はち、赤金はやめとけ

 便利屋サークル『ES』は、大学通りに面したバイク屋の二階に本部を構えている。

 なぜバイク屋の二階なのかというと、オーナーがOBで、問題を起こさない限りは好きに使っていいと、三年ほど前から貸し出してくれているからだ。歴々のメンバーが持ち込んだ、あるいは卒業の際に廃棄していった家具家電が一通り揃っており、本部というより誰かの部屋みたいな様相となっている。

 この日、十八時過ぎに予定のあった六条苑爾は、それまでの暇をつぶすべく本部のドアを開けた。

 同じ四限を受けていた苅安とともに部屋に入ると、ソファに寝そべっていたメンバーがアイマスクをずらして顔を上げる。


「二人とも、おつかれ。もうそんな時間かぁ」


 同回生の灰谷だ。とろりとした群青の声に迎えられてすこし気が抜ける。

 本気で寝こけていたときの色だ。


「一人なんて珍しいわね」

「今日はようけ依頼で出払ってんねん。いつもなら赤金も空きコマやけど、なんか用事あるんやって」

「へぇ……」


 最近の赤金の不審な行動に、苑爾は当然、気付いていた。


 人の話す言葉に色彩を感じる体質の苑爾だが、赤金の言葉はいつも無色透明だ。

 苑爾に限らず、いとゆう荘の住民たちの異能は赤金に通用しない。

 大家の光舟曰く、赤金は『零感』のひとであるらしい。苑爾や琴子たちのような異能はなく、どこまでもただの人間だけれど、魂の力が強すぎては太刀打ちできないのだとか。

 魂が頑丈すぎて、細かいことを寄せ付けへんひとやねん、と光舟はほけほけ笑った。苑爾は赤金のおおざっぱ加減をよく知っているので、その説明で心の底から納得した。


 苑爾は体質のために話す内容の真偽まで判別できてしまうが、そんな異能に頼らずとも、ここのところ赤金の挙動は不審だ。

 なぜかというと、赤金と顔を合わせる機会が減った。

 以前は大学の授業とアルバイト以外ではほとんど一緒に行動していたが、唐突に「ちょっと後輩の人生相談に乗る」などと言って姿を消すようになったのだ。おおざっぱ極まる赤金に人生相談したがる後輩がいるなんて初耳だ。赤金はやめとけ、と声を大にして言いたい。絶対にろくなアドバイスなど出てこない。

 そのくせ、苑爾の一日のスケジュールをさりげなく訊いてくる。


 おかしいなと思ったのは、入れ違うように苅安と灰谷との時間が増えたときだった。

 灰谷は常日頃から本部に入り浸るタイプだったが、おかしいのは苅安だ。確かに学部が同じで、時間割もかぶっていたし、講義室で会えば話はするが、彼女には彼女の交友関係があった。最近はそれを差し置いてまで苑爾を観察しているようだ。

 苅安の姿が消えたと思ったら、赤金か灰谷か、あるいは諏訪が視界にちらつく。

 どうも赤金の差し金で、自分は尾行されているらしい。

 ──何日目であたしが気付くか賭けでもしてるのかしら?

 ESのメンバーでない諏訪まで巻き込んで、一体あの赤毛は何を企んでいるのだ。とはいえ放っておけばそのうち飽きるだろうと、苑爾はあまり気にしていなかった。


 それよりも気がかりなことがあったからだ。

 カバンから取り出したスマホを操作している苑爾に、苅安が声をかけてくる。


「苑ちゃん、なんか飲む?」


 ほんの僅かに緑がかった黄色。いつもの苅安の穏やかな声色だ。


「あら、ありがとう。コーヒーもらっていい?」


 苅安は「ん」と唸るような返事をくれたあと、本部に持ち込んでいる私物のマグカップの中から二人のものを取って、インスタントコーヒーをセットした。

 寝起きの灰谷はごそごそ立ち上がり、冷蔵庫に近付いていく。

 苅安が灰谷に訊かなかったのは意地悪でもなんでもなく、彼の飲み物が年がら年中、炭酸水と決まっているからだ。


「なぁ、苅安このあと用事ある? 暇ならラーメン食べに行こうや」

「えぇけど『蝉』はもう飽きたで」

「ほんなら『きりんじ』行く? 苑ちゃんは晩ごはんどないするん」


 半年前から、灰谷は大学通りに点在するラーメン店のメニュー全制覇を目論んでいる。

 ここ一ヶ月は駅にほど近い『蝉』という店に通い詰めており、苑爾たちも散々つきあわされていた。


「あたし今日はパス。六時過ぎに菖華音大で待ち合わせなの」

「お? なんやデートか」

「デートじゃないけど、女の子を迎えに行く用事」


 コーヒーの入ったマグカップに、苅安が冷蔵庫から出した牛乳を足してくれた。喫茶店でアルバイトをしている彼女は、客のコーヒーの好みを憶えるがごとく、当然のようにメンバーのコーヒーの好みも把握している。

 特に誰からも連絡が入っていないことを確認し、スマホをテーブルの上に置いた。

 ペットボトルの蓋を開けながら灰谷が近づいてくる。


「苑ちゃんから浮いた話を聞く日がくるなんて……。おいどこで出逢ったんや、馴れ初めは? 相手のことはなんて呼んでんねん」


 背後から抱きつくようにくっついてきた灰谷の顔面をわし掴む。

 苑爾は煙草の臭いが嫌いだ。

 人生で最も憎悪する男が──殺したいと思っている男が──ヘビースモーカーだったから。

 普段は何事にも穏やかに心平らかにと気をつけているが、今日どこかの場面で喫煙したらしい灰谷の紫煙に過剰反応してしまった。


「煙草臭いわ。離れてくれるかしら」

「あだだだだ首が痛いごめん苑ちゃんゴメンて」


 ぐいぐい両手で顔を押しやった拍子に、灰谷の手からペットボトルが転げ落ちる。

 中身の炭酸水は、苑爾のお気に入りのシャツからチノパンまでしっかり濡らしながら、空しい音を立てて床に落ちた。気付いた灰谷がぎょっと体を離す。


「うわああっ、苑ちゃんごめん! タオルタオル」

「無糖の炭酸水だし、平気よ。それより苅安、雑巾とって」

「え。うわあ。何してんの灰谷」

「ちゃうねん、わざとじゃないねん」


 三人でバタバタと床を拭いてまわったあと、苑爾は苅安に憚りながらシャツを脱いだ。


「苑ちゃん、こないだ赤金が置いてったパーカーあんで。でもさすがに暑いかな?」

「ああ、まあ借りて行こうかしら。上裸よりマシよね」


 メンバーの溜まり場と化している本部には、誰かの着替えも放置されていたりする。寝泊まりすることもある赤金の服が上下揃っていたので借りることにした。

 黒のパーカーに、カーキのカーゴパンツ。苑爾にはあまり馴染みのない、いかにも『シンプルで機能的で男らしい』コーディネートだ。

 とりあえず「諸事情あって服借りるからね」とメッセージを入れておいた。

 そうしているうちに依頼に出ていたメンバーが帰ってきて、苅安はその対応に回った。灰谷は炭酸水まみれのシャツを洗面所で洗ってくれている。時計を見てみると十七時半を回っていたので、苑爾はどさくさに紛れて本部を出た。

 赤金発案と思しき尾行ごっこに付き合うのは構わないが、こっちにも都合がある。

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