2.1 体育祭

 この委員会の担当であろう先生らしき人が、持っている書類と照らし合わせながら説明を始める。皆がその人に視線を注ぐ中、私の視線は先ほどの人物に奪われていた。

 佐々木日和。この学校の二年生で、優の幼馴染らしい。私たちと違う色である、胸元についている赤いリボンが長い茶髪と上手くマッチしており、いかにも人気者である人間の姿だった。私には大して魅力を感じないが、この人を好きな人は数多くいるのだろうということは分かる。

 邪な分析をしながら見ていたのがバレたのか、佐々木先輩は髪色と同じ色である目をこちらに向ける。思わず、ズボンの裾を強く握りながら俯く。

 そんな中、途端に皆が席を立ち始めた。何も聞いていなかった私は状況を呑み込めず、視線を空気に合わせる。


「それじゃあ澪、移動しようか」


 優は何かが書かれている紙を手に持ち、立ち上がりながら私に対してそういう。私は適当に返事をし、この教室を出ようとしている優の背中を追いかける。


「どこに、行くの?」


 右前を少し早いペースで歩く優に対し、配られた紙を今更目に通しながらそう聞く。


「言ってた通りだよ。同じ役割を任された人たちと、顔合わせするんだって。私たちの場所は校庭だよ」


「そっか」


 廊下を歩いている中、優から補足を聞かせてもらった。どうやら既に委員長などは、私が聞いていないうちに決めていたらしい。委員長は三年生の梓川奏という女性。副委員長は二人いて、一人は佐藤拓海という男性らしい。

 別にそこまでは関係はとくにない。問題はもう片方の副委員長だ。


「副委員長の佐々木日和です。この班の担当は私なので、分からないことがあったら遠慮せず聞いてください」


 そう、目の前のこの人が副委員長で、なおかつ私たちと同じ班なのが非常に問題なのだ。私と優と、それ以外の三人からの視線を浴びながら、自信のありそうな表情を浮かべ彼女はそう口にする。


「……仕組んだりしてないですよね?」


 偶然にしては上手く出来すぎているこの事象に対し、思わず失礼な問いを佐々木先輩に投げかける。


「失礼だね、澪ちゃん。もちろんそんなわけないじゃない。どちらかというと、この形を望んだのはそっちの方だよ?」


 指をこちらに差しながら佐々木先輩はそういう。何を言ってるのかよく分からず、顔をしかめながら首を傾げる。


「そうだよ、澪。言ってたじゃん? 私の選択に任せるって。私がやりたいのが日和の班だったから、ここを選んだの」


「……そういえば、そんなこと言ってたな、私」


 小説のような事象の説明が優の口からされ、納得せざるを得ない状況に立たれてしまう。優の選択なら仕方ないが、私個人としてはあまり良いとは思えない。なんか好きじゃないのだ、この先輩。

 ……とりあえず、理由は分かった。なんとか状況を把握したところで、当然発生する問題が私の中に現れる。

 この班は、いったい何をやるのだろうか。何も聞いていなかった私はそれを把握するため、手元の紙を確認する。えーと、佐々木先輩のいる場所は、と……。

 そして、それを見つけた瞬間。手元の紙は、無造作に振動を始めた。


「昼休み後の、劇?」


 声を震わせ、動揺を隠せないままそう発する。


「そうだよ。この学校は行事に真剣でね。そういう催しもやるの」


 私にはどす黒く見える笑顔を浮かべ、人差し指を突きあげながら佐々木先輩はそういう。


「……聞いてませんけど」


「聞いてないのは澪の方でしょ」


 隣に立っている優はそういうと、私の頭をコツンと叩く。反射的にその部分を自分で撫で、ムスッとした表情で優に返す。

 自分で言ってたとはいえ、まさかそんな役割を担うことになるとは。撫でながら、そんなことを胸に思う。テントの設営とかリレーの準備だとか、そういうものだと思っていた。

 眉毛を中央に寄せ、気が進まない感情を表に出しているとき、横から声がする。


「もしかして、嫌だった?」


「……え?」


 私が思い悩んでいたのが気にかかったのか、背中の方で手を組みながら、私を覗き込むようにして優はそういう。突然のことに少し驚き、校庭の砂を削るように踏み、一歩後ずさりをする。

 私は、人前に出るのが苦手だ。というか、多くの人と一緒にいるのが苦手だ。理由は単純で、中学生の頃を、あの時のことを思い出してしまうから。あの辛くて苦しい惨状が、この頭を過るから。不安そうな表情をする彼女を横目に、私はそんな思考を頭に巡らす。

 はっきり言うのなら、私はあまりやりたくない。私に合っているわけでもないし、好きなわけでもない。ただ、優のそんな悲しそうな表情を見せられたら、浮かんだ言葉は口にできない。

 いろいろ考えた結果、私は頭をポリポリと掻き言葉を飲んで、ため息を吐きながら優に伝える。


「……大丈夫。優がいるなら、どこでもいいよ」


「本当⁉ 良かった。ありがとね、澪」


 私がそういうと、優は先ほどとは打って変わった表情を浮かべながら、子供のように喜ぶ。私が諦めるだけでその顔がみれたのなら、まあいいか。と、そう自分に言い聞かせ、無理矢理納得した。

 一連の流れが終わるのを見計らっていたのか、佐々木先輩が手を叩き、再度皆の視線を自らに集める。


「それじゃあ、さっそく役割から説明していくね」


 そういうと、佐々木先輩は自分の手元にある資料を上から読んでいき、情報の整理を始める。去年は何をやっただとか、例えばどんな役割があるだだとか、そんな話だった。

「で、大事なのは劇の脚本。去年までいた三年生の人が直近まで書いていたんだけど、卒業しちゃって。私はあまりそういうの得意じゃないし。だから、誰か書ける人いないかな?」


 ここにいなかったら他の人に頼むけど、と言葉を追加する。佐々木先輩がそういい皆の顔色を伺うも、誰も希望には答えられそうになかった。もちろん、私もだ。

 他の人に頼んでもらおう、そう考えていた時。隣にいる優が、不敵な笑顔を浮かべながら、私の腰辺りを人差し指で突いた。


「ねえ、澪」


「なに?」


「脚本、やってみない?」


「……え?」


 本日二度目の、困惑の顔にせざるを得ない状況が私の身に訪れた。


「やってみるって、脚本を?」


 私は苦虫を嚙み潰したような表情を顔に浮かべながら、優に対しそう返事をする。


「そうだよ」


「無理だって。そんな大事な仕事」


 体育祭の一つの出し物である劇の脚本を書くだなんてそんな重要な責任、私には抱えきれない。優と視線を外し、足元の砂を蹴りながらそう返事をする。


「澪、小説見るの好きじゃん。自分で書いたことないの?」


「書いたことは、あるけど」


「ならいいじゃん。どう?」


「うーん……」


 私は顎に指をつけ瞳を閉じ、悩むフリをする。

 優の言った通り、私の趣味の一つには読書がある。部屋には本棚があるし、好きな作家だっている。文を書くこと自体も、別に嫌いなわけじゃない。だが自分の文で人が動き、それをたくさんの人に見られるというのが嫌なのだ。……とてつもなく、怖いのだ。


「別に、強要するわけじゃないからね、澪ちゃん。無理なら代わりの人、こっちで探すから」


 こちらまで歩み寄り、優しくそう声を掛けてくれる佐々木先輩。そんな彼女に対して、私は上手く返事を返すことが出来なかった。

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