第肆拾弐話 冬のイシモチ用の沖釣りタックル

「凪さん、リールからぁ糸がぁ全部出ちゃいましたねぇ」

「あらら、糸が切れて、オモリだけ飛んで行って、まるで、場外ホームランやわ」


 大洗マリンタワー脇の中空には、四つの大きな窓が浮かび上がっていたのだが、その枠内では、四つの釣り場で竿を振っている四人の釣巫女たちの姿が映し出されていた。その窓の一つで、福岡の潮見凪(しおみ・なぎ)は砂浜から一投目を投じたのだが、その遠投の様子を見て、一回戦がシードのため傍観者を決め込んでいる、茨城の河瀬愛結(かわせ・あゆ)と、京都の清流龍子(せいりゅう・たつこ)が、それぞれ、感想を述べ合ったのであった。


「ねぇねぁ、アカベコちゃん、凪さんとこのぉカメさんがぁ言ってたぁ、『キレテル、キレテル』ってぇ、なんかぁボディービルのぉ掛け声みたいぃですけど、『ワタツミ様の御力が〈通ってる〉』って、一体ぃどおゆう意味なのかなぁ?」

 愛結は、凪の神使いである亀、亀井の呟きの意味が分からず、自分の神使である牛の〈アカベコ〉に尋ねてみた。


「願いを受けた神と、その神徒である人との間の〈縁〉が強く、〈神通力〉が円滑に神から人に伝わっている状況を、神使の間では〈通ってる〉て表現するんだモォ」

「てゆぅ事は、野球をぉやっているぅ凪さんの願いはぁ、もしかしてぇ、物をぉ遠くまでぇ飛ばすぅ事なんですかねぇ」

「アユはん。おそらく、そうやろね。ホームランを打ちたいとか、遠くまでキャスティングしたいとか」

 愛結と牛の会話を耳にし、話に入ってきた後で、龍子はこう続けた。

「願いが叶って、凪さん、パワーが、そうとう上がっとるんやろうけど、糸が切れないように投げるのって難しいんやないかな?」

「ですよねぇぇぇ、龍子さん。ラインがリールから全部でちゃってるしぃ、飛距離をぉ落とすにはぁ、その、神様からぁ〈通った〉力をぉ加減するとかぁ、糸を太くするとかぁ、錘をぉ軽くするとかぁ、仕掛けをぉ調整ぇしなくちゃですよねぇぇぇ」

「ほな、凪さん、準備に時間かかりそうやし、他の方の様子を見とこかな?」

 そう呟きながら、龍子は、別の窓枠に視線を向ける事にしたのであった。


 別窓内では、砂浜から投げ釣りをしている潮見凪の対戦相手である大阪の磯辺愛海(いそべ・まなみ)が、大洗沖の船の上でイシモチ釣りをしていた。


 同じイシモチ釣りでも、浜、すなわち、サーフからの投げ釣りと、船の上での沖釣りとでは、釣りのやり方が全く異なる。


 イシモチは一年中釣れる魚ではあるものの、そのハイ・シーズンは、投げ釣りが六月から十一月、沖釣りが十二月から三月と言われている。それは、夏から秋にかけては、陸地により近い浅海にイシモチは群棲するので、浜からの投げ釣りでよく釣れ、その逆に、冬は、浜から遠い深場にイシモチは移動するので、沖釣りの方が適しているからなのだ。


 つまり、翻って考えてみると、たとえ、浜からの投げ釣りがシーズン・オフとなる冬のイシモチ釣りは沖釣りがセオリーとはいえども、冬のイシモチが群れを為しているポイントにまで、〈大〉遠投できさえすれば、浜からの投げ釣りであれ、無問題なのではなかろうか。

「モーマンたい。ようは、遠くば飛ばせば、よか話ばい」

 身長一七二センチで、パワー・ヒッターである野球選手の凪は、こう発想を転換させたのだ。


 その逆に、身長一四三センチの元・バスケ選手で、腕力の無い磯辺愛海が、浜からの投げ釣りを選ばず、船に乗った沖釣りを選んだのは、ただ単に遠投に自信が無い故の事ではなく、冬のイシモチ釣りのセオリー通りだったのである。


 だから、愛海は船釣り用のタックルを用意したのだ。


 遠心力を使うサーフからの遠投では、四メートル以上の長い投げ竿を使う。対して、船釣りの場合、船縁から仕掛けを落とすだけで十分なので、愛海は、全長二メートル前後の船釣り用の汎用竿を具現化させていた。

 船釣りの場合、こだわるべきは、長さではなく、竿の〈調子〉なのだ。


 竿の曲がり具合の事を〈調子〉と呼ぶのだが、〈調子〉は、竿の長さに対して、九対一、あるいは、八対二くらいの割合で穂先から曲がる〈先調子〉と、手元から曲がる〈胴調子〉に大別できる。

 竿の先が曲がる〈先調子〉は、繊細な軽い〈アタリ〉に対応しているので、即座に合わせるような場合に向いている。

 だが、〈先調子〉の竿だと曲がり過ぎる場合、七対三から五対五くらいの割合で、竿の中央辺りから曲がる〈胴調子〉の方が大物の引きに耐えられるのだ。

 そして、沖でのイシモチ釣りの場合、竿先が柔らかく、かつ、竿全体が曲がる〈胴調子〉の方がよい。


「やっぱ、なんだかんだで具現化させるのは、オトンに買ってもらったアレやろ」


 そう呟いた後で、愛海が具現化させた竿が、『シマノ』から出ている「海春(カイシュン)」という船釣り専用のシリーズであった。

 愛海は、年末に父親と一緒に訪れた釣具店で、「海春」という、自分と似た名を持つ、メタリックレッドの竿を一目見た時、一瞬で気に入ってしまっていた。

 そして、愛海は、年明けに住之江ボートレース場で舟券を当てた父から、ボートレーサー養成所の合格祝いとして、つい先日、この〈赤い船竿〉を買ってもらったばかりだったのである。

 

 愛海が手に入れた「海春」シリーズの〈胴調子〉は〈六対四〉で、そのうちから、愛海が選んだ一本は「30-210」という品であった。後半の数字は竿の全長を表わしており、つまり、「210」とは、長さ二メートル十センチである。

 そして、この竿の〈先径(せんけい)〉、つまり、ガイドなどを除いた竿先の一番細い部分は〈二〉とかなり細い。

 さらに、「海春」の主たる素材はカーボンで、その含有率は〈九八〉パーセント以上と、とにかく、竿自体が軽い。

 竿が短く、先径が細い上に、胴調子で、カーボン製という事は、「アタイの感度もよく、大物釣りにも耐えられ、軽いので腕力に自信がなくても竿を操作し易いので、海春」は、さまざまな対象魚や釣法に対応できる、『シマノ』の技術が詰め込まれた、まさに、〈汎用性船釣専門竿〉なのである。


 イシモチは、浅い海に群棲するので、釣り方も、仕掛けを船縁から落とすだけの〈船下狙い〉になる。だから、船からリールに巻くべきラインは、PEラインの一号から二号の一〇〇メートル、リールも、この長さが巻ける、コンパクトな〈小型両軸リール〉で十分なのだ。


「アタイの弱点は腕力やし、一日中、リール巻き巻きするのは、やっぱシンドイねん。しかも、タダで具現化できるんやから、使うんは、十万近くして、高くて手が出んかった、あの電動やろ」


 愛海は、毎年二月の初めに、大阪の住之江区の海の近くに在る「インテックス大阪」で催される「フィッシングショーOSAKA」で目にした、『シマノ』の「フォースマスター」というシリーズの一つ、「フォースマスター200DH」に憧れていた。それは、わずか三八五グラムという、リールの圧倒的軽さが気に入ったからだ。

 

 愛海は、日の出の試合の開始時、魚の大きさは問わず、まずは釣果を上げよう、と考えた。そういった次第で、仕掛けは、奇を衒う事無く、イシモチ釣りの鉄板である〈胴突き仕掛け〉を選んだ。

 胴突き仕掛けとは、一本の〈幹糸〉に、間隔を置いてハリスが枝分かれし、数本の針を設置した仕掛けの事である。


 糸の先端に付けた錘は〈小田原型〉すなわち、ナス型で、胴の部分が平らになっている形をした錘の三〇号を、針は〈三本針仕掛け〉にし、ハリスの間隔は六〇センチ、針は〈ムツ針〉の十二号を三本針を選択した。そして、針先に、活き餌であるアオイソメを刺して、愛海は、仕掛けを船縁から落としたのである。

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