第一部インフェルノ #3

 異形の太陽が。

 静かに。

 静かに。

 地獄の底を。

 見下ろしている。

「あ、そーいえばさっ!」

 デニーは、まるで甘えてくるみたいにそう言った。

 真昼はその言葉を無視したが、気にせずに続ける。

「さっき、真昼ちゃん何か言いかけてたよね。」

「さっきって……いつ。」

「ほら、マイトレーヤちゃんの石窟寺院の前で。」

「それって、ずいぶん前だよね。」

「そうだけどー。」

 くるくると、目を回しながら。

 かわい子ぶった調子で続ける。

「何か、デニーちゃんに、聞こうとしてなかった?」

 さて、真昼の言葉にあるように。真昼達がマイトレーヤの石窟寺院にいた時から、つまりは#2が終わった時点から、随分と時間が経っていた。今、デニーと真昼とがいる場所は、ルカゴの上だ。といっても、アーガミパータ観光をしたことのない人間は、というか逆にアーガミパータ観光をしたことがある人間なんているのかっていう話だが、とにかくサイトシーイングの目的でこの地を訪れたことのない人間はルカゴという乗り物についてよく知らないと思うし、よって順を追って話していこう。

 パロットシングが体中のあらゆる箇所を食い千切られて絶命した後。残念ながらパロットシングはデニーに対して一言も情報を漏らすことなく死んでいったのだが、それは口が堅かったというよりも激痛に泣き叫ぶことに忙しかったからっぽいのだが、それはそれほど重要なポイントではないから置いておいて。デニーも楽しそうだったしね、デニーちゃんが楽しければいいのだ! そして、その後、デニーと真昼はその場所から離れることにした。

 といっても真昼はその決定に何の関与もしていない。それは主に恐怖のあまり身が竦んでまともに声を発することができず、そのせいで自分の意見を表明できなかったからだ。まあ、REV.Mの側に別動隊(というか本隊)がいる可能性がある以上、いつまでもぐだぐだとこの場所に残っているのは危険過ぎるし、それに何にせよ第一歩を踏み出さなければ何事も始まらないのは確かなので、真昼が何らかの意見を表明できたとしても、この決定に賛成していたのはまず間違いなかっただろうが。

 何はともあれ、デニーと真昼は移動することにした。

 そして、その移動の手段となったのがルカゴなのだ。

 ただし、ルカゴについて説明する前に、まずはウパチャカーナラという生き物について説明しておかなければならない。説明することが多過ぎて恐縮だが、これでも最低限の説明しかしていないし、それに何より自分の無知を自覚するのはいいことだ。ということで、読者の皆さんには存分に自分の無知を自覚して貰おう。

 ウパチャカーナラは、なんだか嫌に陽気な名前に聞こえるかもしれないが、一言でいってしまえば大きな猿だ。ただし、本来この世界にいるはずのない猿、つまりマホウ界の猿だが。先述したようにアーガミパータはナシマホウ界とマホウ界が入り混じった場所であるため、本来はマホウ界に生息しているはずの生き物をかなりたくさんの種類見ることができる。そして、その一種類がウパチャカーナラなのだ。

 普通の成体で牛や馬ほどの大きさがあり、年老いた個体ならばそれ以上の大きさのものもいる。全身は薄い黄色の毛で覆われていて、光が当たる角度によっては金色に見える。雄はライオンのような鬣を持っていて、ウパチャカーナラが走る時、それがきらきらと輝いて見えるものだから、ルカゴに使用するには雄の個体が好まれる。二足で歩くこともできるのだが、基本的には四足歩行で、そのせいでその全身の形も牛や馬のようだ。ただし、もちろん足は蹄の形をしていない。それだけでなく、前足が異様に盛り上がっていて、上から見たシルエットは逆転した三角形のように見える。これは、そもそもウパチャカーナラが険しい岩山で進化した生き物であるからで、この前足によって平地だけではなく、岩山も楽々と昇り降りすることができるのだ。ここがウパチャカーナラと牛や馬とが違うところで、アーガミパータでルカゴが発達した理由だ。

 というわけで、ここまでの説明で。

 何となく、推測が付くとは思うが。

 ルカゴとは、ウパチャカーナラに籠を引かせることによる移動手段だ。ルカゴの語源は月光国語の「猿籠」、ルカゴという単語は第二次神人間大戦からあったもので、なので戦争中にアーガミパータにやってきた月光国人兵士が広めた言葉ではありえず、なぜ月光国語がアーガミパータの言葉となったのかはよく分かっていないのだが、その話はひとまず置いておこう。とにかく、ルカゴは、いってみれば馬車のウパチャカーナラ版みたいなものだ。

 ルカゴはアーガミパータを走ることを想定して作られた乗り物であり、そしてアーガミパータの大抵の場所は舗装されていない。また、アーガミパータの地形は山岳・森林・荒野などバラエティに富んでいる。そのため、牛や馬のような平地しか走れない生き物ではなく、ウパチャカーナラのように、(水中と空中以外の)全地形対応的な生き物が使われることになったのだ。

 ただここで疑問に思う方もいるかもしれない。ウパチャカーナラが全地形対応であっても、籠の方はどうなのか? もしもその籠が車輪によって走る類のものであれば、岩山や荒原を走ることなどできないだろう。この疑問に対する回答は簡単だ、ルカゴの籠は車輪によって走る類のものではない、ヴァゼルタ反作用によって走るものだ。ヴァゼルタ反作用、きっと神々に記憶を削除されてしまった大多数の人間には聞き覚えがない言葉だろう。なぜなら、これは、神々の理論であって。ナシマホウ界では、まだ、実用どころか、その原理さえ解明されていないから。

 まあ詳しい説明は省くとして、簡単にいうと、この籠は磁気浮上式ビークルのようなものだ。物体と物体、というか、概念と概念の間に働く反作用を使っていて、その反作用を強めたり弱めたりすることで移動する。反作用が動いている時は、常に地面から浮かび続けているし、その浮かび方もスタビライザーによって安定化させることができる。なので、どんな地形を走っていても、その籠の上に載っている人間には全く関係がないのだ。籠はそよとも揺れることがなく、ひどく快適なままでいることができる。

 そして。

 今。

 真昼と。

 デニー。

 その籠の。

 上にいる。

 考えてみれば……不思議な乗り物だと、真昼は思った。不思議どころか驚愕に値する乗り物だ。いうまでもなく読者の皆さんに対してなされたような説明を真昼は一切なされていない。だから、これが一体どのような原理で動いている乗り物であるのかということを全く知らなかったし、それに、これを引っ張っている生き物を実際に見たことも全くなかった。

 とはいえ、正確にいえば、ウパチャカーナラという動物についての知識それ自体はあったのだが。以前も少し触れたように、砂流原という一族は、月光国の中でも特別なpermissionを与えられた一族なのであって、真昼は月光国の外側の様々なこと、例えばマホウ界でしか見られないような色々な生物についてのこと、を知ることができる立場にいたのである。

 ただ、その知っているというのはあくまでも知っているというだけのことだ。動物について、それを図鑑で見たことがあるということと、それが、目の前で、実際に生きているということ。その二つの間には大きな違いがある。図鑑で見た時はただ単なる猿に過ぎなかったウパチャカーナラが、今、真昼の、鼻の先で、生きている。まるで巨大な黄金の塊のように。まるで致死的な凶暴性のアルケタイプのように。

 また、それに、ヴァゼルタ反作用について、真昼は未だに教えて貰ってはいなかった。いずれはそういったことも教えて貰っていただろうが、というか強制的に詰め込み教育をされていただろうが。とはいえ、ヴァゼルタ反作用というのは高校生のレベルを遥かに超える魔学の知識なのであって、真昼にはまだまだ全然早い知識なのである。ということで、真昼は、ルカゴがどのような仕組みで推進しているのかということについて全く理解できていなかった。

 あの。

 断崖の。

 上で。

 デニーがぴゅぴーっと口笛を吹いて、その口笛を合図に、勢いよくウパチャカーナラが駆け上がってきた時。そして、そのウパチャカーナラが、何の支えもなくふわふわと浮かんでいる籠を引いているのを見た時。真昼はほとんど放心状態であって、まともにものを考えることができなかった。なので、その時には何も思わず、デニーに促されるままにこの籠の中にその体を収めたのだが……今、まるで悪夢から覚めたかのように、物事を考えられるようになると。この乗り物は、驚くべき乗り物だということが分かるようになってきたということだ。

 今、この乗り物は。

 どこまでもどこまでも続く。

 荒れて。

 痩せた。

 土地を走っている。

 このどこまでもどこまでも続く土地の前に、どこまでもどこまでも続いていた渓谷から、先ほどようやく抜け出したのだ。そのどこまでもどこまでも続く渓谷を走っている時、真昼は薄ぼんやりとしていたのだが、今から思い出してみれば、あんな場所を走っていたのにも拘わらず、この籠が揺れたという記憶は全くない。それはまあ、少しは揺れたかもしれないのだが、岩から岩へと飛び移るウパチャカーナラに、あんなに荒っぽく引っ張られて。普通なら、乗り物酔いか、それどころか首が鞭打ちになっていてもおかしくないはずなのに。

 そういえば、このルカゴは。

 荒れて、痩せた、土地を走っている。

 枯草さえも、ほとんど生えていない。

 不毛の沙漠。

 どうやら、ずっと、ずっと。

 川沿いに走ってきたようだ。

 恐らく、この川が向かう先に。

 デニーという男の。

 目的地があるのだろう。

 そこまで考えた時に。

 真昼はふと思い出す。

 パロットシングが、無残に、殺される前に。

 自分が、デニーに、言おうとしていたこと。

「どうやって……」

「んー?」

「どうやって、ここから、脱出するつもりなの。」

 あの拷問を見せられてから。いや、あれは拷問でさえなかったのかもしれない、拷問ならば、少なくとも、拷問者は被拷問者から答えを引き出そうとするだろう。だが、真昼が見た限り、デニーは答えを期待していたわけではなかった。一応拷問の体裁を取ってはいたが、あれは……ただの虐殺だ。捕らえた鼠を、子猫が楽し気にいたぶるように。ただ単純に、そういった類の行動で。

 とにかく、その虐殺を見せられてから、真昼は、今まで、ほとんど口を開いていなかった。デニーに対する怯えのために口を開こうとしても開けなかったのだ。ルカゴの籠の中で、自分を抱きかかえるように小さく縮こまって。なるべく、その体が、デニーに触れないようにしていることしかできなかった。

 しかしながら、人間という生き物はひどく不完全な生き物で。だから知的生命体の中でも下等知的生命体に分類されているのだが、一度抱いた感情を、それがどんな強烈なものであったとしても、いつまでもいつまでも保持していることができない。そして、もちろん真昼も「人間」の例外ではなく、つまり何がいいたいのかというと、だんだんとデニーに対する怯えも薄れてきていたのだ。

 確かに、この男は悪魔ではあったが……真昼のことを助けようとしている。別に慈善活動としてではなく、真昼という存在が自分にとって利益になるからの行為ではあった。それでも、少なくとも真昼に利用価値がある限りは、デニーが自分のことを傷つけることはないだろう。真昼は、そう思ったのだ。

「どうやってって、どういうことーお?」

 真昼の言葉に、隣に座っているデニーが。

 擦り寄るみたいに、その身を寄せてくる。

 顔と、スーツと。

 それ以外の全部。

 返り血塗れの姿。

 真昼の鼻先をくすぐる。

 錆びた鉄に、似た匂い。

 吐き気とそれ以外の感情をこらえながら。

 真昼は、デニーに、問いかけを、続ける。

「アーガミパータって、一般人は出入りできないはずの国だよね。 確かBeezeutから旅行禁止勧告が出てたはずだし、それに伴って共和軍が国境閉鎖してたはずだし。だとすれば普通に飛行機とか、それか船とかでこの国から出ることはできないってことじゃない。それじゃ、どうやって、ここから出るの? どこか、抜け道でも知ってんの?」

 真昼はそんな風にして喋りながら、どこかしら客観的な視点から、自分が嫌に冷静な声して喋っているなと思っていた。いうまでもなく、真昼はこういった出来事に慣れているわけではない。アーガミパータに来たのも初めてなら、誘拐されたのも初めてだし、目の前で人が死ぬのを見たのも初めてだ。真昼は、今日この日までは、完全に平穏な人生を歩んできた。いや、まあ……なんというか……真昼がそう思っているだけで、実際は……いや、この話はやめておこう。とにかく、真昼は、主観的には、このような経験を経験するというのは初めてのことだった。

 とにかく、とはいえ、それでも真昼は何となく予想はしていたのだ。自分が静一郎の子供である限り、きっと、いつかは、こういうことが起こるだろうということは。何度も何度も心の中で思い描いてきた。今起きているみたいなことや……それに、それ以上のことも。だから、真昼にとって、これは本番の舞台のようなものなのだ。リハーサルを、何度も何度も繰り返してきた舞台。違いは、それが、本当のことであるかどうかだけで。

 真昼の、問いかけに。

 デニーがにっと笑う。

「あー、そーいうことね!」

 ぽふぽふと、真昼の肩のあたりを叩く。

 固まりかけた血液が、そこに付着する。

「だいじょーぶだいじょーぶ、心配しないで!」

 真昼の話したことは大体において真実だった。アーガミパータは、「国家・企業及びその他の集団による緩やかな統合組織」下の共同保有平和維持機構であるBeezeutが出しているトラヴェル・アドヴァイザリーのうち、最高レベルの勧告である旅行禁止勧告が出ている国だ。それに、暫定政府と多集団籍協和軍との協力のもとに国境閉鎖もなされている。ただ、旅行禁止勧告と国境閉鎖は連動しているわけではないので、「それに伴って」という部分は正しくないのだが、けれども、まあ、大筋においては正しい。

 ということは、国境閉鎖がなされている以上、一般人が使用するような通常の出入国ルートは存在していないわけであって、となれば入国だけではなく出国もまた極めて難しいということになる。真昼が心配していたのは、つまりこの点だった。しかし、デニーは。真昼のそんな心配を一蹴するかのように答える。

「ここをちょっと行くとね、教会のキャンプがあるの。」

「キャンプ?」

「うん! えーっと、トラヴィール教会が作った内部避難民用のキャンプだよ。でね、そこからアーガミパータとパンピュリア共和国を行ったり来たりしてる定期便が出てるんだけど、ハウス・オブ・ラブが出してるやつね。それで、それで、デニーちゃんがお願いして、その定期便が今日こっちに来るようにしてもらったのーっ! だから、その飛行機に乗ればアーガミパータからバイバイできるし、パンピュリア共和国まで行けばもう安心でしょ? だから、真昼ちゃんは何も心配しなくていいの、なーんにも心配しなくていいの!」

 そういうと、デニーは。

 ぱーっと両手を広げて。

 楽し気に、万歳して見せた。

 真昼は、そんなデニーに対して特に言葉を返すことはしなかったのだが。しかし、間違いなく、ほんの少しだけではあるが、安堵していた。デニーの話した脱出ルートは非常に現実的だったし、いかにも有り得そうだったからだ。これならきっと、大丈夫だろう。無事に、月光国まで帰りつけるはず。でも……無事に月光国まで帰り着いて、それから? それから、どうする?

 何となく、思考が変な方向に行ってしまいそうな気がして、真昼は無理やり違うことを考えることにした。真っ直ぐ前を見ていた視線を、ふっと横に巡らせる。もちろん、デニーがいる方向ではなくて、その反対の方向だ。

 今まで全く触れてこなかったのだが、このルカゴの籠は、一般的なルカゴの籠とされる籠の形をしていた。つまり幌の付いていないオープンケージ・タイプで、二人か三人が並んで腰掛けられる、前方を向いた席が付いているということだ。ということで、真昼が横を向けばその先に視線を遮るものは何もなく、どこまでもどこまでも広がる荒れ果てた土地が目に入ってきた。

 そんな土地を。

 このルカゴと、並走するように。

 ウパチャカーナラが走っている。

 一匹、二匹、三匹……大体、十数匹だろう。真昼の側だけではなくデニーの側でもその並走は行われていて、合計すると三十匹弱のウパチャカーナラが走っていた。そして、その上には、一匹につき二人ずつデニーの部下が載っている。デニーは部下の分までルカゴを用意してなかったらしく、まあルカゴはとてもエクスペンシヴな乗り物なのでそんなたくさん用意できなかったのは仕方のないことなのだが、そんなわけで部下達はそのままウパチャカーナラに乗っていたのだ。

 当然のことではあるが、ウパチャカーナラにはスタビライザーはついていない。今は平地であるため、渓谷を走っていた時よりかは少しはましになっていたのだが、かなり荒っぽいウパチャカーナラの走り方、上に乗っている部下たちの体はぐらんぐらん揺れている。それでも。部下達は、顔色一つ変えていなかった。相変わらず、まるで仮面のような顔つきのままで。その様はコメディチックといえないこともなかったのだが、それ以上に、真昼にはかなり不気味なものに見えた。

 そういえばデニーの部下達について。石窟寺院にいた時は気づかなかったのだけれど、どうやら二種類の人間がいるようだった。一種類は、真昼の独房に突っ込んできた人々。陸軍戦闘服を着た、まさに軍隊という感じの人々だ。そして、もう一種類の人々は……ちょっと、奇妙な姿をしていた。ベースとなっているのは陸軍戦闘服を着た人々と同じアーガミパータ北部迷彩(赤色と茶色と灰色とを混ぜたような迷彩)なのだが、ヘルメットをかぶっておらず、その代わりに顔の全体を覆うようにして白い布を巻き付けている。そして腰にも白い腰布を巻き付けている。つまり、この姿は、軍隊というよりもテロリストみたいな姿なのだ。

 最初に雇った人たちだけでは足りなかったので、あとから現地で雇った人たちなのだろうか。いや、それにしては……陸軍戦闘服を着た人々も、どう見てもアーガミパータ人の顔をしている。どちらかといえばゼニグ系の顔をしているが、アーガミパータ人であることはまず確かだろう。ということは、この二種類の人間の違いはなんなのか? なんだか気になってきて、真昼はその姿にしっかりと目を凝らしてみる。

 違い、違い、違い……ああ、一つある。服装以外に、違っているところが。それは傷つき方だ。テロリストのような姿をした人々の方が、明らかに傷跡が多かった。まるで鉈のようなもので切り付けられたみたいにそこら中が切傷だらけになっている。一部の人々には、これは致命傷なのではないだろうかと思わせるような、ひどく大きな傷口が開いていて。でも、この違いが意味するところについて、真昼はよく分からなかった。せいぜい、こう考えたくらいだ。やっぱり軍隊みたいな恰好をした人々の方が、テロリストみたいな恰好をした人々より、よく訓練されているのだろうか。それは、全く見当違いの推測であって……

 しかし。

 真昼がそれ以上、考えを巡らせる前に。

 その横で、デニーが、大きな声を出す。

「あーっ、真昼ちゃん、見えてきたよーっ!」

 浮き浮きとした気持ちがこちら側に伝わってくるような、といってもデニーに対する不信感の塊と化していた真昼には伝わらなかったのだが、まあそんな声で言いながら。デニーはぴょこんと籠の座席の上に立って遥か彼方の方を指さした。

 ここでいう彼方とは文字通り彼方ということで、つまりそれは彼岸の方という意味だ。真昼たちから見て、川を挟んで反対側の岸。真昼には、最初は何も見えなかったのだけれど。目を凝らして、暫らく見つめ続けていると……その岸のずっとずっと先……何か、ぽつんとした点のようなものが見えた。

「あれがキャンプ?」

「そんなわけないじゃーん。真昼ちゃんってばおかしーんだ。」

 デニーは、くすくすと笑う。

 その、くすくすという声が。

 あの時の音と、全く同じで。

 真昼は。

 ちょっとだけ。

 寒気を覚える。

「あれはねー、検問所だよー。」

 何しろウパチャカーナラが走る速度といえば物凄いもので、そんな風にして二人が話しているうちにもその点はどんどんと近づいてきていて、次第にはっきりとしてくるその輪郭から、確かにそれは検問所らしい外観をしているということが知れた。ただし検問所とはいっても、普通その言葉から思い浮かべることができるようなしっかりとしたものではなく、随分と急ごしらえで設えられたと思しき代物だ。

 まず左側には小さな小屋が立っていた。全体的な形は、まるでコンテイナーのようにひどく他人行儀な四角形をしていたのだが、ただしそれがコンテイナーだとすれば奇妙なところがあった。まるで一本の帯をまいたように、その小屋の一周にぐるりと、ガラスのラインが入っていたのだ。大体地上から百五十ハーフディギトくらいのところ、五十ハーフディギト程度の幅のラインで。これは恐らく小屋の中から外の世界を見るための窓だろうと思われた。それから、その材質にも少しばかりおかしなところがあった。奇妙に透き通った印象を覚える、まるで透析したミルクのような色をした、白い金属で作られていたのだ。その金属の名前は――そう、実は真昼はその金属の名前を知っていた――間違いなく白イヴェール生起金属だった。つまり、その小屋は、白イヴェール生起金属と強化ガラスによって構成された、アーガミパータにおける標準的なチェックポイント・キャビンだった。

 そして、その小屋の目の前にはどうやら道路があるらしかった。いや、真昼にはよく見えなかったのだが、これは検問所なのだし、普通であれば道路を通る人間についてそれが通っていい人間なのかどうなのかを確認するのがその役割であって、そこから考えれば、そこには道路があると考えるのが適切だろう。確かに……なんとなく……そう、それは平らであるようだった。周りに広がっている荒野は、明らかに車両が通るのに適していない場所ではあったが。その、真昼に辛うじて見えた一本の道路的な何かは、確かに均されていて、車両で通りたいか通りたくないかと問われれば間違いなく通りたくないと答えるだろうが、まあまあ通れないというわけではないようだ。それが道路であるのなら、そして驚くべきことにそれは道路なのだが、大体横幅が三ダブルキュビトから四ダブルキュビトくらい、三ダブルキュビトと四ダブルキュビトではえらい違いがあると思われるかもしれないが、よく見えないのだから仕方ない。とにかく二車線の道路、少なくとも二台の車がすれ違うことができる程度の広さがある道路であるらしかった。

 小屋から、道路の上に向かって。

 遮断機のように。

 白イヴェール生起金属のバーが差し出されていて。

 そして、そのバーの先、道路の反対側、右側には。

 何か。

 おかしな。

 ものが。

 落ちていた。

「あれあれー?」

 それを見て。

 デニーは。

 小さく。

 呟く。

「ちょーっとだけ、おかしいかも?」

 それが、その落ちているものが、何なのかということが。真昼には、最初は、全く分からなかった。何か……巨大な、塊。おかしなことに、周囲の色と大体似た色、赤っぽい砂を混ぜた、どこまでもどこまでも続く荒野の色をしていて。それから、その塊の真ん中あたり、引き裂かれたようにぱっくりと口が開いていて。そこから、何か、金属でできているらしき色々なものが、まるで吐き出されるみたいにして吐き出されていた。

 真昼が、その物体を訝し気に、けれどしっかりと見つめるようにして眺めていると。隣で、いきなり、ぴゅぴーっという音がした。デニーが口笛を吹いたのだ、そして、その音に反応して、その場所を走っている全てのウパチャカーナラが向きを変えた。ずっとまっすぐに川沿いを走っていた巨大な猿達は。その川の方向へと、唐突に驀進し始めたのだ。

「え? ちょ……」

「あははははーっ!」

 川の周りには僅かながら緑色の草が生えて、ところどころに茂みのようなものもできている。幅はかなり広く、五ダブルキュビト程度。どんよりと濁った、緑とは思えないくらい深い緑の色をした水は、てらてらと光る蝸牛のようにゆっくりと流れている。その両岸は深く抉られたようになっていて、大体一ダブルキュビト程度の高さの断崖みたいな形状をしていた。

「な……これ……!」

「真昼ちゃーん!」

 そして、ウパチャカーナラは。

 その断崖、勢いよく突撃して。

「待って、止めて、危ない!」

「口は、しっかりと閉めてた方がいいかもねっ!」

 それから。

 巨大な肉体。

 筋肉の塊。

 ばね仕掛けの玩具みたいに。

 軽々と、それを飛び越える。

 ルカゴに取り付けられたスタビライザーも、さすがにこれほどの揺れに対応することはできなかったらしく。概念と概念との距離の曖昧な「過程」によって、デニーと真昼とが乗った籠は、ぐらーんっと大きく揺れた。デニーの賢明なアドバイスに、真昼は賢明にも従っていたので。奥歯を噛み締めるようにして、強く強く口を閉じていたのだが……それでも「んむううううっ!」という悲鳴とも何ともつかない声をあげてしまっていた。

 ウパチャカーナラの肉体が、どずんっと重たい音を立てて、反対側の川岸に飛び降りる。それに従って、デニーと真昼とが乗った籠は、ふわりと優雅に、音もたてずに着地する。「ちょっと、危ないだろ!」「ほえー? 危ないって?」「いきなり、こんな……」と、ここまで言葉を口に出してから。デニーの、その、とっても不思議なものを見るような視線によって、これ以上何を言っても無駄だということを悟った真昼は。いかにも不機嫌そうに「何でもない!」と言ってこの会話を終えたのだった。

 それはともかくとして。

 今、一番重要な問題は。

 検問所だ。

 真昼は、デニーから目を離すと、検問所のチェックポイント・キャビンへと視線を移して……そのまま、絶句した。その一瞬、文字通り、一言も言葉が出てこなかったのだ。さっきまで真昼が見ていた角度、つまり川の反対側からは、見えていなかったのだけれど。そのキャビンの奥の方の半分は無くなっていた。完全に消え失せてしまっていたのだ、まるで何か、とてつもない質量と、とてつもない運動力と、を持った何かが吹っ飛ばしたかのように。そのキャビンは真ん中から先が引き裂かれていた。

「そんな……!」

「わ、ひっどーい!」

 デニーは、まるで他人事のようにけらけらと笑っている。

 真昼は、そんなデニーに向かって、食い掛るように言う。

「これ、一体どういうことなの!?」

「えー、デニーちゃんに聞かれてもー。」

「これ、この検問所……白イヴェール生起金属でできてるよね、白イヴェール生起金属って、鉄なんかよりもずっと固いんじゃなかったの!? こんな風に……普通だったら、ミサイルとかがぶつかっても壊れないはずでしょ!? 一体、これは、どういうことなの!? ここで何が起こったっていうの!?」

「うーん、誰かが壊したとか?」

「誰かって、誰よ!」

 悲鳴のようにして叫んだ、真昼の言葉。

 デニーは、ちょっと肩を竦めただけで。

 それから、ルカゴの籠から地上に、ひょいっと飛び降りた。真昼は一瞬だけ、この籠から外に出ることに対する躊躇、自分の周りを囲っている何らかの障壁の外側に行かなければいけない時に覚える特有の躊躇を覚えたのだが。けれど、すぐにその躊躇を振り払って、デニーを追うようにして飛び降りた。

 デニーは、半分になった検問所へと歩いていく。その異常な光景に、特に恐怖を覚えている様子もなく。ちょっとしたハミングさえ歌いながら。真昼はそんなデニーのことを追いかけながら……はっと、気が付いた。そして、慌てて首を巡らせると、道路の反対側に落ちている、あの塊に視線を向ける。

 そうだ、間違いない。

 これは、装甲車、だ。

 正確にいえば、元は装甲車だったもの。今はただの金属塊、スクラップになってしまっていたが。確かにそこここに装甲車だったころの痕跡が窺がえる。あれは壊された車両搭載機関銃、あれはひしゃげた装甲、そしてあそこに転がっているのはランフラット・タイヤだ。その装甲車は何か恐ろしいほど巨大で恐ろしいほど強い力によって全く使用不可能なまでに叩き潰されていたのだ。そして……真昼は、見た。見てしまった。その装甲車の真ん中に、ぱっくりと開いている傷口から。どろどろとして、何か、赤いものが、流れ落ちているのを。

 真昼は、急いで目を逸らす。

 頭の中で、フラッシュバックする。

 無数の、無数の、無数の、噛み痕。

 その光景を。

 振り払うように。

 デニーに、言う。

「あんた、さっきから何してるの。」

「見てるのー。」

 なんだか気が抜けてしまうような呑気な声でそう返したデニーは、確かに見ているようだった。チェックポイント・キャビンの断面を。そして、そのデニーは……今真昼がいる場所からは、ちょうどその断面は反対側になっていて、よくは分からないのだが。んー?といった感じで首を傾げながら、何かに納得がいっていない様子だった。柔らかそうで、ひどく華奢な、人差し指の指先。すーっと、一度、その断面図に走らせる。

「イエローリズム系の爆発物かもって思ったんだけど。」

 ぺろり、と。

 その指先を。

 一舐めして。

「やっぱり、違うっぽいね。」

 それから、指先を舐めた方とは反対の手をひらっと挙げて合図をした。少し離れて、ぐるるるる、と唸るように鼻息も荒く、待機しているウパチャカーナラの群れのところで。その合図を受け取ったデニーの部下達は、急速かつ整然と行動を開始した。機械仕掛けで動く安ぴか物のおもちゃにも似た態度、すとんとウパチャカーナラから飛び降りると、検問所の付近、そこら中に広がっていったということだ。

 一体ここで何が起きたのか、それに現在進行形で何が起こっているのか。全然頭が追い付かずに、真昼はそこに突っ立っていることしかできなかったのだけれど。自分という存在をほとんど無視して物事が進もうとしている現在の状況にとうとう耐えられなくなって、検問所の向こう側、何かを考えこんでいるらしいデニーに向かって、こう叫ぶ。

「ねえ!」

「ふあー?」

「いい加減にしてよ! 教えて、ここで何があったの!」

「んー、真昼ちゃん、それはとっても難しい質問だねー。」

 それからデニーは。

 くすり、と笑った。

「でも、まあ。」

 まるで、ラミアと魚で。

 魚役をしている子供が。

 楽し気に、笑うように。

「デニーちゃんは賢いから、なーんとなく分かってるんだけどね。」

 しかし、そんな風に、いかにも意味ありげな。もっとはっきりいってしまえば何一つ回答になっていない回答で真昼が満足するわけもなく。真昼は、デニーがいる方に向かって歩きながら、なおのこと問い詰めるような声で続ける。

「そんな答えじゃ分かんないよ! 教えて、何があったの!」

 デニーは、そんな真昼に。

 可愛らしく、首を傾げて。

 そして、ちらりと。

 空の方を、指さす。

「るーっく、いんとぅ、ざ、すかーい。」

「え?」

 もちろん、真昼には何が何だか分からなかったのだけれど。ほとんど脊髄の反応として、その場所に立ち止まって、言われたとおりに空の方を見た。空には……何もなかった。あの異様な太陽、人間には理解できないほど巨大な何者かがその中で蠢いている太陽、以外のものは、雲一つない青い空で。だから、真昼は、また、デニーに、文句を言おうとする。

 そんな真昼を遮るように。

 その口が開く前。

 デニーが、言う。

「ね、ないでしょ?」

「は?」

「ドローンだよーお。」

「ドローン……」

「ほんとなら、飛んでなきゃいけないのに。」

 言われて、真昼はもう一度空の方向を見上げる。そうして、やっとのことで気が付いた。そこに何かがあるということが問題なのではなく何もないことこそが問題なのだ。そこにはあるべきものがない。検問所の監視用ドローンがないのだ。

 本来ならば、検問所の周囲、百ダブルキュビト程度の距離までには、少なくとも四機のドローンが飛んでなければいけないはずだった。チェックポイント・キャビンの中にいる人間が、そのドローンを利用して周囲の状況を監視するために。

 いや、さすがに真昼だってそういった詳細までは知らなかったのだけれど、それでも、それが変だということは理解できた。テレビのニュースやエスペラント・ウニート製の映画などで見る検問所の光景には必ずドローンが飛んでいたから。

 だが、今、真昼が見ている、この光景には。

 ただの一機もドローンが飛んでいなかった。

「それって……」

「ミスター・フーツ。」

 それって……つまり、どういうことなの?みたいなことを、真昼が重ねて質問しようとした時に。またしてもその言葉は遮られて、ただし今回遮ったのはデニーではなくデニーの部下の一人だった。いつの間にかデニーのすぐ横のところ、侍るようにして立っていて。それから何かを差し出していた。

 そして、それは。

 ドローンだった。

「さーんくす、ぎびんぐっ!」

 デニーはそのドローンを受け取ると、きゃるんっとした、とってもキュートなおめめで、そのドローンをしげしげと眺めまわし始めた。真昼の今いる位置は、かなりデニーがいる場所、つまりチェックポイント・キャビンのそばにまで近づいていたので。そこからでも、そのドローンの姿は、それなりに見ることができたのだが。その姿は……明らかに、おかしかった。

 端的にいえば、壊れているのだ。どんなにすちゃらかぼんちきな下等知的生命体であっても一目で分かるだろう、なぜなら、そのドローンの体積は三分の二になっていたから。何かの力によって、そのドローンの残り三分の一は、その三分の二から引き裂かれてしまったらしい。そして、残り三分の一の行方は、真昼に分かるはずもなかった。

 デニーは「ふーん」と呟いて。

 それから、部下に問いかける。

「それで、偶有子反応は?」

「ありました。」

「レベルは?」

「5です。」

「ぷっぷくぷー。」

 くるくると目を回すデニーに。

 真昼が、はっとした顔、叫ぶ。

「レベル5!?」

「みたいだねー。」

「レベル5って……スペキエース等級の!?」

「そうだよー。」

「そんな……レベル5って……」

「ほーんとっ、レベル6じゃなくてよかったよねっ!」

 真昼、さっきから「そんな……」とか「え!?」とか「どういうことなの!」とかしか言ってない気がするし、そういうのってちょっと馬鹿みたいだと思うけれど、まあこういう状況に放り込まれたら大抵の人間はそうなると思うし、だからそれは置いておいて、今問題なのはここで出てきたスペキエース等級の話だ。

 あ、いえ、違います、問題といってもスペキエース差別の問題じゃないです。はいはい、いいたいことは分かりますよ。確かにスペキエース等級はスペキエースを兵器として見る観点から作られた区分であって、それはスペキエースをちゃんとした一人の人間、まあスペキエースになるのは人間だけじゃないですけど、とにかく尊厳ある一個の人格として見るべきだという昨今のSLM(Species Lives Matter)の立場からは是認できないという話ですよね。自由と平等のためにはそれも実に大切な問題提起だとは思いますが、今したいのはそういう話ではないです。単純に、スペキエース等級とは何かという話です。

 スペキエース等級とは、第二次神人間大戦時(正確にはその直前)にHOLの軍事研究施設である通称機関によって定められた、スペキエースが持つ能力の強度を区分する等級である。この区分は、第二次神人間大戦において、より戦略的にスペキエースを使用するという目的の下に当て嵌められることになった区分である。よって、等級を表す表現も自然と軍事的なものになっている。等級は全部で六つだ。下から順にレベル1(通常の人間でも条件次第では到達可能な能力)、レベル2(日常生活で使用する道具と同程度の能力)、レベル3(小規模戦闘装備級)、レベル4(中規模戦闘車両級)、レベル5(大規模戦闘施設級)、そして、それ以上の強度を持つ能力は全てレベル6に分類される。

 ちなみに、このような等級の区別はゼノン小球覚醒段階の区分にも利用されている。つまり、マクシミリアン・エフェクト、俗にいうところの超能力がどの程度強力かということの区分にも利用されている。というか、実は、このような超能力の強力さの区分が先にあったのである。超能力、特にノスフェラトゥの超能力を分類する際に用いられた第一次神人間大戦時の区別が、第二次神人間対戦においてスペキエースに対しても使われるようになったということだ。

 と、いうことで。真昼がなぜ「そんな……レベル5なんて……」という風に頭の良さを感じられない絶句をしたのか、読者の方々にもお分かり頂けただろう。レベル5というスペキエース等級の別名は、大規模戦闘施設級。つまりその等級に区別されるスペキエースは、例えば空母や前線基地といった戦闘施設の役割を、一人で、完全に、代替えできる程度の能力を持っているということを意味しているということで。レベル5のスペキエースを相手にしては、それがたった一人であったとしても、特殊な装備をした大軍でも率いていない限りは、普通の人間にはまず勝ち目がないのだ。

「ちょっと待って、それって……」

 混乱する思考を。

 何とかまとめながら。

 真昼はデニーに問う。

「この検問所を……その……壊したのが、レベル5のスペキエースだってこと?」

「うーん、どーだろーね? デニーちゃんはそう思うけど、でもこのドローンを壊した誰かさんと、このキャビンを壊した誰かさんが一緒のスピーキーなのかっていうのは、デニーちゃんには分かんないや。さぴえんすの遺伝原理担体ってどれも同じに見えるんだもーん……ま、たぶん違うと思うけどね、でもね、どっちにしてもここに一匹以上レベル5のスピーキーがいたっていうのと、そーいうスピーキーの中の一匹がこのドローンを壊したっていうのは、ぜったいぜーったい間違いないよ!」

 またよく意味が分からないことをいうデニー

 しかし、そのことを気にしている余裕はない。

 真昼は、デニーに、更に問いを重ねる。

「なんでこんなことをしたの。」

「こんなこと?」

「そのスペキエースは、なんで検問所を壊したの。」

「えー、そんなの決まってるじゃーん。」

 デニーは、なんとなく上の空で。

 真昼に向かって、こう、答える。

「真昼ちゃんを捕まえるためだよ。」

「あたしを?」

「そう、真昼ちゃんを! たぶん「真昼ちゃんを捕まえ隊」の本隊の子達だろうね、ほらREV.Mの。あの中継拠点から真昼ちゃんがいなくなったことに気が付いて、あわあわっ!て追いかけてきたんだよ。それで、先回りして、キャンプのところで待伏せしようとして。それで、ここにいた子達に邪魔されそうになったから、みーんな殺しちゃったんだろうね。」

 そんなことを言い終わると。デニーは、今まで矯めつ眇めつじっくりこんとでもいった感じで眺めていたドローン、急に興味を失ってしまったらしく。そこらへんに、無造作に、ぽーいっと放り捨ててしまった。がしゃん、と音を立てて荒れ果てた大地の上に転落するドローン。

 そういえば、真昼が、改めてよく見てみると……この乾ききった土肌の上、それほど遠くないところに、ぽつぽつと、いくつかの黒い点が見えていて。そして、どうやら、それは、今デニーが放り投げたドローンと同じように、無残に壊されたドローンの残骸であるようだった。

 それから、デニーは。

 ふいっと姿を消した。

 どうやら、文字通り半壊した、あの検問所。

 その壊れている側に行ってしまったらしい。

 消えたというか、ここからは見えないだけで。

 だから、真昼は、慌ててその姿を追いかける。

 少し小走りになってしまった、こんな場所に一人っきりで置いていかれたらどうしようという、その恐怖のせいで。その恐怖を真昼自身が認めることはないだろうが、事実だ。もちろん、デニー以外にもここにはたくさんの人がいる、デニーの部下達が。でも、彼ら/彼女らは真昼にとっての「誰か」のくくりには入らなかった、あまりにも、非人間的過ぎて。どちらかといえば、真昼にとって、彼ら/彼女らは人形に近かった。自動的に動く、非常に精巧な、人間の形をしたおもちゃ。そう、デニーのおもちゃ。

 それはともかく。

 あの場所からその場所までの距離を移動して。

 真昼は、検問所の、壊された側を、目にする。

 最初に目に入ってきたのは、ポスターだった。随分と際どい水着を着て、随分と際どい恰好をした、随分と色っぽい女の人が写った、ポスター。真昼が検問所を回り込んできた時に、ちょうど目の前のガラスのところ、そのポスターは貼ってあったのだ。

 うごうごとデニーの部下達が動きまわっている、果てしのない荒野のすぐ隣で、その女の人は笑っていた。真昼には……とても信じられない笑顔だ、こんな場所で、こんな爽やかな笑い方をするなんて、信じられないということ。ただ、まあ、いうまでもなく、その女の人はアーガミパータでその笑顔をしているわけではなく、その写真が撮影されたフィルム・ロケーション、どこかこの場所からはるか遠い南の島でその笑顔を見せていたわけなのだが。

 もちろん無残に引き裂かれた検問所の断面も目に入ってきた。きっと、よほど強い力がよほど素早く働いたのだろう。分厚い白いヴェール生起金属の壁は、まるですぱっと切断されたかのように、ほとんど乱れのない断面を見せていた。

 そこら中に散らばった機械の残骸。割れたモニターがばらばらと散乱していて、これはたぶんドローンが撮影した映像を映していたものだろう。それにあの随分と大仰な機械は、恐らく無線機だ。ただの無線機になぜあんなたくさんの電子機器が必要なのかはよく分からないが、とにかく受話口みたいなものと通話口みたいなものがついているので、無線機と考えるのが自然だろう。

 そして、デニーは。

 そんな残骸の真ん中に。

 ちょこんと屈みこんでいた。

 最初は、よく見えなかった。デニーが、何に向かって屈みこんでいるのか。その対象物が通常取っているべき姿だと真昼が思っている姿から、その対象物の姿は、あまりにかけ離れていたからだ。よって、真昼がそれがなんであるかということに気が付くために、より重要な役割を果たしたのは、形ではなく色だった。ねっとりと、その物体にまとわりついて、そしてその物体の周囲に広がっている色。真昼には、もう、お馴染みになりかけてしまっている色……乾きかけた血液の、暗く沈んだ赤色。

 真昼は、ぎっと奥の歯を噛んで、叫びだしそうになるその感情を耐えた。デニーに、これ以上弱みを見せないように。デニーがそれに向かって屈みこんでいるもの、そこに落ちている物体は、当然ながら死体であった。レベル5のスペキエースが来た時に、このキャビンの中にいて、検問を行っていた人間だろう。その死体は……ふふふ……失礼、あまりに面白すぎたもので……つまり、笑ってしまうほど無残に殺されていた。両手両足はあり得ない方向にねじ曲がっていた。関節は当然めちゃくちゃに砕かれているだろう。そこら中になんだかよく分からない穴が開いていて、そしてこれが最高に傑作なことなのだが、右肩から先と頭部が完全に消え去っていた。何か、巨大な化け物に、そこだけ食われてしまったみたいに。その死体の有様は……なんだか、検問所の有様とは好対照を示しているようだった。検問所の方は、まるで外科手術のように、理性的に切断されていたのに。この死体は、野獣による捕食のように、本能的に食い千切られていたということだ。

「んもー、これじゃ役に立たないよ!」

「え?」

「なんでもなーい。」

 そんな風にして、何かを呟きながら。デニーは、死体を、何やら突っつきまわしていた。その様は何だか、そこら辺に落ちていた鼠か何かの死体を、面白半分に突っつきまわしている子供みたいで。けれど、確かに、何かしらの目的があるようだった。

 真昼は、デニーから。

 すっと目を逸らして。

 気を紛らわせるみたいにして。

 どうでもいいことを質問する。

「その人。」

「んあー?」

「騎士団の人じゃないんだね。」

「そうだねー……騎士団?」

「聖ベルヴィル騎士団。」

 真昼が言った通り、そこに倒れている死体は(まあかなりの部分が欠損していたのだが)(それでも残っている部分からすると)どう見ても聖ベルヴィル騎士団の団員とは思えない姿をしていた。黒い半袖のシャツみたいなものを着て、その上には防弾ジャケットを着ている。妙にポケットが多い薄灰色のズボン、右膝にはホルスター。それに残っている方の腕、つまり左腕には入れ墨までしている。ほとんど血に浸されてしまっていてよく見えなかったが、どうやらその図案はエスペラント・ウニートのどこかの軍隊の入れ墨のように見えた。

「え? なんで?」

「だって……この先にあるのって、教会の施設なんでしょ。」

「うん、そうだよ。」

「教会の施設って、騎士団の人達が護ってるものじゃないの。」

「そーれーはー、騎士団の子達が護ってる施設だってあるけど、そんなのほーんの一握りだよ。騎士団の子達だってそんなたくさんいるわけじゃないしねー。だーかーらー、このくらいのどーでもいい施設には、どっかの軍事支援企業から一山いくらで兵隊さんを買ってきて、安上がりに済ませるの。」

 上の空な口調で、そう答えながら。デニーは、中指と、人差し指と、親指との先を、とぷんっと血だまりの中に滑り込ませた。しばらくの間、何やら手探りで探っていたのだけれど。やがて「あったー」と呟いて、その指を引き上げた。それは……銀色をした、小さな、小さな、金属の板。つまりドッグタグだった。本当ならばチェーンで首に掛けられているべきものだが、どうやらこの死体の右肩から上が何者かによって食い千切られた時に、そのチェーンが切れてしまったらしい。デニーは、こびりついた血塊をぬぐい取って、そこに書かれている情報にざっと目を通す。「グローバル・ジスルルーかあ」と、真昼には聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟くと。そのドッグタグを、ぴんと指先で弾いて、また血だまりの中に落とした。

 血に濡れた三本の指の先を、まるでキャンディでも舐めるみたいにしてぺろぺろと舐めながら。デニーは、ちょこんとしたその姿勢のままで、今度は反対の手を伸ばした。死体のすぐそばに落ちていたアサルトライフルに手を伸ばしたのだ。アサルトライフルというか、もともとはアサルトライフルだったらしき、けれども現在は三分の二ほどの大きさの金属塊になってしまっている、残骸。ちなみに失われた方の三分の一は、ストックからグリップにかけての部分であって、これもやはりこの死体が食い散らかされた時に失われたもののようだ。デニーは、ひょいっとそれを取り上げると……舐めていた指先を、ずるり、と口の中から引き抜いて。人差し指を、つーっと、その自動小銃の、バレルの部分に走らせた。「BAR84じゃなくって、サリートマトのNY-5かあ……ま、それは仕方ないかな」それから、そのまま指を走らせ続けて、その指はマガジン・キャッチにたどり着く。

 かしゃん、と小気味のいい音を立てて。

 ボックス・マガジンがあっさり外れる。

 どうやらデニーが関心を持っているのはそのボックス・マガジンだったらしく、アサルトライフルだった金属塊のその他の部分は、これもやはり呆気なく、ぽんっと放ってしまって。それから、左手でそのボックス・マガジンを持つと、「デニーちゃんの思ったとーり、一発も撃ってない」、中に詰め込まれている弾薬のいくつか、右手の指先でぽこん、ぽこん、と引っ張り出した。

 手のひらの上にころころと転がった弾薬は、全部で三つ。からんからんと素気ない音を立てて、ボックス・マガジンがキャビンの床に落とされる。当然だが落としたのはデニーで、ボックス・マガジンにも用がなくなったのだ。空いた左手、右の手のひらの上に載っている弾丸を、一つ一つ確認し始める。「もーっちろんだよね、SKILLバレットなんて支給されてるはずがないよ」指先で取り上げて、それは、まるで、きらきらとしたガラス玉を、太陽に透かして見とれている子供のように。「それどころか、フロギストン弾でさえないなんて!」子供のように? いや……それは……違う。子供なんかじゃない。こんな目を、する、生き物が、子供なわけがない。弾薬を見ているその生き物は、もっと、何か、そう、長く生きている生き物だ。繊細で傷つきやすい子供の体の中に閉じ込められた……何か、人間には想像できないくらい長い時、永遠にも似た時を生きてきた、歪んで、淫らな、生き物。

 そして。

 とても、とても。

 禍々しくて。

 忌まわしい。

 声で。

「あはっ!」

 楽し気に。

 ぽつんと。

 呟く。

「フランちゃんてば!」

 ところで、真昼は……そんなデニーに対して声をかけようとすることさえできなかった。ある意味で、デニーのこの表情は。パロットシングを弄んでいる時のデニーよりも、ずっと、ずっと、恐ろしい顔をしていたからだ。あの時のデニーは、なんだかんだいっても、ただの子供みたいな表情をしていた。純粋で、無垢で、その表情自体には何の悪意も宿ってはいなかった。確かにやっていることはひどく残酷だったし、そんな残酷なことをそんな顔でやっているのは、かなり悍ましいことなのかもしれないが。それでも、その顔自体は、可愛らしい顔だったのだ。しかし、今のこの表情は。違う、全然違う。これは、この顔は……

 しかし、その顔について、真昼がまともに何かを考えられるようになる前に。デニーの顔は、ぱっと元通りの顔に戻った。寄宿学校の生徒によく似ている、あの顔だ。それからぴょんっと跳ねるみたいにして立ち上がると。ローファーの踵に重心を任せて、スーツの裾をひらっと躍らせながら、振り返る。まるで……あの、とても歪んで、とても淫らな、古い古い生き物の、あの表情は。真昼の、とんでもない勘違いだったとでも、世界がいっているみたいに。デニーの表情は、幼く、甘ったるい、飴玉みたいな表情に戻っていて。それから、デニーはその口を開く。

「みーんなっ!」

「「「はい、ミスター・フーツ。」」」

 真昼はびくっとして、思わずあたりを見回してしまった。デニーの「みーんなっ!」という呼びかけに対して、デニーの部下達は。荒野の向こう、一番遠いところにいる部下から。一番近いところにいる部下、この部下はデニーに壊れたドローンを持ってきたあの部下だったのだが、とにかくこの部下まで。みんな、一斉に、それこそ一つの声のように答えたからだ。よく訓練されているとかそんな生易しいものではなく、何らかのネットワークによって、完全に同期した機械ででもあるかのように。

 しかし、その現象を。

 あくまでも、当然のものと受け取って。

 デニーは、天真爛漫に、言葉を続ける。

「デニーちゃんからの命令だよっ! 新しく入った子達、えーと、何人くらいいたっけ、十人くらい? デニーちゃんが行く前に、先にキャンプに行って様子を確認してきて。うーんと、スマートバニーはもう渡してあげたよね? そのスマートバニーで見たこと聞いたこと感じたことをぜーんぶ報告することっ! いいねっ!」

「かしこまりました、ミスター・フーツ。」

 テロリストみたいな姿をした人々が。

 一斉に答える。

「それから、それ以外の子達はデニーちゃんとここでたいきっ!」

「かしこまりました、ミスター・フーツ。」

 陸軍戦闘服をその身に着けた人々が。

 一斉に答える。

「よろしいっ! ではではー、行動開始だよっ!」

 その、デニーの、号令とともに。

 全ての部下達が一斉に動き出す。

 まるで。

 楽しい。

 楽しい。

 オルゴールの。

 ように。

 検問所の周囲百ダブルキュビト程度、そこら中に広がって何やら調査をしていた部下達のうち、まずはテロリストの格好をした人々は。検問所のすぐ近くの川岸、群れを成しているウパチャカーナラのところへと集まってきた。いうまでもなくこれらのウパチャカーナラは、ここにやって来る時に、部下達が乗ってきたウパチャカーナラで。それから、テロリストの格好をした人々は、次々にそれらのウパチャカーナラにまたがって(二人一組)、この場所を出発し始めた。

 一方で残った部下達、陸軍戦闘服を着た部下達は、やはりそれぞれが調査をしていたところから一か所に集まってきて。そして、その場所は、デニーと真昼がいる検問所の周囲だった。全部で二十人いたその部下達のうち、デニーにドローンを持ってきたあの部下を除いた全員が、デニーと真昼の周りに円陣を組むかのようにして……というか、実際に円陣を組んだのだ。二十人のうち、十人が円陣の外側に向かってアサルト・ライフルらしき銃を構えて、残りの十人が、やはり円陣の外側に向かって例の鉈みたいな刃物を構えて。

 それから。

 デニーは。

 誰ともなしに。

 問いかける。

「ねーえ。」

「はい、ミスター・フーツ。」

 答えたのは。

 すぐそばの。

 あの部下だ。

「REV.Mの拠点からちょうだいねってしてきた武器のことなんだけどね、SKILL系の武器ってあったっけ? BAR84とかさ、BGシリーズの手榴弾とかさ……」

「いえ、ありませんでした。」

「だよねー。」

 デニー、は。

 ぽへーっと。

 溜息をついて。

「まっ、あっても役に立たないだろうけどさっ!」

 と……デニーと部下達のやり取りが、ここまでなされるに至って。ようやくのこと、真昼は落ち着いてきたらしい。ほとんどパニックみたいになっていた状態から、少なくともきちんとものを考えられるくらいには冷静になってきて。周りで起こっている様々な物事に対しても、脳の処理が追いついてきて、自分が分かっていること(ほとんどない)と分かっていないこと(めちゃくちゃある)の整理ができてきたということだ。

 だから、真昼は。

 デニーに対して。

 端的に。

 こう問いかける。

「どういうこと。」

「真昼ちゃん、ばっくぜーん!」

「これは……どういうことなの?」

 ばっくぜーん!と言われても、自分の質問がひどく漠然としていて、ほとんど意味をなしていないなんていうことは、真昼だって百も承知だった。でも、けれども、そうとしか問いかけられなかったのだ。あまりにも自分の分からないことが多すぎて、どれから質問すればいいのか、そもそもどの質問が本当に重要な質問なのか、判断がつかないくらいで。だから、真昼は、取り敢えず漠然とした質問をして、何かしら、自分が考えるとっかかりのような情報だけでも、デニーから手に入れようとしたのだ。

 デニー、難しい顔をして。

 腕を組んで、首を傾げて。

 いかにも困ってますよーみたいな感じ。

 真昼に、こう言う。

「えーっと、この検問所を壊した子達が、たぶん真昼ちゃんを追ってきたREV.Mの子達だっていうのは分かってるよね。」

「それは、さっき聞いたから。」

「ということはだよ、真昼ちゃん。その子達がただこの検問所を壊しておしまい!って満足しちゃうってことは、まず有り得ないことだよね。だって、その子達の目的は検問所を壊すことじゃなくて、真昼ちゃんを捕まえることなんだから。じゃあ、一体どうするのかなって考えた時に、二つ可能性があるよね。」

「二つ……?」

「まず一つ目の可能性はね、その子達がこの検問所を壊したのはただの偶然だったし、ここにいた傭兵さん達を皆殺しにしたのは、ちょっと邪魔だったからだっていう可能性。うーんとねーえ、もっと分かりやすくいうと……REV.Mの、パロットシングちゃん達の部隊とは違う運び屋さん達が、あの石窟寺院についたかなんかして。真昼ちゃんが、何者かに奪われたっていうことに気が付いて。それでそれで、その連絡が、作戦の本隊にいったっていう可能性だね。その場合は、それほどこわーい!ってならなくてもだいじょーぶだよね。だって、ここを壊した子達は、デニーちゃんや真昼ちゃんのことを、なーんにも知らないはずなんだから。もちろん、デニーちゃん達の目的地がここの先にあるキャンプだっていうのも知るわけがない。ここはただ通りかかっただけの場所。だから、たぶん、ここを壊した後には、あの石窟寺院に向かってるはずで……デニーちゃん達の足跡を何とかしてたどるためにね。と、いうわけで! この場合なら、デニーちゃんと真昼ちゃんは、その子達がそこでもたもたしてるうちにおうちに帰っちゃえばいいってわけ!」

 そこまで喋ると、デニーは、軽く首を傾げて真昼の方を見た。「分かった?」とでも言いたげな表情をして、自分の右手の小指、ちゅっと自分の唇に口付ける。そんなデニーに対して、真昼は、必死に嫌悪の感情を押し殺しながらも、無言のまま一度頷いて見せた。もちろん、そのジェスチュアは「分かったから先を続けろ」という意味であって。幸いなことに、その意味はデニーにも読み取れたらしい、だから、デニーは、先を続ける。

「でもでも、もう一つ可能性があるよね。それは、その子達がここを壊したのは、偶然じゃなかったっていう可能性。その子達が、デニーちゃん達の目的地を、何かの理由で知ってて。それで、その目的地に行くために、ここを壊していったっていう可能性。もちろん、その目的地っていうのは、この先にあるキャンプのことだよ。その場合は……ちょーっと、良くないよね。だって、その子達はこれからデニーちゃん達が何をしようとしてるのか、ぜーんぶ知ってるってことなんだから。だからね、きっとね、その子達はこうするよ。この先にあるキャンプに行って、そこにいる人間をみんな殺して、そこにある施設をみんな壊して。デニーちゃんと真昼ちゃんが来るのを待ち伏せする。それでそれで、デニーちゃんと真昼ちゃんが来たら、ばばーって襲いかかってきて、真昼ちゃんを奪い取っちゃうの! たいへーん!」

 欠片も大変とは思っていなさそうな、素敵におちゃめな口調でそう言うと、そこでデニーはふいっと言葉を止めた。びどく気まぐれに。それから、きょときょとと擬音語でも付きそうな感じで、自分の周りを見回し始める。お目当てのものは……すぐに見つけることができたらしく。そのお目当てのものに向かって軽く手を振るみたいにして、すぐ横に立っている部下、例のドローンの部下に対して合図をした。

 お目当てのものとは、ソファーだった。恐らくは、このチェックポイント・キャビンの中で誰かが休むために使われたのだろう、ゆったりとしたヴィルティタスのソファー……だったもの。そう、それは、ここにある全てのものと同じように、やはり過去にそうであってものに過ぎなかった。どちらかといえば、キャビンの中でも吹っ飛ばされた側とは反対の側に寄せて置かれていたらしく。失われている部分は五分の一程度に収まってはいたが、それでも見事なまでにすっぱりと切断されていた。そのせいで、失われていたのはこちらから見て右側の端であったのだが、その右端にあったはずの脚もやはり失われてしまい、結果として、がたん、といった具合に傾いてしまっている。

 デニーの合図によって。ドローンの部下は、そのソファーを、デニーがいるところまで引き摺ってくる。そしてその後で、その傾いているソファーの、傾いているという現実をどうにかし始めた。具体的にどのようにどうにかし始めたのかというと、そこに転がっていた死体を再利用したのだ。持っていた鉈で、いかにも無関心にその死体の左と右との足首から先を切断すると。その足を、ソファーの右側の端、下のところに置いて、脚代わりに使用したということだ。分かりますか? 足と脚をかけてるんですよ、面白い冗談ですね。それを見ると、デニーは満足そうにぐっと親指を突き出してグッドのポーズを示して。すとーんと身を投げ出すような感じで、そのソファーに座った。

「えーっと、どこまで話したっけ?」

「……REV.Mのテロリストが、キャンプで待ち伏せしてるかもしれないっていうところ。」

「あ、そーそー。真昼ちゃんも座る?」

「……いい。」

「えー、疲れちゃうよお? ま、いっか。それはそれとしてー、REV.Mの子達がこの先のキャンプで待ち伏せしてる可能性があるわけ。それで、そのREV.M子達が、パロットシングちゃんと一緒にいた子達と同じくらいのレベルのスピーキーだったら何の問題もないんだけど。ぱっぱーって殺しちゃえばいいだけの話だから。でもでも、ざーんねん! レベル5の子が、一人以上いることは間違いありませんってわけ。となると、デニーちゃんとしても、むやみにキャンプに突っ込むわけにもいかなっちゃう。デニーちゃんはデニーちゃんだけでここに来たからSKILLは持ってきてないし、それにキラーフルーツの許可がないと……まあいいや。

「とにかく! 二つの可能性があるの。REV.Mの子達が、待ち伏せしてない可能性と、待ち伏せしてる可能性。しかも、デニーちゃんとしては先にお話しした可能性よりも、後にお話しした可能性のほうがぜーんぜんおっきいって考えてるんだよね。と、いうことで。まずはキャンプがどうなってるのか状況を確認しないとってなったの! それでそれで、偵察の子達を送り込んだってわけ。」

 そこまで話すと、デニーは。

 ソファーに腰掛けたままで。

 上目遣いに真昼を見てくる。

 書いてる方もうんざりするような長文による今までの説明で……真昼の、表面的な疑問は、その全てが解答されていた。表面的な疑問とは、今のこの状況を理解するために必要な、最低限の情報ということだ。

 他方で、それでは、表面的ではない疑問とはどういう疑問なのか、真昼の、どこか、もっと深いところにあるその疑問。今のところは真昼にもうまく言葉にできていない状態だった。なんというか、どこかが嚙み合っていない感覚、金属性の腫瘍にも似た違和感のようなもの。しかし、まだ言葉にできてない以上はデニーに問いかけることもできない。

 だから、真昼は。

 ただ、頷く。

 理解したことを。

 示すために。

「良かったー、分かってくれたんだね!」

 デニーは。

 満足そうに。

 ぱっと笑って。

 それから、もう一度、ドローンの部下に向かってひらっと手を振って見せた。ドローンの部下は……本当に、いつの間にか。その手に傘を持っていた。真っピンクな日傘で(日傘にピンクを使うなよ)、そんなものを持っていたら絶対に気が付かないはずがないのに。真昼は、その部下が、その傘を持っていたこと、全然気が付いていなかった。とにかく、ドローンの部下は、その傘をばさっと開いて、デニーの上に差し掛ける。全身をその内側から焼き尽くしてしまいそうな、アーガミパータの太陽の、日差しを遮るために。

「と、いうことで。」

 デニーは。

 ひどく寛いで。

 ぐでーっと。

 ソファーに。

 寄りかかりながら。

「今デニーちゃんと真昼ちゃんができることは! 送り込んだ偵察部隊が、キャンプについての情報を、このデニーちゃんの素敵なスマートバニーに送ってきてくれるのを待ってるだけってわけ。分かった? じゃ、ソファーに座ったら? ずっと立ってたら倒れちゃうよ。」

 いつの間にか、その手に持っていた。

 きらっきらにデコレートされている。

 素敵なスマートバニーを。

 まるで見せびらかすよう。

 真昼に、見せたのだった。

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