第参話 「出雲」の為の〈十時打ち〉

 日本における従来の寝台特急の車体は、「ブルートレイン」という名称が示しているように、濃い〈青〉で、この色は〈夜〉を彷彿させるものであった。

 これに対して、一九九八年七月十日から運行されている「二八五系寝台」、すなわち、日の出を意味する「サンライズ号」は〈朝〉をイメージした、ベージュと赤色という外観になっている。

 そして、その車内は、JRが住宅メーカーと共同で設計し、乗客に〈木の温もり〉を感じさせるような色調で包まれている。


 寝台列車であるサンライズ号における、「瀬戸」の五号車と「出雲」の十二号車は、「ノビノビ座席」という名称のエリアになっていて、それぞれ、二十八座席ずつ用意されている。

 このノビノビ座席は、「座席」という名ではあるものの、足を伸ばして横になれるので、イメージでいうと、ネットカフェのフラットシートに近い。ちなみに、毛布も用意されている。ただし、隣の座席との間に、横の仕切りは無く、プライバシーはほとんどない。だが、頭の部分だけには、仕切り壁と読書灯が備えられており、たしかに、頭部のみとはいえども、この頭部の仕切りが、乗客のパーソナル・スペースを確保してくれているように思われる。

 それより何より着目すべきはコスパの点で、必要なのは、運賃と指定席特急料金だけで、寝台料金は不要なのだ。


 二〇二三年十一月現在、東京〜出雲間の乗車券は〈一二二一〇〉円なのだが、大学生は〈学割〉を使う事ができるので、求めれば、二割引きの〈九七六〇〉円で乗車できる。ただし、これは、いわゆる「通常期」の料金であって、サンライズの運賃は、時期によって変動するので、例えば、「閑散期」が通常期からマイナス二〇〇円、「繁忙期」がプラス二〇〇円、「超繁忙期」がプラス四〇〇円といった具合に変わる。

 ちなみに、海斗が乗る東京発出雲行きの十一月二十二日水曜日の列車は、祝日の前日出発ゆえに「繁忙期」に当たり、帰りの二十九日の列車は普通の木曜日なので、「通常期」に分類されており、結果、学割を使った場合、繁忙期の行きが〈九九六〇円〉、帰りが通常期で〈九七六〇〉円、合計〈一九七二〇〉円となる。


 実は、交通費をさらに安く済ませる方法もある。

 JRでは、片道六〇〇キロメートルを越えた地を往復する場合、一〇パーセントの割引が適用され、当然、約九五〇キロの東京〜出雲市間は往復割引が適用される。ただし、往復割引には有効期間があって、東京〜出雲の場合、それは十二日間である。

 海斗の出雲独り旅は八泊九日の予定なので、学割に加え、この往復割引の恩恵にも預かれる次第なのである。


 割引の計算方法は、通常運賃を往復割引した後、学割を適応する。

 すなわち、東京〜出雲往復運賃〈二四四二〇〉の一割引が〈二一九七八〉、ここからさらに、二割の学割で〈一七五八二〉となるが、十円未満は切り捨てなので、運賃は〈一七五八〇〉円となる。

 新暦の十一月末に東京〜出雲を往復する海斗の場合、行きの繁忙期の料金、〈二〇〇〉円がここに加算され、結果、〈一七七八〇〉円となるのだが、これは、何の割引も受けずに往復した場合に比べて、〈六八四〇〉円も安くなる計算だ。

 ただし、割引は、特急料金や指定席料金、そして寝台料金には適応されない。

 東京〜出雲の特急料金は往復六六〇〇円なので、運賃プラス特急券で〈二四三八〇〉円、これが、学生がサンライズ出雲の往復に要する最低必要経費となる。


 ここにさらに、寝台のランクに応じた料金が加算されてゆく。

 すでにみた、最も廉価な「ノビノビ座席」は、指定席料金のみの片道〈五三〇〉円、「B寝台 ソロ」が〈六六〇〇〉円、「B寝台 シングル」が〈七七〇〇〉円、最も高い「A寝台 シングルデラックス」が〈一三九八〇〉円で、これは、なんと、B寝台の約二倍の料金である。

 

 海斗は、出雲から東京の戻りは「ノビノビ座席」にして、学生らしいコスパ重視の旅をする事にしているのだが、行きに関しては、贅沢をして「A寝台」を予約しよう、と考えていた。


 この「A寝台」は、「瀬戸」と「出雲」、それぞれに六室ずつしかないため、高額にもかかわらず、予約難易度はかなり高い。


 サンライズ号の予約は、一か月前の午前十時から可能で、例えば、十一月二十二日に乗車するのならば、十月二十二日に予約といった具合で、JRの「みどりの窓口」でも、ネットでも予約できるのだが、海斗は、ネットではなく、みどりの窓口で予約すべく、十月二十二日の日曜日の早朝に国分寺駅に赴いたのであった。


 実は、JRの指定席予約には、〈十時打ち〉という裏技があって、これは、あらかじめ、希望列車の申し込み用紙を記入しておいて、それを、窓口で駅員に渡し、十時ちょうどに、端末の発券ボタンを押してもらう、というものである。

 海斗は、この〈十時打ち〉を用いて、サンライズ号の下り列車のA寝台を確保せんと欲したのである。


 国分寺駅のみどりの窓口にはレーンが三つあって、そのうちの一つは、「1ヶ月先の指定席をお求めのお客さま」用の、こう言ってよければ、〈十時打ち〉専用のレーンになっている。

 海斗は、この国分寺駅の〈最前〉に並ぶべく、前日、十月二十一日の土曜日に三鷹に住む大学の友人宅に泊めてもらい、中央線の始発列車に乗り、四時四十九分に国分寺駅に到着すると、七時のみどりの窓口のオープンを待ったのであった。


 そして、ここからさらに、屋内で椅子に座って待つこと三時間、計約五時間の待機の末に、ようやく、レアチケ確保にチャレンジできる権利が得られる。

 翻ってみると、これだけの時間と労力を要しても、サンライズ出雲・東京発の列車のA寝台の予約が取れるかどうかの保証はどこにもない。


 海斗は、A寝台に乗って初めての出雲に向かう事にロマンを覚えていたのだが、重要なのは、神在祭の時期に出雲に行く事それ自体だったので、A寝台が駄目ならばB寝台でも、それでも駄目ならばノビノビ座席でも、それでも駄目なら、高速バスなど他の交通手段でも構わない、と思っていた。


 そして結果は——

 神がかった幸運が舞い込んできたのであろうか、激レアチケットである祝日の前日便、十一月二十二日・二十一時五〇分・東京発、サンライズ出雲・A寝台の予約に成功した神津海斗は、東京駅の九番線ホームで出発のベルを待つばかりのサンライズ号に乗車し、自分に当てがわれた個室のドアを開けたのであった。

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