第捌話 上宮での神議り

 八足門の前での御本殿の参拝を終えた神津海斗は、拝殿前に在る青銅製の鳥居を抜けると、松並木の参道に入った。


 この松の参道には三本の道があって、海斗は、その内の左側の道を取った。

 参拝客が参道を通る場合、左右どちらの道を取っても構わないのだが、通常、〈手水舎〉が位置している方の道を選ぶのがよい、とされている。出雲大社の場合、手水舎は境内に向かって左に在るので、左側通行という事になる。

 だが、絶対にしてはならないのは、参道の中央の道を歩く事である。というのも、「正中(せいちゅう)」と呼ばれている真ん中の道は神様専用の道で、神々以外では、かつては、皇族や貴族、あるいは、勅使だけが通る事を許されていたからである。

 今なお、松の参道の中央の道は、一般参拝者の通行は禁じられているのだが、もっとも、現代では、松の木の根の保護というのが通行禁止の理由だそうだ。


 その松の参道を通り抜け、然る後に「素鵞(そが)川」を渡った海斗は、上り坂になっている参道を通って、次の鳥居に向かった。

 出雲大社の御本殿の方に向かって下ってゆく参道は、「下り参道」と呼ばれており、下り坂の参道は、日本全国の神社においても珍しいそうだ。

 とまれ、必然、境内から出てゆく場合、下り参道は上り坂となる。

 この道は、最初のうちこそ緩やかなのだが、次第次第に勾配がきつくなってゆくので、参道を上り終え、大鳥居の前に至った時には、海斗の両脚は乳酸が溜まって、すっかり重くなっていた。


 境内の最も南に位置し、正門に当たる木製の鳥居こそが「勢溜(せいだまり)の大鳥居」である。この大鳥居の前は広場になっており、それゆえに、人の勢いが溜まる所から、「勢溜」と呼ばれるようになったらしい。


 参道の左側を歩いてきた海斗は、鳥居の左端で左足を踏み入れたのだが、外側の足から入れば、神様の道である「正中」にお尻を向けずに済むので、左右どちらであれ、外側の足から入るのが鳥居をくぐる時の作法なのだ。

 とまれ、大鳥居をくぐり抜けた海斗は、「明日の朝こそ、きちんとした順路で参拝します」と念じながら、御本殿の方に向き直って一礼、神道用語で言うところの〈一揖(いちゆう)〉をしたのであった。


 出雲大社を訪れた場合、まず、〈二の鳥居〉、木製の「勢溜の大鳥居」から入って、参道の右手にある「祓社(はらえのやしろ)」で心身の穢れを祓い、そのまま「下り参道」を通った後、「松の馬場」に入り、〈三の鳥居〉である鉄製の「松の参道の鳥居」の左側の道を取り、左手にある「手水舎(てみずや)」で身を清め、それから、〈四の鳥居〉である青銅製の「銅鳥居(どうとりい)」をくぐって、神域である「荒垣」に入る。

 そして、出雲大社の神域にて、「拝殿」、「八足門」の前で「御本殿」を参拝してから、不可侵の御本殿の周りを取り囲む「瑞垣(みずがき)」に沿って、反時計周りで、神在月に大社にやってきた神々の宿泊社である「東十九社」、大国主大神の父神である〈素戔嗚尊(スサノオノミコト)〉が祀られている「素鵞社(そがのやしろ)」、そして、もう一つの宿泊社である「西十九社」、最後に、大社の西側にある「神楽殿」を訪れるのが、出雲大社の正しい参拝順だと言われている。


 だがしかし、神在月十一日の午前十一時に出雲大社に到着した海斗は、正規の順路は取らず、西門から入って、この日は、神楽殿と八足門前で御本殿だけを参拝するだけにした。

 というのも、海斗は、最初の「神在祭」が終了した、正午前というこの時刻には既に、会議の為に出雲にやって来た神々は、大社西方、約一キロメートルの所に位置している「上宮(かみのみや)」に行ってしまっていて、大社の境内の社には、きっと〈神っ子一柱〉おらず、そんな神不在の社を参拝しても仕方がない、と考えたからである。


 そういった次第で、出雲滞在初日のこの日、境内の摂末社(せつまつしゃ)は参らずに、勢溜の鳥居を出た海斗は、二又に分かれている道のうち、「神迎(かみむかえ)の道」、すなわち、稲佐の浜に到着した神々が大社に向かう時にお通りになられた道ではなく、もう一方の「国道四三一号」を進んで、〈素戔嗚尊〉と〈八百萬神〉を御祭神とする「上宮」という、今まさに、現在進行形で八百萬の神々が会議を行っている場に向かうことにしたのだ。

 やがて――

 勢溜の鳥居から徒歩で約二十分、海斗は、上宮に到着したのであった。


「えっ! まじでココなの?」

 海斗は思わず、社の前で驚きの呟きを漏らしてしまった。

 八百萬の神々が集うのだから、きっと大きく広い社に違いない、と海斗は思い込んでいたのだが、実際に目にした上宮は、木造のこじんまりした建物だったのである。

「やっぱ、現世と、神々がいらっしゃる世界とでは、空間の概念そのものが違っていて、例えば、人の世の一平方メートルが、神の世界では無限の広がりを持っているのかもしれんな」

 そんな風に海斗は思ったのであった。


               *


 神々が存在する〈幽世(かくりよ)〉で決められた事柄は、そのまま、生きている人々が実在する〈顕世(うつしよ)〉の〈縁〉となる。その〈縁〉とは、男女の出会いに留まらず、人と人、人と物、物と物など、ありとあらゆる事態の運命的な結び付きを意味する。

 この〈縁結び〉の神謀が、年に一回、神在月の十一日から十七日までの七日間、出雲大社近くに位置し、「仮宮(かりのみや)」とも呼ばれる「上宮」を神議場とし、日本全国から集まってきた八百萬の神々によって行われるのだ。


 神議りでは、出雲大社の主祭神である〈大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)〉が議長を務める。

 出雲にやって来た神々は、一柱ずつ、己の管轄地における、翌年の〈縁〉を議題に載せ、参加している神々によって、その可否が採決されてゆく。

 とはいえども、基本、議題に上がった〈縁〉が否決される事は極めて稀で、令和五年の神議りの初日は恙無く終わりを迎えようとしていた。


 承認の意の〈八百萬雷〉の拍手の後、神議の進行役を務めている神によって、次に縁結びの提案をする神の名が呼ばれた。


「ハクトシン、次は、ハクトシン、オオカミの御前へ」

「…………」


 沈黙の後、一柱の神がおずおずと手を挙げた。

「〈神迎え〉の折、ハクトの姿は見かけてはおりませぬ」

「なにぃぃぃ~~~、ハクトのやつ、また、遅刻かぁぁぁ~~~」

 かくの如く、大神の怒号が幽世の上宮内で轟き渡ったのであった。

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