第壱章 神宴は乱る
第拾壱話 出雲発つ
今の暦の十一月二十二日、神在月の十日に八百萬の神々を迎えた後、翌日の十一日から、〈顕世(うつしよ)〉の七日間に渡り〈上宮(かみのみや)〉で催されてきた、縁結びの〈神議り(かむはかり)〉は、会議を掻き回すような神などおらず、こう言ってよければ、何の問題もなく〈神議は回った〉のであった。
そして、神在月の十七日を迎えたこの日、十六時から「拝殿」にて、大社から御出立なされる神々を御送りする〈神等去出祭(からさでさい)〉が斎行される運びとなった。
神々の宿処(しゅくしょ)であった東西の「十九社(じゅうくしゃ)」から、神々が依り代とする〈神籬(ひもろぎ)〉が拝殿に〈遷座(せんざ)〉され、祝詞が奏上された後に、〈警蹕(けいひつ)〉と共に、本殿の〈楼門〉の扉が叩かれる。ちなみに、警蹕とは、神殿の扉を開ける時に、神職が出す「おぉ」という声の事で、この警蹕の後に、神職が「御立ぃ~」と高らかに発声するや、神々は大社から出立なされるのだ。
「『御立ぃ~』の前に、神職が門を叩くのって、なんか、チェックアウトを客に伝えるノックみたいだな」
儀式の模様を眺めながら、神津海斗(こうづ・かいと)はこんな感想を抱いた。
令和五年も、世界規模の感染症のせいで、一般人は神等去出祭の参列はできなかった。だが、白兎神(ハクトシン)の眷属にされてしまった海斗は、本来ならば参加不可能だったはずの神事を間近で見る事ができ、この事に関して〈は〉、自分は実に幸運だと思っていた。
「でも、やっぱ、勝手に従者にされたのは、不運以外の何物でもないんだよ」
海斗は、本来ならば、この神々が大社から去る日付に合わせて自分も出雲を去り、寝台特急「サンライズ号」に乗って、東京に帰る予定だったのだ。だが、イナサノハマで偶然に出会った白兎神に身柄を拘束され、白兎神が出雲を立ち去るまでの間、その依り代の運び手を務めねばならなくなってしまったのである。
(ったく、ワレだけ、人力での移動かよ。時間もかかるし、まったく〈兎歩歩〉だよ。兎が歩くゆえにぃぃぃ~~~)
「ハクト様、他の神々は、『御立ぃ~』の声と共に、まるでラノベのように、大社から一瞬で空間転移してしまうじゃないですか。僕らも、その瞬間移動に便乗させてもらう分けにはいかなかったんですか?」
合縁奇縁とでも言おうか、この一週間の間に、海斗と白兎神は、カイト、ハクト様と呼び合う仲にまでなっていた。
(宿っていたのが、大社に置かれていた神籬じゃったら、一瞬で移る事もできたんじゃが、ほら、神迎えに遅刻してしまったワレの依り代、カイトが肩にかけている、その、なんじゃったっけ? そう、その〈兎ォー兎ォ(トート)バック〉じゃろ。じゃから、そもそもの話、空間転移は無理な話なんじゃ。そういった分けで、独りじゃ移動できないワレを、佐太神社(さだじんじゃ)まで運ぶのじゃ、我が眷属よ)
「ハクト様、松江まで僕に運ばせるなら、ブーたれないでくださいよ。時間もお金もかかるんだから」
出雲市の出雲大社から、松江市の佐太神社までは約四十キロメートル、車ならば一時間程の距離なのだが、〈アシ〉がない海斗は、バスと電車を乗り継いで、およそ二時間かけて移動しなければならない。こういった次第で、十六時半に大社を後にした海斗は、十六時四十一分に「出雲大社駅」を出る「一畑電車大社線」に乗ったであった。
ところで、出雲大社を去った神々は、直ぐに、それぞれの管轄地に帰る分けではなく、まずは「佐太神社」に立ち寄る。
天地開闢の時に現れた五柱の神々は〈別天津神(ことあまつかみ)〉と呼ばれているのだが、その別天津神の次に現れた十二柱七代の神こそが〈神世七代(かみよななよ)〉である。ちなみに、その十二柱のうち、第一代目と第二代目の神は〈独神〉なのだが、第三代目から第七代目までは男女一対の神で、かくの如く、二代の独神と、男女五対の神々で七代となるので、〈神世七代〉と呼ばれている分けなのだ。
その第七代目の一対の神々こそが「伊邪那岐神(イザナギノミコト)」と「伊邪那岐命(イザナミノミコト)」で、この兄妹にして夫婦神こそが多くの神々を誕生せしめた。だから、いわば、イザナギとイザナミは八百萬の神々の祖ともいえる存在なのである。
イザナギとイザナミは、佐太神社の正殿に祀られているので、例年、神議り、という大仕事を終えると、神々は佐太神社に立ち寄り、いわば、先祖であるイザナギとイザナミの元を訪れるのだ。
そして、海斗は、二時間の移動の末にようやく、十八時半前に「佐太神社」に到着したのであった。
だが、この時刻、佐太神社には他の神々がいる気配がまるでなかった。
「ハクト様。なんか、今、ここにいるのって、ウチ等だけみたいなんですけど、他の神々はいったい何処に?」
(もうみんな、〈万九千(まんくせん)〉に移って、宴会を始めているよ、きっと)
出雲市の斐川町(ひかわちょう)に在る万九千神社は、佐太神社から約三十キロメートル程の距離なのだが、公共の交通機関を使った場合、約二時間もの時間を要する。
十八時半に佐田神社に着いたばかりの海斗であったが、十九時には神社を出て、「佐太神社前バス停」を十九時六分に出るバスに乗らないと、この日のうちに万九千神社にたどり着くことができない。
(今日中に、絶対にマンクセンに行くんじゃ、カイト)
半時間ほどの慌ただしい滞在になってしまったが、白兎神に急かされた海斗は、バスと電車を乗り継ぎ、さらに徒歩で移動すること半時間、なんとか、二十一時過ぎに、白兎神を目的の万九千神社に送り届ける事ができたのであった。
大社から場所を万九千神社に移し、神在月の十七日の宵から始められるのが「直会(なおらい)」という神の宴で、人間世界風に言えば〈打ち上げ〉だ。
白兎神の送迎役として、半強制的に神議りも参加していた海斗は、その縁結びの会議が、何ら問題が起こる事もなく、淡々と展開してゆく様子を具に見てきた。だから、怒号飛び交う人間世界の議会などとは違って、乱れる事ない神議りに参加している、超越者たる神々の精神は、なんと穏やかな事か、と感心していた。
そう感心していたのだが……。
「なんじゃ、こりゃっ!」
万九千神社に足を踏み入れた瞬間、海斗の視界に飛び込んできたのは、羽目を外した八百萬の神々による、未だかつて見た事のない乱痴気騒ぎの光景だったのだ。
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