第拾参話 神々の〈山取〉、例えば、出雲と熊野の場合
島根県の松江市の中心街から南に約十五キロメートル、意宇川(いうがわ)の上流、松江市八雲町に鎮座しているのが「熊野大社」で、その主祭神は〈櫛御気野命(クシミケヌノミコト)〉である。
熊野大社には、「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」という別称もあり、それは、この大社が〈火〉の発祥の神社とされているからで、それゆえに、毎年、新暦の〈十月十五日〉に「鑽火祭(さんかさい)」という祭が催されている。
鑽火祭は、〈火〉を鑽(き)り出す時に使う〈火鑽臼 (ひきりうす)〉 と〈火鑚杵 (ひきりぎね)〉 を、始まりの火の社である熊野大社が出雲大社に送り出す祭で、出雲大社は、熊野大社から送られた火鑽臼と火鑚杵を使って、毎年、新暦の〈十一月二十三日〉に催される「古伝新嘗祭 (こでんしんじょうさい)」に使う火を起こすのである。
この鑽火祭の際に、出雲大社の長である〈国造(くにのみやつこ)〉自身が、火を起こすための臼と杵を受け取りに行くのだが、その際、出雲大社側は、手土産として、大きな長方形の餅を熊野大社に持参する。
この時、国造の対応をするのが、熊野大社の下級神職である〈亀太夫〉なのだ。
現代においてこそ、出雲市内に鎮座する出雲大社も、隣の松江市に鎮座する熊野大社も、両者とも、令制国において最も社格の高い「出雲国一宮(いちのみや)になっているのだが、資料によると、たしかに、平安時代初期までは、熊野大社は一宮であったものの、一宮は令制国において原則一社、とされていた時期、出雲国の一宮は〈出雲大社〉になってしまったそうだ。
明治維新の後の〈近代社格制度〉においても、出雲大社が〈官幣大社(かんぺいたいしゃ)〉、いわゆる〈官大〉とされたのに対して、熊野大社は〈国幣大社(こくへいたいしゃ)〉、〈国大〉とされたのだが、つまるところ、官大は国大よりも社格が上なのだ。
ただでさえ、鎮座地が隣接しているが故に、両社の競争心や敵愾心は加熱し易い地理的状況下にある、というのに、かつては同じ一宮であったにもかかわらず、いつしか、出雲大社の方が格上とされては、熊野大社が不満を抱かない道理はない。
その如実な表われこそが、まさに、「鑽火祭」における熊野大社側の対応なのではなかろうか。
出雲大社の長である国造が直接やって来たのならば、熊野大社側も、それ相応の地位にある神職が応じてしかるべきであろうに、そうはせずに、下級神職である〈亀太夫〉が対応している、という事は、熊野大社側が、ここぞとばかりに、出雲大社に対して〈山〉を取りにきているのは明らかであろう。
しかも、これだけではない。
出雲大社の国造が持参した土産である餅について、熊野大社の下級神職である亀太夫が、あれこれ難癖をつけるのだ。
例えば、餅が去年の物よりも小さい、とか、餅の色が黒いとか、それ以外にも、様々な悪態までついてくるらしい。
やがて、熊野側は餅を受け取り、出雲側は、ようやく、古伝新嘗祭で使う火を起こすための、臼と杵を受け取る事ができる、というのが、毎年繰り返されている、鑽火祭の流れなのである。
鑽火祭において、熊野大社の〈山取〉の鍵となるのは、罵詈雑言を国造に言い放つ下級神職の亀太夫なので、この祭は「亀太夫神事」とも呼ばれているそうだ。
「毎年、そんな風に、熊野に〈マウント〉を取られ放しで、嫌な思いをするのならば、熊野から火を起こす道具をもらわなくても、別に構わなくないですか? ハクト様っ!」
亀太夫神事のあらましを、白兎神から語り聞かされた海斗は、下手に出ている出雲大社に対する、あまりもな酷い仕打ちに憤ってしまった。
(まあ、そうゆう分けにもいかん事情もあるんじゃよ。社格の問題は、いったん棚上げにするとしても、そもそもの話、熊野大社の御祭神であらされるクシミケヌノミコトは、〈建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)〉様の別の神名で、スサノオ様は、ダイコク様の祖神な分けじゃから、出雲としても、熊野に無礼は働けんのじゃ)
「でも、礼を失しているのは、明らかに熊野じゃないですかっ! 百歩譲って、無礼な熊野に無礼を返すのは堪える、としても、他の神社から火を起こす道具を借りるとか、自分とこで火を起こして、十一月二十三日の祭をやれば、それでよくなくないですか?」
(文脈さえ括弧に入れれば、カイトの意見ももっともなのじゃが、ここで重要なのは、出雲大社の国造にとって、〈古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)〉は、極めて大切な儀式で、だから、たとえ、恥をかかされ、身分が低い者から悪態を吐かれ、口惜しさを噛みしめる事になったとしても、熊野から、火鑽の臼と杵を用意してもらわなくてはならんのじゃ)
「だから、他の所から借りればって提案なのですが……」
(ただ単に、古くから伝わる〈古式〉に則って火を起こせばよい、という話ならば、熊野の火以外でも代用できる可能性もあろうが、火の発祥に関わる〈日本火出初之社〉が用意した道具で起こした火は、ただの火ではないんじゃ)
十一月二十三日の午後七時頃、出雲大社の拝殿で斎行される〈古伝新嘗祭〉は、その名称に「古伝」とあるように、古き伝統に則り遂行されてゆく。
まず、この祭の供物はすべて、〈神水〉と、熊野の火鑽臼と火鑽杵で起こした〈神火〉で調理される。
「そっか、日本火出初之社の道具で発火させないと神聖な火にはならないんだ」
(つまり、そうゆう事じゃな)
やがて、「オジャレマウ(お出でませ)」の声が発せられると出雲国造が参進し、その年に取れた新穀玄米を材料とし、神火で調理された〈強飯(おこわ)〉と〈醴酒(ひとよざけ)〉が海獣の皮の上に置かれる。
「ハクト様、『ひとよ酒』って何ですか?」
(そうじゃな。米粥に米麹を混ぜ合わせ、一晩おいて作る甘酒じゃ)
「あっ、なるほどっ! それで〈一夜(ひとよ)〉酒か」
その強飯と醴酒を天地四方の神々に供した後、国造自らもその供物を食す。これが「相嘗(あいにえ)の儀」である。
それから、国造は、その両手に榊の小枝を捧げ持って、神歌に合わせて、「百番の舞」という神舞を舞うのだ。
(この〈相嘗(あいにえ)の儀〉と〈神舞〉によって、出雲大社の国造の内なる神通力が昂まる事になるんじゃよ)
白兎神によると、冬が到来する頃になると、国造の神通力は減退してしまっているらしい。だからこそ、自らの内なる神の力を蘇らせるために、古伝新嘗祭による儀式は、国造にとって必要不可欠で、古伝新嘗祭における〈相嘗の儀〉の供物は神火で調理せねばならず、神火を起こすには、熊野大社が準備する、火鑽臼と火鑽杵が必要なので、土産として持参した餅について、理不尽な難癖をつけられたとしても、出雲は恥辱に耐えねばならない、との事であった。
(カイトよ。今、ワレが例として挙げた鑽火祭の事例からも分かるように、この日本(ひのもと)で最も高き社格を誇る、出雲国の二つの大社でさえ、ちょっとした事で、どっちが上でどっちが下か張り合って、隙あらば、〈山取〉をするものなんじゃ。いわんや、出雲大社や熊野大社よりも社格が低い社に鎮座する神々が〈山取〉し合っているのももっともじゃろ?)
「たしかに。そして、ハクト様、〈亀大夫神事〉の話を聞いて、餅で揉めるのが〈神様あるある〉って事も納得できました」
(そうじゃろ)
そして、神在月二十六日――
大中小さまざまな、色々な理由から生じた揉め事が連日起こり続けた直会も最終日を迎えていた。
この日の最後の饗宴で、あとはお開きを待つばかりの海斗と白兎神が談笑していた時、強烈なる怒声が、海斗の耳穴を通し、その脳内に響き渡ってきたのであった。
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