さん、どうにかって何?怖いよ
相談を持ち掛けたその日は、苑爾さんたちの所属するお助けサークル『ES』で週に一度のミーティングの予定が入っていた。
苑爾さんの極秘護衛は赤金さんに任せて、僕は例の事件が起きる場所を突き止めるために歩き回った。
手掛かりは苑爾さんの服装と、僅かに見えていた地面のタイル。
服装は重大な情報だが発生日時の決定打にはならない。苑爾さんは大学で講義を受けるときと、サークルの依頼に向かうときと、バーテンのアルバイトに向かうときとで着替えることも多いからだ。
幸丸大学の地面は、だいだい色と茶色と白の長方形のタイルが組み合わさってできている、町中でよくあるタイプだ。色合いは似ているけど、大学構内という確信は持てなかった。
色の並びが違う気がする──というのが直感だった。
ひとまず大学から駅までを結ぶ大学通りを歩いてみたり、幸丸大学前駅周辺を巡ってみたりしたものの、いまいちピンとこない。そして赤金さんから特に連絡もないので、何か起きたというわけでもなさそうだった。
「苑爾さんに全部話したほうが早いのかな……」
と、そう思わなかったわけではない。
小学五年生のあのときとは違う。僕は自分の未来視について正確に伝えることができるし、苑爾さんは僕の未来視を疑わないだろう。
だけど例えば、外出しなければ事件自体起きないのか。服装や歩く場所に気を付ければ事件に遭遇しないのか。事件発生の強制力がどれほどなのか解らない。そもそもあの未来は僕が未来を変えようとした行動すら含んだうえでの最終的な結末なのか、それとも今の僕たちの悪あがきは含まれていないのか。可能性を考え始めたらきりがない。
それならばもういっそのこと、苑爾さんに張り付いて、危なくなったときに対処したほうが分岐は最小限で済む。赤金さんがそう判断して、本人に言うのは控えておこうということになったのだ。
「多少の荒事なら俺がどうにかする」
と言い切った姿にちょっと気圧されたというのもある。どうにかって何? 怖いよ。
『ES』のミーティング終了後、赤金さんは苑爾さんを含むメンバー数名で大学通りのラーメン屋に行き、僕に借りたDVDを返すという名目でいとゆう荘まで一緒に来た。もちろんDVDのくだりはその場しのぎの嘘だ。
『ほんと屋さん』である苑爾さんに嘘は通用しないはずなのに、赤金さんは平然と「めっちゃ面白かったぜー」と観てもいないはずの映画の感想を述べた。知らない間に僕はリュック・ベッソンの『レオン』を貸したという設定になっていた。確かに持ってる、持ってるけど。
「マチルダが可愛かった。今まで観たなかで最高のオカッパだった。最後泣いた」
「あ、あれはいいオカッパですよね」
なんだこの相槌。
「せめてボブって言って」と、苑爾さんは呆れていた。
僕も『レオン』は好きなので、赤金さんと感想を交わす言葉に嘘はなかったはずだ。苑爾さんに対してどこまで誤魔化しが効いたのかは不明だけど。
その翌日はサークル活動もなく、苑爾さんは真っ直ぐいとゆう荘に帰ってきた。
食堂で音読の宿題をする琴子社長の横につき、保護者のハンコを押してやる。その傍ら、高校の宿題を広げる翔馬くんに英語を教えてやっていた。
大家さんの夕食の準備を手伝い、食後は惠さんのピアノを聴きながら遊戯室でダーツをたしなむ。お洒落なひとだなぁ、と僕はその様子をぼんやり眺めた。遊戯室にあるドラムセットもビリヤード台も、お上りさん気分が抜けない田舎者には眩しすぎる娯楽だ。
三日目は苑爾さんにアルバイトの予定が入っていた。
四コマ目が終わったら一旦いとゆう荘に帰り、服を着替えてまた出かけるという。赤金さんが訊き出したその情報をもとに、僕は四限が終わるや否や学部棟を飛び出した。
赤金さんからは逐一メッセージが送られてきている。『苑爾まだ講義室から出てない』『いま講義室から出た』など、まるで苑爾さんの行動を近くで監視しているかのようだった。
『経済学部棟出た。信号待ち』
『南門へ向かう』
彼にだって法学部の講義があるはずなのに、一体どうやって尾行しているのだろう。不思議に思いながら南門が見える位置に潜んでいると、苑爾さんが一人で歩いてきた。
僕の場合は下手に尾行せず、声をかけて一緒に帰ったほうがいい。
素直に追いかけようとしたとき、後ろからシャツの裾を引っ張られて思いきり転んだ。
尻餅をついた僕の顔を上から覗き込んだのは、仏頂面の小柄な女性。
「……苅安さん!」
「やあ。赤金からの依頼で来ました」
おじいさんの家の整理はひと段落ついたようだが、構内ですれ違うたびに手を振ってくれたりおやつをくれたりするので、すっかり顔見知りとなっていた。根暗同盟は健在だ。
「私、苑ちゃんと学科一緒やから授業ほとんどかぶってんねん」
「なるほど。それで……」
苑爾さんを監視する苅安さんから赤金さんへ連絡がいっていたわけか。納得しながら立ち上がると、苅安さんは僕の手を取って「はい、タッチ交代」と叩いた。
「苑ちゃんが最近いかがわしいバイト始めたかもしれへんって? さすがに赤金の勘違いやと思うけどなぁ」
「いかがわしいばいと」思わず復唱。
「ミナミで白スーツ着てキャッチしてるとこ目撃したらしいで。まあ確かに苑ちゃん、イケメンやし優しいし人気出そうやけど、絶対人違いやろ」
「みなみでしろすーつ?」話がわからん。
「まあ面白そうやし赤金の気ィ済むまで付き合うたるけど」
それでいいのか。
ともかく、苑爾さんの行動を把握するため『ES』にメンバーにも動いてもらったものの、未来視の話をするわけにもいかず、ちょっと苦しいが言い訳をつけたのだろう。あらぬ疑惑をかけられている苑爾さんには申し訳ない気持ちでいっぱいである。巻き込んでしまった『ES』の人にも、妙な嘘をつかせてしまった赤金さんにも。
罪悪感からぺこぺこと苅安さんに頭を下げ、僕は苑爾さんを追いかけた。
幸丸大学からいとゆう荘までの帰り道はアスファルトの道路ばかり。
したがって事件は別の場所で起こる可能性が高いが、赤金さんはそれでも、できるだけ苑爾さんと一緒に行動するべきだと主張した。「打てる手は全て打とう。もしイレギュラーが起きたときに、後悔は少ないほうががいい」……祖父母の一件を繰り返さないよう、そう提案してくれたのかもしれなかった。
「苑爾さん!」
声をかけながら駆け寄ると、振り返った苑爾さんがにこりと笑った。
「あら、忍くんもいま帰り?」
「はい。南門のとこで苑爾さんが見えたので、追っかけてきました」
僕の言葉に、苑爾さんはぱちりと瞬いた。
『ほんと屋さん』のその耳に、心に、僕の声はどう色づいて聞こえているのだろう。
「ふふ、じゃあ、一緒に帰りましょうか」
苑爾さんの笑顔はさらりとしている。気温が下がり始めた秋の空みたいだと、僕はよく思う。
彼と知り合ってまだ二ヶ月、偉そうに語れるほど長いつきあいではないけれど、このひとの口から弱音や不満や、愚痴や陰口が零れるのを見たことがない。赤金さんに対しては容赦ないことが多いけれど、それはお互い信用しあってのことだろうし……このあいだウィリアムにブチ切れていたときはすごく怖かったけれども。
他人から嫌われる要素というものを、あまり持っていないひとだ。
誰からも好かれる人間性なんて幻想だけれど、完璧に限りなく近いひとっているんだなぁ、と隣の好青年を見上げた。
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