第参拾参話 ホームランとサーフキャスティング

 茨城県の大洗町の〈複製〉が完遂した。


 大国主神と少名毘古那神による町の造形は、微に入り細を穿っており、町内の道や家屋におけるその細部に至るまで、完全に作り込まれていた。足りないのは、顕世で暮らす大洗の住民だけである。

 とまれかくまれ、複製された町の左右(ま)界への〈糊付〉が済んだ後、召喚された乙女等は、それぞれ、町内に在る、別々の宿泊施設に散っていったのであった。


 福岡県・志賀島出身の潮見凪(しおみ・なぎ)が宿泊地として選んだのは、大洗の大貫町、大貫商店会に位置している「舞凛館(まりんかん)」である。凪は砂浜近くの宿を望んだので、「大洗サンビーチ」まで約六〇〇メートル、徒歩で七分程度のこのホテルが最適なように思えたのであった。

 

 神使たる亀だけを連れて、宿の和室に入り、畳の上で大の字になるや、凪は大声で独り言を叫んだ。

「あぁぁぁ、やってもうたぁぁぁ。嘘はいっとらんけど、話、盛ってしもうたぁぁぁ」


 左右界に集められた少女たちの間で為された自己紹介の際に、凪は、自分が、地元のリトルシニアでクリーンナップを打っている、と語ってしまったのだが、実はそれは〈今〉の事ではない。たしかに、昨年、中二の夏までは、チームで四番を任されていたのだが、中三になってからは、四番どころか、クリーンナップから下げられたままなのだ。


 小学生時代から、凪はチームの中で体格が一番よく、リトルの頃は、男児に交じってさえ、常に四番を打ってきた。現在、凪の身長は一七二センチなのだが、中二の秋頃から、体格面で凪を上回る男子が増えると、飛距離の面で、これまで勝っていた男子たちに劣り出し、そのうち、四番から外されるようになっていった。だから、クリーンナップを〈かつて〉打っていた事に嘘はないものの、つい、知らない人達の前で、凪は虚勢を張ってしまった次第なのである。かくして、宿で独りになった時、凪は、その事が急に恥ずかしくなり、畳の上で、のたうち回っているのだ。


 さて、クリーンナップから外されるようになると、一発かまして見返してやろうと思ったのか、凪は、打席で力むようになり、気持ちが空回りして、バッティングもスランプ気味になってしまった。


 凪が野球を始めた切っ掛けは、誰よりも遠くまで球をかっ飛ばす事が気持ちよかったからである。

 だがしかし、スランプにあえいでいる凪は、球がバットに当たらなくなってさえいた。

 そんなスランプで苦しんでいる頃に、偶然、凪が出会ったのが〈サーフキャスティング〉であった。

 

 足腰を鍛える目的で、凪が、地元の志賀島海水浴場でトレーニングをしていた時の事である。

 凪は、海に向かって竿を振り続けている人を見かけた。

 インターバルを差し挟みながら、凪は、砂浜ダッシュを繰り返していたのだが、ジョグの途中で気付いたのは、竿を振っていた男の糸の先に、魚どころか針さえも付いていなかった点である。


「なんばしちょるんですか?」

 つい、凪は、その人に声を掛けてしまった。

「スポーツ・キャスティングの練習じゃよ」

「『スポーツ、きゃすてぃんぐ』?」


 その浜辺の男によると、スポーツ・キャスティングとは、竿やリールを使って、毛針をポイントに向かって正確に投げたり、錘をより遠くに飛ばす事を目的とした競技で、そうした遠投部門の中でも、砂浜から海に投げる〈投げ釣り〉から生まれ、スピニングリールを使うカテゴリーが「サーフキャスティング」であるらしい。


「オジョーちゃん、興味あるなら、一回、投げてみると?」

 凪は、ごくごく自然に、誘われるがままに竿を握った。

「投げ方、分かると?」

「ジイジと一緒に釣りばしたことあるけん、リールの使い方も、竿の振り方も分かっちょります。思いっきり投げた事はなかけど」


 竿を構えた凪は、ここ最近のバッティングのスランプを拭い去るかのように、砂浜から海に向かって、思い切り竿を振り出した。


 錘が付けられた糸が、強い力によって引っ張り出されてゆくと、糸が巻かれているリールが高速で回転していった。やがて、その回転が緩やかになると、錘が海面に落ちたのが見えた。

 竿を振った地点をホームベースと仮定すると、落水点はセンターのフェンスの遥か先に相当するので、目測で一二〇メートル以上は飛んだ事になる。


「か、快感っ!」

 初めて投げてその飛距離が出たのは、リリースのタイミングがピタリあったが故の事で、たしかに、ビギナーズ・ラックだったかもしれないが、この一投で、凪は、サーフキャスティングに完全にハマってしまった。ホームランを打った時にも引けをとらない気持ち良さだったのだ。しかも、球をバットに当てなくても遠くまで飛ばせるのが良い。


 その後、野球の試合で、打撃が不振だった時には特に、凪は、バットをロッドに握り替えて、砂浜でシャカリキにサーフキャスティングをするようになったのである。


「なんか、もやもやするけん、いっちょ、浜で竿ば振ってこよう」

 のたうち回るのを止め、凪は立ち上がった。

 凪は、宿に入る際にその出入口に、貸し竿が置かれていたのを見止めていたので、そのうちの一本を拝借して、大洗の浜辺に向かい、竿を思いきり振る事にしたのであった。

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