第参拾弐話 ワタツミ神社の潮見凪

 わたつみじんじゃ(綿津見神社)(海神社)とは、海の守護神である〈綿津見三神(ワタツミサンシン)〉、すなわち、底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)、中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)、上津綿津見神(ウハツワタツミノカミ)、その綿津見大神の娘である〈豊玉毘売(トヨタマビメ)〉、その妹で、初代・神武天皇の母である〈玉依毘売(タマヨリビメ)〉、そして、豊玉毘売の子である〈阿曇磯良(アヅミノイソラ)〉といった、〈わたつみ(海神)〉の神々を祀っている神社で、その総本宮は、福岡の博多湾の北部に浮かぶ半島、志賀島(しかのしま)に位置している「志賀海神社(しかうみじんじゃ)」である。


 志賀島の北は玄界灘、南は博多湾に面しているのだが、その志賀島の「志賀島渡船場」へは、「博多港ベイサイドプレイス」から出ている市営の渡船で、約三十分で移動できる。


 また、この半島は、全長約八キロメートルの巨大な砂州である「海の中道(うみのなかみち)」によって、九州本土と陸続きになっているのだが、砂州の幅は変動し、最大幅は約二.五キロメートルになる。この砂州の中心を県道五九号が通っており、そのおかげで、自家用車やバスを使っても志賀島に渡る事が可能なのだ。


 一月二十一日の日曜日、市内中心部にある所属チームでの冬トレを終えた後、バッティングセンターで自主練をした潮見凪が、市の中心街である天神の「中央郵便局前」から西鉄バスに乗り、約一時間十五分かけて、自宅がある志賀島に戻ってきたのは、夕方の五時前の事であった。


 志賀島の「志賀島バス停」から十分ほど歩くと、海岸沿いの小高い山の上に志賀海神社が鎮座している。

 凪は、この神社への朝の参詣を日課にしているのだが、出掛けに参拝する時間がなかったので、この日は、夕方、自宅に戻る前に、お詣りをする事にしたのである。


 ここ志賀海神社が独特なのは、境内に続く石段の手前に〈御潮井(おしおい)〉、と呼ばれている清めの砂があって、まず、御潮井で身体を祓い清める点だ。

 これは、凪が小学生時代に初めて志賀海神社以外の神社でお詣りをした時の話なのだが、「おすながないけん」と叫びながら境内を走り回った事は、今でも潮見家の笑い話のネタになっている。

 

 この日も、凪は、いつものように、石段の下で、身体の左、右、そして左に軽く御潮井を振り掛けた後で、境内の手水舎の水でお清めをし、拝殿に盛られている御潮井でもう一度、身体を清めた後で、二拝二柏一拝という作法にならって参拝をした。 

 しかし、最後に深く上半身を曲げた後で、凪は、ふと思った。


「そういえば、ここの神様って三人ですね。もしかして、ウチの願いが、なかなか叶わんのって、いっつも一回しか拝んでないからちゃろうもん? 〈サン〉拝って言うくらいやけん」

 そのように完全に思い込んでしまった凪は、あと二度お詣りをし、〈三〉拝する事にしたのであった。


 それから、凪は、拝殿の右側にある〈遥拝所(ようはいじょ))に向かった。遥拝所とは、遠く隔たった所から神を拝む為に設けられた場所である。

 ここには、雄と雌、二つの亀石が祀られていて、この亀石は、神功皇后(ジングウコウゴウ)の三韓征伐の際に、皇后の前に、アヅミノイソラが亀に乗って現れ、後に、その亀が石となって、志賀島の海岸に流れ着いた、という伝説に因んだ霊石である。


 子供の頃、ウチ、この亀さんが、浦島太郎の亀だって思っちょったけん、と昔の事を思い出しながら、凪は、この日、四度目の参拝をし、同じ願い事を、さらに八度、強く念じたのだった。


 やがて、参拝を終えた凪は、エナメルバックを肩に掛け、バットケースを手に持つと、十七時半数分前、神社が閉まる直前に、鳥居をくぐった。その直後、一瞬、朦朧となった後、頭を振った凪が前方に目を向けると、そこに広がっていたのは、顕世と幽世の間に存在する無限空間、左右(ま)界だったのである。

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