第柒話 海斗、大社にて四度、拍手をす

 出雲市駅で下車した神津海斗は、駅の北口を出てすぐの所にある「1番」バス停から出る大社行きのバスに乗り込んだ。

 大社行きの路線バスは、三〇分から四〇分に一本の間隔で運行しており、駅から出雲大社近くのバス停までの移動時間は約四〇分である。

 例えば、正面鳥居から境内に入りたいのならば、「正門前」で降りるのが便利で、それ故にか、海斗と同じバスに乗り合わせていた多くの乗客は、この「正門前」バス停で降りて行った。

 ただ、もし仮に、「神楽殿」や「御本殿」の方に直接向かいたいのならば、「出雲大社バスターミナル」で降りる方がよい。

 このバスタには、トイレに加え、誰でも利用可能な電源コンセントや、さらには、コインロッカーなどが備え付けられているのだ。


 カメラやノートパソコンに本、さらに、八泊分の着替えのせいで、海斗のディバッグはパンパンになっていた。だから、バスタにコインロッカーがある、という情報を、事前にネットで確認しておいた海斗は、寝落ちしてしまった為、列車内ではできなかった荷物整理を、路線バスの車内でやる事にして、日中、観光をするのに最低限必要な物だけを、ディバッグから、ウサギのイラストが描かれているトートバッグに移し替えたのであった。

 駅から大社までのバスでの移動中、もしかしたら、コインロッカーが既に全部埋まっているかも、という懸念も実は抱いていたのだが、それは杞憂に終わり、出雲バスターミナルで下車した海斗は、空いているロッカーの一つに重い荷物を入れ、身軽な状態になった。


 それから――

 バスターミナルから徒歩で移動する事およそ十分、ついに、海斗は、憧れの出雲大社の境内に足を踏み入れたのである。


 出雲大社、ちなみに「いずもたいしゃ」というのは通称で、「いづもおおやしろ」こそが〈正仮名遣ひ〉であるそうなのだが、とまれ、出雲大社の境内に入った海斗を、先ず最初に驚かせたのは、境内の西側に位置している「神楽殿(かぐらでん)」であった。

 出雲大社の「神楽殿」とは、出雲大社教の神殿で、ここで、御祈祷など様々な祭事行事が執り行われる。

 その神楽殿の正面に掲げられているのが、出雲大社の代名詞と言ってもよい「大注連縄」である。

 数年置きに取り換えられる、神楽殿の大注連縄は、千人以上の人の手で一年以上かけて制作されるそうで、その規模は、全長十三.六メートル、総重量は五.二トンにも及ぶ。ちなみに、「拝殿」にも大注連縄があって、こちらは、神楽殿のそれに比べて、やや小さく、長さは神楽殿の半分の全長六.五メートル、重さは一トンだそうだ。

 トンという重さの単位を普段の生活において使うことなどまずないので、海斗は、この数値データに実感が伴わず、これまで幾度となくネットや本で、神楽殿の大注連縄の写真を目にしてきたというのに、「なんか大きそうだな」といった程度の感想しか抱いていなかった。だがしかし、実際にその姿を目の当たりにしてみると、縒り合された二本の注連縄の太さと、それが一つになった際の極太の姿に、すっかり度肝を抜かされてしまったのだった。


 神楽殿を後にした海斗は、この強烈な大注連縄の印象を抱いたまま、境内の中心部に向かう事にした。

 ここに位置している建物こそが、出雲大社の祭神が安置されている「御本殿(ごほんでん)」である。


 日本最古の神社建築様式である「大社造(おおやしろづくり)」によって建てられた出雲大社の御本殿は、「天下無双の大廈(たいか)」、すなわち、同じ程度の物が二つとしてない大きな建物と称されており、現在の本殿は、延享元年(西暦一七四四年)に造営されたらしい。

 その「御本殿」の高さは八丈(二十四メートル)にも及び、平面は正方形の間取りになっていて、この建物を、〈田〉の字型に配置された九本の柱が支えており、その〈田〉の真ん中に在るのが「心御柱(しんのみはしら)」である。


 殿内の中心に位置している心御柱の近くには、「和加布都努志命(ワカフツヌシノミコト)」が祀られている。

 そして、心御柱の後の一間、御本殿の右奥が「御神座(ごしんざ)」になっていて、その御神座の前、正面から見た場合、殿内の左奥に在るのが「御客座(おきゃくざ)」で、ここには、「天之常立神(アメノトコタチノカミ)」、「宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)」、「神産巣日神(カミムスビノカミ)」、「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」、「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」という五柱の神々が 合祀(ごうし)されており、それ故に、これらの神々は「御客座五神」と呼ばれている。

 そして、心御柱近くに祀られている和加布都努志命の父で、「御神座」に御鎮座なされている、出雲大社の主祭神こそが「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」である。


 ちなみに、御本殿の内は、中心に在る心御柱と、その右の在る側柱との間が板壁によって仕切られており、その中央右の板壁によって、御神坐は見えないようになっているそうだ。海斗が参照した資料によると、扉に向かって南向きになっている御本殿に対して、御客座と向かい合っている御神座は西向きになっている、との事である。


 かくの如く、伝聞表現が多くなるのは、御本殿がある敷地が、二重の壁に取り囲まれ、接近不可能であるからだ。

 御本殿を取り巻く、外側の大きな第一の壁、その内側には、大国主大神の妻たちが、夫を守るかのように祀られている。

 御本殿東側の「御向社(みむかいのやしろ)」、別名「大神大后神社(おおかみおおきさきのかみやしろ)」には、大国主大神の正妻で、スサノオの娘である「須勢理毘売命(スセリヒメノミコト)」が、その「御向社」のすぐ右の「天前社(あまさきのやしろ)」、別名「神魂伊能知比売神社(かみむすびいのちひめのやしろ)」には、大国主大神の蘇生を助けた「蚶貝比売命(キサガイヒメノミコト)」と「蛤貝比売命(ウムガオヒメノミコト)」が、そして、本殿西側の「筑紫社(つくしのやしろ)」、別名「神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)」には、スサノオの十拳の剣から生まれた「多紀理姫(タキリヒメ)」が祀られている。

 この第一の門は、初詣の時にだけ開放されるのだが、それでも、内側の壁の先に行く事は禁じられている。

 

 つまるところ、普通の一般参拝者は、大国主大神が御鎮座なされている「御本殿」に赴く事はできず、ここに直接行けるのは、出雲大社の宮司家系の方のみなのだ。だから、殿内において、海斗がどんなに望んでも、西を向いている御神坐の状況を肉眼で視認する事など、できない相談なのである。

 尽きることない知的好奇心を抱いている海斗は、御本殿を直接見れない事に残念な気持ちを抱きつつも、壁の外側から御本殿を一部を望みつつ、「八足門(やつあしもん)」の前で参拝する事にした。


 何かで読んだ記憶があるのだが、出雲大社の参拝者の数が多いのは、正月を除くと、神在月の時期なのだそうだ。さらに、海斗が出雲大社を詣でたのは、十一月二十三日の勤労感謝の日という祝日に当っていたため、午前中のうちから早くも、御本殿前も参拝の順番待ちの人達によって行列が為されていた。


 海斗が自分の順番を待ちながら、前方の様子を見ていると、〈二拝二拍手一拝〉をしている人が数多く見止められた。

 たしかに、〈二拍手〉は神社での一般的な参拝方法だと言われているが、出雲大社における正式な参拝作法は、〈二拝四拍手一拝〉なのだ。これは、御本殿以外の社殿においても同様のやり方をするのが作法であるらしい。


 海斗が調べたところ、大社では、拍手(かしわで)を八回する場合もあって、それは、〈八〉という数字が、古来、無限を表わす数字だと考えられ、すなわち、八回の拍手をすれば、限りない数の拍手で神を讃える事になるからだそうだ。

 そういえば、アラビア数字の〈8〉を横倒しにすると〈∞〉になる分けで、もしかしたら、末広がりの〈八〉であれ、〈∞〉に通じる〈8〉であれ、第八番目の数それ自体には、無限大の力が宿っているのかもしれない、と海斗は思った。

 ちなみに、出雲大社で八回の拍手をするのは、大社で最も大きな祭典である五月十四日の「勅祭(ちょくさい)」の時だけで、それ以外の普通の時期には、半分の四拍手でもって、神を讃える事になっているそうだ。


 海斗が参照した本には、拍手の際に、左右の手を広げる事によって、対立する世界、例えば、陰と陽、顕世(うつしと)と幽世(かくりよ)、あるいは、大社と神宮を構築し、しかる後に、左右手(まて)を合わせ、唯一なる音を鳴り響かせ、真なる一を実現させる、と書かれていた。


 つまり、〈拍手〉とは、世界構築の儀式なのである。


 だから、自分の参拝順が来た時、海斗は、近接できない御本殿にまで届け、とばかりに、この上なく高らかな拍手を四度、拝殿の前で鳴り響かせたのである。

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