第伍話 神津海斗の卒論、その「序」神在月の神事

 サンライズ出雲が岡山駅を出発した後で、神津海斗は、列車が出雲市駅に到着するまでの間、少しでも眠っておこう、と思ったのだが、その前に、徹夜して書いた卒論の「序論」を読み直しておく事にした。


               ※


 旧暦の神無月の一日は、令和五年においては新暦の十一月十三日に当たっている。

 ここで違和感を覚えるのは、学校教育において、十月が〈神無月〉である、と教えられてきたからだ。たしかに、旧暦第十番目の月は「神無月」と呼ばれてはいるものの、しかし実は、必ずしも新暦の十月が神無月に対応してはいないのだ。

 ここで、「六曜・月齢・旧暦カレンダー」というサイトを利用して、令和における、神無月に関する旧暦と新暦の対応関係を確認してみたい。


  元号   (西暦) :朔日    ・晦日

  令和元年(二〇一九):十月二十八日・十一月二十六日

  令和二年(二〇二〇):十一月十五日・十二月十四日

  令和三年(二〇二一):十一月五日 ・十二月三日

  令和四年(二〇二二):十月二十五日・十一月二十三日

  令和五年(二〇二三):十一月十三日・十二月十二日


 たとえ、旧暦の神無月と新暦の十月が重なる事があるとしても、多くの場合、神無月は、新暦の十一月から十二月にかけての二十九日間(年によっては三十日間)であって、その新暦と旧暦との間には約一か月から一か月半の開きがあり、二つの暦の対応関係は毎年移り変わってゆく事が、この表によって分かる。

 

 ここで改めて確認したいのは、旧暦第十番目の月は、出雲では〈神在(有)月〉と呼ばれている点で、これは、日本全国の神々が出雲に集うが故の呼称であって、だからこそ、神々が留守にする出雲以外のその他の地では〈神無月〉となっているのだ。

 もっとも、〈神無月〉の名はその他の由来もあるのだが、いずれにせよ、神々が集う〈神在月〉の出雲では、一連の神事が、旧暦の決まった日に斎行され、それは次のような流れになっている。


    十日:神迎神事・神迎祭

   十一日:神在祭

   十五日:神在祭・縁結大祭

   十七日:神在祭・縁結大祭・第一神等去出祭 

  二十六日:第二神等去出祭

 

 ここで、『出雲大社』のホームページにアクセスし、その中にある「出雲大社祭日表」というサイトを参照してみよう。

 神在月十日の「神迎神事」と「神迎祭(かみむかえさい)」は、新暦の令和五年十一月二十二日に斎行される。

 翌、神無月十一日に行われる最初の「神在祭(かみありさい)」は、新暦の十一月二十三日の午前十時から催される。ちなみに、出雲大社の神在祭は、毎年、三度行われるのだが、旧暦十五日の第二回目は十一月二十七日に、そして最後の「神在祭」は神在月十七日 すなわち、令和五年は、十一月二十九日の午前十時に催される。

 さらに、同じ神在月十七日の午後四時から、第一回目の「神等去出祭(からさでさい)」が行われる。

 以上が、出雲大社で斎行される神事の大まかな流れである。


 さらに、それぞれの神事についてもう少し詳しく見てみたい。

 神無月十日(十一月二十二日)夜の「神迎神事」は、全国の八百萬(やおよろず)の神々を出雲大社に御迎えする神事で、出雲大社の西、約一キロメートルほど離れた所に位置している稲佐の浜で斎行される。

 まず、稲佐の浜に「御神火(ごじんか)」が焚かれ、「注連縄(しめなわ)」が張り巡らされた斎場内に、二本の「神籬(ひもろぎ)」が配置される。ちなみに「神籬」とは、神社や神棚以外の場所で臨時に神を迎えるための依り代である。

 それから、神々の先導役として「龍蛇神(りゅうじゃじん)」が、「神籬」の傍で、海に向かって配され、しかる後に「神迎の神事」が斎行される。


 稲佐の浜での神事の所要時間は約二十分から三十分らしいが、このわずかな時間に、八百万とまでは言わないまでも、数万の神々を出迎えるとは、実に驚きである。

 もしかしたら、我々が生きるこの世界と、出雲の神々が御座す、不可視の世界たる〈幽世(かくりよ)〉とでは、時間の流れが異なっているのかもしれない。


 とまれかくまれ、神の依り代たる「神籬」は、絹で出来た帳である「絹垣」で覆われ、かの「龍蛇神」が先導役となり、参拝者の行列は「神迎の道」を通って、稲佐の浜から出雲大社に向かうのだ。

 その後、一行が大社に到着すると、その神楽殿にて「神迎祭」が行われる。

 この祭が終わると、出雲大社に迎え入れられた神々は、出雲大社御本殿の両側に配されている長屋造りのお社に迎え入れられる。これが「十九社(じゅうくしゃ)」で、神在月の期間中、神々は、この社に宿泊するのだ。

 一見して、この「十九社」は、八百万もの神々を泊めるだけの広さがないのは明らかなのだが、もしかしたら、幽世では、空間の概念も、現実世界とは異なっているのかもしれない。


 そして、「神迎神事」と「神迎祭」の翌日、神無月十一日(令和五年十一月二十三日)の朝から十七日(二十九日)の夜までの間、出雲大社では「縁結大祭」「十九社祭」「上宮祭」といった様々な祭典が催されるのだが、翻ってみてみると、数多の神々が出雲大社に滞在するのは、僅か七日の間なのだ。


 そして、この七日のという短い間に、全国から集った神々によって為されるのが「神議り(かむはかり)」である。

 これは、文字通りに、〈神〉々の会〈議〉で、ここで話し合われるのが、〈かみごと(神事あるいは幽事)〉で、その〈幽事〉とは、前もって人が知る事が出来ない、人の生における諸々の事柄で、「神議り」において俎上に載せられる主たる議題が、来年の収穫や〈縁結び〉である。この場合の縁結びとは、男女の縁に留まらず、人と人との縁や、人と物、あるいは、物と物との〈縁〉さえも含むらしい。

 そして、この神々の会議が行われるのは、実は、出雲大社の境内ではなく、大社の西、九五〇メートルの所に位置する、出雲大社の摂末社たる「かみのみや(上宮あるいは仮宮)」なのだ。

 つまり、神々は、出雲大社滞在中の七日間、毎日、その御宿社である「十九社」から、話し合いのために、会議場である「上宮」に通われるのだ。


 やがて、神々の出雲大社宿泊の最終日である神在月十七日(令和五年十一月二十九日)の夕方四時から行われる「神等去出祭(からさでさい)」は、東西の「十九社」に在った「神籬」が絹垣によって囲われ、拝殿に移されると、その祭壇に、二本の「神籬」、「龍蛇」、そして「餅」が供されて、祝詞が奏上される。その後、扉を三度叩きながら「お立ぁちぃ~、お立ぁちぃ~」と唱えられると、まさにこの瞬間に、神々は「神籬」を離れて、〈出雲大社〉を御立ちになる次第なのだ。


 ここで注意したいのは、この「神等去出祭」の日に、神々が即座に国許に帰るのではない、という点である。

 実は、〈出雲大社〉を離れた八百萬の神々は、場所を、斐川町(ひかわちょう)の「万九千(まんくせん)神社」に移し、ここで行われるのが「直会(なおらい)」である。「直会」とは、いわば、神々の宴会で、こう言ってよければ、会議の後の打ち上げなのだ。

 つまるところ、神々が〈出雲〉という地それ自体を去って国許に戻るのは、この神宴たる「直会」の後になる。

 そういった分けで……、出雲大社では…………、神在月の二十六日に、第二の〈神等去出祭〉が行われる。これは………………、本殿の前で神官が一人で行う小さい祭なのだが………………、この儀式において、出雲大社の主祭神である〈大国主大神〉に、神々が出雲を去った事の報告が為され……………………zzzzzzzzzz。


               ※


 海斗は、ここまで卒業論文を読み直したところで、急激なる眠気に襲われ、まるでブレーカが落ちるかのように、突如、寝落ちしてしまったのであった。



 

 

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