第弐拾弐話 先生の教え、知る事や学ぶ事の意義

「ほんと、先生、どこに行っちゃったんだろう……」

 濱辺七海は、雨上がりの永代通りの歩道で一揖(いちゆう)すると、通りに面している大きく赤い鳥居の左側を、左足から踏み入れたのであった。


 鳥居を潜る時には、左端で入る時は左足から、右端で入る時は右足から、と教えてくれたのは、塾で国語を担当して〈いた〉神津海斗であった。


 先生は、授業中によく、わたし達に色々な〈雑学〉を語ってくれてたなぁ。


「いいかい、みんな、神社の真ん中の道を通っちゃいけないのは、よく知られている事だけれど、けっこう迷ってしまうのは、どっち側を歩くかって事なんだよね。たまに、女性は鳥居の左側、右側は男性っていう人もいるけれど、実は、神道には、そんな決まりはなくって、どっちを歩いてもいいらしいんだ。だけど、〈手水舎(てみずや)(ちょうずや)〉がある側を取ると、円滑にお清めができるよ。それならば、真ん中の道を横切らずに済むしね。もし、参道を横断しなければいけない場合には、軽く一礼しながら通ると失礼にはならないよ。とにかく注意すべきは、真ん中、神様の方にお尻を向けないようにする事。だから、右側から入る時は右足から、左側から入る時は左足から足を踏み入れるようにすると良いのさ」

「「「「「「はぁぁぁ~~~い、カイトちゃんっ!」」」」」」


「先生、真ん中の道を横切る時は一礼って、なんでですか?」

「それはね、〈参道〉、神社の敷地内の道の事ね、その真ん中を〈正中〉って言うんだけれど、正中は通っちゃダメだからなんだよ」

「なんでですか? 先生」

「〈本殿〉、神様が居る建物の事ね、この本殿の真ん中に神様は鎮座している分け」

「ど真ん中に、ドンって座っているみたいですね」

「まあそんな感じ。で、その本殿と鳥居の位置は正対している分けなんだけれど、鳥居から本殿に向かっている参道の中でも特に、真ん中の路は、まっすぐに神様に向かっているので、つまり、正中は、いわば神様専用の道なのさ」

「でも、先生、鳥居のど真ん中で写真を撮っている人、〈八幡様〉でも、割と見かけるよ」

「お正月や成人式だと、特にそうだね」

「ですよね。自撮り棒を使って、『ウェェェ〜イ』って感じで」

「たしかに、真ん中って、本殿の真正面になるから、構図的にも最も写真映えがするってのは当然なんだけれど、改めて考えてみるまでもなく、参道のど真ん中で写真を撮るのって、無礼にも、神様の路を防いでしまっている分けで、いわば、神様の真ん前に立って、ケンカを売っているに等しい行為なんだよね」

「でも、現実に神様なんている分けないし、そこは別に、インスタ映えを優先してもしょうがなくないですか?」

「神の実在に関する問題は、とりあえず括弧に入れておくとしても、それは、自分勝手な人間のエゴだね。神社への参詣は観光でもないし、神社はSNSのための撮影スポットでもないしね。そもそもの話、神社でお詣りをするって事は、祈る気持ちの浅い深いはあるとしても、神様から御利益を授かりたいって気持ちの反映な分けで、それなのに、神様に対して〈喧嘩上等〉って、そりゃ、本末転倒ってものでしょ?」

「先生、でも、写真撮っている人も、そんな悪気がある分けじゃなくって、ただ単に、真ん中が神様の道って知らないだけじゃなくないですか?」

「そう、知らないって、つまり、そうゆう事なんだよ。

 無知ゆえの無邪気さって本当に怖いんだ。知らないって事は、いつかどこかで何かをやらかすか分からない危険性を持っているんだよ。

 たしかに、知らない事があるのは仕方がない。僕だって、知っている事しか知らないしね。でも、それならば知ってゆこうよ。知らない事や分からない事をそのまま放置したりせずに、積極的に知ろう、だから学ぼうって姿勢を持つようにする事、これこそが、本来、生徒が義務教育の時期に身に付けるべき学ぶことの意義だ、と僕は思うんだ」

「「「「「「なるほどぉぉぉ〜。カイトちゃん!」」」」」」


 こういった先生と塾生達との掛け合いも、昨年の十一月の末以来、一度も為されてはいない。

 何故ならば、十一月二十三日の勤労感謝の日、その前日の授業を最後に、海斗が、突然、塾に姿を現さなくなってしまったからだ。


 塾長は、一身上の都合で神津先生は塾を辞める事になりましたって、塾生の皆の前で語っていたけれど、それでも、生徒達の間では色々な憶測が為されていたし、様々な噂もまた、わたし達の耳に入って来た。

 決定的だったのは、クラスの誰かが、お兄さんの友達の先輩っていう海斗先生と同じ大学の人から、先生が行方不明になったって情報を仕入れてきたんだ。


 それって、ソツロンの調査の為に出雲に行ったまま、ショーソク不明になってしまったって事?

 クラスの中には、「出雲は神様の国だし、先生は〈神隠し〉されちゃったんだよ」とか、「それじゃ『千と千尋』みたいじゃん」とか話している子もいた。

 実際に、神様に人間が誘拐されるなんて、ヒゲンジツテキな事が起こる分けはないから、考えたくはないけれど、旅先で事故にあってしまった可能性が高い。


 先生が姿を消してからもう二か月、もしかしたら、海斗さんはもう……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る