3.1 澪と京

 私と彼女、優桔京は小学生の頃からの幼馴染だった。付き合い始めたのは、進学したての中学一年生の春。桜と同じ色をしている髪をいじりながら、頬を真っ赤にして私に思いを告白してきた。

 もちろん、最初は戸惑った。別に私の恋愛対象は女の子ってわけでもないし、相手は親友だと思っていた京だ。だが、真剣な眼差しを私に向ける彼女に対し真摯に向き合おうと思い、長く悩んだ結果、付き合うことにした。

 それからは楽しかった。付き合う前はなんとも思わなかった彼女の手のひらも、いつの間にか握るたびに笑みが零れていた。一緒に食べるご飯も、彼女と食べると何故かもっと美味しいと思えた。

 印象的なのは、付き合ってから初めて迎えたクリスマス。彼女と私は手を繋ぎながら、テーマパーク内を歩いていた。


「ねえ澪ちゃん。あれ、見て」


「あれ?」


 京が指を差した方向に視線をやると、そこには様々な光によって美しく照らされている観覧車があった。思わず感嘆の声を漏らすと、隣にいる彼女は繋いでいる手を強く握り、黄色く輝いている目を私に見せた。


「あれ、乗ってみたい」


「うん、乗ろうか」


 私には京の提案を断るという考えが存在していなかったので、二つ返事で了承した。

 彼女は小走りでそこまで向かい、私は手を引っ張られながら京についていくようにした。

 観覧車からの景色は至って普通だった。まあ、こんなもんか。ロマンチックとはかけ離れている私が持っていた感想は、そのようなものだった。だけど、目の前に座る彼女は違っていた。

 窓に両手を張り付けながら、外の景色を楽しそうに見ている京。ピンク髪のショートカットが僅かな光によって美しく映え、可愛らしいその見た目を強調していた。


「綺麗だね、澪ちゃん」


「……そうだね、京」


 私は彼女とは別の景色を視界に持たせながら、そう答えた。




 事件が起きたのは、進級してから少し経った、中学二年生の五月頃。偶然同じクラスになった私たちは他の人の視線なんて気にせず、席を近づけて昼食を取りながら話していた。そんな時、とある一人のクラスメイトが私たちの席に近寄ってきた。


「ねえ、不知火さん。少し、いいかしら」


「……」


「……あの?」


「ねえ、澪ちゃん。本田さんが呼んでるよ」


「え?」


 そこでようやく、私は呼ばれたことに気づいた。軽い謝罪を交えながらも、私は座りながら「なに?」と返事を返す。


「……二人って、どういう関係なの?」


 後ろに二人のクラスメイトを従えながら、本田さんと呼ばれる人物は私にそう問いかけてきた。私は質問の意図が良く分からず、思わず聞き返してしまう。


「どういうこと?」


「そのまんまの意味。だって二人、距離が近すぎるんだもん」


 彼女がそう口にすると、後ろの二人もこぞって「そーよ」「なんか変」と言いたい放題言葉を吐き出す。聞き流そうと思っていた私は上手く返事ができず、返事を探そうとすることで口ごもってしまう。すると、目の前に座っている京が突然私の手を取り自らの頬に当てながら、珍しく少し大きな声量でこういった。


「私たち、付き合ってるの。ね、澪ちゃん」


 可愛らしい笑顔を浮かべながら、宣言するようにそういう京。彼女の柔らかい頬の感触が私に伝わり、顔を少し赤くしながらもこくりと頷く。

 その時までは、まだよかった。私たちの中で関係が完結していたから。だけど、それが周囲の事実となった時。思春期真っ盛りの中学生たちに影響を及ぼすには、さほど難しくはなかった。


「……女子同士で」


「うん。女の子同士で」


「……なにそれ」



「気持ち悪い」



 いじめ。

 その後の私たちの待遇に名前をつけるなら、それが最適だろう。私と京が付き合っていることは学年中に広まり、私たちは学校の中で常に好奇の目で見られることになった。それだけなら、まだよかった。


「どうしたの、京、それ」


「……なんかね、トイレ入ってたら、突然」


 彼女の可憐さを強調させる美しいピンク色の髪は激しい豪雨の後のように濡れており、その影響によりシャツがかなり透けていた。私の上着を貸すことで、一応は凌ぐことは出来た。

 いじめは加速していった。教科書が盗まれる、備品がなくなる、トイレ中に水を掛けられる、挙句の果てには階段から突き落とされそうになる。犯罪まがいなそのような行為を、私たちは受けていた。

 何故、これほどの仕打ちを受けなければいけないのか。そう考えていた時もあったが、それは意味のないものだった。多感なこの時期を生きるあの人たちにとっては、もはや理由などどうでもいいのだろう。石を投げても怒られない、影口を言っても正当化される。そんな存在が欲しかっただけなのだ。

 もちろん、先生にも相談した。だが面倒だったのか、真剣には対応してくれなかった。まあ、それもそうだろう。公立の教師なんて、そんなものだ。

 そんないじめを受ける中、私たちは変わらず学校に通っていた。私には、京さえいればいい、あの子さえいれば私は大丈夫。そんな思いで通っていた。それは、京も同じだと思っていた。

 夏休みに入る前頃の時、突然京が学校に来なくなった。一日くらいならさほど問題はない。だがそれは二週間続いた。私の連絡にも返事を返さなくなった時、私は彼女の家へ急いで向かった。


「……やあ、久しぶりだね、澪ちゃん」


「うん。久しぶり、京」


 京はグッタリとしていた。外見の変化に気づけない私でも分かるくらいに。髪色と同じ色のパジャマを身にまといながら、彼女は自分の部屋まで案内してくれた。

 そして、私が腰を下ろし、二人で机を囲んだ時。京は瞳を薄く開きながら、口を開けた。


「で、どうしたの澪ちゃん。私の部屋に来るなんて、珍しいね」


「どうしたのじゃないでしょ」


「……まあ、それもそうだね」


 お茶が注がれたコップを手に取り口を付け、それに息を吹きかけるようにする京。私はそれをジッと見つめながら、彼女の口が開くのを待つ。


「別に、大した理由じゃないよ。なんか、疲れちゃっただけ」


「疲れちゃったって、いじめが?」


「当たり前じゃん」


 珍しく強い口調の彼女に対し、思わず狼狽えてしまう。目の前の彼女は手をプルプルとさせながら、コップに涙を落とす。


「私ね、転校することにしたんだ」


「……え?」


 突然の告白に、頭が真っ白になる。私が彼女に返せる反応は、言葉になっていないそれだけだった。


「お母さんの知り合いにね、そういう人が居るんだって。今の時期なら編入も間に合うらしいから、そこに行くことに……」


「ちょ、ちょっと待ってよ」


 京の言葉を遮るように、私は両膝を床に付けながら、彼女の腕に手を掛ける。その姿に何を思ったのか、京は黄色の瞳を丸くさせながら私と視線を合わせる。


「私は? な、なんで、相談もなしに……?」


 京から突然突き付けられた事実を目の前に、私は混乱しながらもそのように言う。

 そのような行動に走る前に、まず私に相談すると思っていた。だって、今までの彼女ならそうしていただろうから。恋人って、そういうものだとおもっていたから。

 私は淡い赤色の瞳を揺らしながら、京に迫り答えを待つ。少しの時間静寂が空間に訪れるも、気まずそうな表情を浮かべながら、私と視線を外した京がそれを割いた。


「……私の弱さに、あなたを巻き込みたくなかったの」


「私の、弱さ?」


 私は姿勢を戻し、正座の状態で京の言葉をもう一度口にする。彼女はコクリと頷くと、涙ぐみながら口を開く。


「私ね、もう耐えられなかったの。誰もいじめを止めてくれなかったし、むしろそれは加速していった。もう、辛かったの」


「……京が?」


「私が、だよ」


 ピンク色の髪を右手でいじりながら弱弱しく言葉を連ねていく彼女を目の前にして、私は驚いていた。京はもう少し、強い人間だと思っていた。だから私は、自分自身が頑張れば大丈夫だと思っていた。だけど、それは違っていた。

 一番苦しんでいる人間は、いつも私の隣にいたのだ。いつも私の傍にいたのだ。


「澪ちゃんは、強いから。私の弱さに付き合わせるのは、私が許せなかったんだ」


「……何それ」


 彼女が今した発言に対し、思わず私は立ち上がりながらそう口にする。息を荒げながら、恥ずかしさとは違う理由で顔を少し赤くさせる。


「恋人って、一緒に支えていくものじゃないの? 寄り添ってあげるのが、あなたにとっての私じゃないの? なんで、相談もせず勝手に決めたの?」


 目の前の彼女が先ほどから口にしているそれは、言い訳だ。京さえいれば、大丈夫。彼女もそうだと思っていたのに、私だけだった。私だけだったんだ、


「……澪ちゃんは、いいよ」


「……なにが?」


 そう返答した時。座っていた京は立ち上がり、力強い視線で私を睨みつけるようにした。その目には、涙が浮かんでいた。


「ずるいよ、澪ちゃんは。だって、何されても無表情を貫き通せるんだもん。それに比べて私は、分かりやすく反応してあの人たちを喜ばせちゃう。そりゃ、いじめの数だって私に集中するに決まってるじゃん。なんで、私だけ言い訳をしてるみたいになってるの」


 手を強く握りしめながら、涙をぽろぽろと地面に落とす京。全く知らない状況を言葉で伝えられることにより、私は再度混乱し目を丸くさせることになる。


「恋人なら、守ってよ。恋人なら、ずっと近くにいてよ。けど澪ちゃんは、それをしてくれなかった。私も、澪ちゃんも、そんなこと言えないはずだよ」


「……」


 京が吐いている言葉が正しいか正しくないかは、どうでもよかった。京の負担を私が受け止めてあげられなかったという事実だけが、そこにはあった。


「……こういうこと言っちゃうと思ったから、あまり会いたくなかったの。今日は、ごめんね」


 そう呟く彼女を目にすると、私は次のような言葉を言わざるを得なかった。


「私も行くよ、京」


「え?」


「行くよ、その学校。私、あなたがいなかったら、全てのモノに意味がないよ」


 この機会を逃したら、二度と京とは会えない気がした。そんなこと、絶対に合ってはいけない。そう思っていた私が、言葉をどんどんと口にしていた。


「これからは、私が守るから。ずっと、そばにいるから。だから……!」


 そう言おうとすると、次の言葉は彼女の人差し指が私の唇に触れることによって遮られることになった。京が浮かべていた表情は私の想像していたものとは違い、悲しそうなものだった。


「……今日は、帰って。本当に、ごめん。私の我儘に、付き合わせちゃって」


「京……!」


「……そもそも、おかしかったんだよ。女の子同士で、付き合うなんて」

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