ep19 入寮
神奈川の家を出て、電車を乗り継ぎ、羽田空港に到着した。
保安検査を済ませて、出発ロビーの椅子に座って俯いていたら、「となり座っていいか」と声をかけられた。
顔を上げると、俺と同じ四国スパイダースに育成指名された内田が立っていた。
どうやら、俺と同じ便で徳島に向かうらしい。
内田が座れるように、左側の席に置いていたカバンをどかそうとした。
この時、いつもの癖で靭帯を損傷している左腕でカバンを持ち上げてしまい、腕が痛んだ。
「お前もしかして、腕怪我してんのか」
内田は、痛みで一瞬俺の顔がゆがんだことに気がついたみたいだ。
「そうなんだ。1週間前にバドをやった時に痛めたんだ。靭帯損傷してるらしくて、二ヶ月は左腕を使えないんだ」
日常生活にも支障をきたしているので、実に不便だ。
「そういえば、お前はバドの有名選手だったな。ネットニュースで見たわ。何でバドじゃなくて野球に進むんだ?」
「スカウトの佐藤さんがとっても熱心に誘ってくれたんだよ」
「佐藤さんって、もしかして元メジャーリーガーの佐藤一のことか?」
俺はうなずいた。
「スパイダースのスカウトをやってるって噂は本当だったんだな」
内田は何で育成で入団することにしたんだろ。全国優勝した東光のレギュラーだったから、大学に行って、4年後にドラフト上位指名を狙ってもよさそうなのに。
「内田はなんで育成で入団したんだ? 大学行ったら上位指名もあったんじゃないか」
「うちは父親が早くに死んじゃって、母親一人で家族を養ってきたんだよ。だから家計が厳しくて、俺が大学に行く余裕はないんだ。俺は長男で、下に兄弟が三人いる。俺が育成でも野球選手として働いたら、少しは家にお金を入れられるから、子育てで金がかかる家計を支えられるんだ」
家計を支えるために野球選手になるなんて凄いな。
このあとも搭乗時刻になるまで、俺のバドのことや、東光が甲子園で優勝したときの話とかをした。
飛行機の座席は内田と離れてしまった。
飛行機は定刻通りに徳島空港に到着した。
俺は再び内田と合流して、タクシーで寮のある二軍の本拠地に向かった。
昼の12時が集合時刻だったが、30分前の11時30分に着くことができた。
球団職員の人に自分たちの名前を伝え、どうすればいいか聞いた。
着いた人から順に食堂に行くことになっていると教えられた。
食堂には既に数人の新人選手が来ていた。
俺達が適当な席に座って話していると、俺達の方に人が近づいてきた。
「これはこれは内田君と岬君じゃないですか」
身長が160cmくらいの選手が話しかけてきた。
「マジで申し訳ないんだけど、お前誰だっけ?」と俺は聞いた。
俺は人のことをあんまり覚えない主義だ。
「ひどいなぁ。育成8位の大沢だよ!」
そういえば新入団発表のときにいたような、いなかったような。
「なんか用があるのか? 大沢」
内田が聞いた。
「実は俺、お前のファンでさ、話してみたかったんだよね」と大沢が言った。
「俺にファンがいたのか」と言って、内田は笑った。
「マジで、甲子園のお前のプレーを見た瞬間に一目惚れしたんだ。同じショートを守るものとして、ゴロを取るときにボールがグローブに吸い付くような天性のグラブ捌きや、スローイングのしなやかさとか、すべてのプレーに目を奪われたよ。こんな選手になりたいって俺は思った。同じチームになれたときは超嬉しかった」
大沢は目を輝かせながら言った。
「でも同じチームになったら、ショートのポジションを奪い合うライバルになっちゃうだろ」と俺が言った。
憧れの選手とのポジション争いは大変だろうと思った。
「実は俺、プロではセカンドにチャレンジしようと思うんだ」
内田が言った。
「なんでだよ?」
俺と大沢が口を揃える。
「守備には自信があるんだけど、肩が弱いから、セカンド向きの選手なんだよ俺は」
セカンドのほうがファーストまで近いから、肩の強さはショートよりもいらない。
「憧れの選手と競ってポジションを取りたかったけど、ここで目標変更だ。絶対に二人で一軍の二遊間を守ろうぜ」と大沢が言った。
二人はこのあと、俺には全然理解できない守備の話について熱く語り合っていた。
全員が揃ったところで、球団職員の人が話をはじめた。
「私は二軍マネージャーの坂田と言います。皆さんには二軍の施設に一旦集まってもらいました。うちのチームには一軍、二軍、三軍のそれぞれが寮を持っています。今から、振り分けを発表しますので、昼食を取ったあと移動をお願いします」
そんなこと聞いてなかった。てっきり俺は二軍施設に隣接する寮に入寮するものだと思っていた。
こんなところでも、棲み分けがされているとはな。
スタッフの人が振り分けを発表した。
俺と大沢が三軍、内田は二軍の寮に入ることになった。
考えてみれば、同じ育成でも1位の内田と、8位、12位の俺達は差があるに決まってるよな。
昼ご飯を食べたあと、出発までの間も俺達は三人で話をした。
大沢は一日でも早く二軍に行くからと、内田に誓っていた。
内田は俺に「お前は少し時間がかかるかもしれないけど、必ず二軍に来いよな」と言った。
俺も絶対二軍に上がってやる。
出発の時間が近づき、俺と大沢は他の選手と一緒に車に乗り込んだ。
車は香川にある三軍の寮に向けて出発した。
道中も俺と大沢はずっと話していた。
実は大沢も佐藤さんが担当スカウトだったらしい。
大沢は夏の大会の地区予選で自分のチームが大きく負けていたが、必死に声を出して、最後まで諦めずに全員プレーを貫いたそうだ。
その姿勢を高く評価して、佐藤さんがスカウト会議で推薦してくれたと、大沢が教えてくれた。
車は一時間半ほど走り、やがて三軍の寮に到着した。
三軍の寮はとにかくオンボロだった。
木造二階建てで、一階に浴場、食堂、トレーニングルームがあり、二階が選手の個室だった。
歩くとミシミシと音がなり、すきま風が入ってくるのでとても寒かった。
また、廊下をネズミが横切っていた。建物の中でネズミを見るのなんて初めてだから、衝撃をうけた。
二階の廊下には雨漏りの水滴を受けるためのバケツが置いてあった。
二軍の寮とは大違いだった。俺達は早速、格差をみせつけられた。
部屋に荷物を置いたあと、身体測定が行われた。
なんと俺の身長は前に測ったときより5cmも伸びていた。
とうとう身長が2mを突破してしまったのだ。
196cmのときでさえ、扉の上の部分に頭をぶつけたりして不便だったのに、更に伸びていて俺は困惑した。
その後は移動の疲れもあったのでゆっくりと過ごし、夜ご飯を食べたあと風呂に入って、明日から始まる新人合同自主トレに備えて早めに寝た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます