に、なんたってみらい屋さんだもん

「……いいんだよ。下手に友だちを作ったら、その人の変な未来を視ちゃったとき、なんか気まずいだろ」

「気まずかったことがあるのか?」

「あるんだよ。……琴子社長より十年長生きしてるから、色々とさ」


 社長はムムムと白い眉間に皺を寄せ、とても難しい問題に立ち向かうように腕組みをした。


「そうかぁ。世の中、いろいろと難しいのだな」

「こんな力があると余計にね」

「ことこは簡単な力でよかったなぁ」


 簡単な力なわけがあるか。──というつっこみは、心のなかに留め置いた。

 世界を三分間だけ止めることができる、という桁外れの異能を持つ少女は、自分の力の凄まじさをまだ理解できていない。

 理解できていないままの彼女でいてほしい……いや、理解したうえで、やさしい使い方をできる大人になってほしい。

 僕は社長の柔らかい髪の毛に指を通し、ちいさな頭をゆっくりと撫でた。


「社長なら、どんな難しい力でも、きっとじょうずにつきあえるよ」

「そうかな? それはそうとしのぶ、友だちはいたほうがいいぞ」


 話を逸らす作戦は失敗した。

 小学二年生にボッチを心配される大学一年生。我ながら不甲斐ない。


「うん、まあ、それは、前向きに検討させていただきます」


 頑なに一匹狼を目指しているわけでもないので、そこは正直に答えておいた。

 僕の返事に満足そうな笑みを見せた社長はいそいそとお絵かきに戻る。

 よく見ると、ハガキくらいの大きさに切った画用紙を二つに折って、そこに絵を描いているようだった。黒のサインペンで『招待状』と書いてある。これは大家さんの字だ。


「なんの招待状?」

「ことこのお誕生日パーティーだ。いま完成したので、しのぶにもあげる」


 と、ちょうど色とりどりのお花を描き終わった招待状を差し出されたので、両手で丁寧に受け取る。開いてみると、本文がびっしり書いてあった。




招待状

いとゆう荘よろず屋社員 松雪忍 様


 前略 いとゆう荘よろず屋社長 宗像琴子が誕生日を迎えるにあたり、八歳のお誕生日パーティーを以下の通り開催することとなりました。

 何かとお忙しい時期とは存じますが、万障お繰り合わせのうえご出席くださいますようお願い申し上げます。草々


  記


 日時:四月十七日(土) 午後六時より

 場所:いとゆう荘 一階 食堂にて


       以上




 やたらとビジネスライクな本文がとても気になったが、ぐっと堪えた。

 さすがに全文、大家さんの流麗な筆跡だ。そのかわり、堅苦しい本文の周りを彩るお花や虹などのイラストは社長筆のようだった。何事も全力で企業っぽくしていくのは、自立した女性を目指す琴子社長の意向に沿うものなんだろうな……。


「史龍はさいきん、しめきり間近のしゅらばなんだ。邪魔しちゃいけないから、惠ちゃんや、翔馬や、光舟のお部屋に泊めてもらってる」

「そっか……。史龍さん、忙しいんだね」

「うん。でも、お誕生日パーティーはちゃんと来てくれるって! だからもう少しのしんぼうなのだ」


 社長はまだ白い招待状を取り出し、だいだい色の色鉛筆でお花を描きはじめた。

 たまに武士みたいなことを言いだすから忘れがちだけど、社長はまだ七歳の女の子だ。

 寂しい、とは言わなかったけれど我慢しているのは明らかだった。


「ちゃんとみんな来てくれるといいなぁ。じんも、みさおちゃんも、お仕事忙しいからなぁ」

「うーん……そうだね」


 三月中は一緒に晩ごはんを食べることが多かった美沙緒さんも、四月に入ってからは新年度の準備が忙しいようで、朝も晩も全く会えていない。

 本業が謎の陣さんもまた、僕の歓迎会以降は一切顔を見ていなかった。

 でもなんとなくあの二人なら、社長の誕生日パーティーと聞けば、無理にでも休みを取って参加しそうだけど。


「大丈夫、みんな来てくれるよ」


 軽く口にしたその言葉に、社長の表情がぱっと明るくなる。

 あ、まずったかな。

 思ったときには遅かった。


「しのぶが言うならきっとそうだな!」

「……えーと」

「なんたってみらい屋さんだもんな!」

「……あー、うん」


 本当に嬉しそうにしている彼女を前にして、「いまのは未来が視えたからそう言ったわけじゃなくて、普通にフォローというか希望的観測というか、やっぱりみんな仕事が忙しいだろうしもしかしたら難しいかもしれないね」なんて言えるわけがない。言えるやつがいたらお手本を見せてほしい。


「しのぶが言うなら安心だ!」


 気合いを入れて招待状づくりに専念しはじめた社長からそっと目を逸らし、天井を仰ぐ。

 ──陣さんと美沙緒さん家に、お願いだから来てくださいって手紙、入れておこう。



   ✿



 ……雨が降っていた。

 僕は助手席側の後部座席から身を乗り出し、前方に連なる車列を見ている。

 どうやら渋滞に巻き込まれたようだった。渋滞の先頭は確認できそうにない。ぐるりとカーブになった上りの山道だが、車が詰まっていて進めないみたいだ。

 運転席には燃えるような赤髪の青年が座っている。忍から見える彼の左耳にはごついシルバーのピアス。赤金さんだ、と咄嗟に思ったけれど、それにしては髪色が派手すぎる。

 助手席にいるのは苑爾さんのように見える。白地に黒のマーブル模様を描いた服を着ていて、右手首には白いGショックを嵌めていた。

 土砂降りの雨のなか、知らない車に三人で乗っている……。


 ──そこまでの情報を、僕は自室のベッドの上で整理した。

 スマホの画面に触れてみると時刻は午前六時三分。

 誰かが廊下を歩いていく音が聞こえた。たぶん、朝が早い美沙緒さんだ。

 いとゆう荘の朝食は、六時から八時と決まっている。僕自身の朝食は七時以降でじゅうぶん間に合うのだが、二度寝する気分でもなくなってしまった。


「……雨、は……降ってるけどそこまでじゃないな」


 ベッド脇のカーテンの隙間から、しとしとと降りそぼる春雨の気配を感じる。

 今日中にこの雨が激しくなるのか、それともこの先数日の間に激しい雨が降る日があるのか。起き抜けに叩きつけられた未来の画だけでは、いつどこで起こるかまではわからない。

 僕の未来視にはムラがある。朝の目覚めのタイミングに視た画が当日中に発生することもあれば、一週間が経って忘れた頃にようやく実現するという場合もあった。

 つくづく儘ならない力だ。


「まあ、普通に渋滞に巻き込まれて……って感じだったし、そこまで気にしなくていいか」


 僕は基本的に、視た未来に対する回避行動はとらない。

 自分にはそこまでの行為は赦されていないと思うから。

 軽く身嗜みを整えたあと食堂へ向かうと、朝食を終えた二〇三号室の美沙緒さんとすれ違った。新年度がはじまって忙しそうな彼女と会うのはずいぶん久しぶりだ。


「あら、忍くんじゃん。早いね」


 メイクもスーツもばっちり決まった『先生』モードの美沙緒さんは、なんだか颯爽としていて格好いい。こんな先生が担任だったら生徒も毎日楽しいだろうな。


「おはようございます。なんか、目が覚めちゃって」

「ふーん? そういえば手紙読んだわ。誕生日パーティー、ちゃんと予定は空けてあるから。陣くんも、その日は死んでも帰ってくるはずやで」

「本当ですか、よかった。……いや死なれては困るんですけど」


 社長から招待状を受け取ったその日のうちに、僕は忙しい社会人の二人宛てに手紙を投函したのだった。

 この様子ならみんな揃って無事にお祝いができそうだ。

 ほっと胸を撫で下ろしながら朝食をとり、少し早いが大学へ向かう。


 入学式の翌日以降、学部別の履修ガイダンスや、英語のクラス選別のテストなどがおこなわれたのち、履修登録期間に突入した。僕は苑爾さんや惠さんのアドバイスを受けつつ時間割を組んで、もうほとんど一回生前期の生活サイクルを決定していた。

 講義で使用する教科書の類は、大学生協や大学通りの書店で揃えることになっている。

 あといくつか不足している教科書を購入しておきたくて、四限が終わったあと、僕は本部キャンパスにある大学生協の書店にやってきた。

 教科書や専門書はもちろん、小説も置いてある。筆記用具やファイルなんかの文房具もあるうえ、理系の学部生に必要なのだろうか白衣まで並んでいるのには驚いた。

 必要なだけの本を小脇に抱えて、平積みの小説をなんとなく見下ろしていると、ふと気になる著者名が目に入った。

 宗像史龍。


「史龍先生だ……」


 タイトルは『或る少女の記録』。

 表紙はきれいな水彩画だ。月明かりのなか不気味に浮かび上がる白い廃墟、二階の窓に顔を出すひとりの少女。けっしておどろおどろしい感じではないが、仄暗く、そこはかとない絶望を湛えた装丁をしている。

 ホラー小説っぽい。というか帯に『恐怖の夜』って書いてある。どこからどう見てもホラー。


「史龍先生、ホラー小説家だったのか……」


 大学生になったことだし、新たな趣味を見つけるのもいいかもしれないな。

 手に取ったその一冊も一緒にレジへ持って行こうとしたところで、文房具のエリアに立っていた人と目が合った。


「苑爾さん。こんにちは」

「忍くん、こんにちは。大学内で会うなんて奇遇ねぇ」


 幸丸大学の鹿嶋キャンパスには、院生を含めて約三万二千人の学生が在籍している。学部も回生も違う苑爾さんと出くわすのはこれが初めてだ。

 苑爾さんは学部の友人らしき男性二人と一緒にいた。

 どちらもすらりと背が高く、おしゃれで、洗練されていてなんだか都会的だ。片方はギターのようなものまで背負っている。僕には未知の生物だった。怖い怖すぎる。

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