6.3


「……よし」


 京と別れた後、私は頃合いを見計らって、優の家の前にいた。まあ、頃合いを見計らうといっても、タイミングを探って家の前で三十分程度歩いているだけなのだが。性分的に厳しいのだ、自分から人の家のチャイムを鳴らすのは。けれど、そんなことを言っている暇はない。早く、押さなければ。そう思っていた時。目の前の扉が、開いた。


「ん? 澪じゃん、どしたの」


 そこにはラフな服装で外に出てきた、優の姿があった。


「少し、話したいことがあって」


 私は行き場のない両手を体の下で遊ばせながら、一心の瞳を彼女に向ける。優は私を少しの間ジッと見つめると、ニっと笑った。


「いいよ、入って」


 そう言うと、彼女は家の方に手を指し伸ばしながら、玄関に戻っていく。私は素直にそれに従い、玄関に入り靴を脱ぐ。廊下を歩き階段を上っていく中、私たちの間に会話はなかった。優は昨日と同じように自らの部屋にたどり着くと扉を開け、私に中に入るように言う。


「お、お邪魔します」


「はは、そんな気遣わなくていいよ」


 ケラケラと笑う彼女を見ると、思わず頬が緩む。だが、やってきた理由を思い出すと、頬を両手で叩き気を取り直す。私の様子が変に映ったのか、優はいつものようなからかう瞳で私を覗く。


「で、なんでうちに?」


 私が机の前に座ると、彼女はベッドに座りながらそう言う。どもりそうになるもグッと堪え、思考を整える。


「昨日の話を、したくて」


 彼女にそう伝えると、一瞬呆気にとられるような表情を見せるも、すぐに普段通りの表情に変わってしまう。ふざけるようなため息を吐き、口を開く。


「あー、昨日のね。大丈夫だよ澪。あれは全部冗談だ――」


「優があんな冗談吐くような人じゃないのは、私が一番わかってる」


 真剣な眼差しを彼女に向ける。それを見て弁解は不可能だと感じたのか、優は外の方に視線をやる。


「……まあ、そりゃそうか。澪だもんね」


 意味ありげな言葉を吐くと、優はその視線を私の方に戻す。


「じゃあ今日は、私から謝罪を聞きにきたのかな?」


「そういうのじゃない。今日は優に、私の気持ちを伝えに来たの」


「澪の気持ち? そんなの、前から知ってるけど」


「前のじゃない。昨日を超えた、今の私の気持ち」


 淡々と言葉を吐いていく。外から烏の鳴き声が聞こえ、時間の経過を知る。


「分かった。澪の気持ち、教えて」


 優は隣の辺りをポンポンと叩き、私をベッドの方に導くようにする。私は素直にそれに従い、優の隣に腰を下ろす。足と足が触れてしまいそうな程の距離だった。

 陽も落ちてきて、橙色の光が差し込んでくる。この世界に私と優しかいないような、そんな感覚に陥る。そんな不思議な空間が広がっている時、私は口をゆっくりと開く。


「昨日、優は言ってくれたじゃん。付き合ってもいいよ、って」


「……うん。言ったね」


「私は嬉しかったの。本当に、嬉しかった。自分にずっと言い訳してきた感情に、ようやく区切りを付けることが出来るんだって。優とようやく、結ばれることが出来るんだって。そう、思ってた。優が、あんなこと言うまでは」


 私は優と視線を合わせず、自らの太もものあたりにそれを落とす。


「ショックだった。悲しかった。好きな人からそう言われたのに、そこに恋愛感情がないなんて言われたから。あの時の私は感情の爆発に耐えきれなくて、ここから逃げ出してしまった」


 言葉を着々と並べていく。優は何か言葉を吐くこともなく、真正面を見ながら、私の話を耳に入れる。


「あの後ね、私、京の場所に行ったの」


「……え?」


 優は青色の瞳を揺らしながらこちらを見る。その表情には、動揺が見えた。久しぶりにそんな表情を見たので、思わず口元を抑え、フフ、と笑う。


「事情を少し話したら、京は肯定してくれて。そして、告白もされて。キスまでしちゃったよ」


 事実を冗談交じりにそう語るも、隣の優の浮かべている表情は愕然としたものだった。口を少し開けながら、呆然と私の方を見る。


「だけど私は、最低で。京はあそこまで私を想ってくれて、行動にまで移してくれたのに、私が考えていたのは、これが優ならいいのに、だった。愛を持って私と接してくれて。私のことを想ってくれて。そう思ったの。酷いよね、私。自分は傷ついていたのに、優とやってたことと変わんないよ」


 そういうところも、似ているのかもしれないけど。そんな言葉を重ねると、優はグッと息を呑み、私の言葉を待つ。


「でも、京のお陰で分かったの。私が今、やるべきこと」


「やるべき、こと?」


 優は首を傾げる。私はそれに応えるように、頭を縦に振る。


「自分の気持ちに、素直になるってこと」


 そう言った後、私は大きく息を吸い、深呼吸を行う。少しの無音が発生した後、呼吸を整え、隣に座る優と視線を合わせる。青みがかるその黒髪は、夕方の日差しと調和し、美しい物になっていた。


「私は、優のことが好き。これはずっと変わらない。けど優は違う。私のことは好きじゃなく、私という『居場所』を求めている。お母さんや日和さんに求めていたそれと、同じように」


 優は私を好きじゃない、その事実を砕き吐いていくと、優は気まずさからか視線を外す。

 優は今、こう思っているだろう。澪も私の元から、いなくなるのだろうと。縁を切る口実を、探しているのだろうと。


「けどね、優」


 優の手を握る。強制的に、彼女の視線が私の瞳に注がれる。


「私は、それでいいよ」


「……え?」

 意識外の言葉だったからか、優は唖然とした表情を浮かべながら固まる。それは次に私が口を開くまで、解かれることはなかった。


「もちろん、嫌。優は私のことを好きじゃないのに、付き合うなんて。けれどそれで離れ離れになる方が、もっと苦しい。大好きな人が傍からいなくなるのは、もう嫌。前もそうだったの、会話を交わさなかったせいで、結びがなくなっちゃって。けど、今は違う。私は優と、こうやって話せてる」


 強く手を握りながら、そう口にしていく。私の瞳に映っている彼女はいつものような強い優ではなく、私のような弱い少女に見えた。


「だから、お願い。優が私のことを好きじゃなくても、私は優と付き合いたい、繋がりたい。恋愛感情なんてなくて、その場所を求めていたとしても、私はあなたの傍にいたい。それほど、優が好きなの。恋焦がれるほど、あなたが好きなの」


 握っていた手を胸の辺りまで引き上げる。告白を、もう一度行う。聞いたことも、見たこともない告白だ。だけど、それでいい。

 優は瞳を丸くさせると、震えながらも口を開く。



「いいの?」


「いいよ」


「澪のこと、好きじゃないのに?」


「うん」


「あんなひどいこと、言ったのに?」


「大丈夫だよ」


「恐怖の逃げ道を、あなたの背中に見ているだけなのに?」


 涙を零す。握っている手が震える。その姿を見て、私は手を離し、それを彼女の両頬に持っていく。美しい優の顔が、私の手によって包まれる。


「それほど私は、優のことが好きなんだよ」


 これ以上ない笑顔を、彼女に向ける。優の瞳からは大粒の涙が多数流れ、私は親指でそれを拭うようにする。何粒も何粒も流れてくるそれを愛らしく思い、一粒ずつ丁寧に親指で拭く。

 その後、優は泣いた。見たことない程、泣いた。その間、私は彼女を抱きながら、泣き止むのを待っていた。

 これ以上ない、歪な形。片方は居場所を求め、片方は零れる程の愛を向けている。恋人の関係としては、正しくないモノなのかもしれない。けど、いい。私たちは、これでいい。似ている私たちだから、間違えていてもいい。世間が指を指しても構わない。優以外の全ての人に蔑まれてもいい。それほど彼女のことを、愛しているのだから。



 その日から私と優は、正式に付き合うことになった。こんがらがっていた糸は、既に解けていた。

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