第拾肆話 釣神等の諍い
(カイトよ、ついさっき、ひときわ大きな怒声がした方に身体を向けてくれんかの?)
神津海斗(こうづ・かいと)は、身に着けている白いロングTシャツに宿っている白兎神にそう命じられ、身体の向きを変えた。そして、上半身を捻りながら海斗は思った。
なんか、シャツに宿った白い兎が話しているこの状況って、シャツに黄色い蛙が貼り付いてしまった、八年くらい前にやっていたドラマみたいだな、と。
「ハクト様、あの辺りみたいですよ」
海斗が身体の前面を向けたその方向には、人垣、もとい〈神垣〉が出来ており、その神垣の隙間から、怒声を上げた神々の姿が垣間見えていた。
(おっ、なるほど、あそこに屯って、神垣を作っておるのは〈釣神〉等じゃな)
「『つりがみ』?」
(神社を参拝しに来た信徒に、釣りに纏わる加護を与える神々の事じゃ)
「釣りにも御利益なんてものがあるのですね」
(そりゃ、あるよ。道具の有無や、技術や知識の高さも、魚を釣る上での重要な要素なのじゃが、釣りには、人の力が及ばない〈運〉の要素も大切じゃからな)
「たしかに、どんな釣りの名人でも、一匹も釣れない、そんな〈坊主〉の時もあるって言いますしね」
(じゃから、大漁祈願をしに、数多の釣り人や漁師が、釣神が鎮座し、釣りや漁業の御利益がある神社にやって来て、御守をもらってゆくんじゃよ。それにな、海や川では水難は付き物じゃし、先が尖った鋭い針で怪我をする事もあるから、釣神は〈釣行安全〉の加護を与えたりもするんじゃ)
「なるほど、です」
(どれどれ、騒ぎの中心におるのは、いったい誰じゃろ? 神垣でよう見えんから、カイトよ、ちょっと跳んでみてくれんかの?)
海斗は、跳躍を繰り返した。
(よし、見えたぞ。なんと、揉め事の中心は、畿内の〈貴船〉と〈住吉〉か……。えらいこっちゃ、両社とも、各派閥の長じゃし。こりゃ大事になるかもしれんな……)
京都の鞍馬、貴船川沿いに鎮座する「貴船(きふね)神社」の主祭神は、〈高龗神(タカオカミノカミ)〉である。〈龗(オカミ)〉とは、龍の古い呼び名であり、この貴船の龍は雨や水を司る水神で、日照りの時の雨乞い、すなわち、〈祈雨(きう)〉だけではなく、水に関連した様々な事柄にも携わっており、そのため、船乗り達から厚く信仰され、もちろん、釣りもその一部門である。
そして、貴船神社は、日本全国で二千を数える〈水神社(すいじんじゃ)〉の総本宮でもあった。
ちなみに、貴船神社は、〈近代社格制度〉、すなわち、旧社格においては、〈官幣中社〉に格付けされていた。
もう一方の、大阪府大阪市に鎮座しているのが「住吉大社(すみよしたいしゃ)」で、その祭神は、海の神である〈住吉三神(すみよしさんじん)〉、すなわち、〈底筒之男神(ソコツツノオノミコト)〉、〈中筒之男神(ナカツツノオノミコト)〉、〈上筒之男神(カミツツノオノミコト)〉で、これら海の三神は〈筒男三神〉とも呼ばれている。
海の神である住吉三神は、住吉津や難波津を護る港の神で、航海を守護する神でもある。
住吉神社は日本全国に約六〇〇社あるのだが、そのうち、〈三大住吉〉と呼ばれているのが、福岡と山口、そして大阪の住吉で、大阪の住吉大社こそが住吉神社の総本山なのだ。
さらに、大阪の住吉大社は、摂津国の〈一宮〉でもあり、また、旧社制度においては〈官幣大社〉で、すなわち、摂津国で最も格式の高い神社でもあった。
その住吉大社の上筒之男神が、貴船神社の神にこう言い放っていた。
「貴船んとこと、うちとこじゃ、格が違うんじゃ、ボケ。なあ、ソコツツ」
「ほうじゃ。キサンとこも〈二十二社〉に入っとって、畿内では、それなりの格を誇っとるみたいやけど、うちは序列・第十五位の〈中七社〉、貴船んとこは序列最下位の〈下八社〉、数字は力じゃ。のう、ナカツツ」
「しかも、うちとこは、摂津国の〈一宮〉にして〈官大〉やけど、キサンとこは、数無しで〈官中〉、この住吉の相手にはならん。そうじゃろ、皆の衆」
「「「「そうじゃ、そうじゃ、ガハハハッ」」」」
住吉系の神社に祀られている神等は、派閥の首領である住吉大社の〈筒男三神〉に同調するような笑い声をあげていた。
貴船神社のオカミは、扇子を仰ぎながら、そうした発言を受け流すかのように、こう応じた。
「たとえ、〈一宮〉だとか〈官大〉って言わはりましても、住吉はんとこは、配下、六〇〇社、要するに、三桁でっしゃろ。水神社の数は二〇〇〇、桁が違っとります。『数は力』なんでしょ? ナカツツはん」
「うぐぐ、そもそも、キサンとこは〈川〉やろ、うちとこは〈海〉なんじゃ。川よりも海を縄張りにしている方が上に決まっとるわ」
「オホホホ、海は広いな大きいなですか? はぁ~、数の次は広さ、住吉はんは、そういう数とか規模でしか、自社を誇れないんですか? そもそも論点がズレとります。今、議題に上がっているのは、釣りの加護の強さは、どっちの社が上かって話でしょ?」
「なんじゃとぉぉぉ~~~。じゃ、言うたるわ。最近、きさんとこで出した、小魚ん形の〈ルアー守〉ってなんじゃ、こじつけも甚だしいわ。そもそも、きさん、釣りに、大して興味など無いくせに、水に関わっとるっつうだけで、釣りにまで出張ってくんなや」
「「「そうじゃ、ぼけぇぇぇ~~~」」」
この言を契機に、六〇〇柱の住吉系の神々と、二〇〇〇柱の水神系の神々が掴み合いの喧嘩を始め、水神の中には、魚、蛇、蛙、河童、有角の竜である蛟(みずち)などに変化している神さえいた。
「あわわ、あわわ、これじゃ、住吉と水神の抗争にまで発展しちまうぞ。ここだけの話で収まりそうな気配がないわ」
この時、こんな意見を言う神がいた。
「揉めてるのは釣神等だし……。おい、誰か、コトシロヌシ様を呼んで来いっ!」
「ハクト様、今、聞こえてきたんですけれど、どうして、事代主神ならば、この揉め事を収集できるのですか?」
(それは、コトシロヌシ様の発言力は絶大だからじゃ。それに……)
事代主神(コトシロヌシノカミ)とは、大国主神と神屋楯比売命(カムヤタテヒメノミコト)の子で、かの〈国譲り〉の際には、大国主神が「事代主神が先頭に立てば、私の一八〇人の子供たちも事代主神に従って、天津神に背かないだろう」と述べた程、大国主大神の信頼厚き神なのだ。
「『それに』?)
(コトシロ様は、、釣りや漁業に携わる釣神等の長でいらっしゃられるしな)
「あっ、そうかっ! 事代主神って、〈えびす〉様の事じゃん」
この瞬間、海斗が脳裏に思い浮かべたのは、右手に釣り竿、左脇に鯛を抱えている〈えびす像〉であった。
「ハクト様、それじゃ、そもそも、一体どうして、その釣神の〈ドン〉であるえびす様が、この神宴の場におられないのですか?」
(それは……)
その時、とある一柱の神の絶叫が、白兎神の声を遮った。
「あかぁぁぁ~~~ん。コトシロヌシ様は、そもそも〈留守神〉じゃったぁぁぁ~~~。出雲にはおられへぇぇぇ~~~ん」
神在月に、八百萬の神々の全てが出雲に集う分けではなく、出雲で催される〈神議り〉と〈直会〉に参加しない神々も中にはいて、そういった神々は〈留守神〉と呼ばれている。出雲に赴かない理由は〈神それぞれ〉なのだが、事代主神の場合、その絶大な力によって、神々が不在になった出雲以外の地の留守を護っているのだ。とまれかくまれ、えびすこと事代主大神は、神在月の出雲にはいないのだ。
「やばいよ、やばいよ」
「どうする、どうする」
「もはや抗争だよ」
「仁義なき戦い、待ったなしだよ」
神等が騒めき出していた。
「誰か、出雲大社まで〈ダイちゃん〉を呼びに行ってきてよ」
そんな声が下の方から聞こえてきた。
「えっ! 今、どこから声が?」
(カイト、床の方からじゃ)
そこには、掌に乗る程の大きさの小さな神がいた。
「ハクト様、あの御方は?」
(あそこにおわす御方こそがスクナ様じゃよ)
その小さき神、〈少名毘古那神(スクナビコナノカミ)〉といえば、かつて、〈大穴牟遅神(オオアナムジノカミ)〉と名乗っていた大国主神と〈義兄弟〉の契りを交わし、大穴牟遅神の〈国造り〉に協力し、多くの山や丘を創造した造物神である。
「スクナ様、それでは、ワタクシめが」
一柱の神がそう申し出て、万九千神社の神籬(ひもろぎ)に向かい、そこに手を当てた。
「駄目だ。移動できひん」
「そこの神籬、今は使えんぞ。出雲から佐太、そして、佐太から万九千まで、我等、八百萬神を移動させた結果、神籬からは既に神の力が失われておるんだ」
「ありえぇぇぇ~~~ん!」
「次に使えるのは、神力が溜まる来年の神在月の頃だ」
「あかん、もう万策尽きたぁぁぁ~~~」
「ちょっと待てよ。神籬を使わなくても、大社まで行ける神が一柱おるではないか」
この言の直後、八百萬の神々の視線が、一斉に海斗の方に向けられた。
「「「「ハクトがおったぁぁぁ~~~~!!!」」」」
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