第参拾陸話 鮖(イシモチ)と榊(サカキ)
一般的に、「イシモチ」と呼ばれている魚は、「スズキ目スズキ亜目ニベ科シログチ属」に〈分類〉されているのだが、〈標準和名〉、つまり、日本において学名の代わりに用いられている生物の名称は、「シログチ(白愚痴)(白口)」で、すなわち、厳密な意味においては、イシモチという名の魚は存在してはおらず、このシログチに加え、同じ「ニベ科」の「ニベ属」に分類されている「ニベ」という魚が、釣り人の間で「イシモチ」と呼ばれている次第なのだ。
この標準和名である「シログチ」という名の由来は、産卵や、釣り上げられた時などに、浮き袋を振動させて、「グゥグゥ」という音を出す、その様子が、あたかも愚痴を言っているかのように聞こえるからで、こういった愚痴言う魚の中でも、魚体の色が銀白色である属が「シログチ」と呼ばれている。
ちなみに、同じようにイシモチに含まれる「シログチ」と「ニベ」との違いは、身体の模様の相違で、その側面に、小さな黒色の斑点の列が並んでいる方がニベで、さらに言うと、ニベの方が、シログチよりもデカいのだ。
ちなみに、イシモチの大きさは、「シログチ」が平均四〇センチ前後で、中には、五〇から六〇センチに成長する個体もいる。
これに対して、「ニベ」は、平均五〇センチ前後、しかし、八〇センチ以上、場合によっては、一メートル以上になる個体さえいるらしい。
それでは、何ゆえに、シログチやニベが「イシモチ」と呼ばれているかというと、それは、頭の骨の内に非常に大きな〈耳石(じせき)〉が有るからで、だから〈石持〉あるいは〈石首魚〉と当て字され、魚へんを用いて表記する場合には、〈魚〉へんに〈石〉で〈鮖〉となる。
鮖は、太平洋側は宮城県以南、日本海側は新潟県以南、そこから東シナ海までの沿岸地域と広く分布し、陸地に近い〈近海(きんかい)〉の水深一五メートルから一四〇メートル前後の〈浅海(せんかい)〉の砂泥底(さでいてい)、つまり、砂や泥によって成る海底で〈群れ〉を為している。ちなみに、ニベの方が岸寄りに棲息している。とまれかくまれ、イシモチの釣期は周年、つまり一年中なので、砂浜からの〈投げ釣り〉でも、船に乗っての〈沖釣り〉の何れでも狙う事ができる。
第壱試合の対象魚である〈イシモチ〉は、シログチだけではなく、ニべも含める事にする。だがしかし、ニベがよく釣れるのは、新暦の四月から十二月、その最盛期は七月から九月、それゆえに、師走の大洗で催される競釣では、実質的な対象魚はシログチの方になろう。
*
大洗サンビーチに近い「舞凛館(まりんかん)」に泊まっている福岡の潮見凪(しおみ・なぎ)と、大洗港に近い「割烹旅館肴屋(さかなや)本店」に宿泊している大阪の磯辺愛海(いそべ・まなみ)の許に、大国主神の神使たる鼠が、一回戦・第一試合の対象魚となる〈鮖〉についての基本的な情報と、〈榊(さかき)〉を運んできたのは、左右(ま)界への召喚日の翌日、師走の十二日の朝であった。
「「この木の枝、いったい何?」」
鼠が持参した〈榊〉を見て、別々の場所にいたにもかかわらず、乙女等は、異口同音の疑問を鼠に向かった発した。
木へんに〈神〉と書く〈榊〉は、文字通りに神の木であり、すなわち、人が住む〈顕世〉と神が住む〈幽世〉の境の木、〈境木(さかいき)〉を意味する、まさに、左右界を象徴するような樹木なのだ。
「たしかに、この左右界には神の力が充満しているんでチュが、ヒトのコが何の媒体も無しに物を具現化するのは、非常にキビちぃ~かもって、ダイコク様とスクナ様は思い直したみたいでチュ。そこで、具現化の補助器として、この〈榊〉を釣乙女に渡してくるように、自分が申し付かったのでチュよ」
昨晩、掌に念を込めながら、「いでよ竿」とかやってみた凪と愛海だったのだが、実は、何度試みても、何も起こらなかったのだ。
「いいでチュか、サカキを両手でしっかり握って、まずは竿を、それから糸巻き道具、そして糸、さらに仕掛け、錘や針、そしてエサって、順を追って想像してゆくのが、創造化のコツでチュ。試合まで未だ数日あるので、色々と自分で試してみるのが良いかもでチュよ」
「「ネズちゃん、了解っ!」」
「で、勝負の日である師走の十六日、つまり、〈望〉の〈卯三つ〉にマリンタワー前に集合でチュ」
「『うみっつ』って何時や?」
「今風に言うと〈午前六時〉で、まあ、要チュるに、日の出前でチュ」
「「そうでチュか」」
二人とも、鼠の口調が移ってしまっていた。
かくして、神使の鼠が立ち去るやすぐに、凪と愛海は、それぞれ、本番のイシモチ釣りに対する準備を始めた。
イシモチは、投げ釣りでも船釣りでも狙える魚だ。
そういった情報を得ていたので、二人とも、自分が得意とする釣り場に向かった。すなわち、福岡の潮見凪は砂浜に、大阪の磯辺愛海は沖に出て、まずは勝負の舞台となる釣場の調査をした。それから、榊を媒体として、竿を始めとするイシモチ釣りの道具を次々に具現化させると、何度も竿を振りながら、道具を微変化させてゆき、試合までの四日間を、最適な〈タックル〉の模索に当てたのであった。
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