ep24 少女の正体

 三月後半のとある日、三軍の練習は久しぶりに休みだった。

 この日は三軍の施設をスパイダースレディースが練習に使うらしい。

 スパイダースレディースとはスパイダース傘下の女子プロ野球チームだ。

 現在のプロ野球では各球団が女子チームを持っており、年間数十試合のリーグ戦を戦っている。


 俺は朝からコンビニに買い物に行っていた。

 買い物から寮に戻ると、グラウンドの横で、スパイダースレディースの用具運搬車から女子選手たちが荷物出しをしていた。

 

 その中に背が高く、見覚えのあるシルエットの女の子がいた。


 顔を見ると、やはり一緒にランニングをしている彼女だ。


 俺は彼女に話しかけた。


「おはよう。まさか君がスパイダースレディースの選手だったなんて」


「おはようございます。私は正式な選手ではなく、あくまで練習生という立場なんです。だから、試合には出場せずに今日のような練習日だけ練習に参加しているんです」


 女子チームには練習生という制度があるのか。少し違うかもしれないけど、プロ野球で言う育成選手みたいなものなのか?


「そうなんだ。なんで言ってくれなかったの? 君がスパイダースレディースの練習生ってこと」

 

 俺がスパイダースの育成選手ということを彼女は知ってるから、彼女にも言ってほしかった。


「ごめんなさい。練習生だから、恥ずかしくて言い出せなくて。あと、私の名前は三条琴葉っていいます。これからは名前で呼んでください。私も太一君って呼びますから」 


 琴葉ちゃんか可愛い名前で、彼女の性格や容姿にぴったりだ。

 あれ? 今、俺のことを太一君って呼ぶって言わなかったか。スパイダースの育成選手ってことは言ったけど、名乗った記憶はない。なのに、なんで名前を知っているんだろう。


「なんで俺の名前をしってるの?」と俺が聞くと、琴葉ちゃんは「それはヒ・ミ・ツです」と言い、てへっと小悪魔的な笑顔を見せた。


 

 その日の夜、俺が食堂でご飯を食べたあと、部屋に戻ろうと一階を歩いていると、監督室から監督が出てきた。


「お疲れさまです」と俺が挨拶すると、監督が「ちょっと待て、岬」と呼び止めてきた。


「なんですか」と俺が聞いた。


「お前はあまりにも痩せ過ぎだ。食堂のご飯だけでは足りないはずだし、そもそもお前は食堂のご飯をおかわりすらしないそうだな。さらに減らしていると聞いたぞ」


 ヤバい、監督に俺があまり食べてないことがバレた。


「いや、その、すみません」


 絶対に怒られると思い、頭を下げた。


「別に怒るつもりはない。

人にはそれぞれ食べられる量ってのがあるからな。

けれど、一人前の選手になるにはそれじゃあダメだ。今は少し無理してでも、食べて大きくならなければならない。

俺がお前の食トレをしてやるから、毎日食堂で夕食を食べたあと、ここに来い」


 そう言って一枚のメモを渡された。

 そこには住所が書いてあった。


 確かに、いずれは体を大きくしないとプロではやっていけない。それはわかっていた。

 俺にとってこれはチャンスかもしれない。


 俺が「わかりました」と言うと、監督は「それじゃあ明日から来いよ」と言い残し帰って行った。



 次の日の夕方


 監督に言われた通り、俺は食堂で夕食を食べたあと、メモに書かれた住所に向かった。


 その住所にあったのは、普通の一軒家だった。


 そして、表札は西園寺となっていた。


 まじかよ。監督の家じゃねえか、ここ。

 俺は寮に引き返そうとしたが、もしそんなことしたら後でどんな仕打ちが待っているかわからない。

 そう冷静になった俺は、インターホンを押す。


 ピンポ〜ン


「はーい。どちら様ですか」

 

 若い女の人がインターホンに出た。


「岬と申します。スパイダースの西園寺三軍監督の指示でここにきました」


「お待ちしてました。今、ドアを開けますからね」


 しばらくすると、ドアが空いた。


 そこに立っていたのは、なんと、琴葉ちゃんだった。


「ようこそ! 我が家へ。太一君」


 琴葉ちゃんは満面の笑みで言った。


 俺は混乱していた。なんで監督の家に琴葉ちゃんがいるんだ? 名字が違うから二人は親子ではないと思うし。


 俺が固まっていると、琴葉ちゃんが「聞きたいことがあると思うけど、とりあえず中に入って。さあさあ」と言った。


 俺はとりあえず上がらせてもらうことにした。


 奥の居間に進むと監督がソファに座っていた。

 

「来たか。岬」監督はそう言って俺の方を振り向く。


「まずお聞きしたいんですが、二人のご関係は」と俺が聞いた。


「父親と娘に決まってるだろ。同居してるんだから」

 

 えっ、親子なの? 名字が違うのに。


「名字が違いますよね」


「俺は妻と離婚したんだ。子どもたちは皆母方の姓を名乗っている。っていうか、なんでお前が娘と俺の名字が違うことがわかるんだ。それってつまり、娘と知り合いなんだな。どんな関係だ?」


 監督が怒っているときの低いトーンで聞いてきた。


 なんて答えようか迷っていると、


「一言では言い表せない、深い関係だよお父さん」

 

 琴葉ちゃんがとんでもないことを言った。


 監督が今にもキレそうになったので、俺は急いで本当の関係を説明した。


 なんとか怒られずに済んでよかった。


 それにしても琴葉ちゃんの小悪魔的な感じは何なんだろう。


 琴葉ちゃんが「それじゃあ、ご飯作るね」と言って、台所に立った。


 琴葉ちゃんが料理を作っている間、俺と監督の間には気まずい空気が流れ、何も話をしなかった。


「できたよー」と琴葉ちゃんが言う。


 俺と監督は食器や料理を並べるのを手伝った。


 メニューはオムライスだった。

 俺のだけは超特大で、琴葉ちゃん曰く1kg以上あるそうだ。


 俺は食べられるか心配だったが、そんな心配は無用だった。


 なぜなら、琴葉ちゃんが作ったオムライスは人生で食べたことがないくらい美味しくて、どんどん食べ進められたから。


 俺は食べきることができた。


 厳つい顔の監督も、食事の間は頬が緩んでいた。


 食後にコーヒーを飲むことになった。


 コーヒーを飲んでいる間に情報を得た。


 それは、琴葉ちゃんが春から高校一年生であるということ、琴葉ちゃんは監督のそばで野球をやりたかったから三月から同居しているということ、監督は琴葉ちゃんの言うことならなんでも聞くということ。


 帰るときに監督にこそっと耳打ちされた。


「娘に変なことしたら許さねえぞ」


 怖くてそんなことできるわけ無いと思った。



 次の日も4時になると、いつも通り琴葉ちゃんはランニングに現れた。


「なんで俺の名前知ってたの」


 俺は疑問に思っていることを聞いた。


「それは、お父さんが口癖のように「岬太一はどう育てればいいんだ」っていつも言ってて、あまりにも言うものだから私も気になって、

「岬君って育てるのがそんなに難しいの?」

って聞いたの。 

そしたらお父さんが、

「背はめちゃくちゃ高いが、野球素人でスタミナもないやつでな。佐藤が見つけてきて、

「この子は原石だから絶対ものにしなければならないです」って言ったんだ」

って言ったの。

それで、「スタミナをつけさせるために毎日のように走らせてる」って言ってたから、一緒に走ってる子が太一君ってわかったの」


 そうだったのか。

 

「佐藤さんと監督はどんな関係なの?」


「お父さんはメジャーリーガーだったのは知ってる?」


「うん」


 大沢から監督は日本人で始めてサイ・ヤング賞を取ったレジェンドと聞いた。


「お父さんの現役最後の2年は、佐藤さんと同じメジャーのチームで一緒にプレーしてたの。その時に、佐藤さん曰く、うちのお父さんには本当に世話になったらしい」


 なるほど。その関係が今も続いているのか。


「俺に監督の娘って言わなかったのはなんで?」



 俺は琴葉ちゃんに監督の悪口を言ってしまった。

 監督の娘だって知ってたら、そんなことなかったのに。


「もし私がお父さんの娘だって知ったら、太一君お父さんの愚痴言わなかったでしょ。

お父さんが太一君に厳しくしているのは知ってたから、私が愚痴を言える相手になって、少しでも太一君の気分が楽になったらいいなって思ってたの」


 俺が愚痴れる相手になるために黙っていたなんて、なんて優しい子なんだ。


「でも、太一君にわかっていて欲しいのはお父さんが厳しいのは理由があるってことだよ。

確かに厳しさの方向性を間違えている部分はあるし、ダメなところはいっぱいあると思う。

けれども、全ては選手を育ててスパイダースに貢献したいっていう思いからなの。

お父さんは選手が育った環境から性格、能力に至るまですべて調べて、把握している。

それで一人一人に合った育成プランを作っているの。

それ通りに育てていけば一人前にさせられると思ってるから、自分の指示に従ってほしいってわけ。

反論は許さないってのは厳しすぎだけど、根幹にあるのは選手を育てたいって思いなんだよ」


 確かに、俺はランニングで格段にスタミナがついたし、指示通りに筋トレをやったら筋肉もついた。食トレを頑張れば体重も増やせるだろう。


 監督は全て計算してやっているんだな。

 厳しすぎるところはあるけど。



 この日、琴葉ちゃんと話して、監督に対する見方が少し変わった。

 俺は西園寺監督について行ってみるかと思った。

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