第弐話 深夜特急

 十一月二十二日、水曜日の担当科目を全て教え終えた神津海斗(こうづ・かいと)は、二十一時過ぎに、アルバイト先である受験塾を後にし、東京メトロの門前仲町駅から、中野方面行きの東西線に乗り込んだ。


 海斗が住んでいるアパートが位置しているのは、東西線沿線上の神楽坂駅近くである。

 その神楽坂の下宿先から、アルバイト先である門前仲町の塾までは、ドア・トゥー・ドアで二十五分、そしてさらに、通っている大学もまた、神楽坂から徒歩で二十五分という距離なので、神楽坂という立地は、海斗にとっては非常に利便性の高いものであった。


 だがしかし、この日の海斗は、アパートが在る神楽坂には向かわずに、門前仲町駅から三つ目の大手町駅で下車すると、そのまま、地下通路を通って、JRの東京駅まで徒歩で移動した後に、丸の内地下北口改札を抜けて、九・十番線のホームに向かったのであった。


 海斗が、東海道線下り方面行きの九・十番線のホームに至ったのは二十一時二十五分頃、その時刻はまさに、ベージュ地に赤色というカラーリングが特徴的な列車が、JR東京駅の九番線に入線してきたタイミングであった。

 その列車こそが、寝台特急「サンライズ号」で、この寝台特急の姿を写真に収めんとして、九番線のホーム上には、何人もの〈撮り鉄〉達が、バズーカ砲のようなカメラを構えて、熱心にシャッターを切り続けていた。


 すでに自分の撮影場所を確保している撮り鉄達の邪魔にならないような位置を見つけ出した海斗は、先頭車両の前方から、サンライズ号の〈顔〉の写真を何枚も自分のカメラに収めたのであった。

 サンライズ号のベージュと赤という色の組み合わせは、「サンライズ」という名に相応しく、夜を徹して走り続けた列車がやがて迎える日の出頃をイメージしたものであるらしい。

 海斗は、時間の許す限り、そのスタイリッシュな車体を撮り捲ると、ある種の満足感を覚えた。それから、撮影中に地面に置いていた大きなディバッグを背負いなおして、九番線に停車している、サンライズ号の車両に沿って、ホームを歩き出したのであった。


 東海道・山陽線を夜間走行したサンライズ号は、岡山で切り離され、前方の七両、一号車から七号車までが「サンライズ瀬戸」として、瀬戸大橋を渡って高松に向かい、そして、後方の七両である、八号車から十四号車までが「サンライズ出雲」として、島根県の出雲に向かうのだが、九番線のホームを歩いていた海斗は、やがて、後方のサンライズ出雲の車両にまで至った。


「えっと……、俺の車両は……、ここだっ!」

 海斗は、目的の車両を見付けると、九番線に停車していたサンライズ出雲の十一号車に乗り込んだのであった。


 実は、海斗は、この日十一月二十二日の水曜日から、車中泊も含めて八泊九日の予定で出雲への独り旅を計画しており、その往復に、寝台特急であるサンライズ出雲を利用する事にしたのである。

 もちろん、東京から、出雲がある島根県には、飛行機や、あるいは、夜行バスでの移動も可能なのだが、海斗は、〈敢えて〉夜行列車で出雲に向かう事にこそ〈ロマン〉を覚えていた。

 それは、サンライズ号こそが、現在、日本において運行している唯一の寝台特急だからで、〈乗り鉄〉でもある海斗は、いつかサンライズに乗って出雲に行ってみたい、と以前から夢見てきたのである。

 来春に就職を控えている大学四年生の海斗が、一週間以上もの時間を取って、〈神在月〉の出雲への独り旅が可能なのは、モラトリアムの最後の年である今だけだ。

 こういった分けで、門前仲町の受験塾の塾長や同僚に無理を言って塾を休み、さらには、大学の講義も自主休講する事にして、海斗は、サンライズ出雲に乗り込んだ次第なのである。


 サンライズ号は、東京駅を二十一時五十分に出発すると、六時半頃に岡山で切り離され、九時五十八分に出雲市に到着する。同様に、出雲市を十八時五十五分に出発すれば、朝の七時八分に東京に到着できる予定になっている。

 かくの如く、その移動時間は約半日にも及んでしまうのだが、夜、眠っている間に出雲にまで移動できるのは大いなる利点だし、帰りも早朝には東京に戻れるので、一時限目の講義にも遅れずに出席できる。

 

 今回の深夜特急を利用した出雲への移動において、海斗は、アルバイト代をかなりつぎこんで、四号車と十一号車の二階のみに配されている「A寝台1人用個室(シングルデラックス)」を予約していた。

 たしかに、サンライズ号には、より安い一人用の「B寝台」や、廉価な「ノビノビ座席」もあるのだが、「A寝台」には、椅子と大型の机が備え付けられていて、ノートパソコンで作業する為の十分な広さがある。

 海斗は、出雲に向かう深夜特急の車内で、〈日本神話〉をテーマとした卒業論文の執筆をする事に意義を見出していた。

 そして実は、この二十二日の塾の授業で、海斗が生徒達に語った神無月と神在月の話は、ちょうどまさに卒論のために読んでいた、出雲大社に関する幾つかの資料が情報源になっていたのである。

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