ろく、やるしかない
考えてみれば当たり前の話だ。
僕はこれまで、視た未来に対する回避行動はとってこなかった。自分にはそこまでの行為は赦されていないと考えていたからだ。
そのくせ、無責任に自分の放った言葉で琴子社長が悲しむところを見たくなくて、視えた未来を口にした。苑爾さんと赤金さんがルートを変えて、結果的に落石による渋滞を回避するに至った。人的被害が出なかったからそれだけで済んだのだ。
今回は違う。苑爾さんは誰かに恨まれるようなひとじゃない、ただし何かの事件に巻き込まれた可能性は高い、だとすると彼を助けることで、犠牲者の枠がひとつ空いてしまうかもしれない。世界は辻褄を合わせるために、それ以外の誰かを椅子に座らせるかもしれない。
美沙緒さんは赤金さんがそうなるだろうと断言した。
赤金さん自身も、そうなるだろうと考えていたようだった。
……四日目の朝日が昇る。
「おはよう、忍くん。今日もいい天気ねぇ」
「おはようございます」
食堂ですれ違った苑爾さんの服装は、アイボリーのシャツにサーモンピンクのテーパードパンツ。そのことに安堵しながら大学に向かって、鬱々とした気分で授業を受けた。
昨日聞いたところによると、苑爾さんはサークル活動に顔を出す予定になっているはずだ。苅安さんや赤金さんも一緒のようだから今日のところは大丈夫だろう。
真っ直ぐいとゆう荘に帰ってくると、すっかり緑色に染まった桜を見上げる。
思い上がっていた。
社長の誕生日パーティーで、史龍先生を無事に連れて帰ることができた。それが一番嬉しいと社長が笑ってくれた。もしかしたら自分のこのちからを上手く利用できるかもしれないと、一瞬でも考えてしまった……。
今日は一人でいる時間が長かったぶん、考え事が無駄に捗ってしまう。
おかげで気付いた。僕は苑爾さんを助けたくて赤金さんに打ち明けたのではない。
責められるのが怖かった。
堤防が決壊したニュース映像を見た。その未来視が祖父母の死に関連していると知った母が、僕を責めたように。
知っていたならなぜ、と言われるのが怖くて赤金さんを巻き込んだのだ。
自分はできるだけのことはしましたよ、というポーズをとるために。
「最低だ」
僕はいつだって自分のことばかりだ。
エントランスの郵便受けが空なのを確認して階段を上ろうとすると、向かいの遊戯室の窓がコンコンと音を立てた。
「あ……赤金さん?」
窓際に立っていた彼は、無言で僕を手招く。
遊戯室のなかに入ると、赤金さんはビリヤード台の中央に球を並べていた。
「赤金さんビリヤードできるんですか」
「苑爾と知り合って、いとゆう荘に招待してもらったときにコレ見つけてな。苑爾がやってんの見て、すげぇかっこよかったから俺も教えてもらったんだ。まあ全然ダメだけど」
片田舎出身の僕はそもそも生でビリヤード台を見たのが初めてだった。
遊戯室で初めて見たときから興味はあったけれど、誰に教わればいいのかもわからず眺めているだけだったのだ。あとやっぱり、自分には似合わないような気がして。
赤金さんがキューを構える。背が高くて手足も長いし、掌も大きい。構えるだけでさまになるのだ。すごいなぁ。
僕にはきっと、何年経ってもこの人のような颯爽とした雰囲気は身につかないだろう。
「忍はやったことある?」
「いえ。なんか、おしゃれで怖くて」
「なんだそりゃ」
赤金さんはくしゃりと笑った。
いつもの悪人めいた不敵な笑みではなく、子どもっぽい感じ。
「なんかかっけぇなとか、なんか面白そうとか。何かを始めるきっかけなんてその程度でじゅうぶんだろ。何かを続ける理由だって、やめる理由がないならそれでいい。怖いことなんか何もないよ」
コン、とキューの先に叩かれた白い球が真っ直ぐに飛び出し、ひし形に並んだ九つの球を弾き飛ばした。
色とりどりの球が好きなほうへ走っていく。
鈍い音を立てて台の縁にぶつかり、交錯し、球同士で弾き合って、一つが角のポケットに落っこちた。
ごつんとぶつかっては向きを変え、縁に行く先を阻まれては向きを変える。跳ね返されてばかりの球が自分のように見えた。なんとなく不自由で、壁や他の球にぶつかっては方向を変えて、それでも結局どこにも行けない。
やがて台の上の全てが動きを止めると、赤金さんは小さく息を吐いた。
「美沙緒ちゃんの言うことはきっと間違ってないんだろう」
僕はひっそりと呼吸を呑み込んだ。
身じろぎもせず、次の言葉を待つ。
「光舟さんに言われたことがある。俺は忍たちみたいな異能はないけど、やたらと頑丈な魂をしてるらしくて、他の人より悪運が強くてしぶとくて死に辛い。それは別にしても、自分の体が少なくとも苑爾よりは頑丈だと知ってるし、もしその現場に居合わせることができたら苑爾より俺が刺されたほうがましだと思ってた」
やっぱり、最初からそのつもりだったんだ。
「このままいけば、苑爾の代わりに俺が死ぬか怪我するかして、あいつは自分を責めるし、忍も傷つくんだろう。美沙緒ちゃんにどんな大きな後悔があるのかは、正直わからん。──それでもやりたい」
赤金さんはキューを手放し、勢いよく頭を下げた。
慌てて頭を上げさせようと肩に手をかけたがびくともしない。膂力に劣っているのか、頑固さに敗けているのか……きっと両方だ。
「赤金さん」
「俺には未来は視えないが、あいつが死んだあとで後悔するより最後まで足掻きたい。頼む忍、俺に力を貸してくれ」
「やめ……頭を上げてください。僕、そんな価値ないです」
「価値ィ? お前この期に及んでそんな苅安みてーな」
「違うんです。僕きっと心の底から苑爾さんを助けたいわけじゃなかった。あとから自分が責められるのが怖かったから、赤金さんを巻き込みたかっただけなんです。臆病なだけです!」
これほど情けない台詞もないなと思いながら捲し立てると、赤金さんはようやく顔を上げた。
片眉を上げて怪訝そうな表情になり、「それの何がおかしい」と首を傾げる。
「誰だって責められるのは怖い。臆病は理屈じゃないんだ」
さっきまで散々自己嫌悪に苛まれていたというのに、赤金さんがあっさりそう言うものだから、僕はなんだかばからしくなって天を仰いだ。
異能を持たないあなたには解らないのだ、と怒鳴りつけてしまいたくもあるし。
そんな潔い生き方が羨ましくもある。
「始まりが何であろうと、よっしゃいっちょ苑爾助けてやろ、でじゅうぶんじゃないのか。お前の価値は知らねえけど未来視は当たるんだろ。謙遜は美徳だけど過剰な謙遜はただの自虐だぞ」
ウンウンと自己完結した赤金さんが腕組みをした。まあそれにしちゃ問題が重いし、美沙緒ちゃんは泣かせたくないから怪我しないよう対策は必要だな……なんてブツブツつぶやいている。
いいのか、それで?
本当に?
「……いいんですかね」
「いや正直、苑爾が未来視通りに死んだとしても忍が殺すわけじゃあるまいし、誰も責めないに決まってんのになにウジウジしてんだろうなー、とは思うけどな」
「容赦ないな!」
「ハッキリ言わないとお前また自己解釈拗らせそうだから」
「うぐ……」
あっけらかんとしている赤金さんの姿に、肩に入っていた力が抜けていく。
そうだったこの人陽キャだった。思考のベクトルが僕とは違うんだ。この楽観的でさえある前向きさは一体どこからくるんだろう……。
「……赤金さん、ひとつ約束してくれますか」
「内容による」
「苑爾さんの代わりに自分が怪我しないように、全力で努力するって約束してください」
一瞬、彼は変な顔になった。努力はするけど保証はできない、という彼の心の声がはっきりと聞こえてきたほどだ。
「じゃないと僕の耳に孔が増えますよ」
「脅迫かよ」
「脅迫しないと、あなたは無茶をしそうなので」
責められないと思うけど、責められたくない。
苑爾さんに死んでほしくないけど、赤金さんが代わりになるのも嫌だ。
そんな理由があればじゅうぶんだ。やるしかない。
赤金さんは口角を上げて魔王みたいに笑い、それが僕らの約束となった。
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