人間より以前の、より完全な生き物の記号、その紛い物で描かれたこの図形は――真昼は知っていた、これは魔学式だ。

「あんた。」

「ほえ?」

「兎魔学者だったの。」

「んー、まあね。」

 兎魔学者、それは偽りの兎。はるか昔、ナシマホウ界とマホウ界が未だ一つのものとされていた、奇跡者ダニエルの時代。弱く・愚かで・不完全だった人間は、強く・賢く・より完全な存在によって、苛まれ、虐げられていた。人間達は……このままでは、自分達には、永遠の絶望しか残されていないということを、骨の髄まで理解した人間達は。偉大なるマホウ族に立ち向かうために一つの学問を立ち上げた。そして、それが、魔法学だ。

 魔法学とは、簡単にいえば、マホウ族が使うような力を人間も使えるようにしようという学問のことだ。この学問は世界中、同時多発的に生まれたので、幾つかの学派があるのだが。最も有名で最も強力とされているのが兎魔学派だ。これはリュケイオンと呼ばれる最高学府によって統括されている学派で、全部で十二種類の学部から成り立っている。

 物質を構成する元素に関係する元素学部、ある価値からそれ以上の価値を引き出そうとする兎錬学部、秘されたものを暴き出す占秘学部、他者の持つ力を奪い取る契約学部、世界との接点を構成しようとする銀魔学部、この五学部がいわゆる妖系五科(sorcerer)。死者の霊を操作する死霊学部、あらゆる原理を好きなように歪める歪理学部、災いという現象を司ろうとする呪界学部、欠如と喪失を再生する治癒学部、自分自身をより上位の生命体に変形させようとする仙者学部、この五学部がいわゆる呪系五科(conjuror)。そして最後に、全ての学の基礎となる詩学と、神によって行われる学問である神学。

 月光国の、いわゆるエリートと呼ばれる人間の大体がそうであるように。静一郎もいずれは真昼のことをリュケイオンに留学させるつもりであったらしく、兎魔学について、そういった基礎的なことを教え込んでいたのだが――教え込んでいたのだがといっても自分で教えていたわけではなく、当然ながら家庭教師を雇っていたのだが――とにかく、真昼が見た限りでは、真昼の腹部に描かれたこの図形は、兎魔学者が使う魔学式だったのだ。

「専門は治癒学?」

「えーと、そんな感じかな?」

 なんとなく、適当な感じの口調で言ってから。

 話を変えるかのように、デニーはこう続ける。

「ほんとーは、真昼ちゃんに会ったらすぐに書いてあげなきゃいけなかったんだけどね。この式は、さぴえんすの肉体的能力をどばーっとアップ!させちゃう式だよ。体に必要な色んなものを、ほんっの少しだけもぐもぐしたりごくごくしたりすればだいじょーぶになるし、もぐもぐしたりごくごくしたりしたものはぜーんぶ体の中で使われるから、排泄の必要もなくなるの。どう? すっごく便利でしょ! それに、感じたり動いたり、色々なことをする能力もすごくすごくアップ!してるはずだから、きっといつもの真昼ちゃんよりもずっとずっとすっごーい真昼ちゃんになってるはずだよ!」

 確かに。

 デニーの。

 言う通り。

 真昼の体は、ただ熱中症の症状が治ったというだけでなく、より一層強化されているようだった。体中がひどく力強く、それでいて繊細で。まるで、今まで体中に、底なし沼の腐りきった泥をへばりつかせていたのに、それが全部洗い流されたみたいだ。

 自然で、軽くて、滑らかで。この体、まだ全然動かしていないが、動かしてみればきっといつもの二倍か三倍くらいのパフォーマンスを実現できるだろう。しかもそれだけじゃない、何もかも、周囲の出来事を鋭敏に感じることができた。指の腹さえも痛いくらいの感覚を伝えてくる、ひどくけば立ったヴィルティタスの感覚だ。

 ヴィルティタスの感覚?

 そういえば。

 真昼の体は。

 ソファーの上に。

 横たわっている。

 死体から、切り落とされた。

 脚の上に置かれたソファー。

「あーっ、ダメだよ真昼ちゃん!」

 真昼は、ぞっとして思わず立ち上がろうとしてしまったのだ。ソファーを通じて伝わってくる、妙に柔らかくて、沈み込むような、腐った肉の感触も。今の真昼の感覚ならば、はっきりとリアルに感じ取れたから。

 しかし、そのままふらっと揺らめいて、またソファーに崩れ落ちてしまった。なんだかんだいって、肉体が強化されたとしても。真昼は熱中症から回復したばかりであって、未だに万全の状態ではなかったのだ。

「もー少しゆっくりしてないと!」

「……足。」

「ほえ?」

「この、足を、とって。」

「えー? でもそんなことしたら、ソファー傾いちゃうよ。」

「いいから。」

 と、言われてもまだなお「分かったよお……真昼ちゃんってよく分かんない子だね!」とかなんとか言いながら。それでもデニーは、ドローンの部下にぱっと合図を出して、ソファーの下から死体の足を引き抜かせた。それから、右肩下がりに傾いたソファーの上、膝の上に肘を置いて、ぐったりと前屈みになるみたいにして座った真昼の頭の上に。ドローンの部下は、あのやけに鮮やかなピンク色の日傘を差し掛けたのだった。

 足置き無沙汰に華麗なステップを踏みながら、「ヒラニヤ・アンダのぴかぴかは体に良くないからね」なんてことを言っているデニーを。真昼は見るともなく見ないともなしに、今起こった出来事について考え始めた。デニーは、魔学者だった。実は真昼は魔学者を見るのは初めてではなかった。遠い遠い昔の出来事、父親に連れていかれた何かのパーティでの出来事であったし。その時に合わされたのは兎魔学者ではなく、謎野眠子という名前の混合法則学者だったが。それにしても、謎野という名前、今から考えると何というか……センスが……いや、それは今はどうでもいいことだ。

 とにかく、デニーが魔学者であるというのならば……確かに、これほど若く見えるにもかかわらず、自分を助けるためにアーガミパータまでやってくる部隊のリーダーとして選ばれたというのも、納得のできないことではないのだった。

 まず、魔学者は見た目の年齢というものを全く信用できない。魔法を使って自分を若く見せることができるし、実際に若く保つことさえもできるからだ。あの時に合わされた謎野という女は、自分は神々の時代から生きているとさえ言っていたほどだ。まあ、謎野という女は全く信用できそうにない女だったし、これもどうせ、かなり大袈裟に言っていたことなのだろうけれど。要するに、こういう大袈裟なことを言ったとしても、もしかして本当なのかな、と思わせるくらいには、魔学者という生き物は、見た目の年齢と実際の年齢が乖離していることが多いのだ。たぶん、この男も、少年などではなく……もっと、もっと、年老いた生き物なのだろう。

 そして、もう一つ。魔学者という職業についている人間は、どうやら、とても、とても、希少な存在らしいのだ。真昼も詳しいことを知っているわけではないのだが。少なくとも、この地上には、もうほとんど魔学者は残っていないらしい。もちろん第二次神人間大戦の頃にはたくさんの魔学者がいただろうが。しかし、今では、その状況は変わってしまっている、らしい。

 魔学者を見つけて雇うということは、ひどく難しいことになってしまっている、らしい。だから、もし仮にデニーがこの見た目通りの年齢であったとしても、見つけることができた魔学者がデニーだけだというのならば、そのデニーを送り込んでくるというのは、理にかなった選択といえなくもない。何せここはアーガミパータ。剣による殺戮と、魔法による殺戮と、もちろん近代兵器による殺戮に満ちた地獄なのだから。魔法に詳しい人間はそれだけで貴重なのだろう。

 ただ。

 まあ。

 この男が見た目通りの年齢だということは。

 まず、有り得そうにないことではあったが。

 お腹に描かれた魔学式を、手のひらに不快感を覚えながら、撫でさする。ピンク色の影の中で、目が痛くなりそうな真昼の、その目の前で。デニーは、何が楽しいのかさっぱり分からないが、楽しそうにバケツを放り投げたり受け止めたりして遊んでいた。何かの金属でできた、少しへこんでいる、大きめのバケツ。ちなみにそのバケツは、さっき真昼に飲ませるために川の水を汲んできたあのバケツで、その周りはべっとりと血の色で汚れていた。そこに転がっている死体が死体になった時に、すぐそばに置いてあったのだろう、そして、その飛び散る血飛沫を……その瞬間に、真昼は、口の中に広がっていたその味に、川の水と共に飲みこんだその味に、ようやく気が付く。

 生温く、鉄錆びた、口の中に纏わりつくような、赤い味。恐ろしいほどの吐き気、胃袋がひっくり返りそうな吐き気を覚えて、思わずソファーの上から滑り落ちる。口を開いたままで乾ききった大地の上に跪くが……口の中からは、ほとんど、何も、出てこなかった。魔学式によって強化された体は、全てのものを効率よく吸収していて。出すものべきは、嘔吐すべきものは、もう何も残っていなかったからだ。ただ、喉の奥から、あたかも粘性を持つ何かの生き物、真昼の消化器官に寄生していた生き物であるかのようにして、胃液だけが溢れて零れた。ごぽり、と音を立てて真昼は透明な胃液を吐き出した。

 つつーっと、口の端から、唾液と混ざった胃液が滴り落ちる。真昼は、はーはーと荒い息を吐きながら、フーディーの袖の辺りで、ねばねばとした消化液を拭う。

 そんな真昼の様子を見て、デニーが、不思議そうな顔をして「どーしたの、真昼ちゃん?」と問いかけてくる。真昼はその問いに対して「何でもない」と答える。

 そんな風にして。

 二人が、心温まる交流をしている時に。

 ふと、調子っぱずれの、音楽が、喚く。

 それは……いや、そんなはずがない、そんなはずが有り得ようか? 信じられない、絶対に信じられないことが……しかし、この場所で、起こってしまったのだ。何ということだろう、デニーは、デニーは……スマートバニーの着信音に、録音した自分の歌声を使っていたのだ! そんなやつ本当にいるのかよ……アーバン・レジェンド世界の出来事かと思ってましたわ……と、思わないことではないが。とにかく、この場所で起こったことは、こういうことだった。デニーのスマートバニーが、デニーの歌声によって、着信を伝えてきたということだ(ちなみにデニーが歌っていたのはダンシングラビット・ウィズ・シークレットフィッシャーズの"I am the storm"だった、レノアと一緒に月光国のカラオケに行った時に、その場のノリで録音したものだ)。

 いかにも無邪気な顔をして「あ、きたきた!」と言いながら。デニーは、スーツのポケットからスマートバニーを取り出した。そのスマートバニーもやはり過剰なまでにデコレートされたキラキラデヴァイスであったが……え? っていうかあそこについてるやつ、蛆虫みたいじゃない? 蛆虫のイミテーションをスマートバニーにつけてるの?……それはともかくとして、デニーは、スマートバニーの画面をタップして、その電話に出た。

「ぷっぷくぷーっ、デニーちゃんだよー。」

 真昼の「偵察の人達から?」という問いかけに、うんうんとしきりに頷く。なぜか知らないが、電話を持っている方とは反対の手、人差し指をくるくると回しながら、デニーは電話の向こう側から聞こえてくる声に耳を傾けている。

「うんうん、だーいじょうぶ、聞こえてるよー。それで? え? やっぱり? みんな死んじゃってたんだあ、へぇー……えーんえーん、デニーちゃん悲しいよお! それで? 緊急用のテレポート装置は? あっ、そー。それ以上進めそうにないの? えー? もーちょっと頑張ってみてよお、デニーちゃんからのお願いっ! ダメ? ダメかぁ。じゃあしょうがないね。取り敢えず死んでよ。うん、分かった。あっ、そうそう、その前に……だいじょーぶ? 聞こえてる? まだ生きてる? そっか。何人残ってるの? うん、聞いてみただけー。それでさ、あ、ダメダメ、まだ死なないで! そう、そう、最後に教えてほしいんだけど、人数とレベルは? うん、うん、分かった、レベル5が二人ね。AK! もういいよ。はーい、じゃねー、ぴろぴろりーん。」

 そう言って。

 デニーは。

 通話を。

 切る。

「ちょっと。」

「んー。なーに、真昼ちゃん。」

「今、死んでよとかって聞こえたんだけど……」

「え? あー、うん。なんか、役立たずだったから。」

 デニーはそう言って。

 いかにも残念そうに。

 両肩を竦めて見せた。

「役立たずって、あんた……!」

「ほーんと、ちゃんとした訓練を受けてない兵隊くらい使えないものはないよね。ディレクター・フーシェの部屋に仕掛けた盗聴器くらい使えない。デニーちゃん、がっかりだよ。っていうかさ、真昼ちゃん、そんなことより! ちょっと困ったことになっちゃったみたいだよ。」

 真昼は「そんなことって……」とかなんとか言って、どうやらデニーが部下達に対して随分と非人間的な扱いをしているらしいというトーク・テーマを、もう少しばかり掘り下げようとしたのだけれど。しかし、その肥沃な大地にスコップの一刺しを加える前に……デニーは、いかにも無造作に、ぱっと手のひらを広げて真昼の方に見せた。

 その瞬間に、真昼の口。

 全く声が出せなくなる。

 口を大きく開けて、喉の奥に力を入れて、何とか声を出そうとしても何も出てこない。声帯を震わせて音を出すはずの空気が、体の内側に留まって、外側に出ようとしないのだ。しかもそれだけではない。ソファーの上に座った全身が、まるで目に見えない何かによって固められてしまったかのように、全く動けなくなる。その原因、無声と固定の原因は。体中に走った、まるでじっとりとのしかかってくる腐敗のように鈍い痺れで……そして、その痺れは。もちろん、真昼のお腹に描かれた、あの魔学式から発していた。

 無感情に差し掛けられている。

 いやにピンク色をした、日傘。

 死にかけた魚のように、口をパクパクとさせるしかない真昼。

 デニーは、そんな真昼の状態に、全く気にかけることもなく。

 人差し指の先。

 自分の、唇の。

 ちゅっと口付けて。

 いかにも、何かを。

 考え込んでいるように。

 困った声をして、言う。

「偵察の子達からの報告なんだけどね。今の、ぜーんぶの感じ、あんまりよくないみたい。やっぱり、キャンプで待ち伏せしてたんだって、REV.Mの子達が。キャンプにいた人間は大体殺されちゃってたらしいし、キャンプにあった施設はほとんど壊されてたらしいし、デニーちゃんの思った通りだったね。もう、こうなっちゃったら、キャンプに行くのってすごくよくない選択肢なんだけど……でもねー。もし、キャンプに行かない!ってすると、他に選択肢があるのかなってなっちゃうんだよねー。」

 そういいながら、デニーは。

 ソファーの、真昼の、隣に。

 ぽふん、と。

 可愛く、収まる。

「まー、デニーちゃんは賢いからね! 幾つか、選択肢、思い付かないわけじゃないんだけどお。えっとね、まず一つ目! ここからすっごく近いところに、ASKの支店があるのね。そこに行く! ASKって、基本的にはお金さえ払えば何でもしてくれるから、頑張ってお願いすれば何とかしてくれる可能性はあるんだけど……でも、デニーちゃん的にはこのアイデアはダメーって感じかな。ASKに頼るのは、ちょっとリスクが大きすぎるよね。次に、二つ目! ここから二番目に近い教会施設に行く! でも、これは、一つ目の選択肢よりもっとダメダメだよね。だって、ここから二番目に近い施設ってソーマ・ナディーの川沿いにあるあそこだもん! あんなところまで行くのは、とってもとっても時間がかかっちゃう! それに、たぶん、もう、アーガミパータにある全部の教会施設は……まあ、いいや。とにかくダメー。最後に三つ目だけど……真昼ちゃん、聞いてる?」

 そこまで話してから。

 デニーは、ようやく。

 真昼に視線を向ける。

 真昼は、デニーが手のひらを開いて見せてから。ずっと、ずっと、全身が麻痺したような状態になっていた。辛うじて動かせるのは二つの眼球だけで、その二つの眼球でデニーの方を、まるで刺し殺すかのような視線で睨み付けていたのだ。デニーは、そんな真昼のことを見ると。わっと両手を挙げて、オーバーなリアクションをしてから。慌てていますといわんばかりの口調で(実際は欠片も慌てていなそうに)こう言う。

「あ! ごめんね、真昼ちゃん。」

 それから。

 デニーは、ぱちんと指を弾く。

 その瞬間に甘い痺れは解けて。

 真昼は、動けるように、なる。

「ついつい、忘れちゃってた。」

「今の……何……」

「え? あー、治癒学の理程式の応用でね、ほんとーは肉体の内部統御のための式なんだけど、ちょっと書き換えて、外部からも統御できるようにしたの。だから、真昼ちゃんの体はデニーちゃんの好きにできるってわけ。あっ、でも安心してね。統御の実行者の項は、変数じゃなくてデニーちゃんだけの定数にしといたから。他の、誰も、真昼ちゃんには、触れられないよ。」

 そんなことを、言いながら。

 デニーはくすくすと笑って。

 そっと。

 その手のひら。

 真昼の頬に。

 触れる。

 それに対して、真昼は……麻痺から解けた影響で、はー、はー、と荒い息をついていたのだけれど。そのデニーの手のひらを、ぱしっと叩くように振り払った。それから、デニーのこと嫌悪に満ちた顔で凝視したのだったが、その身の内に湧き上がっている最も強い感情は、いうまでもなく嫌悪ではなく恐怖だった。つまるところ……この、恐ろしい、少年に。真昼は、肉体の全てを、奪われてしまったのであって。真昼は、まるで、その恐怖を噛み殺そうとしているかのように、あるいは吐き捨てるようにこう言う。

「もう、二度と、しないで。」

「そんなに怒らないでよー、真昼ちゃん。」

 デニーは、けらけらと、いかにも悪意なく笑いながら。よいしょっという感じでソファーから立ち上がった。それから、軽やかなステップを踏むようにして、一歩一歩そのソファーから離れていく。五歩ほどの距離を離れたところで……くっと、その顔だけで、真昼の方を振り返る。

「やっぱりさ、一回、キャンプに行ってみよーか。」

 踵を中心にして。

 体の全体を。

 くるっと。

 一回転させる。

「色々と代わりのアイデアがないわけじゃないけどー、どれもこれも、こう、ぴーんとこないんだよね。それに、キャンプには緊急用のテレポート装置が設置されててね。パンピュリア共和国まで繋がってたはずだから、それさえ使えれば、すぐにおうちに帰れるの! でも……んー、もしかしたら使えるかもってくらいの話なんだけどね。ほら、さっき電話をくれた偵察の子達が、確認してくれなかったから。ほーんと、役立たずさんはどこまでも役立たずさんって感じ!」

 がっかりした口調で。

 さっぱりとそう言う。

 デニーのこと。

 真昼は、ほとんど憎悪にも似た感情によって睨みつけていた。驚くべことに、真昼の中に揺らめいていた恐怖は、今となってはその冷たい炎を消してしまっていて。今では、その、憎悪の熱量が、真昼の体内では結晶し始めていた。真昼は、とうとう気が付いたのだ。この男は……この、デナム・フーツという男は。間違いない、間違いなく、静一郎と、全く同じタイプの男だった。真昼が一番嫌っているタイプの男。

 本当ならば、パロットシングに対して行ったあの「行為」を見た時に気が付くべきだった。似ている、どこまでも似ている。デニーは、静一郎と、本当に生き写しのようだった。もちろん……静一郎は、実際に、自分の手で、誰かに対して拷問を施したことがあるわけではない。ひょっとしたら、殺人さえ犯したことがないだろう。しかし、似ているのはそういう表面的なところではない。もっと、もっと、根本の部分。

 要するに、デニーと、静一郎と。この二人は、人間を人間と考えていないのだ。本来ならば、誰しもが他人に対して持っていないといけない敬意のようなもの。どんな命も同じように大切なのだという、絶対的であるべき価値観。それが、完全に欠けているのだ。静一郎はディープネットの幹部であるということで。デニーはより一層直接的なやり方で。そのことを示していた。この二人にとって、人間の価値を量る秤は一つだけだ。それは、つまり、どれほど自分の役に立つのかということ。

 デニーは、役立たずと言った。

 あっさりと切り捨てるように。

 電話の、向こう側。

 自分の為に、死んだ、部下のこと。

 役立たずといったのだ。

 だから、真昼は。

 デニーに対して。

 たった一言。

 こう、言う。

「あんた、人の命を何だと思ってるの。」

 それに対して、デニーは。

 ひどく、奇妙なものを見ているような目をして。

 真昼の言っていること、よく理解できていない。

「うーん、そういうことはさーあ。」

 そんな声で。

 こう答える。

「もーちょっと後で考えよーねっ。」

 もちろん真昼は知っていた、痛いほどに分かっていた。こういう種類の生き物には、真昼のような人間の言葉は理解できないということを。静一郎に、何を言っても無駄であったように。この男に対しても、何を言っても無駄だろう。ただ、黙っていることができなかっただけだ、身の内に沸き立つ憎悪のゆえに。まあ、それはそれとして……デニーは。

「とにかくっ!」

 さっと、羽みたいに。

 両手を広げて見せて。

「始めてみなきゃ、なーんにも始まらないよね! キャンプに行ってみよう! 詳しいことは、それから考えればいいや。」

 とっても、元気に。

 にぱーっと笑って。

「ね、真昼ちゃん?」

 それから、素敵に。

 ウィンクをキメた。


「何、これ……!」

 こう、なんというか、漫画とか読んでる時の話なんですけど。見開きのページ全体に何らかの惨状が描かれてて、それを見下ろしてるキャラクターが「何、これ……!」とか言ってると「こいつ馬鹿なの?」って思いますよね。「何って、お前見て分からないの? 惨状だよ惨状」ってなりません? 「そんな馬鹿みたいな面して突っ立ってないで、さっさと何か役に立つことしろよ」って。今、つまり、そんな感じです。

 ああーと、もう少し。

 分かりやすくいうと。

 本来ならば、外敵に狙われにくいように、こういうキャンプは周囲に見下ろせる地形がない場所に置くべきなのだけれど。このキャンプは、少しばかり特殊な事情から、近くに小高い丘みたいな高台があった。その少しばかり特殊な事情とは、ラゼノクラゲの養殖のために川の湾曲部、その内側にキャンプを立てなければいけないという事情であったのだけれど、そのことについてはまた後々話すこともあるだろうし、今は高台の話だ。

 その高台から。

 キャンプの全体を見下ろせるのだけれど。

 今、そこに、真昼とデニーは立っていた。

「ひどい……」

 先ほどの「何、これ……」と負けず劣らずクソの役にも立たない意見だが、どちらのセリフもそれを発したのは真昼だったのだし、それも仕方のないことだろう。それに、確かに、その光景はひどい有様であった。

※※※撃墜された飛行機の描写(軍用機)

 いや、勘違いしないでほしいのだが、もともと存在していたところのキャンプ自体はかなりきちんとした施設であった。一般的にIDP (Internally Displased Persons) campという名称から思い浮かべられるような、見渡す限りテントが続く、それもあまり清潔ではないところのテントが続く、そんな感じの施設ではなく。曲がりなりにも一つの村のような外観をしていたのだ。少なくとも、過去のある時点においては。

 それも当然のはずで、このキャンプは、トラヴィール教会正統五派の中でも最も手慣れた国際的ヴォランティアであるオンドリ派によって運営されていたのだから。奇跡者ダニエルに次ぐ組織統率力と、フクロウ派に次ぐ規模を持つ、オンドリ派。その巨大な官僚機構が、この場所に、とても効率的な救済機関を作り上げていたということだ。もちろん、その救済機関はあくまでも表の顔でしかなかったのだが……それは、まあ、些細なことだ。

 キャンプは、そのほとんどの部分が、まるで際限なく増殖していくかのような掘っ立て小屋で構成されている。ただし掘っ立て小屋といってもそこそこよくできた代物であって、壁には日干し煉瓦を使っていたし、ちゃんと屋根も草葺のものだった。ちなみに、屋根に葺かれている草は乾ききっていて土色をしていて、恐らくこのキャンプの近くのあたりから徐々に姿を見せ始めた、瘦せこけた灌木を使っているのだろう。

 そういった掘っ立て小屋が、きちんきちんと区画整理されて。ぐーっと曲がった川の湾曲部、その内側に抱きかかえられるようにして、大体、一列につき百軒くらい、そのような列が百列くらい、並んでいたのだ。それから、掘っ立て小屋がある場所の向こう側。まるでその中に埋もれるみたいにして、何か……何か、巨大な建物が立っていた。ちょうど、このキャンプが川に接する辺りに建てられたその建物は。周りの、小屋、小屋、小屋を、睥睨しているかのように。

 それは、何というか、奇妙な建物だった。例えるなら、コンクリートで塗り込められた水槽みたいな建物。五階建ての建物くらいの高さがある、大体において立方体の形状をしていて。その壁は灰色のコンクリートで覆われて固められている。そのコンクリートの壁に、まるで切れ目のように、すーっ、すーっ、とナイフで切れ目を入れたかのように、等間隔の窓が開いているのだ。だが、あれは、本当に、窓なのだろうか? 五階建て、大体四階の部分から始まって。そこから真っ直ぐに地上まで開いている、薄く細長い窓。それが何本も何本も並んでいて、それから、その窓は、信じられないくらいの青い色をしていた。青、というか、それは、まるで、初潮を迎える前の少女の、密やかな些喚きにも似ていて。この世界、の、全てを、拒否して、いるかの、ような。ひどく酷薄で、ひどく冷徹な、青色。そんな色をした、ガラスのような物質で、その窓は形作られていた。そして、その建物は……その額、五階建ての、五階のあたり。冠を戴くようにして、戴いていたのは……そう、ティンダロス十字の刻印。完全な円と完全な十字とを組み合わせたその図形が意味するところの意味は、つまり、その建物は、教会だということだ。見捨てられた者達のための存在の救済の場所。少なくとも表向きは。

 そして、そして、それから。

 今まで描写してきた。

 その、全ての建物が。

 今、真昼の目の前で。

 粉々に、打ち砕かれていた。

 巨大な、巨大な、生き物が、めちゃくちゃに暴れまわったみたいだった。それか、もしくは、大量の隕石が降り注いだみたいだった。このキャンプのそこら中で、まるで爪痕のように、煉瓦でできた小屋が叩き潰されていたのだ。それはとてもじゃないけれど人間の体でできるはずのない仕業であった。何台も何台も戦車を使って。一欠片の同情さえも持っていない機械のような感情の持ち主が。限りなく冷酷に、この仕業を、行ったとしか考えられないありさまだったのだ。

 しかも、その破壊の光景は、このキャンプの最悪の光景ではなかった。最悪の光景とは、つまり、この、アーガミパータの色。つまり、腐りかけた血液と、腐りかけた内臓と、どす黒く濁った色彩。その光景は、あまりにも残酷すぎて、ちょっと滑稽でさえあった。少なくとも最初のうちは、真昼はそれをまじめに受け取ることができなかった。癇癪を起こした子供が、おもちゃ箱をひっくり返して。その中にあった人形を、片っ端から壊して、散らかした、そんな風に見えたのだ。

 人間の、腕が。人間の、脚が。人間の頭が、人間の内臓が、人間の骨が。そこら中に、ばらばらになってまき散らされていた。一つとして完全な形をしていたものはなく、一つとして慈悲をかけられたものはなかった。全ての体は怒りと憎しみのもとに引き千切られていて、そこら中に血液と脳漿とを撒き散らしていた。崩壊した残骸の上に、投げ捨てられていたのだ。一体、一体、どんな人間ならば。こんな怒りを持つことができるというのだろう。こんな憎しみを持つことができるというのだろう。真昼には、本当に、全く、理解できなかった。

 冷酷な破壊と、憎悪の殺戮と。

 その二つとをその身に受けて。

 キャンプは、今。

 眼下の、大地に。

 横たわっている。

 しかし……デニーは、そんな破壊にも、そんな殺戮にも。大して興味を抱いていないようだった。真昼のすぐ隣、ぼこっと突き出して高くなっている岩の上で、ぴーんと爪先立ちをして。フードの奥できらきらと光っている目の上に、庇でも作るみたいに手のひらをかざして。そして、掘っ立て小屋のあるあたりには一瞥さえも向けることなく、ただ、その向こう側にある、あの異様な姿をした教会だけを見つめていたのだ。

「うーん。」

 難しい顔をして唸ると。

 やがて、満足したのか。

 とんっと、踵を下して。

 独り言のように、呟く。

「どうやら教会には、そんなに被害がないみたいだね。」

 デニーの言葉の通り。このキャンプの他の場所と比べると、川岸に建てられたその建物は驚くほどダメージを受けていなかった。コンクリート部分がかなり崩れていたり、様々な体液で薄汚く汚れていたりはしたけれど。それでも、建物自体はその形状を保ち、倒壊してもいなかったのだ。

「でも、どう考えても罠だぞーって感じ。」

「罠?」

「だってさーあ? 周りのどーでもいい建物をこれだけめーっちゃめちゃにしておいて、一番大切な教会を壊さないってこと、あると思う? デニーちゃんは思わないよ。いくらスピーキーだって、そんなお馬鹿さんみたいなことするわけない! たぶんね、教会の中のテレポート装置だけ壊してあって、それで、教会の建物はそのままにしておいて。デニーちゃん達に、テレポート装置が壊されてないのかなって思わせたいんだよ。ふーんだ、デニーちゃんはそんな罠に引っかからないもんねーっ!」

 本当に……このデニーという男は、よく喋る割に重要なことをほとんど真昼に教えてくれない男であった。何というか、様々な前提条件を真昼が知っているという想定の下で話しているのだ。そんなの常識でしょ?とでもいわんばかりの態度で。しかし実際は真昼はその前提条件を知っておらず、更に悪いことに、真昼が本当に聞きたいのはその前提条件の方なのだ。中身のないぺらぺらとしたお喋りなどではなく。

 とにかく、デニーの話を整理してみると。真昼が家に帰るためのテレポート装置は、あの教会の中にあるらしい。しかし、このキャンプの惨状から考えると、そのテレポート装置が使えるのかということについては、ほとんど絶望的な状況であるようだ。それどころか、このキャンプのどこかで、REV.Mのテロリスト達が待ち伏せている可能性が高いということで。

 そこまで考えた時。

 ふと、一つの疑問。

 真昼の頭によぎる。

「ねえ。」

「え? なーに、真昼ちゃん。」

「さっき、電話で……あんたの部下達が、町の状況を教えてくれたんでしょ。」

「うん! そーだよ。」

「REV.Mのテロリストは……どのくらいの規模なの。どのくらいの能力を持ってて、何人ぐらいいるの。」

「えっとね、レベル5が二人。」

「それから。」

「それからって?」

「それから、他には。」

「いないよ、それだけ。」

「え?」

「レベル5が二人だけ。」

「二人……二人だけ……?」

 いやー、真昼さんって本当にいいリアクションしてくれますよね。ほら、見てくださいこの表情。ぽかんと口を開け放して、目を大きく見開いて。そして、デニーの方に向けていた視線を、もう一度、キャンプの方に下ろす。まるで大戦車隊に引き潰されたような、まるで死体の雨が降り注いだような、そのキャンプの方に。これを、この惨状の全てを……

 少しばかり、喉の奥。

 声を詰まらせながら。

 真昼は、問いかける。

「たった二人で、これだけのことを、したってこと?」

「うん、そーだよ。」

「そんな……」

「んー、まあレベル5だからね。」

 デニーは。

 こともなげに。

 そう、言うと。

 残念ながら、初心で無知な真昼とは違って、デニーにとっては「たった二人で、これだけのことを、した」ということは、驚くに足るべきことではなかったらしく。全くリアクションを取ることはせずに、またもや何かしらを考え始めた。

「でもでもー……教会に、行ってみたいよね。」

 完全に独り言として。

 呟いて、いるらしい。

「だって、ちょーっとだけ、面白そうだし。」

 そんなことを言いながら。

 デニーは、キャンプの方。

 しっと、見下ろしている。

「うーん、あの子達もあれだけぐーっちゃぐちゃにされてなければねー。もーちょっと使い道があったんだけど……とりあえずそれは置いといて! 問題なのはさーあ? その二人がー、このキャンプのー、どこにいるかなってことだよね。デニーちゃん的には、たぶん、っていうか絶対、教会の中にいるっていうのはないと思うの。だって、さっきの検問所のところとか、このキャンプとか……ほら、見てよ真昼ちゃん! どー見ても、広範囲殺傷及び破壊タイプのスピーキーがやりましたって感じじゃーん! っていうことは、わざわざ建物の内側みたいに狭いところ、能力を十分に使えませーんってなっちゃいそうなところには、入らないと思うんだよね。と、いうわけで! このキャンプのどっかに防衛線を敷いて、そこから先には進めないようにしてるって考えるのが自然だよね。そ、れ、に……スピーキーのテロリストは、教会がどういうとこなのかっていうこと、ふふふっ、十分に知ってるだろうし!」

 今、キャンプは……そういえば、書いていなかったのだけれど。現在のキャンプは、とても、静かな、状態だった。破壊や殺戮は、しっかりとその爪痕は残していたのだけれど、しかし現在進行形というわけではないらしく。不気味なほどの静寂が、舞台の上に降りた幕のように、そこに蹲っていたのだ。

 だから、もしREV.Mのテロリストがこのキャンプで待ち伏せしているとして、というか確かにREV.Mのテロリストはこのキャンプで待ち伏せしているのだが、その二人のテロリストが一体どこにいるのかということはよく分からない状態なのだ。その二人が破壊か殺戮をしていてくれれば「ああ、あそこで何かを壊してるんだな」とか「ああ、あそこで誰かを殺してるんだな」とか分かるのだが。そういう兆候は一切ないのだ。

 デニーは。

 フードの内側で。

 軽く首を傾げて。

「んー! あんまり危ないことしたくないんだけど……」

 それから、とても軽い調子で。

 ぱっと両手を上げ、こう言う。

「ま、いっか。」

 ぼこっと突き出した岩の上から、うさぎさんやかえるさんみたいにして、ぴょーんっと飛び降りた。そして、デニーと真昼の後ろのところ、今まで完全に沈黙したままで、整然と整列して控えていた部下達に向かって、ばーんと手のひらを突き出して見せる。

「よーし、デニーちゃんの命令だよっ! えーっと、今残ってる子達って何人? いち、に、さん、しー……二十人か。じゃあ、あそこからあそこまでのラインを三つの区画に分けて、そのうちの、右側と左側、それぞれに八人ずつ。合計十六人で……突撃だよっ! たぶんテロリストの子達はあのラインを見張ってると思うから、だって、あそこを通らないと教会に行けないしね。でー、みんなで頑張って協力して、テロリストの子達を足止めすること。右側に一人、左側に一人足止めすれば、十分くらいは耐えられるでしょ? そのうちに、デニーちゃんと、真昼ちゃんと、それから残った四人で真ん中を突っ切って教会に向かいます。テレポート装置がまだ壊されてないって可能性もある以上、教会に行かないわけにはいかない、でしょー? そういうこと! 以上、おしまいっ! 分かりましたか?」

「「「かしこまりました、ミスター・フーツ。」」」

「ぐっれーとっ! それでわ、行動開始っ!」

 しぱーんっと、胸の前のところで右の手のひらと左の手のひらを打ち合わせながら。そう言ったデニーの言葉に従って、デニーの忠実な部下達は、その忠実な行動を開始した。まず、デニーの言葉の通り、自分達を八人・八人・四人の三つの組に分ける。以前書いた通り、アサルト・ライフルを持っている部下は十人であったが。そのうちの八人が、それぞれ四人と四人、キャンプに派遣される二つの組に入って。残った二人は、デニーとともに残る四人の組に入った。

 そして。

 待機させていたウパチャカーナラに騎乗して。

 八人の組と八人の組。

 キャンプに向かって。

 高台を、降りていく。

 その様を、ふっふーんっみたいな顔をして、いかにも満足そうに眺めていたのだけれど。やがて、デニーは……真昼が、なんとなく、何かが引っ掛かっているみたいな表情をして、自分のことを見つめていることに気が付いた。ほえ?みたいな顔をして、デニーは真昼の方を振り返って。それから言う。

「真昼ちゃんも、分かったかなあ?」

 真昼は……真昼には、分からないことがあった。デニーが部下たちに下した命令のことではない、検問所にいた時から、ずっと、ずっと、引っ掛かっていたこと。本当に、それは、ぼんやりとした疑問で……自分でも、一体何が分からないのか、しっかりと、はっきりと、言葉にすることができなかったのだけれど。今、とうとう、理解できた。自分が、何に、引っ掛かっていたのか。デニーの態度の、何が、おかしかったのか。

 だから、真昼は。

 デニーに。

 こう問う。

「ねえ。」

「ほえ?」

「あんた、何で、分かったの?」

「えーと、何を?」

「検問所を襲ったのが、REV.Mのテロリストだってこと。」

「どーいうこと、真昼ちゃん?」

「とぼけないで。」

 真昼は、そう言うと。

 デニーを睨みつける。

「ここはアーガミパータだよ。内部避難民用のキャンプを襲いそうな勢力なんて、幾らでもいる。それなのに、なんで、あんた、REV.Mのテロリストだって断言できたの? 確かに、あの壊れたドローンにスペキエースの血液かなんかがついてて、それであそこを襲ったのはスペキエースだって分かったのかもしれない。でも、あんた……その前に、分かってたよね? あの検問所を襲ったのが、REV.Mのテロリストだってこと。全部分かってて、それで、その確証を探させてた。それって、絶対に、おかしいと思う。」

 可愛らしく、おめめを。

 くるくると、しながら。

 デニーは。

 真昼の言うことを。

 ただ、聞いている。

「そのことといい、それから、さっき出した指示といい、あんたのすること、全部が整然としすぎてる。まるで最初から何もかも分かってたみたいに。それによく考えたらREV.Mがこのキャンプを襲ったっていうのもおかしい。あんた、検問所にいた時に言ったよね? REV.Mのテロリスト達がこのキャンプを襲うっていうのは、何かの理由で、あたし達の目的地がここだって知っている場合だって。その理由って何? どうして、テロリスト達は、知ってたの? しかも、あたし達よりも先回りしてキャンプに来て、待ち伏せできるくらいに早く。あそこ……あの洞窟から、検問所に来るまで、そんな時間かからなかったよね? それなのに、もう、あの検問所は、襲撃されてた。そんなのおかしい、テロリスト達はなんでそんなに早く行動できたの? 全部、全部、全部、おかしい。それで、そのおかしいことのおかしい理由を、あんたは、たぶん、知ってる。あたしは、そう思う。」

 デニーは。

 そんな。

 真昼のこと。

 まんまるに丸くしたおめめで見つめていた。ほえほえーっという感じ。というのはつまり、だいぶんと驚いたような顔をして、ということだ。真昼の言ったことに……問い詰められたというよりも、ただ純粋に、驚いたという感じの顔。そして、そんな顔をしたままで、囁くようにこう言う。

「真昼ちゃんって、まるっきりのお馬鹿さんってわけじゃなかったんだね。」

「もしかして、今回のことは、全部あんたが仕組んだ……」

「あー、違う、違うよ! そーいうことじゃなくって!」

 デニーは、いかにもわざとらしく、慌てていますよでも言いたげなジェスチュアで、あわあわと両手を振って見せると。ふへーっと、体の力が抜けてしまうような、ひどく気の抜けたため息をついてから。「まあ、ちょーっと時間もありそうだしね」と呟いた。それから、真昼に向かって声をかける。

「あのさーあ、真昼ちゃん。」

「何よ。」

「デニーちゃんが言ったこと、覚えてる?」

「あんたが言ったこと?」

「真昼ちゃんがさ、検問所で死んでた子のこと、騎士団の子だと思ってたって言った時。デニーちゃん、真昼ちゃんに、言ったでしょ? このキャンプは軍事支援企業から兵隊さんを買ってきて、その子達に守らせてるって。」

「ああ、そのこと。」

「あのね、真昼ちゃん。検問所で死んでた子は、確かに軍事支援企業の子だったの。それ自体は別に普通のことだし、なにもおかしいことじゃないんだけど……でもね、ちょっとね、それと全然違うこと、おかしいことがあったの。」

「おかしいことって、何が。」

「真昼ちゃん、あの子がどこの国の子か分かった?」

「どこの国……?」

「あの子はね、エスペラント・ウニートの子だったの。腕のここ、ここのところにポータラーズの子達の間ではやってる入れ墨が入ってたから、たぶんね、間違いないよ。でもね、それはね、おかしーっ!てなっちゃう。アーガミパータにおける人道支援拠点の防衛にエスペラント・ウニートの子を使うなんて、じょーしきで考えてぷっぷくぷーって感じ。どんなすちゃらかぼんちきさんだってそんなことしないよ。普通だったらー、愛国かサヴィエトの子を使うの。だって、そーでしょー? アーガミパータはマホウ族の土地で、マホウ族と戦う方法を、一番よく知ってるのは、愛国かサヴィエトの子なんだから。それか……そうそう、真昼ちゃんみたいな月光国の子とかね。とにかく! それなのに、あの子は、エスペラント・ウニートの子だった。

「仮にエスペラント・ウニートの子を使うとして……デニーちゃんだったら、アーガミパータ帰りの子を使うね。Beezeutの共和活動かなんかで、多集団籍軍として派遣されてた子。そういう子なら、まあ、アーガミパータがどういうところか知ってるだろうし、マホウ族との戦い方も知ってるだろうから。でもね、あの子は、そういう子でさえなかった。だって、そういう子ならゼティウス焼けしてるはずだもん。ヒラニヤ・アンダの光に焼かれてね。あの子はゼティウス焼けしてなかった、たぶんポンティフェックス・ユニットかなんかに派遣されてた子なんじゃないかなー。」

 デニーは、そう言うと。

 フードの内側。

 首を、傾げる。

 そして、言葉を続ける。

「それにね、持ってる武器だってさ、ほんっとーにありえないっ!って感じだった。だってだって、ごく普通のフルメタルジャケット弾だったんだよ! そんなのとってもスーサイド! アーガミパータの標準装備はフロギストン弾だーっていうことくらい、まひるちゃんだって知ってるよね? ちょーっとおしゃまな形而上学生命体には、フルメタルジャケット弾みたいな対肉体兵器を打ち込んだって、さぴえんすに水鉄砲をぴゅっぴゅーってするみたいなものだからね。

「つまりね、デニーちゃんが言いたいのはーあ。あそこにいたのは兵隊さんじゃなくって、かわいそーな羊さんだったってこと。ただ殺されることだけを待っている、哀れな哀れな羊さん。あー、分かる分かる、そのお口を閉じて。あそこには、検問所の兵隊さん以外にも、装甲車両も一台配置されてたって言いたいんだよね。もしかして、兵隊さんじゃなくって、装甲車両の方がきちんとした装備をしてたのかもって。でもねー、それもあり得ないと思うんだ、デニーちゃん。

「だって、検問所にいた子はね、一発も撃ってなかったんだもん。普通さ、ちゃんとした訓練を受けた子ならさ、一発くらいは撃ってると思わない? んー、まあ、あのNY-5はフルオート設定になってたから、一発で終わるか分からないけど……とにかく! あの子は少しも予想してなかったーってわけだよ。あの検問所が、襲われるっていうこと。あの検問所は、アーガミパータにあるけれど、比較的安全な地域にあるとでも思ってたんじゃない? と、いうことは! あの子は、任務前のリスク・アセスメントを、ぜーんぜん受けてなかっていうことになるの。だって、まともな軍事支援企業ならさ、アーガミパータに安全な地域があるなんて社員に思わせるような真似、ぜーったいにしないもん。でしょ?」

 デニーは。

 真昼ちゃん、分かるかな。

 とでも、言いたげな顔で。

 真昼のこと。

 じっと見つめて。

「それでね、これが一番重要なこと。あそこにいた兵隊さんは、グローバル・ジスルルーの社員さんだったってこと。真昼ちゃんも、たぶん知ってるよね、グローバル・ジスルルーは、アリオク・サービシズの、誰も数を数えようとしないくらいたーっくさんあるシャドウカンパニーの一つ。まあ、アリオク・サービシズ自体がバビロン・エクスプレスの民営軍事請負系の子会社なんだけど、それはいいや。大切なのはね、グローバル・ジスルルーは、世界で一番信頼されてる軍事支援会社の一つだっていうこと! ここでクーイズっ! 真昼ちゃん、軍事支援会社として信頼されるために、いんっぽーたんと!なことってなーんだ。」

「え?」

 真昼は。

 いきなり話を振られて。

 少し、驚いてしまって。

 不意を打たれた状態で。

 ひどく素直に。

 その問いに、答えてしまう。

「それは……顧客を、守り切ること。」

「ぶっぶー! 違いまーす。んー、でも、半分は正解なんだけどね。ちゃんとした全部の正解はね、こういうこと。お客さんが守って欲しい時にはちゃんと守ってくれて、お客さんが守って欲しくない時にはちゃんと守らないでいてくれること。だってそうでしょー? 守って欲しくないのに守られちゃったら、お客さんも困っちゃうもん。例えばー、戦争地域にある、もうぜーんぜん利益を生み出さない工場、コストばっかりかかるから畳んじゃいたいんだけど、その前に保険金が欲しい時とかね。そういう時ってさーあ、保険の条件として、軍事支援企業と契約してることって含まれてるじゃない。だから、守って欲しくないけど、建前として軍事支援企業を雇わなきゃいけないよね? こういう時のこと。グローバル・ジスルルーはね、そういう時に、とーっても信頼できる会社さんなの。死んでも何の問題もない兵隊さんを、いっぱいいーっぱい抱えてるから。お客さんの要望に従って、そういう兵隊さんを派遣して。表面上はいかにも守ってますよーって見せるけど。本当は、紙のお城を立てるだけ。ふっと一息吹きかければ、全部飛んでっちゃう。そういうことを、してくれる会社さんなの。」

 そこまで、を。

 話し終わると。

「はい! ここまでお話すれば、真昼ちゃんにも分かるよね。」

 デニーは。

 真昼に。

 向かって。

「今回のお客さん、つまり、このキャンプを管理してる子も、グローバル・ジスルルーに頼んだの。ここに、紙のお城を立ててくださいって。なぜなら、このキャンプを、守って欲しくなかったから。このキャンプを、めーっちゃめちゃにして欲しかったから……REV.Mのテロリスト達にね。」

 いたずらっぽく。

 ウィンクをして。

「よーするに。」

 それから。

 こう言う。

「このキャンプの管理者が裏切り者ってわけ。」

 甘ったるい飴玉が、どろりと解ける音がした。そして、その中にある……腐り切った、永遠が、露出するような音。もちろん、それは、本当の永遠などではない。真昼から見て、永遠としか思えないくらい、古い、古い、何かだというわけで。真昼の目の前でデニーが笑っていた。あの時見せた、あの笑顔で。つまり、歪んで、淫らな、あの笑顔で。

 その名前を。

 うっとりと。

 呟く。

「エドワード・ジョセフ・フラナガン。」

 しかし、すぐに、その笑顔は消えて失せて。

 いつもの、あの素敵に可愛らしい顔に戻る。

「真昼ちゃんがさっき言った通りだよ。デニーちゃんも、REV.Mの子たちがここに来たタイミング、ちょーっと早すぎだなーって思う。あらかじめ誰かに教えられてたとしか思えないよね。デニーちゃんが真昼ちゃんを助けるためにアーガミパータに来たってこととか、その後で向かうはずの場所がこの内部避難民用のキャンプだってこととか。でもね、「デニーちゃんによる真昼ちゃん救出大作戦(仮)」はとーっても秘密な作戦だったから、知ってる人ってそんなにいないはずなんだよねー。そういうこととか、さっき言ったこと、検問所にいた兵隊さんのこととかを考え合わせると……もう、一人しかいないねってなるの。REV.Mに情報を漏らした子は。それが、つまり、フランちゃん、エドワード・ジョセフ・フラナガンってわけ。

「このキャンプはトラヴィール教会の管理下にあるって話はもうしたよね? トラヴィール教会のオンドリ派っていうことまでは言ってなかったっけ。とにかく! オンドリ派の慈善事業の中でも、アーガミパータに対するボランティア活動のぜーんぶを掌握してるのが、フランちゃんなの。責任者って言えばいいのかな? でも、それだとちょっとおかしいよね。フランちゃんは、責任なんて取るタイプの子じゃないし。やっぱり……支配者って言った方がしっくりくるかな。それはともかく、フランちゃんってね、トラヴィール教会パンピュリア共和国管区の一助祭にすぎないんだけど。そういう子に対しては、こんなに強い権力を持ちうる立場って、ちょーっと過ぎた役割だって思わない、真昼ちゃん?

「どうしてフランちゃんがそんな立場につけたのか。それはね、フランちゃんもデニーちゃんと同じ組織に入ってるから。そう、コーシャー・カフェ! しかも幹部の一人なの! だから、コーシャー・カフェの一番偉い人が……この人は教会にもちょっとしたコネクションを持ってる人なんだけど、その人が。コーシャー・カフェがアーガミパータで色々なことをしたいなって思った時に、教会の施設を都合よく使ったりできるようにするために、フランちゃんをその立場につけたってわけ。それで、まさに今回がそのケース……コーシャー・カフェがアーガミパータで色々なことをしたいなって思って、教会の施設を都合よく使おう!っていうケースなんだけど。ただね、一つ、問題があるの。デニーちゃんと、フランちゃんは、とーっても仲が良くないってこと。

「デニーちゃんはー、仲良くしたいんだよー? でもね、フランちゃんって……あのね、あの石窟寺院にいた時に言ったと思うんだけど、デニーちゃんはコーシャー・カフェで三番目に偉いの。それで、フランちゃんは、七番目に偉いの。デニーちゃんとフランちゃんは、同じ幹部だけど、ちょーっとだけ身分が違うのね。それが、フランちゃんは、あんまり嬉しくないみたい、たぶんね。他にも色々と好きじゃないところがあるみたいなんだけど、デニーちゃんよく分からないや。そんなに興味もないし。とにかく、フランちゃんは、デニーちゃんのこと、とーっても嫌いで……というか、もっとはっきり言っちゃうとね。フランちゃんは、デニーちゃんのこと殺したいと思ってるの。」

 そこまで話すと。

 デニーは溜め息をついた。

 いかにも、わざとらしく。

 自分は、とても。

 傷ついてますと。

 いわんばかりに。

 そんな、デニーに対して。

 真昼が何か言おうとする。

「じゃあ、つまり……」

「そう。その通りだよ、真昼ちゃん。」

 しかし、真昼が言い終わる前に。

 デニーが、言葉を継いで、言う。

「フランちゃんは、デニーちゃんを殺させるために、このキャンプをばーんとプレゼントしちゃったってわけ。REV.Mにね。まあ……フランちゃんは頭がいい子だから、そんな証拠は一つも残してないだろうけど。」

 それから……ま、どうでもいーんだけどねー、とでもいいたげな調子で、ごくあっさりと肩を竦めた。そんなデニーに対して、真昼は。にわかには、その言葉を、信じ難かった。たった、たった一人の何者かを殺すためだけに。これほどの惨劇を引き起こそうとする人間がいるなんて。確かに、その、フランという男は。直接には手を下していないかもしれない、でも、それでも……デニーの言葉を信じるならば、こうなることを知っていて、それどころかこうなることを望んで。その男は、REV.Mに、情報を流したのだという。もしも、もしもそんなことをできる人間がいるというのなら……その人間は、果たして、未だに人間なのだろうか? それに、それほどまでして、その死を求められている、このデニーという男は。一体、どんな……生き物なのか?

 そういう、真昼の気持ち。

 思わず口から出てしまう。

「そんな、そんなこと、あり得ない……あんた一人を殺すためだけに、こんなひどいことをするなんて……」

「えー? 真昼ちゃんってば、ちょっと大袈裟だぞ! だってさ、たかが内部避難民キャンプだよ。ま、あー? 確かにラゼノ=コペアの生産拠点としてはっ、それなりに大切かもしれないけどさっ。これくらいの規模の工場なんて、アーガミパータにいくらでもあるでしょ。フランちゃんだってさ、ちょっとした冗談くらいの気持ちでやったんじゃない?」

「あんた、何言ってるの……?」

「だってさ、さすがにフランちゃんだって、REV.Mのスピーキーごときがデニーちゃんを殺せるなんて思ってないだろうしー。そりゃ、デニーちゃんだって対神兵器級のスピーキーが出てきたらたーいへん!ってなっちゃうけどね。とにかく! フランちゃんとしても、デニーちゃんのこと、殺せたらラッキーくらいの感じで情報を流したんだと思うよ。」

 真昼は、既に、絶句していた。

 デニーのあまりの無関心さに。

 そんな真昼の様子。

 気づくこともなく。

 デニーは、続ける。

「だからね、お話を元に戻すと……真昼ちゃんの言う通り。デニーちゃんは分かってたの、検問所にいた時から、っていうか、アーガミパータに来る前から。最初から分かってたんだ、フランちゃんが何かしてくるだろうなってことは。だってさ、この作戦が教会の施設を使う以上は、全部とは言わないまでも一部は、フランちゃんに情報を渡さなきゃいけないでしょ? そうしたら、フランちゃんが、その情報を使わないわけないから。と、いうわけで! 真昼ちゃんは、安心していいんだよ!」

 そう言って、デニーは。

 真昼に向かって微笑む。

「デニーちゃんは、真昼ちゃんのこと。」

 あの。

 甘ったるい。

 飴玉の。

 笑顔で。

「裏切ったりしてないから。」

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