第拾陸話 大国主大神の到着

 そもそも、人の世界の〈顕世(うつしよ)〉と、神の世界の〈幽世(かくりよ)〉とでは空間の概念そのものが異なる。


 万九千神社の拝殿後の〈玉垣〉内に、高さ三メートルほどの〈磐座(いわくら)〉が在るのだが、人の目から見た場合、その磐座内に八百万もの神々が収まるのは不可能だ、と現実的な判断を下すに違いない。だが、それは、あくまでも、顕世における大きさの話である。

 最初の神等去出の日、神々は、出雲大社から、佐太神社を経由し、万九千神社に移動する際に、人のように顕世の道を通らず、〈神籬(ひもろぎ)〉を媒介として、いわば、空間を転移する。

 さらに、幽世における磐座内は、八百萬柱の神々が集うに足る無限の広さを有してさえいるのだ。


 この年、令和五年において、万九千神社の玉垣を乗り越えて、顕世の磐座を通って、幽世の神宴の場に、物理的に出入りしたのは、人である眷属を神輿代わりにした白兎神と、神力の枯渇ゆえに出雲大社の神籬が使えなかった、大国主大神の二柱だけであった。


「どうやら到着したみたいだな。思ったよりも早かった。ハクト、頑張ったみたいだな。感心、感心」

 万九千神社の祭神である少名毘古那神(スクナビコナノカミ)は、磐座を通って、顕世から、幽世の直会の場に入ってこようとする神の気配を感じ取るや、こう声をあげた。

「オジャレモォ(お出でませ)!」

 少名毘古那神から発されたこの声は、その小さき御身体から出されたとは信じられない程の声量で、無限の広がりを持つ神宴の会場全体に響き渡ったため、その場にいた、八百萬の神々の視線は、一斉に会場の出入り口の方に注がれた。


 騒動を鎮静化させんと、「八百萬の神々よ、鎮まれぇぇぇ~~~い」と叫びながら、勢いよく、磐座の内に足を踏み入れたというのに、少名毘古那神の掛け声によって、神々の動きが制止されたため、大国主大神は肩透かしをくらったかのように、出入り口前で立ち尽くす事になった。

 すると、少名毘古那神が大神の前までとことこと歩み寄ってきて、一跳びすると、かつての自分の定位置であった、大国主神の右の掌の上に跳び乗ってきた。


「八百萬の神々よ、大神の御前であらされるぞぉ。控えおろぉう。相争っている住吉と水神の神等は、双方、ひけぇぇぇ~~~いっ」

 少名毘古那神から大音声の〈神命〉が下されるや、八百萬の神々の動きが完全に止まった。


 大国主神は、自分の手の中にいる少名毘古那神にだけ聞こえる声量で、口を動かさずに、神友に語り掛けた。

「のう、スクナよ。オヌシの〈神威〉をもってすれば、そもそも騒動は静まったのでは? ワシが大社からわざわざ出張ってくる必要あった? 全部、スクナがもっていっちゃって。なんか、今のワシ、空気みたい……。ワシ、存在感なくなくない?」

「まあまあ、ダイちゃん、そうめげずに。たしかに、この場で起こった喧嘩を、一時的に収めるだけならば、僕の神威でも十分かもしれないけれど……。

 でもさ、導火線に火が点き、いつ発火するか分からないような状況になっている、住吉と水神の抗争を未然に防ぐには、やはり、大神たるダイちゃん、もとい、大国主大神が間に入らなくっちゃ駄目なんだよ」

「あっ、やっぱそう? そうじゃよね。だって、ワシ、大神じゃもん」

 長年の神友である少名毘古那神にヨイショされ、凹んでいた大国主大神の精神状態は瞬時に盛り返した。


「ところで、スクナよ。伝令のハクトからは、神宴で騒動が起こったので、早く万九千に向かってくれ、としか伝えられておらんのだ。まずは、細かな状況を説明してくれんかの」


「……。なるほど、事情は粗方わかった。それでは、スクナよ」

 大国主大神と目が合うと、少名毘古那神は小さく首肯し、諍いの当時神であった住吉系と水神系の首魁を呼び出すために、再び、直会の会場を震わす、〈神威〉強き轟声をあげた。


「住吉の〈筒之男三神〉と、貴船の〈龗(おかみ)〉、大国主大神の御前へっ!」

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