よん、かぶる人間でこんなに変わるか

 いとゆう荘に帰宅したあとは部屋に引っ込み、彼がアルバイト用に身支度を整えて出発するまで、玄関で物音に耳を澄まして待ち構える。

 血塗れの未来を回避するという目的はあるものの、これだとまるで──


「ストーカーだよなぁ……」


 声に出したことで現実味が重くのしかかった。ストーカー。口にするんじゃなかった。膝を抱えて項垂れていると、スマホがぴこんと音を立てる。

 五コマ目の授業を受けているはずの赤金さんだ。


『苅安に会えたか?』


 机の上に教科書やノートを広げて、隠れてスマホをいじる赤金さんが目に浮かぶようだ。

 そういう辺りは器用に手を抜いていそうなイメージがある。


『会えました。苑爾さんにホスト疑惑がかかってました』

『我ながらどんな嘘だよとは思ったが仕方なかった』『苑爾が出発したら連絡くれ。五コマが終わったら合流する』

『了解です』


 しばらく息を潜めていると、はす向かいの二〇五号室のドアが開く音がした。

 鍵を閉めて、階段を下りていく。音や気配がなくなったところで僕も部屋を出て、階段横の窓から外を見下ろした。ちょうどこの真下にいとゆう荘のエントランスがある。

 苑爾さんの後ろ姿は、門の外に出ていった。

 服装は白いシャツに黒いズボン。あの未来とは一致しない。

 そのことにほっと息をついて、僕は階段を下りた。スマホ片手に、赤金さんへ連絡を入れることも忘れない。


 苑爾さんのアルバイト先は八神駅近辺のバーだ。

 弥土駅まで歩いていって、苑爾さんに見つからないよう同じ電車の別車両に乗り込む。八神駅で降りたあとは、その後ろ姿を見失わないようにしつつできるだけ距離をとって尾行し、彼が無事バイト先に入っていったのを見届けた。

 その直後、遅れてやってきた赤金さんが合流した。


「よう忍。お疲れさん」

「お疲れさまです。……赤金さんの髪、目立ちまくりますね、尾行には不向き」


 軽く手を振りながら近付いてきた赤金さんの、燃えるような赤い髪は遠くからでもよく見える。

 ふと思い立ち、自分がかぶっているキャップを赤金さんにかぶせてみた。

 僕が視界を狭めるためにかぶっているキャップは、一瞬でストリート系の雑誌にでも載っていそうなおしゃれキャップになった。……かぶる人間でこんなに変わるか。かえって悔しくも悲しくもないけれども。


「そういや、忍っていつもコレかぶってんな」

「……あんまり人と顔を合わせたくなくて」

「人嫌い極まれりって感じだなァ。最初に会ったときもすげぇ怯えてたし?」


 ジョックス怖いと感じていたのがバレていたらしい。


「ていうか、なんでそんな派手な髪の色になったんですか? 似合ってますけど」

「諏訪と飲み比べして敗けたほうが髪染めるって話になってな。俺が勝てばあいつの真っ青キノコヘッドが拝めたっつーのに……ほら、あいつだよ、入学式の日に中門で交通整備やってた眼つきの悪いキノコ」

「ああ、あの人」


 僕と話し込んでいた赤金さんを物凄い形相で睨んでいた、学生スタッフのあの人だ。依頼とかじゃなくても仲がいいんだな。


「うし、バイトが終わるまで張り込みだな! あとであんパンでも買うか?」

「赤金さん、ちょっと楽しくなってきてませんか」

「アホ言うな。俺は生まれてこの方二十一年、真面目じゃなかった瞬間なんかねぇよ」


 そんな真っ赤な頭で言われましても……。

 バーの向かいに昔ながらの純喫茶があったので、そこで夕食がてら時間をつぶすことにした。

 年季の入ったドアを開けると、ベルの音が鳴り響き、客が吸う煙草の臭いが身体を包んだ。こんな嫌煙のご時世にも分煙すらしていないらしい。物珍しさにきょろきょろしていると、赤金さんが振り返った。


「煙草いけるか? 店変えてもいいけど」


 こくりと首を縦にする。


「従兄が吸ってたから。平気です」

「ん。そういやぁコーチン吸ってたな」


 コーチン。大学時代の、従兄のあだ名だ。悠皓、という名前からつけられたらしいけど僕にとっては今も昔も『悠皓兄ちゃん』だから、なんだか変な感じがする。名古屋コーチンから来ている……わけはないな、名古屋に縁も所縁もないから。


「赤金さんは?」

「まあたまに。苑爾が蛇蝎の如く煙草嫌いだから、そんな吸わねぇけどな」

「蛇蝎の如く。日常生活であんまり言わないですね」

「あいつ残り香だけで一日中近寄ってこねーの。おかげでESはみんな半強制で半禁煙だよ。美沙緒ちゃんも確か、苑爾が入ってから禁煙したんじゃなかったっけな」


 煙草を吸う美沙緒さん。体には害だけど絵面は格好いいかも。

 席について、注文したナポリタンが揃ったところで二人揃って手を合わせた。


「いただきます」「いただきます」


 食事の間も絶えず漂う紫煙に、僕はほんのり従兄を思い出す。

 六つ年上の悠皓兄ちゃんは、僕と母との間に亀裂が入ったあと心配してよく様子を見に来てくれた。中学に上がって不登校になったときも、電車で一時間かかる高校に進学してからも。

 僕にとってはひたすら面倒見のいい兄貴分だったけど、彼は彼なりに色々とあったようで、一度高校を中退しているらしい。その後別の高校に再入学したため、高校と大学の同級生より一つ年上だ。思えば煙草も、法律が許すよりずいぶん早くから吸い始めていた記憶がある。

 ゴールデンウィーク前後に連絡したときは、元気にやってんなら安心した、と可愛いうさぎのスタンプつきで返事がきたっけ。

 きっと従兄は、自分が紹介した先のアパートで僕がこんなふうに未来を変えようと躍起になっているなんて知ったら、引っくり返るくらい驚くだろうな。


「なんで苑爾なんだろな」


 食後のコーヒーの黒い水面を見つめながら、赤金さんはぼやいた。


「世のなか苑爾よりろくでもない野郎なんてゴロゴロしてんのに、なんであんないいやつが、そんな目に遭わないといけないんだろ」


 僕は瞬きで返した。

 それって多分、世界中の人たちが一度は思うことだ。

 不幸は人を選ばない。

 ただそこに選ばれた人が横たわるだけなのだ。


「……赤金さんと苑爾さんって、仲がいいですよね。違うタイプに見えるけど」


 あー、と唸った赤金さんは腕組みをすると中空を見上げた。


「俺ってさ、けっこう短気で喧嘩っ早くて、どうでもいいことに頭にくるタイプなんだよな。でも苑爾は、喋り方とか食べ方なんかの動作がきれいで、一緒にいて苦にならん。なんかな、苑爾の存在が俺のなかで腑に落ちたんだよな、多分」

「腑に落ちた……」

「俺あいつの喋り方がどうも他と違うらしいって気付いたの、あいつと知り合って三か月後だったんだよ。本気でそういう方言だと思ってたくらいで、気にしたことなかったわけ」


 それは逆にすごいのでは……。あれを方言だと思い込むのは、さすがに難しい気がする。


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