5.2

 澪と出会ってからは、心が軽くなることは少なくなった。まあ、当然と言えば当然のこと。消えたいと思うことが少なくなったからだ。

 だが、あくまで少なくなっただけ。軽くなること自体は無くなっていない。内気、陰気である私が常にポジティブな考えでいることなんて出来るわけがないので、心の奥底では考えることもあったのだろう。だが昔より回数が減ったので、少し安心もしていた。


 周りの人は驚いていたようだった。あの立花さんが、という声も聞こえたりもした。けれど、私には関係ない。私には、澪さえいればいい。隣に、澪がいてくれればいい。そうすれば私が、消えることはない。私が、一人になることはない。

 高校を決めるときも、澪と同じになるようにした。澪も私と同じことを思っていたらしく、進学先をよく聞いてきた。私は家から近いけど、進学する人が少ないと思われる学校を選んだ。


 その頃から、澪の私を見る目が変わってきた気がした。もちろん、気だが。

 手を握ろうとすると頬を赤くするし、隣を歩こうとするとわざわざ少し後ろを歩く。恋人や思い人にするような行動だった。

 別に、悪い気はしなかった。それで、澪が私の隣にいてくれるのなら。想いを伝えてくれる日が来るのなら、気持ちに答えようとも思っていた。だけどそこに、私個人の好意はない。誰かがいるという安心感だけを、私は求めている。


 一生このままでいてほしい。一生変わらないでほしい。彼女に、そんな最低な思いを寄せていた。

 高校に進学しても、澪との関係は相変わらずだった。ずっとこのまま、そう思っていた。私が、悪手を打つまでは。


 心が軽くなることは、まだ続いていた。前より数は減ったけど、確実に軽くなってきている。どうにか対処法を探しているとき、とある方法を思いつく。

 それは、自己肯定感を上げることだった。人に注目されるような役に立ち、自己の満足度を高めれば、いつかはなくなるのではないか。そう思い行動に移そうとするも、運動は苦手だから部活動には入れない。文化部もやれるか分からない。そんな私の目の前に現れたのが、体育祭実行委員だった。


 これなら役を担っている感じが出るし、自己満足もできるだろうと。自分を押し殺し、勇気を振り絞って立候補した。幸い、他に挙手をした人はおらず、胸を撫で下し黒板に名前を書きに行った。そして、チョークを握り慣れない手つきで文字を連ねていると。


「不知火さん、やってくれるの?」


 隣に立っているクラスメイトが、澪の名を口にした。思わず振り返りそうになるも、グッと我慢しそのまま名前を書き終える。

 そうしていると、隣に澪が歩いてくる。慣れないことをしたからか、目をうつろうつろとさせながら。


「……珍しいね、澪。こんなこと自分からやるなんてさ」


「別に、単なる気まぐれ」


 照れ隠しをしようとしているのか、澪は可愛げのない言葉を吐く。それとは裏腹に、私には少し不安もあった。理由は分からない。ただ、漠然とした不安だけが、私を襲った。

 学校に日和がいたのは少し驚いた。どんな言葉をかければいいのか、どういう風にすればいいのか。だが、それは日和からの抱擁で杞憂に過ぎないこととなった。


 私には、澪がいる。だから日和と再会しても、あの頃のような気持ちになることはなかった。そして、体育祭実行委員の活動が始まるとき。目の前に、私と日和を引き裂くそれがやってくる。


 脚本。その時の私は、深くそれについて考えていなかった。ただ、付き合わせてばかりじゃ申しわけないから、せめて楽しんでもらえるかなと思って勧めただけなのに。それのせいで、澪は私に頼らず、委員長や日和に頼ることを覚え、私がいない場所でも生きることが出来るようになってしまった。

 澪が私に、置いていかないでと言ったとき、それは私の方だと思った。ずっとそばにいてほしい、私だけの澪でいてほしい。だがそこに、恋愛感情はない。ただただ私は、澪に居場所を求めているのだ。


 澪は、変わらないでね。


 ふと、口に出てしまった言葉。彼女に言われた言葉を、そのまま返す形となってしまった。だって、仕方ないじゃないか。体育祭準備期間も、体育祭が終わった後にも、澪が私以外の人と接触しているのだから。中学の頃はあり得なかったことが、目の前で起きていたのだから。

 日和の時はこんな思いにはならなかった。日和が友達と話していても、私とも一緒にいてくれればいいと思っていたから。


 けど、澪は違う。澪が誰かと話しているところを見ると、殺意に近い怒りが湧く。それは、日和が相手だったとしてもだ。

 私以外見ないで。私以外と話さないで。私以外のことを好きにならないで。

 自分勝手、そんなことは分かっている。だけど、嫌なのだ。澪が誰かといることを考えるだけで、胸が張り裂けそうになる。私は、捨てられるんじゃないか。もう澪にとって、いらない存在なんじゃないか。


 そして、その不安がこの身に襲い掛かってきた。加速したのだ、心が軽くなるのが。一日、二日、体育祭から澪との遊びまでの四日、二次関数的に心が軽くなっていったのだ。そこで、ようやく気が付いた。私の今の生きる意味は、澪にあったのだと。自分の存在価値を、澪に移していたのだと。

 もう澪は、彼女は私だけのものじゃない。私だけを必要とはしてくれない。もうあの、昔の私のように弱い澪はいない。

 だから私はもう、消えてしまうんだ。

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