5.3
「……これが、立花優の考えていたことと、消えてしまう理由」
床に背を付けていた優は、いつの間にか姿勢を直し私の隣に座っていた。大きな青い瞳に、少しばかりの水を張らせながら。
「失望した?」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ。だって私は、逃げ場を求めて澪と一緒にいたんだから」
小さな顔を傾げ、窓から入ってきた光が青みがかる髪に反射し美しく光る。ただ、そこにいる優は、いつもの優とは違うものだった。浮かんでいる表情も、何故か不気味なものに思えた。
「笑っちゃうよね。私みたいだと思って近づいたら、こんなところで離れちゃうんだから。ほんと、バカみたい」
「バカみたいだなんて……」
「バカだよ、バカ。澪に離れてほしくないのに、自分ではそんな努力をしない。想いと行動が並行していないんだよ」
自らの嫌悪感に陥り、自暴自棄気味の言葉を口にしていく。私の前では見せなかった弱い自分を、簡単にさらけ出していく。
そんな優に、私は違和感を覚えた。名前の分からない感情が、私の中に湧き出てきた。
「澪だって、もう私のことなんていらないんでしょ? たった一人の友人だから、私と話してただけだもんね」
体育座りをしながら、腕と膝の間でこちらを睨みつける。
「そんなわけ、ないでしょ」
「嘘だよ」
優は簡単に、軽く言葉を吐いていく。そんな彼女に、私は少し苛立った。どんな思いで私が一緒にいたのか、どんな思いであなたの隣に居るのか。それを、全然わかっていないからだ。
「嘘じゃない。私も、優以外の人なんていらない」
「じゃあ今後、私以外の人と話さないって約束できる?」
「できる」
「嘘だ。だって前、日和に頼まれてたじゃん、文化部用の脚本の話」
「それも、断る」
「断れるわけないじゃん。だって、澪だよ? 自分の意思なんてない、私の背中を追いかけてばっかりの、あの澪が」
「……優は」
思わず。座っていた私は、勢いよく立ち上がる。優を睨みつけ、怒りの感情の矛先を彼女に向けながら。
「優は、全然わかってない。私があなたのことを、どれだけ思っているのか。私があなたのことを、どれだけ大切に思っているのか」
少し涙ぐみながら、自分の感情を言葉にしていく。その一つ一つに細心の注意を払いながら、少しずつ。繊細な、それでいて壊れやすい、その感情を。
「世界か優かって言われたら、私は優を選ぶ。私が死ぬ代わりに優が一日長く生きれるなら、私は死ぬ。優の隣に誰かいたのなら、私はこの世にいない。それだけ、大切なの。それだけ、大事なの。優のことを、心から思っているの」
一粒、二粒、涙が線となって地面に落ちていく。涙が落ちたカーペットに、小さい足跡がついていく。それはまるで、優の後ろをついていく私の足跡みたいだった。
感情を吐露し、涙を腕で拭きながら呼吸を整えていた時。優は体育座りをやめ、胡坐をかきながら。
大きな、ため息を吐いた。
「ねえ、澪」
「……なに?」
「澪ってさ」
瞬間。
彼女が、笑う。いつもなら輝いて、美しく見える笑顔を顔に作り出す。だがその顔に浮かべていた表情は、私には笑みには見えなかった。
恐怖を、覚えてしまった。
「私のこと、好きだよね?」
「……え?」
突然の言葉に、思わず頭が混乱する。だがそんな私を、優は待ってくれない。そうして、もう一度溜息をついた後。
優がこちらに向かって、大きく両腕を広げてきた。
「いいよ、私。澪なら、付き合っても」
「……え?」
「だから、澪なら私、付き合っていいよ。恋人になってもいいよ」
それを聞き、ようやく優が両腕を私に差し出してきた理由を知る。それは、抱擁を待っているときのものだった。
――私が優を、好き。
口になんか出せない。思うだけでも苦しくなる。名前の付けたくない感情の正体がバレてしまう。
だが、それを優が受け入れてくれるのなら。それならば、私は喜んでこの感情に名前を付けられる。『愛』という名前を。
次の瞬間、私は優に抱き着いた。優が私をどう思っていたかなんてどうでもいい。ただ彼女が、私を受け入れてくれるなら。私を好きでいてくれるなら。その事実があるだけで、私は喜んで両目を差し出せる。
優の背に手を回す。ほんのりと、体温が伝わってくる。顔が、燃えるように熱くなる。口から言葉を落とそうとしても、戻ってきてしまう。
ああ、幸せだ。そう思っていた。そんな時だった。
「そうしたらもう少しだけでも、生きれるかもしれないし」
表情は、見えなかった。
「私が受け入れるなら、澪はずっと隣に居てくれる。付き合うという鎖で澪を繋ぎとめられるなら、楽なことだよ」
ずき、ずき。心に、心臓に、優の言葉が刺さってくる。理解したくない内容が、頭の中に流れてくる。
そんな言葉を吐く優に、私はそれを聞かざるを得なかった。
「……優は、私のこと、好きじゃないの?」
背から手を離し、顔を優と合わせる。
その時の優の、その顔は、その表情は。
「好きじゃない。けど、それで澪が隣でいてくれるなら、喜んで」
――分からない。
見えない。見ているのに、分からない。
「キスだってするよ。ほら、澪。あなたの好きな優の唇が、ここにあるよ」
分からない、分からない、分からない、分からない、分からない。
その後は、よく覚えていない。ただ、分かっていることはある。
私は優を突き飛ばして、逃げるように家を出ていった。彼女の言葉も、耳に入った。だが、聞こえなかった。聞こえないことにした。私は、逃げたのだ。
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