ep9 指名挨拶
この日の夜、俺は今日の出来事を夕食のときに話した。
おばさんは「バドミントンでも実業団にスカウトされるってことは、太一くんの才能は物凄いんだね」と褒めてくれた。
杏奈はバドミントンをやっているから、大日本ユナシスの強さをよく知っている。
それだけにしばらく言葉を失っていた。
おじさんは「選択肢が増えてよかったな」と言っていた。
そしておじさんは「そう言えば明日お前の指名挨拶だった。言うの忘れてたわ。マジですまん」と言ってきた。
俺は内心もっと早く言ってほしかった。
少しは心の準備がしたかった。
次の日の朝
学校に行くと、山辺が杏奈に昨日、中道監督にもらったサイン色紙を手渡していた。
杏奈はそこに山辺のサインも書いてと頼んだ。
山辺が俺なんかのサインここに書いていいのかと戸惑っていた。
杏奈は駿くんは絶対スターになるってわかってるから今からもらっておくと言っていた。
山辺はまだサインがなかったようで、楷書で山辺駿と書いていた。(笑)
これはある意味レアになるかもしれない。
俺はこの日ずっと緊張していた。
その理由はもちろん指名挨拶があるからだ。
おじさんに午後から指名挨拶があるから昼休みで早退するようにと言われていた。
昼休みになると、俺は荷物をまとめて教室を出た。
その前に山辺から「そんなに緊張する必要なんかねえぞ。まあ頑張れよ」と言われた。
俺は指名挨拶を受ける応接室に向かっていた。
高校に入ってから約3年間入ることのなかった応接室に2日連続で入ることになるとは思っても見なかった。
ノックをして部屋に入ると応接室にはおじさんしかいなかった。
おじさんの話によると到着が少し遅れるそうだ。
「太一、偉いガチガチだな」と言っておじさんが笑った。
人が緊張してるのを笑う必要はないだろうとイラッとしたことは秘密だ。
「だって初めてのことだから、どんな話をすればいいのかわからないし」
「そんなん聞かれたことに答えて、臨機応変に対応すればいいだろうよ。そんなんもできないなんて小学生以下だぞ」と言って、またおじさんが笑った。
そりゃそうだけど、こんな機会初めてだから臨機応変ができるかわからねえっつーの。
知らない番号に電話するのすらガチガチで名乗り忘れるくらいなんだから。
だけど、おじさんは俺の緊張を解そうと笑わせようとしたり、色んな話をずっとし続けてくれた。
おじさんと話をしていると、おじさんの携帯の着信音が響いた。
「もしもし、山田です」
おじさんが電話に出る。
「はい、はい、わかりました。今から校門まで行きますのでよろしくお願いします」
おじさんが電話先の人にこう言って電話を切った。
「あと10分くらいで学校につくそうだ。今から校門まで出迎えに行くぞ」
おじさんに言われて、俺とおじさんは校門まで一緒に歩いた。
段々緊張が高まってくるのは、心臓の鼓動の速さから伝わってきた。
校門について5分程経った頃、校門の前に1台のタクシーが止まった。
スカウトさんが到着したようだ。
タクシーから大柄な男の人が2人降りてきた。
そして二人は俺達のところに歩いてきた。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
二人のうち身長が高い方の人が俺とおじさんに挨拶してきた。
「こちらこそ遠路遥々お越し頂きありがとうございます。立ち話もなんですので、こちらへどうぞ」
おじさんがそう言って、二人を応接室に案内する。
途中背の高い方の人が俺に話しかけてきた。
「やっぱり岬君大きいね。身長いくつだっけ」
「今は196センチあります」
俺は緊張で口の中がカラカラだったが、なんとか言葉を返した。
その後も言葉を交わしたが、緊張で覚えていない。
応接室に入り、俺とおじさんが同じ側に立ち、机を挟んで向かいにスカウトさんたちが立つ。
「挨拶が遅れました。私達はこう言う者です」
そう言うと、二人は名刺をまずおじさんに差し出した。
おじさんが受け取ると、今度は俺に名刺を差し出してきた。
俺は名刺を受け取ると、書いてある名前を見た。
さっきから話をしていた背の高い方の人の名刺には、【四国スパイダーススカウト部佐藤一】と書いてあった。
この人が電話で話をした佐藤さんだった。
声はやはり若々しかった。
見た目は30代半ばくらいだった。
そしてもう一人の白髪混じりの60歳くらいのおじさんから受け取った名刺には、【四国スパイダーススカウト部長城和彦】と書いてあった。
「それでは座りましょうか」
おじさんが促して、全員がソファに腰掛ける。
「これはつまらないものだけど、ぜひ受け取ってほしい」
そう言って佐藤さんが紙袋から色紙とぬいぐるみを出した。
「これはうちのチームの今田監督のサイン色紙と、マスコットのダーちゃんのぬいぐるみだよ」
「ありがとうございます。大切にします」
そう言って俺は色紙とぬいぐるみを受け取った。
今田監督のサインは正直字体が崩れすぎて解読不能だった。
ダーちゃんは蜘蛛をモチーフにした可愛い系のマスコットだった。
少しずつ緊張が解けてきた気がする。
「それでは佐藤の方から指名の理由を説明させて頂きます」
城さんがそう言うと、佐藤さんが続けて口を開く。
佐藤さんが説明した指名理由はこの間電話で聞いたとおりだった。
更に佐藤さんが続ける。
「ここまでは電話で岬君に伝えたよね。詳しい指名までの経緯を説明するね」
詳しい経緯は気になるな。
「はい、お願いします」
「僕がこの学校に来るのは今日で二回目なんだけど、一回目に来た日が確か志望届の提出期限の日だったかな。その日は山辺君を視察に来たんだよ。実は僕は山辺君の担当スカウトではなくて、山辺君はうちのチームの一位候補に最後まで残っていたから、状態のダブルチェックということでここに来たんだ。それで山辺君のブルペン投球を見たあとに帰ろうと思ったら、時間に余裕があり、丁度君たちがバッティング練習をしていたから見ていくことにしたんだ。そしたら、バッティングピッチャーがあまりにも不格好なフォームで投げていてね。思わず監督にこのピッチャーは何者だと聞いてしまったよ。そしたら、手伝いにここ一ヶ月くらい来ている野球素人のバドミントン部の部員だと聞いてね。それで、君のピッチングを興味本位でみていたんだ。そしたら不格好なフォームからあまりにも器用に変化球を投げることに驚いたんだよ。しかも君の変化球はストレートと同じ軌道でベース板のギリギリまで曲がらなかったんだよ。これはプロでもできない人がいるんだ。それに君は身長が高いが、極端な痩せ型だった。これは原石かもしれないと思い、監督にお願いして、ギリギリで志望届を出してもらったという事だよ」
俺の変化球がストレートと同じ軌道ということは今日始めて聞いたな。
これは武器になるのかもしれないな。
「それで僕を指名してくれたんですね」
「実はここからが俺にとって大変だったんだよ」
そう言って佐藤さんは笑った。
「スカウト会議で君を指名したいと言ったら、どんな選手なんだって聞かれたから、野球素人のバドミントン部員ですと言ったよ。そしたら全員に鼻で笑われたよ。最初の会議では全く相手にされなかった。けれども会議のたびに俺は君のことを推薦し続けた。そしてドラフト当日の最終会議でようやく上層部が折れて、君を指名することが決まったんだ」
なるほど、俺が指名されたのは佐藤さんの猛プッシュのおかげだったんだな。
しかし、山辺のダブルチェックで佐藤さんが来ていなかったら、俺がその日手伝いに行ってなかったら、俺が佐藤さんと出会うことはなかった。
つまり、ドラフト指名されることもなかったんだな。
そう考えると、様々な偶然が重なって今日という日を迎えていることを実感する。
「佐藤さん、改めてありがとうございます」
俺は感謝を伝えた。
その後は城さんが球団の育成方針、寮や練習場の設備について説明を始めた。
やはり、スパイダースは一芸を更に伸ばすという育成方針だった。
寮や練習場は想像以上に充実していて、野球に打ち込むには完璧な環境だった。
「説明しなきゃいけないのはこれくらいだな。あっ、それと最後に重要なことを言わなければならなかった。岬君、君は育成指名だ。育成選手は一軍の試合には出れないし、二軍の試合も同時に出場できる人数が限られている。育成選手はまず支配下を目指すんだけど、育成選手の為にうちのチームが用意している枠は3枠だ。うちのチームは育成選手が45人いて、その3枠をかけて三軍や二軍で熾烈な争いを繰り広げている。大半の選手は支配下になれず、日の目を見ることなくこの世界を去ることになる。もし、入団するならそれなりの覚悟を持って入ってきてほしい」
城さんがこう説明した。
支配下や育成についての違いはおじさんや杏奈、山辺から聞いていたけど、やはり厳しいものだと実感した。
「それで君は入団する気はあるのかい」
城さんが率直に聞いてきた。
「すみません。まだ悩んでいます」
俺はまだ決められなかった。
「そうかい。わかったよ。ファン感謝祭が今月末に開催されるんだけど、そのときに新入団選手発表がある。もし入団するならその時までに仮契約をしなければならないから、期限はそこまでとしよう」
城さんはそう言ってくれているけど、俺の都合で先方に迷惑はかけたくない。
だからなるべく早く決めよう。
「わかりました。しっかり考えます」
俺がそう言うと、佐藤さんが突然立って、俺の方に頭を深々と下げた。
「頼む。この通りだ。岬君、うちに入団してくれないか」
俺は佐藤さんの行動にびっくりした。
「佐藤さん頭を上げてください。とりあえず座りましょう」
俺がそう言うと、佐藤さんはソファに座ってくれた。
「突然すまなかった。けれども俺の気持ちは本気だ。ここ数年スパイダースは低迷してる。君は一人でその状況を打破できると俺は信じている」
佐藤さんが本気なのは十分伝わってきた。
「佐藤さんの気持ちはとてもありがたいし、十分伝わってきました。僕もズルズルと決断を遅らせたいとは思ってません。けれども、あと少しだけ時間をください」
俺はもう少しだけ時間が欲しかった。
「岬君、今週末予定は空いてる?」
今週末は土曜日にバドの体験に行くことになっていることを言った。
「それじゃあこうしないか。日曜日にうちのチームの秋季練習を観に来ないか?プロ野球というものを肌で感じて欲しい。そして、その場でプロに進むかどうか決めよう。もし、プロに来るならそこで仮契約を結ぼうじゃないか。もし、プロに来ないと決めたら、俺達も御縁がなかったと潔く諦めるよ。日程は土曜日の夜に愛媛まで来て、一泊して翌日練習を見学するっていうのでどうかな」
プロ野球の練習を見学して決めるというのは、とてもいい提案だと思った。
そして、そこを決断の期限にするのもちょうどいいな。
俺はその提案を受け入れることにした。
「その提案はすごく魅力的ですね。ぜひお願いします」
「オーケー。ホテルの手配とかはこちらでするから君はなんとか愛媛まで自力で来てくれ」
「わかりました」
そしてその後は世間話をして、挨拶は終わった。
校門まで二人を見送った。
佐藤さんはタクシーに乗る前にそれじゃあ待っているからねと言葉を残して車に乗り込んで、帰って行った。
挨拶が終わり、帰ろうと俺が校舎から出ると、山辺が待っていた。
「指名挨拶はどうだった」
そう聞かれて応接室で話したことをざっくりと伝えた。
「なるほどな。その佐藤さんがいなかったら、お前が指名されることはなかったんだな。もう一度佐藤さんの下の名前教えてくれないか」
何で下の名前なんか気にするんだろう。
「一(はじめ)だよ」
もしかしてこの人じゃなかった。
そう言って山辺はスマホを取り出し、1枚の画像を見せてきた。
そこには今日挨拶に来た佐藤さんが写っていた。
「そうそうこの人だ。でもどうしたんだ」
「やっぱりな。いや、この人は3年前にメジャーでセーブ王を取った人なんだけど、2年前に選手生命が絶望的になる怪我をして、突然表舞台から姿を消したんだ。まさかスパイダースのスカウトになっていたとは」
佐藤さんってそんなすごい人なんだ。でもコーチや監督ではなくなぜスカウトになったんだろう。今度会ったら聞いてみよう。
この日は野球部の練習がなかった山辺といっしょに帰った。
山辺は何かと俺のことを気にしてくれているみたいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます