よん、今すぐ戻ってきて、緊急事態
そして迎えた、社長のお誕生日パーティー当日。
僕は鹿嶋市のお隣、八神市のショッピングモールに来ていた。
大阪にいるからには『梅田』や『なんば』なる繁華街に出かけるべきだろうが、まだ都会の交通網に不慣れな僕では迷子になる可能性のほうが高い。そう考えたので、近鉄幸丸大学前駅から東に四駅ほどの八神を選んだ。
ここを訪れるのは三度目だ。
一度目は引っ越し直後、不足していた家電や日用品を買いにきたとき。
二度目は三日前、社長のプレゼントを何にするか、迷いに迷って下見にきたとき。
前回は小学生向けの雑貨店を視察したのだが、あのおませな社長にあげるにしては子どもっぽい気がしたので見送った。反省をふまえて今日はアクセサリー店に来てみたのだ。
がしかし、その女子女子しい雰囲気に早速半泣きである。
アクセサリーの放つきらきらした光、華やかなBGM、女性店員、女性客。そのなかで一人怯える大学生男子。怪しい。我ながら不審者。
彼女か妹のプレゼントを買いに来たように堂々としていればいいのはわかっている。しかし僕にはそこまでの度胸がなかった。生まれてこの方彼女も妹もいたことがないもので。
「うぅ……すみません、すみません、不審者じゃないです……」
背中を丸めておどおどと店内に足を踏み入れる。
幸いにして周囲の女性客は僕のことなど気にしていなかった。そのまま透明人間として買い物を済ませたい。
何がどこに置いてあるのかよくわからなかったので、しばらくイヤリングやピアスなど頓珍漢なコーナーを巡り、最後にようやくヘアアクセサリーの売り場に辿り着いた。
「よ、よかった、あった」
社長の目標は、『自立した女性』になること。
真意をちゃんと聞いたことはないが、普段の彼女を見るに、それは『しっかりした大人の女性』を目指しているということだと思う。社長は小学二年生にしてはすでにじゅうぶんしっかりしているのだが、彼女の目標を応援するべく、ちょっとお姉さんなヘアゴムをと考えたのだ。
派手な飾りがついたものは小学校には着けていけないが、社長は休日もよく髪の毛を結んでいるから大丈夫だろう。
多種多様な飾りつきのヘアゴム、シュシュ、カチューシャらしきものなど未知のジャンルを前に気合を入れ直す。
目的はたった一つ。
この中から、社長が休日につけられそう且つそこまで高価でもないものを選び、レジに持っていき、買って、ラッピングをお願いして、そしていとゆう荘に帰る。
店に入るだけで一大事だった僕にはなんとも高い壁だが、やるしかない。
ざっと眺めてみた限りシュシュとカチューシャはどう見ても社長の頭に対して大きすぎる。僕にはどうやって髪をまとめるのか不明なクリップみたいなものも色々あるが、不明なものを贈るわけにもいかない。というわけでヘアゴム一択だ。
「ジャラジャラしてると壊れたときに爆発四散しそうだから、大きい飾りが一つついてるくらいでいいかな……。何色が好きなんだろう。毎日いろんな服着てるからわからないなぁ」
特別、ピンクをよく身につけているとか青が好きとか、そういう印象はない。
可愛いブラウスも、ボーイッシュなパーカーも着ているのを見たことがある。ズボンも穿くし、スカートも穿く。ランドセルは落ち着いたブラウンだった。あのくらいの子どもなら、好きな色があれば何でもかんでもその色で統一したがってもよさそうだけど……。
「社長を普通の七歳児と同じに考えるのは間違いだしなぁ」
そのとき、あ、と視線を奪われた。
ゴールドの外縁のなかに、いくつもの花を透明の樹脂で閉じ込めたトップ。
かわいい。
「これ、いいな……」
誰にともなくつぶやいて手を伸ばす。
するとそのとき、ズボンのポケットに突っ込んでいたスマホから着信音が鳴り響いた。
「うわっ、な、なに、誰……翔馬くん?」
悲しいかな、人から電話なんてほとんどかかってこない人生だったので、突然の事態に頭が真っ白になってしまった。わたわたと通話ボタンを押し、慌てて店から出る。
「も、もしもし。翔馬くん、どうかしたの……?」
「忍さん、緊急集合」
電話をかけてきたのは一〇二号室の翔馬くんだ。
近所の仙石高校に通う二年生で、なんと自宅でゲーム実況をしているユーチューバー。ちょっと態度が素っ気ないのがデフォルトで、琴子社長とはとても仲がいい。
「ん? 集合ってどこに」
「いとゆう荘。今すぐ戻ってきて、緊急事態だから」
聞くなり僕は出口へ向かうエスカレーターに乗っていた。
まだプレゼントを入手していないという致命的な現実は翔馬くんの言葉で吹っ飛んだ。本当に逼迫していない限り、彼がわざわざ僕に電話をかけてくる理由はない。
「なにかあったの?」
「史龍先生のこと。今日は取材で朝から奈良に出かけてるんだけど、さっき電車が停まっちゃったんだって」
ぽかんとしてしまった。
次に腕時計を見た。現在、三時五分。
パーティーは午後六時から。
「奈良って……どのくらいかかるの?」
「奈良駅なら近鉄もJRも一時間くらい。ただ取材先が市内じゃなくて山のほうなんだって。調べたら行きに二時間かかってて、しかも人身事故だったからいつ再開するかわからない。六時には間に合わないかも」
「そんな!」
大きな声を出してしまった僕を、エスカレーターですれ違った親子連れが驚いたように見た。
はっと口を覆って周りにぺこぺこと謝る。
電話の向こうの翔馬くんは特に動揺していないようだが、声はいつもより低かった。
「とりあえず忍さん、そこでエスカレーターを下りて。連絡口は二階だよ」
と言われた瞬間、スニーカーはたんっと床を踏んでいた。
あれっとフロアの案内を見ると、確かに二階についたところだ。
「そっか、近鉄の連絡口は二階だったっけ。……え待って翔馬くんなんで僕がエスカレーターに乗ってるって知ってたの?」
「そういう
「ええっ?」
「早く! 店出たらダッシュ!」
困惑する僕を残して、通話は切れた。
言われるがまま早歩きで百貨店を出て、指示通り駆け足で駅へ向かう。すると翔馬くんの言葉通り、すぐに電車が滑り込んできたので乗り込んだ。
八神駅から四駅。幸丸大学前駅からいとゆう荘までは、全力ダッシュで約五分。
スポーツ経験もなく、持久力に乏しい僕がよたよたといとゆう荘に辿り着くと、食堂前の通路で苑爾さんと大家さんが話し込んでいた。
「あ、あの、史龍先生、帰ってこれないって……」
力尽きて廊下にしゃがみ込む。
大家さんが大騒ぎで背中をさすってくれた。
「うわっ、忍くん瀕死やんか、どっから走ってきたんや」
「うう、ユキ大駅からダッシュしてきました……」
「やだちょっと大丈夫? お茶とってくるわね」
苑爾さんが食堂のドアを開けた拍子に、社長の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。どうやら惠さんと翔馬くんと一緒に会場の飾りつけを進めているらしい。
戻ってきた苑爾さんからコップを受け取る。
「それでその、琴子社長は?」
「『仕事なんだから仕方ない』の一点張りよ。でも他のみんなはお休みを取ってまで帰ってきてくれるんだから、史龍先生がいなくてもパーティーはしたいな、ですって」
「うわぁ、気遣い屋さん……。泣いて駄々こねるところは想像できないけど、物分かりがよすぎですよね」
ひとの言葉に色を感じるという体質の苑爾さんは、珍しく眉間に皺を寄せて吐き捨てるようにつぶやいた。
「本気で言ってるからたちが悪いのよ」
その姿を見た僕は「あ!」と声を上げていた。
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