第肆拾壱話 パワーイソメとパワースイング

「ウチ、ムシエサば苦手じゃけん、その代わりに、地元の浜で投げ釣りばする時にはいっつも、〈パワーイソメ〉ば使っとるんよ。そんで、志賀島じゃ、普通にキスば釣っとったばい。やけん、今日のイシモチ勝負でも、これでモーマンたいよ」

 

 潮見凪(しおみ・なぎ)は、彼女が、これまで何度も使ってきたエサを具現化させ、針に付ける前に、空腹を訴えた神亀の亀井に、それを与えんとしたのであった。


(マジかよ、凪様。要するに、パワーイソメって疑似餌(ぎじえ)カメ。以前、海中で〈ワーム〉ってのを、間違えて口にしちゃった事があるカメけど、ほんと、ゴム臭くって、シャレにならなかったカメ。このパワーイソメも、見た目、たしかに、アオイソメだけど、マズメシに決まっとるカメ。だけど、巫女様がくれた物を喰わん分けにはいかんカメ。鼻を閉じて、根性で飲み込むしかないカメね)


 疑似餌とは、文字通り、魚が食す生きたエサ、例えば、昆虫や小魚に〈似せ〉た偽りのエサで、金属や木、プラスチックなどの硬質の素材で作られている〈ハードルアー〉と、合成樹脂やゴムといった柔らかい素材で作られた〈ソフトルアー〉に大別でき、ソフトルアーの中でも、ミミズなどの昆虫などを模したものは〈ワーム〉と呼ばれている。


 そして実は、活き餌とワームの中間、こう言ってよければ、〈折衷餌〉が存在していて、それが、生きた餌が苦手な凪が、活き餌の代わりに使っている〈人口虫エサ〉、『マルキュー』から発売されている「パワーイソメ」なのだ。

 この、何本もの手足が付いたイソメそっくりに作られているパワーイソメは、生きていない、という点においては、ワームと同じカテゴリーの疑似餌なのだが、ゴム素材であるワームとの大きな違いは、魚が普通に食べられる点である。


 鼻孔を閉じて、強引に飲み込もうとしていた亀井の舌に、パワーイソメが絡んでしまった。

「やばっ! えっ! まず、否、まずくはない。ん? ぅ、ぅ、ぅ、美味いゾォォォ~~~! 凪様、これ、案外いけるカメよ」

 思わず、亀井は雄叫びを上げてしまった。


 魚を食い付かせる餌のポイントは、臭いと味である。

 パワーイソメのような人口虫エサは、頭の先から尻尾の先まで〈アミノ酸〉を含み、その量は、本物のアオイソメの〈六倍〉にも及ぶらしい。これが、亀井を唸らせた旨味の理由であった。


「カメイ、匂いも嗅いでみぃ」

 口に合わない物を強引に飲み込む為に、鼻を強制的に閉じていた亀井が鼻孔を開けると、ほのかに桃の香りが漂ってきた。

「凪様、これは一体?」

「じつわ、パワーイソメは、アオイソ臭くないけん」

 イソメは、針に刺すときに千切れて、体液をまき散らす事がある。そういった場合には、イソメ独特の強烈な匂いが発せられる。だが、人口エサの場合、ムシエサ独特の臭いが苦手な人の為に、ブルーベリーやピーチといったフルーティーな香りが、パワーイソメに付されているのだ。


「さらに、パワーイソメは生きてないけん、ニョロニョロ、ヌルヌルと動き回りもせんし、噛みついてもこんと。それに、何度使っても〈イキ〉が悪くならないけん、後でも使う事ができるんよ」


 このように、様々な理由から、凪は、パワーイソメを愛用しているのである。


 そのパワーイソメは、色に関しては、桜、茶、赤、青があって、太さに関しても、中、太、極太がある。また、長さに関しては、約十センチのものや、その半分の長さの「パワーミニイソメ」、さらには、ノーマルな物よりも柔らかな「パワーイソメソフト」などもあり、色、太さ、長さ、硬軟など組み合わせ次第で、約三十もの種類があるのだ。

 この中から、対象魚や、天候や時間帯、潮の具合といったコンディションに合わせて最適な「パワーイソメ」を選ぶのも、パワーイソメ・ラヴァーの醍醐味の一つなのである。


「まあ、キスとかイシモチっちゅう、浜からの投げ釣りで釣れる魚ば、アオイソメが好物やけん、今日のパワーイソメの色は〈青〉で、イシモチの口ば、バリでかいけん、太さは〈太〉で決まりやね」

 

 すでに竿を具現化させ、その長尺の竿に愛用のリールを取り付けていた凪は、使うべき仕掛けを脳裏に思い描いた。

 可能な限り遠くまで投げようと、糸は、一.五号、長さ三〇〇メートルのPEライン、錘は、竿の〈錘負荷〉最大の三十五号にした。さらに、この日は大潮で潮が速そうなので、軽い糸が流れないようにする目的で、錘の種類は、突起が砂に食い込む〈スパイク錘〉を選んだ。そして、勝負の形式が〈三匹重量〉で、型が良い魚を複数匹ねらわざるを得ないため、針は、大き目の「丸セイゴ」の十五号の三本針にして、それぞれの針先に、〈青・太〉のパワーイソメを刺たのであった。


 準備を万全に整えた凪は、オーバースローで、海に向かって、思いっきり竿を振り抜いた。

 リールのスプールが高速で回転し、巻かれていた糸が全て出し切ってもなお、錘は海に向かって飛んでゆき、伸び切った糸は、前方に引っ張り出されてゆく強い力に耐えきれなくなってプツンと切れ、錘だけがさらに遠くにまで飛んでいった。


「キレテル、キレテル、キレっキレなワタツミ様の御力、めっちゃ〈通って〉るカメね、凪様」

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