ep11 プロ野球の練習
飛行機とバスを乗り継いで無事にホテルに着くことができた。
一人で飛行機に乗るのは初めてで、羽田空港の中でも少し迷ってしまったが、なんとか自力でここまで来れた。
ホテルにチェックインしたあとはコンビニで買っておいたご飯を食べて、風呂に入った。
とにかく早く汗を流したかった。
風呂に入ると疲れが一気に吹き飛ぶほど気持ちよかった。
浴槽に浸かりながら、今日一日を振り返る。
やっぱりバドで飯を食べるというのはとてつもなく大変だと思った。
そしてプロ野球の世界も競争が激しくて大変な世界なんだろう。
けれども、バドにしろ野球にしろ、誰でも挑戦できるわけではないと考えると、俺は恵まれているんだな。
記者の山本さんが羨ましいと言っていたのをふと思い出した。
風呂から上がると、俺は倒れるように眠りについた。
翌朝6時に目が覚めた。
制服に着替えて、球団の人が来るのを待った。
7時前に俺のスマホが鳴った。
電話番号を見ると、スカウトの佐藤さんからだった。
「もしもし、岬です。おはようございます」
俺はすぐに電話に出た。
「おはよう岬君。あと10分くらいでホテルの前につくから、準備をして降りてきて」
てっきり球団スタッフの人が迎えに来ると思っていたから、少し驚いた。
準備をしてホテルの外に出ると、某有名外車メーカーのセダンが停まっていて、中には佐藤さんが乗っていた。
車に乗り込むと、佐藤さんが朝ご飯を食べたか聞いてきたので、食べてないことを伝えた。
佐藤さんの提案でファミレスで朝ご飯を食べることになった。
ファミレスの駐車場に車を停め、店内に入る。
佐藤さんの身長は190センチ位あり、俺も196センチあるから、店員さんは少し驚いていた。
席についてオーダーを済ませる。
食事が来るのを待っていると、20代くらいの女性が俺達のテーブルに近づいてきた。
「プライベートなのにすみません。メジャーでセーブ王のタイトルを取った佐藤一選手ですよね。私、大ファンなんです。サインもらえませんか」
女性が恐縮しながら佐藤さんに尋ねる。
「そうだなぁ、この子のサインも貰うならいいですよ」
佐藤さん何言っちゃってんの。
俺は心の中でこう思った。
「失礼ですが、こちらの方は」
女の人は誰なのこの人って顔をしていた。
「スパイダースに育成指名された岬君です。育成指名ですが、将来球界を背負って立つ男ですよ。僕が保証します」
おいおい佐藤さん、何言ってくれてんの。
野球をまともにやったことがない俺のハードルを上げないでほしいと心から思った。
「そうなんですね。期待してますよ!じゃあこの色紙に二人のサインをお願いします」
女性は微笑みながら色紙を差し出した。
佐藤さんがスラスラとサインを書いたあと、色紙は俺に回ってきた。
この流れで書かないわけにもいかないと思い、俺は自分のサインを書いた。
俺のサインは筆記体のサインだ。
なぜ俺が自分のサインを持っているかと言うと、 バドの試合会場で何回かサインを求められることがあり、自分のサインを考えたからだ。
今考えればサインを書けることが逆に恥ずかしかった。
俺はこの人がなんで色紙を持っていたのか聞いたら、実は彼女、このあとスパイダースの秋季練習を見に行く予定だったらしい。
これは結構な偶然だと思う。
佐藤さんは俺が自分のサインを持っていることを「一丁前にサインなんか書いて、100年早いよ」と茶化してきた。
ご飯を食べ終えて、食後のコーヒーを飲んでいるときに、俺は何で佐藤さんがスカウトになったのか聞いてみた。
「佐藤さんってメジャーリーガーだったんですよね。それなのにコーチや監督ではなく、なんでスカウトをしているんですか」
「あぁ、そのことか。よく聞かれるな。単純に監督やコーチには興味がないだけだよ。それに、俺はドラフト下位指名だったんだ。けれども俺は必死に練習して、上位の奴らを抜かし、そしてメジャーリーガーにまでなれた。だから、俺みたいなやつを一人でも多くプロ野球に輩出したいと思っているんだ」
なるほどなぁ。プロに選手を送り出せるのはスカウトの特権だよな。
俺達はファミレスを出て、一軍の本拠地のオレンジドームに向かった。
オレンジドームの中を佐藤さんに案内してもらった。
設備はとにかくすごいの一言に尽きる。
大きな食堂、最新マシンが所狭しと並んだトレーニングルーム、サウナ付きの大浴場、マッサージルーム、ホテルのラウンジのようなロッカールーム、一度に沢山の人が投げられるブルペン、屋内練習場。
上げればきりがないほどすばらしい設備ばっかりだった。
最後にグラウンドに案内された。
ホームベースから見る景色は圧巻だった。
360度観客席に囲まれていて、外野まで整備された人工芝が続いていた。
外野までの距離が遠く感じられ、フェンスも高いと思った。
佐藤さんは最後に、俺がこのグラウンドに立つ日を待ち望んでいると付け加えた。
ドームを出発した俺達は、佐藤さんの運転で約3時間かけて徳島県にある二軍の本拠地に向かった。
昼過ぎに二軍の本拠地に着いた。
佐藤さんはお腹空いただろと言って食堂に案内してくれた。
普通は選手や関係者しか入れないけど、今日は特別だと言ってご飯を食べさせてくれた。
ご飯はビュッフェ形式で品数も豊富だった。
どれも味が最高に美味しかった。
練習の日ですらこんな食事が出るなんて、プロ野球は流石だ。
ご飯を済ませたあと、俺はグラウンドに案内された。
そこでは50人ほどの選手が練習していた。
佐藤さんいわくここにいるのは一軍二軍のメンバーが主体だそうで、三軍のメンバーは香川にある三軍の練習場で練習しているらしい。
俺を三軍ではなく一軍や二軍の練習に連れてきたのは、プロのレベルの高さを肌で感じてほしかったからと言っていた。
まずはグラウンドの端にあるブルペンに案内された。
そこでは二人のピッチャーが投げていた。
「おっ、丁度うちの左右のエースが投げているな。左投げが白石で、右投げが常田だよ。よく見てご覧。二人の投球練習はすごいから」
佐藤さんが二人のピッチャーを指さしながら言った。
俺は二人の投球練習をじっくり観察した。
真後ろから見ていると、二人ともストレートは凄まじく速く、思わず目を瞑ってしまう。
変化球はベース板ギリギリまでストレートと同じ軌道で来て、そこから鋭く曲がっていた。
ボールを投げると、ボールからシューという音がして、パンッとキャッチャーミットに収まる。
「よく見てご覧。二人はストレートの質が違うんだよ。常田のボールは回転数が平均よりも多く、最後まで垂れずに伸び上がるような軌道なんだ。白石の方はストレートが少しだけ変化する、いわゆる汚いボールなんだ」
佐藤さんが俺に二人のストレートの違いについて教えてくれた。
よく見ると確かに二人のボールは違った。
俺は野球の素人だから、どちらがいいのかわからない。
「これってどっちが勝負の上で有利なんですか」
佐藤さんに聞いてみた。
「どっちもタイプが違って、それぞれが武器になるかな。手元で小さく変化するボールはバットの芯を外しやすいし、回転が多く伸びるようなストレートはバッターがさしこまれやすいんだ」
素人の質問に真剣に答えてくれた。
そうなんだ、どちらも武器になるって面白いな。
俺が投げるストレートはどういう系統なのだろうか。
しばらくブルペン投球を見たあと、今度はバッティング練習を見学した。
比較的小柄な選手がバッティング練習をしていた。
けれどもその打球に俺は衝撃を受けた。
小柄な選手にもかかわらず、ほとんどの打球が外野フェンス近くに飛んでいた。
またフェンスを軽々と越えていく打球もあった。
おそらく全ての打球を芯で捉えられているのだと思う。
しかも、ピッチャーが投げている球は高校生が投げるのとは比べ物にならない程速かった。
ここでも俺はプロの凄さを実感した。
その後も守備練習やダッシュなどの強化メニューを見学した。
選手たちは凄く辛そうな顔をしていたけど、目は真剣そのものだった。
見学が終わると、俺は小さな部屋に通された。
座るように促されて、椅子に座る。
「どうだった?今日の練習見学は」
佐藤さんが今日の感想を聞いてきた。
「正直、すべての練習に衝撃を受けました。ピッチャーの球は見ていて目を瞑るくらい速かったし、バッティング練習では小柄な選手が全く芯を外さず、軽々と外野まで飛ばしていたので驚きました。守備練習やトレーニングも高校の野球部の比にならないくらいキツそうてした」
とにかく一つ一つの動きに目が奪われた。
これがプロなんだと感激した。
「そうかい。今回の目的はプロ野球を肌で感じてもらうことだったけど、どうやら目的は達成できたんだね」
今回見学できて良かったと心から思えた。
更に佐藤さんが続ける
「それでは本題に入ろうかな。ここに契約書がある。君がプロ野球を進路に選ぶなら、今日この紙にサインして欲しい」
そう言って、テーブルに契約書と書かれた一枚の紙を出した。
「あと30分だけ時間をください」
俺は30分貰えれば決断できる気がしている。
「それはいいけど、実は君に伝えたいことがあるんだ」
今俺に伝えたいことなんてあるのか?
「うちの親会社は四国電産という企業なんだけど、グループ内にバドミントン部を持っているんだ。そこで、俺は君が野球を辞めたくなったり、野球で花開かなかったときに君を迎え入れてくれるように頼んだんだ。そしたら、先方が受諾してくれた。だから、こうしないか。君のことをうちの球団としては3年間面倒を見ると約束しよう。ただ、君がやめたくなったらいつでもやめていい。その時は四国電産のバドミントン部に君を紹介しよう。そして、野球を3年間続けたけど結果が出なかったときも同じように紹介しよう。君にとってはメリットしかないと思うよこの提案は」
俺の心は昨日まではバドに傾いていた。
けれども少しは野球に興味を持ちはじめていた。
この提案は魅力的に感じる。
「それじゃあ俺は30分後にこの部屋に戻ってくるから、君も戻ってきてくれ」
そう言われたので、俺と佐藤さんは部屋を出て別れた。
俺は外の空気が吸いたかったから、球場の外に出て、ベンチに腰掛けた。
俺は、どうしようかと悩んでいた。
すると30歳くらいの男の人が声をかけてきた。
「隣りに座ってもいい?」
俺がどうぞと答えると隣に腰掛けた。
「君が岬君か」
どうして俺のことを知ってるんだろう。
「名乗らなければいけないね。俺はスパイダースのスカウトをしている西田っていいます」
この人もスカウトさんなんだ。
それにしてもどうしてこんなところに。
「なんでこんなところにいるのって顔をしているね」
やべっ、顔に出ちゃってた。
「実は君に話しておきたいことがあるんだ」
この人も俺に話があるんだ。
俺は何ですかと聞いた。
「実は佐藤さんは君の将来に自分の進退をかけているんだ。具体的に話すと、スカウト会議で君を獲ることを進言したときに、交換条件として、君が入団して3年で支配下になれなかったら自分をクビにするように頼んだ。そして、3年間自分は無給でいいから、その分を君の年俸と育成費に充ててくれと頼んだ。中々首を縦に振らなかった上層部も佐藤さんがそこまで言うならと交換条件を飲んで君を獲得したんだ」
佐藤さんが俺を獲得するためにそこまでしたなんて信じられなかった。
でもこの人が嘘を言っているようにも見えないから、本当なんだろう。
「それとね、君が野球を辞めたときにグループのバドミントン部で受け入れてもらえるように必死に説得したのも佐藤さんだ。俺はその時、佐藤さんについて行ったんだけど、先方は初め、いい返事をくれなかった。けれども佐藤さんは土下座までして頼み込んだ。それが実を結んで、なんとか提案を受け入れてくれたんだ」
佐藤さんは俺がもし野球を続けなくても、バドに戻れる道まで用意してくたんだ。
俺はこの瞬間進路を決めた。
「俺、今決めました。スパイダースに入団します。入団して佐藤さんの熱意に必ず報います」
俺は西田さんに強く宣言した。
「そうか、よかった。でも俺がこの話をしたことは佐藤さんにも誰にも内緒だよ」
俺はわかりましたと返した。
俺が部屋に戻ると、佐藤さんが待っていた。
「佐藤さん、俺スパイダースに入団します」
俺がそう言うと、佐藤さんはありがとうと言って俺と固い握手を交わした。
そこから契約書に俺はサインした。
契約書には支度金300万円、年俸300万円と書いてあった。
育成選手だから年俸は高くないけど、寮生活だから生活には困らないだらう。
その後、これからの予定を確認した。
話によると来週のファンフェスタで新入団選手全員の発表を行うから、来週も愛媛に来なければならないみたいだ。
あと、年明けの第三日曜日が入寮日だそうだ。
契約が終わると、佐藤さんは所用があるため、帰りは西田さんにホテルまで送ってもらった。
徳島から3時間かけてホテルに戻った。
時刻は8時を過ぎていた。
この日もホテルに一泊して、明日の朝、神奈川に戻る予定だ。
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