4.1 再会

 私たちは先ほどの本屋から、一階上にある喫茶店に移動していた。私は目の前に座っている彼女と同じものを頼み、何を言えばいいのか分からず視線を膝の上に落とし、無口になっていた。

 そうしていると、京はメニュー表を脇に置き口を開いた。


「久しぶりだね、澪ちゃん」


 私がおどおどとしている中、笑顔を浮かべる京。その表情に、嘘偽りは見えなかった。そんな彼女を前にすると途端に自分が恥ずかしくなり、視線を合わし言葉を返す。


「うん、久しぶり」


「どう、学校は?」


「まあまあ、楽しいよ」


「ほんと? 私も」


 自分たちの過去の記憶に封をしたように、他愛のない会話を交わす。最近の様子は、体育祭は、文化祭は。そんな会話を続けていた時、突然京は思いつめた表情を顔に浮かべる。私もつられるように口を閉じると、彼女は黄色の瞳を私に向けた。

 口は開かなかった。ただ私を、ジッと見つめるだけ。私はどうすればいいのか分からず、同じように彼女を見つめる。そうしていると、ようやく京は啖呵を切るように言葉を落とす。


「ごめんね、澪ちゃん」


「……え?」


 彼女はそう呟くと、瞳に水面を張った。それはやがて膝の上に落ち、声を漏らさないように泣き始めた。私はそれにとやかくいうことは無く、自分の膝に視線を向け、京が泣き止むまで待った。

 数十秒経った頃、京は目を腕で擦りながら、私に謝罪をした。


「本当に、ごめんね」


 涙を拭きながらそういう彼女を目の前に、罪悪感で体を満たしながら、机の上で両手をひらひらと振る。


「いや、大丈夫だよ。むしろ謝らなきゃいけないのはね、私の方なんだよ」


「澪ちゃんの、方?」


 京は不思議と思ったのか、首を横に傾げる。

 何度、この時を願っただろうか。何度、言葉にしようとしたか。あの時言えなかった、言えるはずもなかった言葉を、私は京に対して口にした。


「京が私よりも酷いいじめにあってるのにも関わらず、それを守ってあげられなかった。京がどう思っているのかも考えず、自分のことだけを考えていた。私はあいつらのいじめなんかより、よっぽどひどいことを京にしていたんだ。償っても、償い切れないよ」


 いざ口に出し言葉にしてみると、自分のことが嫌になる。愛していた彼女一人も守れなかった私のことを、嫌いになる。自己嫌悪に陥っていた、その時。


 私の手を、京が握った。


「全然違うよ、澪ちゃん。なんで、そんなこと言うの。あなたからも、いじめからも逃げたのは、私の方なのに」


 どうやら、席を立ち私の方に対して手を伸ばしているようだった。先ほど泣き止んでいたはずなのに、再度その目には水が張っている。強い人間だと思っていた彼女が、ここまで涙もろいなんて。少し、口元が緩む。


「ずっと謝りたかったんだ、澪ちゃんに。理由も言わずに、あなたの元を去ったこと、いじめをすべて、あなたに押し付けてしまったこと。本当に、私のせいで……」


 言葉を繋いでいる最中に、又も涙でそれを遮ってしまう。そんな京を見ていると、思わずその涙を自らの人差し指で拭う。京は少し戸惑った様子を見せるも、可愛らしく微笑んだ。


「なんか、昔みたいだね」


「そうだね。楽しかった」


 そう返事をすると、京は姿勢を戻し、再度神妙な表情に戻った。その間にコーヒーが二杯私たちの卓に届き、一つを手に取り口を付ける。少し苦いそれに、思わず顔をしかめた。


「ねえ、澪ちゃん」


 京が、私の名を口にする。私は当然のように、言葉を返す。


「なに?」


 すると、京は何かを言おうと思ったのか少し口を開くも、肝心の言葉を出さずにいた。奇妙なその行動に対し、私は不思議そうにする。そうすると、彼女は言葉を飲み込んだのか一度口を閉じ、ピンク色の前髪を右手で触りながら再度それを開いた。


「学校では、友達出来た?」


「できたよ、一人」


「……立花優さん、だっけ?」


「ええ⁉」


 彼女から出てきた人名に、コーヒーを吹き出しそうになるもグッと堪え、むせることで難を凌いだ。少し落ち着くと、私は疑問の言葉を彼女に投げかける。


「なんで、優のことを?」


「人伝いでね。良い子なの? 立花さんって人は」


 両手で顔を固定し、肘を机に付けながらそういう京。そんな彼女を目の前に、どう優を伝えるかを考える。私を引っ張ってくれる人? 私を大切にしてくれている人? 湧き出てくる言葉の取捨選択を、脳内で行っていた。


「なんでそんなに、顔赤いの?」


 少し低めのトーンで、京はそういった。


「え、そう?」


 私はそれを確認する術を持たないので、仕方なく両手を頬に付けて隠すようにする。そうしていると、京の瞳が一瞬、曇ったように見えた。


「……澪はその人のこと、どう思っているの?」


「思っているって?」


「そのままの意味。どうなの?」


 その問いに対し、私は顎に指を付けながら頭を悩ませる。

 私にとっての、優。友人以上の何かなのは、確実。だが優に向けている感情は、私の中で何なのか分からない。理解したくない。私自身がその感情に言い訳をしているのに、京に対して説明もできるはずない。言葉を探していると、その空間には張りつめた空気が訪れる。


「いや、やっぱいいよ、澪ちゃん」


 その空気を換えたのは私ではなく、辛そうな笑顔を浮かべた京だった。


「いいの?」


「うん、大丈夫。それ聞いたら私、泣いちゃいそうだから」


「え?」


 彼女はそういうと、目の前に置かれているコーヒーをやけのように一気飲みをする。「苦い」と当然の反応を見せながらそう呟き、舌を出す。


「大丈夫?」


「うん。ありがとね、澪ちゃん」


「? うん」


 何故京が私にお礼を言ったのかは分からなかったが、私は彼女に少しでも償いが出来たと思い、満足な心持ちで彼女との残りの時間を過ごした。


「ここは私が払うよ、澪ちゃん」


 会計時、京は財布を開けながらそういうと、一枚の札をトレイに乗せる。だが流石にバツが悪く、私はそれを止めようとする。


「それは悪いよ、京」


「いいって、なにせ私、バイトしてるし」


「でも……」


「いいから」


 半ば強引に支払いを済まされたため、何とかして京にお金を渡そうとするも、どういう意地なのか断られた。返す返さないの口論を続けていくと、何故か昔の空気が私たちの間に訪れたような気がした。懐かしい、あの空気が。もう戻らない、あの空気が。

 帰り際、連絡先だけ交換し、別れを告げようとすると、切羽詰まったような表情をこちらに見せながら、口を開いた。


「ねえ、澪ちゃん」


「なに?」


「女の子同士で付き合うのはおかしい。私前、澪ちゃんにそう言ったよね」


「……そうだね」


 胸の奥に引っかかっていた、呪いのようなその言葉。突然それを突き立てられ、私は地面に視線を落とすことで罪逃れをしようとする。


「私はね、澪ちゃん。あなたと一緒にいたこと、あなたとデートをしたこと、あなたと付き合ったこと。あの時間、全てが楽しかった」



「幸せだったよ」



 手を背の方で結び、瞳を閉じながら笑顔を浮かべそういう京。そんな彼女を目にしたとき、私の頬には自然に一線の涙が流れていた。


「あれ……?」


 その涙をこぼさない様に、手のひらを上に向け受け皿のようにする。けれども、全てを捉えることは出来なかった。


「ばいばい、澪ちゃん」


 そういい、私に顔を見せずに向こう側へ走り去っていこうとする京。その背中に、不安を覚えた。ここであの手を握らなかったら、私はもう一生京に会えないんじゃないか。そんな考えが頭を巡った。だけど、行動には至らなかった。私は涙を流したまま、彼女の背中を見つめていた。ずっと、ずっと、見つめていた。






 夢を、見ていた。澪ちゃんと関係を修復し、彼女の隣を歩く夢を。彼女と手を繋ぐ夢を。


「あんな顔されたら、言えるもんも言えないじゃんか」


 立花優の名を口にした瞬間、澪ちゃんの顔は昔私に見せていたあの顔になっていた。想い人に対する、あの目を。

 私にしか見せないと思っていた、私の特権だと思っていた。だけど澪ちゃんは、それを立花優に向けていたのだ。行き場のない感情を逃がすように、血が出るほど唇を噛む。

 ポタ、ポタ。一粒、二粒、地面に涙が落ちる。その涙が私のものだと気づくのに、時間は要さなかった。


「なんで、背中を押すようなこと言っちゃったのかなあ」


 あの表情から察するに、澪ちゃんは多分、女の子に恋をすることを罪だと思っていたのだろう。傲慢かもしれないが、恐らく原因は私。だけど、彼女が立花優に向けているものは、間違いなくそれだ。だけど私のせいでそれを許すことは出来ず、曖昧な関係が続いているのだろう。私の最愛の人が、私のせいで苦しむのだけは避けたかった。


「……まあ、もう遅いんだけど」


 こんな結果になったのは、全て私が逃げてしまったから。いじめからも、澪ちゃんからも。全て放棄し諦めたのは、私自身だ。今更どうこうなんて、出来るわけない。


 ……だけど。


「好きだったなあ」


 思わず、それを呟く。それに同期し、私の瞳からはたくさんの涙が溢れ出る。それを止めるようなことは、何も持たない私には、できるはずがなかった。

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