5.4

「はあっ、はあっ、はあっ……」


 逃げ出すように、数分間走り出した後。私は膝に手を当てながら、呼吸を整えていた。少しずつ安定してくるも、思考は安定しない。ぐちゃぐちゃになったままだ。

 優が、消えてしまう。それだけで私は混乱したのに、あんなことにまでなってしまうだなんて。分からない、何も分からない。


 歩きながら、優のことを考える。

 私の新たな光である、大切な存在である優。彼女のすべてが、私にとっては魅力的なものだ。

 ようやく、自分の思いに正直になっていいんだと思った。京のお陰で、喉の奥の方で突っかかっていた何かが取れて。ようやく優に、想いを告白していいんだと思った。


 優の隣に立てるなら、なんだって構わないと思った。……けど、違った。彼女は私のことを、恋人として求めていたわけじゃなかった。依存できる存在を、確保したかっただけなのだ。

 それにも応えられると思った。どんな形だって、優と一緒にいれればいいのだと思っていたはずだから。だけど、優が自分の思いをふと外に吐き出したとき、私は走り出さずにはいられなかった。


 私は彼女に、自らの恋に応えてほしかったのだろうか。そんな傲慢な考えが、私の中にあったのだろうか。どれだけ思考を巡らせても、答えにたどり着くことは無い。元から絡んだ糸を解く手段は、私の手元にはなかった。


 どうすればいい。そんなことを、胸に思う。歩いても歩いても、出るのは考えではなく涙だけ。太陽の出ている時間に泣きながら道を歩いている女子高生なんて、考えるだけでおかしい。

 とりあえず、家に帰ろう。私の考えを、何かにまとめよう。そう思い、走って家に向かおうとすると。


「……え?」


 ぽつん。

 目の下の辺りに、水滴が一つ。それはやがて大量の集団を引き連れて、地面へと落ちていった。

 突然の雨に遭遇した私は、それを遮る手段を持ち合わせていなかった。けれども、走るようなことはしなかった。この雨が、全てを流してくれるような気がしたから。私の心も体も、隠してくれるような気がしたから。


 大量の雨粒が無造作に辺りを襲う。細い住宅路をただ一人歩く私は、どんどんと出来る水たまりをわざと踏んでいく。靴に、靴下に水が浸透していく。どうしてか、心地が良かった。

 家まではまだ三十分程度ある。そんな時間もあってか、意図的に考えを辞めていたこの頭にも、思考が湧いてくる。


 どうして私は、優を許せなかったのだろう。許せないという言葉は不適切かもしれない。けれど、何故私は、逃げるという選択肢を取ってしまったのだろう。先ほど出せなかった結論に、再度たどり着こうとする。



「好きじゃない。けど、それで澪が隣でいてくれるなら、喜んで」



 それを聞いたとき、頭が真っ白になった。だって、私の中の恋人は、好きな人同士でなるものだと思っていたから。一種の、確認作業だと思っていたから。


「……あれ?」


 全身がずぶぬれになってきた頃、突然、違和感が生まれる。

 そういえば私は京と付き合ったとき、彼女のことを好いてはいなかった。大切な、一人の友人として見ていたはず。

 過去の私と今の優に、何か違いはあるのか。言葉に出さなかったから? いや、それは本質的な問題ではないはず。ならば、どうして?

 雨を足で踏み抜いていく。肩で水を受け止める。思考が流れるように、私の服から水滴が垂れていく。

 傍から見れば、私は家出した少女に見えるのだろうか。そんなことを、考えていた時。


 向こう側の方から、見覚えのある影が歩いてきた。それは傘をさしながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 そして、私の姿を視界に入れると。


「……澪ちゃん?」


 京は黄色の瞳を丸くさせながら、そう呟いた。


「……京」


「どうしたの? なんで、こんな雨の中?」


 あたふたとしながら、慌てた表情をこちらに見せる。どうしてか、そんな彼女が愛らしく感じた。何故ここにいるかなど、聞く気も失せた。


「大丈夫だよ、京。ありがとね」


 彼女の頭に濡れた手を置きながら、そう口にする。京は少し顔を赤くさせながら、バッグからタオルを出し私に差し出してきた。


「とりあえず、私の家に来て。ここからなら、私の家の方が近いはず」


「……そっか」


 タオルを手に持つ私を傘の中に入れながら、京は自らの家へと案内するように歩き始める。私は何も考えず、それについていく。

 今、何を選択すればいいのか。今、何を考えればいいのか。私には分からない。だって、そんな強い人間じゃないから。だって、そんな人間だったら優といないから。


 教えてよ、優。私は今、何をすればいいの。この思いを、どこにぶつければいいの。この思いを、どこに使えばいいの。

 何も持ちえない弱い私は、選ぶことを恐れ、思考することを辞めて、京に着いていくことにした。雨はますます、強くなっていった。

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