2.2
「考えてみます、と言ったはいいものの……」
その日の夜中。私はベッドに腰を据えて本を読みながら、今日のことについて一人部屋の中で呟いていた。
帰り道でも、その話題になった。優もそこまで強くは私に推してこなかった。ただ、楽しいと思うよ、とだけ言ってくれた。
そして断っていない私も、恐らく心のどこかでは挑戦してみたい気持ちがあるのだと思う。それなら佐々木先輩にあんな返事、してないと思うし。本を閉じ枕の横に置き、座っている状態からベッドに寝転がるようにする。
私がここまで拒む理由。それは、シンプルに怖いから。誰しもがそのような感情は持つだろうが、私の場合は人のそれよりも一段と酷い気がする。中学の頃に、実際にそういう経験に合ったからだろうか。
天井と目を合わせる。そこにあるのは、今朝と変わっていない姿。少しだけ、安心する。
「……けど、これと優は違う」
目の前の天井は、いつまでも変わらない。だけど、彼女とこれは違う。変わろうとしているんだ、優は。それを私が、止めてはいけない。私の都合で、引き戻してはいけない。
朝と同じように、私は天井に手を伸ばす。変わらず、届かないまま。だけど何故か、今朝より少しだけ、近くなったような気がした。
「届かないってわかってるのに、進もうとするなんて。バカみたい」
優と離れたくない。優の傍にいたい。だけど、手は届かない。ならばせめて、私も進めばいいんじゃないか。近づくために、変化するんじゃない。近くにいるために、変化するんだ。
「……それならやることは、一つ」
そう呟くと、私はベッドから起き上がり、机の横の棚を物色する。お気に入りの小説を、何冊か手にする。
そうしているうちに力尽き、私の意識は、シャーペンを目の前にして途絶えた。
「え、脚本やるの⁉」
翌日、雲が少し多い空の下で歩いている中、私は昨日決めたことを優に話していた。
「うん。変わらなきゃ、と思って」
あなたに追いつくために、と心の中で言葉を重ねる。そう口にすると、優は歩くのを止め、私からは表情が見えないような姿勢になる。
「……どうしたの、優」
そういい、優の顔を覗き込もうとしたところ。髪がふわりと宙に揺れ、それを確認することは出来なかった。再度彼女は歩くのをはじめ、またも表情は見えなくなってしまった。
「なんでもないよ。じゃあ、行こうか」
その声は、いつものトーンと何かが違うような気がした。だけど、その理由は私には分からなかった。
私も彼女の背中を追うように、再度歩き始める。前にある背中との距離は、詰められそうになかった。
「澪ちゃん、やってくれるの⁉」
放課後、集まりのある特別教室に向かい佐々木先輩にも伝えると、朝と同じような反応を見ることになる。
「はい、やってみようかなって」
愛想笑いをしながら、目の前の彼女に対してそう返事をする。すると佐々木先輩は、突然目を潤わせながら私に抱きつき、背に手を回した。
「嬉しいよ、ありがとう澪ちゃん!」
「ちょ、ちょっと、離れてください」
無理矢理私から腕を解くようにし、距離を取る。佐々木先輩は負担が一つ減ったからか、長い明るめの茶髪を横に揺らし、安心したような表情を顔に浮かべる。
体育祭は来月の末日。短い期限の上、新学期の複雑な時期なのだから、いくら社交的な力を持ち合わせてる佐々木先輩でも負担なところではあったのだろう。別に、彼女のためにやった訳じゃないんだけど。
「それじゃあ、いつくらいまでにできそう?」
「……え?」
私に対して一歩踏み出しながら、佐々木先輩はそう聞く。思わず、返事にもならない声を上げる。
「脚本が完成しないと、劇はやれないからさ。二週間前くらいまでなら、本当にギリギリで大丈夫だよ」
「大丈夫じゃなさそうですね、それ……」
忘れていた、期限というものを。それはそうか、時間は有限じゃないのだから、待ってくれるわけがない。だが、ここですぐに決めるというのは、私の性分的に厳しいものがある。
私は両腕を組み、期限を悩むようなふりをする。実際はどうすればこの場を凌げるかを考えているのだけど。そうしていると、隣にいる優が口を開く。
「とりあえず、またの機会の時決めるでいいんじゃない? 澪、すぐに決めるの苦手だし」
そういうと、私の方に顔を向けてニッと笑顔を浮かべる。私の心を見透かしたようなその言葉に対し、図らずも頬を赤くする。それを隠すように、私は地面と視線を合わせるようにする。優が、そこまで私のことを知ってくれているとは。思いがけない幸福感に、我慢しようとするも口端が歪んでしまう。
「大丈夫? 澪」
そういいながら優は私の顔を覗き込もうとするも、表情を見せたくない私はすぐに平常を取り戻し、佐々木先輩の方に顔を向ける。
「……少しだけ、待ってくれませんか」
前髪で目を隠しながら、ペコリと一礼をする。それを見た佐々木先輩は私に対し親指をグッと立てた拳を向け、
「全然大丈夫だよ! こちらこそ、ありがとね」
と、茶色の瞳を輝かせながら微笑むのだった。
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