3.2


 それからは、よく覚えていない。目の前に立った事実は、京が転校したというそれだけだ。

 京と連絡を取ることはなくなった。彼女の電話番号に連絡をしても、帰ってきたのは機械音質の声だった。

 いじめの矛先は全て私の方を向くことになった。だけど、それは私に対する罰だと思い、全て受け止めた。別に、苦しくはなかった。彼女の痛みを私が請け負っていると考えていると、むしろ褒美にも思えた。

 そうして、私が三年生を迎えた頃。私の前に、あの子の存在が現れた。

 いつものように、私のいじめが行われていた頃。昼休みに入り、一人で昼食を取ろうとしたとき。私の弁当箱が、誰かも知らない人の手により、宙へと落ちていった。それはやがて地面と接触し、聞きなれない音を響かせた。

 少し唖然とするも気を取り戻し、犯人だと思われる人の顔を覗き込む。ニヤニヤと笑みを浮かべ、二人の女子生徒を後ろに従えながら、こちらを見下すようにしていた。ごちゃごちゃ何か言っているが、私の耳には届かなかった。

 別に、いつものこと。周りの人たちも、私のことを見ていない。だって、これが日常なのだから。そう思い、弁当箱を拾おうとしたとき。一人の少女が、口を開いた。


「やめなよ、それ」


 背の方から声がする。だが、私に後ろを見る度胸はなかった。それは、助けを求める行為になってしまうから。

 その声の持ち主は犯人の手を掴みながら、力強く言葉をそう口にする。掴まれたのに苛立ったのか、ブンと腕を振り払う。


「なに、邪魔すんの?」


「うん、そうだよ」


 私の背の方で会話が進んでいる。当事者なのに部外者のような扱いをされているような気分になり、何をすればいいのか分からなくなる。そうしていくつかの会話が行われると、面倒だと思ったのかその三人の女子生徒は教室から出ていった。

 助けられた。その事実が、頭の中で巡る。だが、そんなことよりも、まず。

 私は背の方を振り返る。するとそこには、ハンカチを私に差し出す美少女の姿があった。


「大丈夫?」


「……はい」


 そう返事すると、彼女は瞳を閉じながら、笑顔で私に返す。青みがかる長いその黒髪が窓からの風で揺れ、太陽の光で美しく輝く。その瞬間、私の景色に色が帰ってきたような気がした。

 立花優。私に話しかけてくれた人物の名前だった。何故、私を助けてくれたのか分からない。だけど何故か、私のことを気にかけてくれた。だが私は、その手をすぐに取ることはできなかった。


「なんで、あんなことしたんですか」


 昼休みが終わり、五時限目の前の休み時間、教室とは対極的な静けさを宿しているトイレに二人で入ると、睨みつけながらそういう。今考えるととんでもない態度だが、その時の私にとっては仕方のないものだったのだ。


「あんなことって?」


「私を、助けるような行為をしたことです」


「ああ、そういう意味ね」


 背の方で手を結び、思い悩むような素振りを見せた後、目の前の彼女は閃いたように口を開いた。


「だって、助けてほしそうにしてたんだもん」


「……私が」


「そう、あなたが」


 私を指さしながら、そのようなことを口走る目の前の女性。その言葉に対し、私は苛立ちを覚えた。


「そんなわけ、ないじゃないですか」


「なんで?」


「私があのような行為を受けるのには、それ相応の理由があるんです。あの子の痛みを私が受けることで、私は彼女と繋がることができるんです。それを奪うような行為は、やめてください」


 はあ、はあと息を切らしながら吐き出すようにそういう。


 私の存在している理由は、全て京が持って行ってしまった。もう私には、これしか繋がれる方法がないのだ。依存先が、そこにしかないのだ。

 他人から見たら訳の分からない言動を、唖然としている目の前の女性にぶつける。そんな状況にハッとし、まずいと思い何とか弁明を図ろうとした、その時。目の前の女性が、彼女が。


 優が、笑った。


「じゃあ、私と一緒にいようよ、澪」


「……え?」


「一人ぼっちは、寂しいじゃん。友達になろうよ、澪」


 そういい、笑顔を浮かべながら私に対して手を差し出す優。その手を取れたかは、よく覚えていない。ただその後から、優と私は良く話す間柄となった。

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