第参拾玖話 潮見のカメイは伊達じゃない

「そういえば、ジイジは『釣りば、結局、〈潮〉の流れば読むことじゃ』ってよくゆうてたな」

 試合前の試し投げの為に浜辺を訪れていた凪は、砂浜の上に座って海を眺めながら、祖父がしばしば語っていた言葉を不意に思い出した。その祖父によると、潮見家の祖先は、太古より志賀島で漁師をしていて、潮を読む才に長けていたらしい。それゆえに、後年、〈潮見〉という姓を名乗る事になったそうだ。


 海面の水位、〈潮位〉は、だいたい半日の周期で、ゆるやかな上下動を繰り返してゆくのだが、この現象を〈潮汐〉と呼ぶ。潮位が最も高い状態が〈満潮〉、その反対に、最も低い状態が〈干潮〉で、満潮や干潮は、月の〈引力〉と、月と地球が互いの共通重心を回る時に生じる〈慣性力〉を合わせた〈起潮力〉によって生じる。そして、地球は一日に一回自転するので、原則として一日に二度、満潮と干潮を迎えるのだ。


 ざっくりな認識になるのだが、上弦の月と下弦の月の頃、干潮と満潮の潮位差が最も小さい〈小潮〉となり、新月と満月の頃、潮位の差が最も大きい〈大潮〉となる。潮位差が大きいと潮の流れが速くなり、魚も活性化するので、大潮の日は釣果が上がるのはこういった理屈なのだ。

 とまれ、夜空に浮かぶ月を見れば、その日が何潮かを知る事ができるので、月の満ち欠けと、潮の満ち引きは深い関連がある次第なのである。


 試合までの準備期間、凪は、榊から変化させた竿を、浜から海に向かって何度も振りながら、今の自分のコンディションに合わせて、試合の日に使う、竿の長さや重さ、糸の太さや錘の号数など、最も飛距離が出る最適解を探っていた。そして同時に、定位置から見た砂浜の湿り具合を見ながら、凪は、干満の時刻を確認しようともしていた。

 

 火曜日の朝、最も潮が引いたのは八時半頃、水際が浜の最奥まで達したのは、十三時十分頃、そして夜、懐中電灯を片手に浜まで行って確認したところ、二度目の干潮は二十一時頃であった。

 干・満・干という変化なのだが、間隔は五時間四十分と八時間、きれいな一定のリズムにはならないので、六時間ごとと単純計算ができないのがもどかしい。

 そして翌日の水曜日は、干潮が九時二十分頃、満潮が十四時十五分頃、夜の干潮が二十一時四十五分頃であった。念のため、木曜日の干満の時刻も確認したが、一日で、だいたい五〇分くらいずつ遅くなってゆく、と考えても大外れではなかろう。


 木曜の夜の調査の後、宿に戻った凪は、金曜の干満の時刻を計算すべく机に向かっていたのだが、ついには、頭を掻きむしりながら、ノートを壁に投げつけてしまった。

「ああ、もうっ、メンドクサかっ! ウチ、細かい計算、苦手じゃけん。バッティングも来た球打ってホームラン、投げ釣りも、おもいっきり遠くば投げたら、竿ば立てて当たりを待つっちゅうのが、シンプル・イズ・ベストなんよ。それに、干満の時刻は分かっても潮位は分からんし。なあ、コガメラ、潮の満ち引きの情報ば知れる方法ってなかと? まあ、カメが話せる分けなかか……」

「あるよ」

 凪の問いに亀が短く応じた。

「コガメラ、あんた、喋れたんかっ! なんで、この数日、黙っちょったんよっ!」

「だって、凪様、自分に何も訊いてこないからカメ」

「訊かれなくても、勝手に話してもよかとよ。なのに、なんで喋んなかったん?」

「神使は、巫女に訊かれた問にしか応じられない仕様になってるからカメ」

「そうゆうことかよっ! じゃ、コガメラ、どうすれば、簡単に潮の流れば知れると?」

「ワタツミ様が一つだけ巫女に通す〈神通力〉を〈潮見之力〉にすればよいカメ。さすれば、巫女の〈潮見之力〉を受信した自分が、正確な時刻を提示できるようになるカメ」

「なんか、よう分らんけど、とにかく、ウチが潮を知りたいって念じれば、コガメラが教えてくれるって理解で、ファイナル・アンサー?」

「ファイナル・アンサー」


 かくして、試合に先だって、凪は、神通力として〈潮見之力〉を選ぶ事になったのであった。


               *


 寝坊をした凪を乗せた亀は、釣り場である砂浜に到着するや、元の大きさに戻った。

「〈潮見之力〉を行使するよ。えっと……、師走十六日の干満の正確な時刻を教えて、コガメラ。十二支のじゃなくって、現代の時刻、二十四時間制で」

「満月であった今日は〈大潮〉、最初の〈満潮〉が五時三十五分、潮位は一二二、〈干潮〉が十時二十九分で潮位が八六、二回目の〈満潮〉は十五時四十四分で、潮位が一三三、この日二回目の〈干潮〉が二十二時五十四分で、潮位は〇カメ」

「う~ん、試合終了が日の入り、夕方の五時少し前なので、〈上げ潮三・下げ潮七〉戦略だと、今日の勝負どころは〈干潮〉の後かな……」


 上げ潮とは、〈干潮〉から〈満潮〉に向かって、海面が次第に上昇してゆく状態で、その逆が下げ潮である。

 そして、しばしば釣り人の間では「上げ潮三分・下げ潮七分」、潮がこの状態になる時間帯にこそ魚がよく釣れる、と噂されている。


 干潮時を〈〇分〉、満潮時を〈十分〉とし、これを十分割した場合、例えば、干満の潮位の差が〈五〇〉だとすると、三分は〈十五〉で、干潮が〈五〇〉の上げ潮ならば、上げ潮三分とは潮位〈六五〉、逆に、満潮が一〇〇で下げ潮ならば、下げ潮七分とは潮位〈八五〉という事になる。この潮位になる時間帯には、水中に溶け込む酸素量が増えたり、魚の餌になるプランクトンなどが、潮の流れに乗って漂うので、元気になった魚の食欲が上がり、餌への食いつきもよく、釣果が上がる次第なのだ。


「今日の上げ三と下げ七の具体的な時刻も出せる? コガメラ」

「ウィかめ。

 師走十六日、最初の〈下げ潮七分〉は午前七時半頃カメ。

 次の〈上げ潮三分〉は十二時半頃カメ。

 二度目の〈下げ潮七分〉は午後六時半カメ」

「って事は、競釣時間内の〈上三・下七〉のフィーバーは、御昼どきだけのワンチャンか……。返す返すも、寝坊で、七時半の最初の下七を逃したのは痛か。ばってん、眠れたから、体調自体は悪くなか。勝負は半日の長丁場じゃけん、眠れた事がプラスになるかもしれんしね」

 かくの如く、ミスをポジティヴに捉えながら、ふと凪は思った。

「ウチ、第一印象で〈コガメラ〉って呼んどるけど、アンタ、本名は何なん?」

「亀に井戸の〈井〉で〈亀井〉カメ」


「よっしゃ、潮ば正確に読んで、潮見の〈家名〉は伊達じゃないっちゅうトコを、いっちょ見せつけちゃろう。のう、〈亀井〉」 

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