1.2

 大きな桜の木がある校門を抜けていくと、右手に校舎が見える中庭にたどり着いた。生徒らしき人がたくさん集まっている方へ向かうと大きな紙が壁に貼られており、どうやらクラス発表が行われているようだった。


「どれどれ、私は何組かな」


 優は目を凝らし、敬礼のポーズを取るように眉毛のあたりに手のひらをくっつけ、それを確認しようとする。肝心の私はというと、自分のは既に見つけ、彼女からの知らせを願うように待っていた。

 何故すぐに分かったのかというと、私の苗字は不知火といい、とても分かりやすいからだ。ただ、そこから優の苗字である立花を探すのには私の勇気が足りなく、仕方なく両手を握り合わせ強く願っていた。

 そうして数十秒経った頃。隣にいる優はようやく自分の名を見つけたのか、嬉々として口を開く。


「あった、三組だって、私」


 その言葉を聞き、私の中になんともいえない感情が生まれる。あえて名前を付けるとしたら、喜び、だろうか。


「……私も、三組」


「そうなの? やった、澪と同じクラスとは心強いよ」


 長い黒髪を弄りながら、にへらと笑う優。


「私もだよ。よろしくね、優」


「うん! よろしくね、澪!」


 私がそう言うと、彼女は私の待っていた行動を取る。右手をこちらに差出し、ニコニコと笑みを浮かべる。

 一瞬固まってしまいそうになったものの、それはダメだと首を振り、顔を赤くしながらも思い切って、彼女の右手をそっと握る。

 そして、握ってから数秒間。私の中に、何かが走る。


「……? どうしたの、澪」


 違和感。私から生まれた感情は、想像していたものとは別のものだった。もちろん、嬉しいは嬉しい。彼女に触れる機会なんて、あまりないのだから。だけど私が求めていたのは違くて、もっと、こう、別の……。


「本当に大丈夫?」


 困惑の表情を浮かべている優に気づくと、思わず握っていた手を解く。頬を赤く染めながら、大丈夫だよと返事をする。それを聞いたら安心したのか、優は反対側の方へ歩き出し、私たちのクラスがある場所へと向かい始めた。

 そんな彼女とは裏腹に、私は握っていた左手の手のひらをジッと見つめる。そこには何もなく、少し白い私の肌があった。見えない何かをつかんだ感じは、一切なかった。

 私は、何を求めていたのだろうか。優の背中を追いながら、そんなことを考える。手を握れば、何かが変わるとは思っていない。その可能性があるのなら、試してみたかっただけだ。……それなら私は、何が欲しかったのだろうか。

 と、そんなことを考えているうちに、私たちのクラスとなる場所まで到着していた。クラスの中には既に人が居て、私たちは後の方だったようだ。

 黒板に貼られてある席順を見てみると、私は窓側の一番後ろの席で、優はその右斜め前の席らしい。あと一つ後ろならともどかしい気持ちが私を包み、どうしようもない感情の吐け口を探す。

 私と優は椅子に腰を下ろし、持ってきた書類の確認を始める。そんなとき、私はとあることに気づく。

 この席なら、ずっと優を見てられる。あの美しい青みがかった黒髪を視界に入れながら、授業を受けることが出来る。その事実に、思わず握り拳を机の下で作ってしまう。

 ……いや、違う。断じてやましい気持ちはない。これはあれだ、友達として優を見れるのが嬉しいだけだ。そうに違いない、うん。

 私は自分の中で都合のいい解釈を考えると、再び自分の作業に戻る。右前の席に座っている優は、私の気持ちになど気づくことはないんだろうと思いながら。

 チャイムがなると、クラスメイトの自己紹介が行われていった。他の人の名前はよく覚えていない。昔から、人の名前を覚えるのが苦手なのだ。本当に大切な人だけ、脳のメモリーに保存しておく。

 そうして、部活紹介や教材の引き渡しなど、様々なイベントをこなしていった後。ようやく私たちは、初めてとなる高校での昼食にありつけた。


「いやあ、あっという間だったね」


 サンドイッチを片手に、楽しそうな表情を顔に浮かべる優。それとは反して、私の顔は疲れで埋まっていた。


「そう? 私はもう、帰って寝たい」


「はは、澪はそうだよね。……そうだ、澪」


 優は何かを思い出したのか、サンドイッチを持っている手とは逆側に、箱のオレンジジュースを持ち、少し首を傾げながら口を開く。


「部活、入る気ないの?」


「ないかな」


「はは、だよね」


 間髪入れず答えると、優は私の答えを既に知っているかのような反応を見せ、オレンジジュースに穴を開けて音を立てながら吸う。妙に唇が色っぽく見え、優をジッと見つめてしまう。


「とはいっても、私も入る気はないんだけど」


 ストローに口をつけ、窓から見える桜の木に視線を送りながら、優はそういう。その言葉に対し、思わず何故かと聞きそうになるが、喉元の辺りで留めておいた。そんな中、彼女は重ねるように、言葉を呟く。


「だけど、何かはしたいよね。何かは」


 青く澄んでいるその瞳に、かすかに光が見えたように思えた。それは比喩ではなく、言葉通りの意味。その光に込められた意味は、私には分かるような気がした。

 恐らく優は、何かを変えたいのだろう。具体的な内容は分からない。ただ、それだけはハッキリと分かる。あの時を超えて、変化したいのだろう。

 だけどそれは、私にとっては好ましくない。だって、優が変わってしまったら、私は一人きりになってしまうから。私が手を伸ばして、ようやく優にたどり着ける距離が離れてしまったら。そんなことを考えるだけで、震えが止まらない。


「どうしたの、澪」


「……え?」


 優に声を掛けられ、ようやく私の現在の状況を把握することが出来た。私の右手は優の左足の太ももに手を付けており、彼女との距離は自然に近くなっていた。またも近すぎる距離に恥ずかしくなってしまい、咄嗟に右手を離し普通の姿勢を取る。

 その後、頬を赤らめながらもすぐに食事に戻る私が可笑しく映ったのか、優は口元に指を付けながら、


「今日は、なんか変だね」


 と、可愛らしく微笑む。そんな彼女の姿を見ると、つられるように私も頬が緩み、


「……うん、そうかも」


 と、返事をするのだった。

 そうして昼食が終わり、五時限目に入る。どうやらこの時間では委員会を決めるらしく、クラス代表から次々と決められていった。

 私はこういう委員会事をやったことがない。もちろん入らなければいけないのなら入ったが、中学でも高校でもそんなことはなかったし、何より私にそういうのは向いていない。環境係にでも入って、細々とやっていこう。そんなことを考えていた時だった。


「私、やるよ」


 クラスメイトの雑音が響く中、優の澄んだその声が私の耳に届く。咄嗟に黒板の方に意識を注ぐと、どうやら体育祭実行委員の希望者を募ってるところだった。


「えーと、立花さん? だっけ」


「そう。大丈夫かな?」


「ううん、ありがとう! じゃあ、誰かもう一人、やってくれる人!」


 クラス代表である男性が私の思考の間に入ってくるようにそういう。

 どうしよう、優が委員会に入ることは想定していなかった。いや、彼女らしいっちゃ彼女らしいのだが。中学の時、二年生までは体育委員会だったし、むしろやらない方が不自然だ。そんな思考を巡らせている間にも、無情にも時間は流れていく。

 私はすがるように優の方を見る。彼女は自信のありそうな顔つきを保ちながら、黒板に自分の名前を書いていく。私のことは、考えていなさそうだった。

 やるべきなのか、やらないべきなのか。悩む必要のない二択が無限に頭の中で回り続ける。こんな時、優が誘ってくれたら。そんな甘ったるい考えまで芽生え始めていた。

 ……いや、違う。ここでまた優に頼っていちゃ、何も変わらない。私が一番嫌いな私のままになってしまう。行動を、とらなければ。


「あ、不知火さん。やってくれるの?」


「……あれ?」


 私の名前が呼ばれたことに疑問を持つと、どうやらその原因は私自身にあったようで、私の右手は思考より先に手を上げていた。

 私はそれ以上発声するのは厳しいと思い、全力で頭を上下に動かし必死に頷く。その様子を見て若干引いたのか、さっきより少し声を小さくしながらクラス代表の彼は私に指示を出し、それに従うようにする。

 音を出しながら椅子を引き、慣れない人目にこの身を晒しながら、黒板の前まで歩き、チョークを手にしたとき。隣に、ニヤニヤとしている優がいた。


「珍しいね、澪。こんなこと自分からやるなんてさ」


「……別に、単なる気まぐれ」


「そう? けど、ありがとね」


 私の頭をポンポンと優しく叩くと、優は自分の席へと戻っていった。

 ……良かった。彼女に、今の私の顔を見られてなくて。背中を見ながら、心底そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る