4.2
「や、澪」
手をひらひらと空中で舞わす優。私は待ち合わせ時間に大幅に遅れ、優に現地集合をお願いした。彼女は既に席を取っており、どうやらメニュー表に視線を注いでいるようだった。
「ごめんね、遅れちゃって」
「全然大丈夫だよ。それより、どうして?」
「えーとね……」
言い訳をしようか、事実を伝えようか、二つの間で揺れ動いていると、その様子を見かねたのかメニュー表をパタンと閉じ、視線の対象を私に変えた。
「優桔京さんと会ってきたの?」
「え?」
心を見透かされたのか、急所を突かれたような反応を見せると、優は何か気に食わなかったのか、頬を膨らませ納得していないような表情を浮かべる。
「私と会う前に、元カノとあってきたんだ」
「いや、あの、違くて」
私の小さな脳みそでは、この場を繋ぎとめるような言葉は浮かばなかった。やり場のない手を空中で躍らせあたふたしていると、先ほどの表情とは打って変わって、優は楽しそうに笑った。
「大丈夫だよ。そんなの、澪の自由だしね。で、何頼むの? 私、ここのパンケーキ気になってたんだ」
私にメニュー表を渡しながら、そう口にする優。私はそれと必死に顔を合わせるも、頭が混乱したままで上手く選択が出来ず、結局優にメニュー表を返しながら、
「優と同じやつでいいよ」
と、口にする。
「せっかく来たのに、私と同じやつでいいの?」
「うん。優と同じのがいい」
「……そっか」
その後、私たちは定番の苺のパンケーキを二つ頼み、品が来るのを待つ。他の人が頼んだパンケーキのサイズを視野に入れてしまい、少しの不安が過るも、食べるものは残さないというポリシーを思い出し、決心する。手をギュッと握り心に決めた時、優が口を開いた。
「澪、これ食べ終わったら、私の家行かない?」
それは、突然のことだった。優の家。その三つの文字にどれだけの情報量がこもっているか、私の理解力では及ばなかった。
「返事はないの?」
青色の瞳をこちらに覗かせた時、ようやく私は意識が戻ってくるような感覚が体に訪れた。心配そうな視線を私に向ける優に対し、どうにかして返事を返そうと思い、その場しのぎで言葉を吐く。
「う、うん。もちろん」
「了解。じゃあ、来るのを待つとしますか」
それからは特に意味のない会話をし、大きな苺のパンケーキを食べ、少し苦しくなりながらも完食し店を出た。優は満足そうな顔をしているが、私は今にでも吐き出しそうな程辛く、よろよろと歩いていた。
「大丈夫?」
いつものように、前を歩いてた優はこちらを振り向きながらそういう。私は取り繕いの表情を彼女に見せ、大丈夫だとアピールをする。
「苦しかったら言ってね」
「うん」
木々は桜の色を忘れ、青々と生い茂っている。まだ六月なのに夏かと勘違いしてしまうほど気温は熱く、せっかく着てきたお洒落な上着も脱ぎたくなってしまうほどだ。だが彼女との距離は離されないように、早歩きも交えながら歩く。そんなことを繰り返していると、
「ここが私の家」
「おお……」
ようやく、優の家へとたどり着いた。外見の特徴はさほどなく、坂道の途中にある青色が目立つ一軒家、そう言い表すのが一番わかりやすかった。だが、そんなものはどうでもいい。優の家には入れるという事実を目の前にし、気分が高まり変な行動をしないようにしなければ。そう胸に誓っていると、優は玄関の扉を開けた。
「どうぞ、上がって」
「お、お邪魔します」
長い黒髪を右手で撫でながら、弾力のある唇を見せそういう京。何故か色っぽく見える彼女に頬を赤く染めると、それを隠すように視線を外す。
「こっちだよ」
優はそういうと、バスガイドのお姉さんのように私を案内するため、こちらをチラチラと確認しながら前を歩くようにする。そんな彼女の一挙一動にドギマギしていると、途中で一枚の写真を見つける。
廊下の隅にあるタンスの上に置いてあった、男の人が移っている一枚の写真。容姿から察するに、恐らく優のお父さんだと思われる人だった。
「これ、お父さん?」
私は思ったことをそのまま口にする。
瞬間。優の顔が、分からなくなる。優の表情が、見えなくなった。
悲しいような、辛いような、又はその両方か、それ以外か。そんな名前の付けられない感情を顔に浮かべると、私に返事をするため口を開く。
「私には、分からないんだ。多分、お父さんなんだけど」
「多分?」
「とりあえず、私の部屋に行こうよ」
彼女はそういうと、先ほどの気遣っていた速度から一変し、早歩きともいえるくらいの速さでその場所へと向かった。幸い家の中だったので、なんとか追いつけた。
「お、お邪魔します」
再度その言葉を口にし、優の部屋らしき場所へと足を踏み入れる。
優の部屋は思ったより簡素的なもので、ベッドにテレビ、机とタンスが置かれていた。だが私の目にはそれらのすべてが特別なもののように見え、目を輝かせざるを得なかった。
「つまんない部屋でしょ?」
優は真ん中に置いてある机の隣にバッグを置きながら座ると、愛想笑いのようなものをしながらそう口にする。私が咄嗟に大げさに首を横に振ると、少し嬉しそうな表情を見せる。
私も優と対になるように座る。優が話し出すのを待つも、一向にその気配はなく、その場には静寂の空気が纏いつく。あまり好まないそれに対し、何とか話題を出そうと思うも、そんな才能は私にはなかった。
「ねえ、澪」
口を先に開いたのは、優の方だった。私の名を呼びながら窓の方に視線をやる彼女の表情は、先ほどと同じものだった。
「なに?」
「澪はこの世界から消えてしまいたいって、思ったことはない?」
机に肘をつき、上目遣いになるような姿勢を取る優。珍しい顔を見せる彼女のそれを視野に入れると思わず顔が赤くなり、隠すことなんてできるはずないのに、プイと横を向いてその場を凌ごうとする。
「……ない」
「へえ。澪は一度でも、考えたことあると思ってた」
口を少し開き、驚くような表情を見せる優。
普通、私の境遇に立ったのなら、一度はそんなことも思うだろう。だけど私の傍には、いつも誰かがいた。京と優、この二人のどちらかがいなかったら、私もそんなことを思っていたのかもしれない。
「うん、ないんだ」
瞳を閉じながら、小さく笑顔を作る。それとは反対に、優は寂しそうな表情を私に見せた。
「そうなんだ」
彼女はそう口にすると、床に背中がつくように寝っ転がる。机によって、表情を見ることはかなわなかった。だけどそれが、何故か危ないようにも感じた。
「引き寄せの法則って知ってる?」
「え?」
起き上がりながら、意を決したような目を見せる優。唐突にその言葉を耳にしたので、反射のように頭を横に振る。
「強く願ったことは、いつか叶うという法則。本来は、夢とか将来を語るうえで使われる言葉だね」
「なんで、それを?」
「……ちょっと、信じられないかもしれないけど」
彼女はそういうと、真剣な眼差しを私に向ける。彼女と私を繋ぐ空間に、独特の空気が落ちる。
「私ね、一時期、消えたいと思ったんだ。本気で」
「え……?」
優はそれを口にすると、再度仰向けになるように床に寝転がる。先ほど見えなかったその顔に浮かべているものは、形容できそうにないものだった。触ったら、壊れてしまいそうな。近づいたら、逃げてしまいそうな。そんな、繊細なものだった。
「私もうすぐ、消えちゃうみたい」
その言葉が意味するものは、その時の私には分からなかった。ただただ終わらない情報が、私の頭の中を廻り続けた。
ただただ彼女の言葉が、頭の中でこだまし続けた。
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