に、私たちが殺した

 僕の未来視が祖父母の死に関連していたと遅れて理解したとき、母はひどく取り乱した。

 どうしてもっとちゃんと言ってくれなかったの。どうして私は本気にしなかったの。避難を呼び掛けられたら、お父さんもお母さんも死ななくて済んだかもしれない。わかっていたのに助けられなかった。私たちが殺したようなものではないか。


 ──“私たちが殺した”

 ──“私と忍が”


 そこまでの話を聞いたあと赤金さんは「違げぇだろ」と不愉快そうに顔を顰めた。


「確かにおまえが未来視を正確に母親に伝えて、母親が信じて、じいさんばあさんに注意できたとして。じいさんばあさんが助かればそりゃ忍のおかげだが、そうならなかったから『私と忍が殺した』は違う」

「そうですね」


 僕はちょっと微笑んだ。「……僕もそう思います」けれど母はそう考え、僕を遠ざけた。

 最初は僕たちの仲を取り持とうとしていた父は、いつからか家に帰らない夜が増えた。

 松雪家のこの状況を知った母方の伯母や従兄たちが面倒を見てくれ、僕はどうにか成長し、中学に入ると晴れて不登校になり、高校は同級生が誰もいないところを選んだ。僕と母の仲は傍目にも険悪だったけれど、家を出て一人暮らしをしたいという希望を伝えたとき、母は不満ひとつ零さずうなずいてくれた。


 自然災害に対してできることなんてない。祖父母を殺した、とは思わない。

 だけどもっとちゃんとこの異能に対する理解があって、正確に未来視を伝えて避難を呼び掛けることができていれば、母や伯母にとっての両親は、従兄や僕にとっての祖父母は死なず、今も生きて幸せな生活を送ることができたのかもしれない。

 多くの人を不幸にしたと思う。

 特に、助けることができたかもしれないという強烈な罪悪感に苛まれる母のことを。

 だから僕は、コーネリアスを殺したと自罰的になる惠さんの気持ちが、ちょっぴり解ってしまうのだった。


「苑爾がそういうのと無縁だからなんとなく失念してたけど、忍みたいな例もあるんだな」


 そっと目を伏せた赤金さんは、蔦に覆われた窓に視線をやった。

 僕と赤金さんが向かい合っているのは、幸丸大学構内にある喫茶店『青い鳥』だ。

 お洒落な雰囲気で料理も美味しいけど、学食などに較べると価格設定が高めなので、学生というよりは教職員関係者の利用者が多い。

 できるだけ内密に相談したいことがあると彼に連絡したところ、この店を指定されたのだった。


 朝の起き抜けに未来視があったこと。刃物で刺されて重傷の苑爾さんが倒れていたこと。未来を変えなければならないと強く思うこと。それらを静かに聴き終えた赤金さんは、これまでにも人の生死に関わりそうな画を視たことがあるのかと僕に訊ねた。

 その答えが、祖父母を襲った災害だった。


「初めて苑爾さんのことを聞いたときは……世界にはこんなにも前向きに自分の力と向き合う人がいるんだなって……すごく悲しかったです」

「力の種類にもよるだろうな。苑爾や社長は自分の中で折り合いをつければそれで済むタイプだから」

「ああ、そうかも……。僕や惠さんは他者が関わってしまうので」


 未来視だって、視たとしても外に打ち明けず自分の中に折り畳んで仕舞ってしまえば、こんなことにはならないのかもしれないな。

 僕が冷めゆくミルクティーを飲み干すあいだ、赤金さんはじっと窓の外を見つめていた。

 四コマ目の授業中だ。『青い鳥』は理工学部棟に隣接しているので、白衣姿の学生が忙しそうに往来している。

 不意に視線をこちらに戻した彼がすらりと腕を伸ばしてきた。野生の獣みたいな仕草で、身構えたり避けたりする隙も与えられなかった。

 僕の耳を隠している横髪を無造作に指先で掻き上げる。

 赤金さんがジト目で睨んでいるのは、僕の両耳の透明ピアスだ。


「前々から気になってたんだけどなぁ、コレ」


 普通の感覚だと『夥しい』に分類される個数であると自覚している。拡張はしていないので、小さくて目立たない樹脂製のピアスで誤魔化していた。


「自傷だろ」


 ばれてるよ。

 そっと目を逸らした僕に赤金さんは顔を歪める。


「二、三個残して塞いじまえよ。そんな傷いつまでも残しておくから膿むんだろ」


 返す言葉もない。

 中学生の頃から始まった癖だった。どうしようもなく気持ちが落ち込むたびに、安全ピンで耳を刺した。

 毎朝、透明ピアスをつけるために鏡を見るたびに、母や祖父母やあの濁流を思い出す。

 そうしなければ生きていく資格もない。

 儀式のようなものだ。

 赤金さんは溜め息をついて椅子に座り直し、アイスコーヒーに手を伸ばす。


「苑爾はいいやつだ」


 ぽつりと零された言葉には、特別な感慨は籠っていない。当たり前のことを再確認しているだけのつぶやきだった。僕も心のなかで、そうだいいひとだ、とうなずいた。


「忍の未来視を疑うわけじゃない。だがもし仮に本当に、苑爾がそんな目に遭って死ぬのだとしたら、俺はそんな未来は認めない」


 赤金さんの両耳についたピアスが、店内の橙色の照明を受けてぎらりと光る。僕の自傷行為とは違って、ただ純粋に彼の存在感を飾り立てるために在る。


「死なないにしたって、あいつがそんな痛い目に遭うのは嫌だ」


 こうしてゆっくりと向き合ってみて、初めて知った。彼の眸は、すこし緑がかった不思議な色をしている。

 その双眸が、僕を、射殺すように見据えた。

 ──許さない、と責められているような、凄絶な冷眼だった。

 許さない。

 そんな未来視を現実にしやがったら、何者も許しはしない。

 背筋に薄ら寒いものが走る。出逢ったばかりの頃、この人はスクールカースト最上位のジョックで、陽キャで、パリピで、住む世界が違って……なんて勝手に怯えていた。けれどそんなものは赤金さんのごく一部分に過ぎなかったのだ。

 もしかしてこの人、本当はすごく怖い人なんじゃないだろうか。

 眠っていた獣を起こしてしまったような危機感が、足首から順に這い上がってくる。


「なあ、だから」


 赤金さんがゆっくりと口を開いた。

 内容を聞く前に「イエスボス」と一も二もなく従いたくなるような迫力だった。


「手伝ってくれるよな。『よろず屋』さん」


 イエス、ボス───ノーって言ったら殺されそう。いやその気があるならはじめから相談なんてしないけれど、それでも、という感じだ。

 そういうわけで、赤金さんと僕の隠密作戦が始まったのだった。


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