ep26 岬初登板
4月に入ってからも、ランニング、筋トレ、食トレの毎日を過ごしていた。
そんなある日、監督が俺を呼び止めた。
「お前大分筋肉がついてきたじゃないか。それに結構な距離も、それなりのスピードで走れるようになったそうだな。琴葉から聞いたぞ」
俺の体重は食トレを開始してから8kgほど増えた。けれども、筋トレの効果で体脂肪率はむしろ減っていた。
また、琴葉ちゃんとのランニングが楽しくて、ランニングへの取り組みがより真剣になった。
これらの効果が出てきたのだろう。
「明日からピッチング練習を始めろ。俺が指導してやる」
監督の言葉が一瞬信じられなかった。
俺は一生陸上部みたいなことをして終わると思ってたから。
「全体練習の前にやるから、8時にはブルペンに来いよ」
俺は早起きが苦手だが、こんなチャンス逃すわけにはいかない。絶対に遅刻しないぞ! と思った。
次の日の朝、目覚ましを早く合わせ、食堂で大急ぎの朝食を済ませた俺は、7時50分にブルペンに行った。
そこには既に監督が待っていた。
そして、三軍正捕手の磯山さんもいた。
監督に挨拶をすると、早速ピッチングの指導が始まった。
ボールを持たずに、ピッチングフォームの確認から始まった。
俺は野球部の手伝いをしていたときのフォームを見せた。
「ハッハッハッ、こりゃおもしれぇ」と監督が笑った。
「お前のフォームはそのへんの素人よりも不格好かもしれねえな。今まで指導されてなかったから、最初から俺の好きなようにイジれるってわけだ。ある意味最高の素材かもな」
そういう考え方もあるのか。
ここから、監督の本格的な指導が始まった。
「最初に右足はしっかり引け。そして足は今よりゆったりあげろ。軸足である左足を意識して、重心をもっと軸足にのせろ。そして投げる瞬間に、重心を右足に移して、今よりも遠くまで足を踏み出せ」
俺は監督の言う通りやってみた。
何回かやると、「まだまだだが、今はよしとしよう」と言われた。
「次のステップは腕だ。今は担ぎ上げるようになっているが、弓を引くように左手を上げる。その時に右手は真正面に向け、地面と平行になるようにする。投げる瞬間にグラブを引き、体を回転させて、左手を上から下に振り下ろす」
さっき言われたことをふまえてやってみる。
今度も何回かやると監督のオーケーが出た。
次は実際にキャッチャーの磯山さんに受けてもらうことになった。
このとき、監督が持っていたスピードガンで球速を測ることになった。
初球、俺は監督に言われた全てのことを意識して投げてみる。
俺の投げたボールは左打者のインコース高めに抜けた。
監督に言われたことを意識しすぎて、ボールをコントロールするところまで頭が回らなかった。
キャッチャーミットにボールが収まって一呼吸を置くと、「今のは110キロ」と言った。
こんなに腕を振ったのに110キロなのか。
一軍の選手は平気で150キロを投げるが、それが俺にとってどんなに途方もないことなのかを実感した。
その後、監督の細かなアドバイスをはさみながら、数十球を投げた。
コントロールはダメダメだったが、球速は114キロまで上がった。
最後に変化球を投げてみろと言われたので、俺はフォークとスライダーを投げた。
変化球のコントロールも勿論よくなかった。
けれども球速はフォークが113キロ、スライダーが111キロだった。
「お前はストレートと変化球の球速差が小さいんだな。これはプロでは相当な武器になる。それに佐藤が言ってたが、確かにお前の変化球は曲がるのがバッターギリギリだな」
厳しい西園寺監督に俺の変化球が武器になると言われたのは素直に嬉しかった。
ピッチング練習が終わったあとはいつも通りランニングや筋トレのメニューをこなした。
この日から夜寝る前に一軍のピッチャーのピッチングフォームの研究を始めた。
早朝のピッチング練習は俺の日課になった。
毎朝付き合ってくれる磯山さんには感謝しかない。
ピッチング練習を始めて2ヶ月が経った6月のある日、監督が俺を呼び出した。
「実はな、最近二軍でピッチャーの怪我人が続出している。それで三軍から多くのピッチャーを二軍に昇格させたんだ。おかげで三軍のピッチャーが徐々に足りなくなっている。このままだとお前に投げてもらう機会があるかもしれん。そこで、牽制やフィールディングなどの練習もして欲しい。今日からは全体練習に加われ」
監督に言われたように全体練習に加わった。
牽制に関して、ボークのルールなどは勉強していたが、いざやってみるとセットに入ったあと肩から下が動いてしまうなど、失敗の繰り返しだった。
そのたびに監督やコーチから怒号が飛んできたが、ここでめげるわけにはいかないと思い、必死に食らいついた。
守備でも簡単なゴロを捕れなかったりしたが、練習していくうちに徐々にうまくなっていく感覚があった。
7月に入っても二軍の状況は改善されなかった。
それどころか日増しに悪くなっていた。
ある日の試合前、監督に声をかけられた。
「現状ピッチャーが足りなさ過ぎる。試合をするのがギリギリの人数だ。試合を中止にするのは相手さんに迷惑がかかるからできない。そこでだ、今日の試合はお前をベンチに入れる。中継ぎで待機しておけ。お前を試合に出す状況は、大差でうちが負けている場面だけだ」
三軍のピッチャーが足りないことは知っていたけど、急にこんな状況になるとは思っていなかった。
しかし、監督が言うことは絶対だし、これは俺にとって最大のチャンスだ。
俺は覚悟を決めた。
試合が始まった。
試合は相手の一方的な攻撃となった。
ベンチから試合を見ていた俺は、これは投げる場面が必ずくると確信した。
ブルペンに向かい、投球練習を開始する。
5回表を終わって9-0でうちが負けていた。
ブルペンにいたコーチから「次の回の頭から岬で行くぞ」と言われた。
心臓の鼓動が速くなっていく。
5回裏のうちの攻撃は、あっさり三者凡退で終わった。
グラウンド整備が終わると、走ってマウンドに向かう。
磯山さんがマウンドに来て、俺に声をかける。
「今日は緊急登板だ。監督やコーチ、選手もお前に0点で抑えることを期待していない。なんとか3つアウトを取ればいい。気楽に行こうぜ」
ピッチング練習が終わりバッターが打席に立つ。
ストライクが全然入らず、初球から四連続ボールで、最初のバッターにフォアボールを与えてしまった。
次のバッターにもストライクが入らず、フォアボールにしてしまった。
迎えた3人目の打者。
例の如く、スリーボールノーストライクになった。
このままではダメだと俺は思った。
磯山さんから出されたサインはストレートだった。
フォアボールだけは絶対に避けたい俺は、力を抜いてど真ん中めがけてストレートを投げた。
ボールはストライクゾーンに入っていた。
けれどもバッターが絶好球を逃してくれるはずもなく、フルスイングしたバットがボールに当たる。
角度のついた打球はググン伸びていき、フェンスのさらに奥にある防球ネットすら越える場外ホームランとなった。
わずか十数球で俺は3点を失った。
次のバッターの初球、磯山さんのサインはまたもやストレートだった。
俺は先程と同じように投げた。
フルスイングしたバットにボールが当たる。
打球は伸びていく。
けれどフェンス手前で失速して外野手のグラブに収まった。
バットの芯を外したようだ。
この時点で俺はストレートを投げるのが怖くなっていた。
磯山さんがマウンドに来る。
「いい当たりは打たれてるけど、お前が一番ストライクを取れるのはストレートだ。このまま続けるぞ」
俺はストレートを投げるのが怖い。
「磯山さんすみません。俺ストレート投げるのが怖いです。頑張ってストライクゾーンに入れるので、変化球のサインだけ出してくれませんか」
俺が言うと、磯山さんは渋々了承してくれた。
次のバッターには、ど真ん中ストレートの感覚で変化球を投げた。
これが上手くいき、内野ゴロに打ち取ることができた。
けれどもバッターは甘くない。
次のバッターから、俺がストレートを投げることはないとわかり、狙いを変化球に絞って打ち出してきた。
結局マグレで3つ目のアウトを取るまでに2点を追加された。
俺の初実戦は1回5失点という情けない結果に終わった。
ちなみにストレートは若干速くなっており、最速120キロを計測した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます