第二話 神さまの贈りもの
いち、しのぶはボッチなのか?
いとゆう荘に入居して一週間が経った四月三日、僕は入学式を迎えた。
幸丸大学は西日本屈指の規模を誇る総合大学だ。
大阪府内外のキャンパスを合わせて学部は十一。僕の通う鹿嶋キャンパスは、府道を挟んで本部と第二の二つの敷地を持つ。入学者数は鹿嶋キャンパスの新一回生だけで八千人にも上るそうだ。
はっせんにん。
八千人って何人だっけ? と一瞬困惑する程度には、僕は田舎の出身である。
大阪の人の多さには、引っ越し前に受けた面接やいとゆう荘の下見で一度驚き終えていたけれど、新生活をはじめて一週間が経っても慣れることはない。というか人混みが怖すぎてまだ『梅田』や『なんば』なる有名どころにも繰り出していなかった。
そのうち行くと思う。
そのうちね。
アーティストがコンサートでも開けそうなどでかい講堂からやっとの思いで脱出し、新入生の波に揉まれながら、僕はよろよろと歩いた。
講堂を囲むように立ち並ぶ桜の木々はいまが満開のときだ。知り合い同士らしきスーツ姿の男女が数名、桜の下で記念写真を撮っている。
僕には一緒に写真を撮る友人なんていないし、そもそも桜を愛でる気持ちの余裕がない。
人が多い、多すぎる。八千人って何人だよ。僕の通っていた高校なんて一学年二百人もいなかったんだぞ。
講堂の外壁沿い、ひと気のマシなところに避難して、最初にもらったパンフレットを開く。
「えぇっと……今日はとりあえず入学式で……学部のガイダンスは明日から……」
どうやら本部キャンパスのほうでは文化系の大学公認サークルが展示会をしたり、吹奏楽部がコンサートを開いたりしているようだが、もういい疲れた早く帰ろう。
人波がやや緩和されたところで、緩やかな流れに乗っかって外に出た。
講堂の横には公道が通っているためか、黒いジャンパーを着たスタッフらしき学生が、警棒片手に交通整備をしている。
楽しそうに会話する新一回生は多いけれど、一人で歩いている人のほうが多い。幸丸大学は全国的に知名度が高いほうなので、日本全国から学生が受験して集まってくるのだ。岡山県の片田舎出身の僕はもちろんその一員だし、いとゆう荘の二〇五号室に住む苑爾さんも出身は神奈川県だと聞いた。
学生スタッフの誘導に従い、公道に面する東門から第二キャンパスへ入る。
第二キャンパスは本部キャンパスと府道で分断されていて、その間には短い横断歩道がある。信号は設置されているけれど、ここにもきちんと交通整備のスタッフがいた。できるだけ端っこを歩いていた僕は、そのなかに顔見知りを見つけて思わず駆け寄る。
「赤金さん」
「よお忍。入学おめでとさん」
苑爾さんの友人、赤金さんである。
相変わらずグレイアッシュの刈り上げツーブロックと両耳のピアスがいかつい。
彼は春休み中、住んでいたアパートの上の部屋が火事になり、消火活動の影響で窓際水没という憂き目に遭ったひとだ。部屋が片付くまで苑爾さんの部屋に寝泊まりしており、しばらく一緒に食事もしたので、見た目はいかついが怖いひとじゃないと知っている。
昨晩『あかがねさよなら会』と称した宴会を開いたばかりだ。つまり部屋は無事に片付いたらしい。
遅くまで美沙緒さんや史龍先生と飲んでいたはずだが、けろりとしている。
「諏訪ぁ、ちょっと離れるな」
赤金さんは近くにいた別のスタッフに一声かけると、僕の腕を掴んで横断歩道から離れた。
「もう帰るのか?」
「はい。人混みがすごくてくたびれました……」
「大丈夫かよ。確かにユキ大の人口密度は異常だが、こんなの大阪中心部じゃ普通だぞ。生きていけんのか?」
「えぇぇ……むり、いきてけないです」
「岡山ってそんな田舎だったっけか」
「大阪が多すぎるだけですよ」
ぐったりと肩を落とした僕の頭を、赤金さんは苦笑しながらポンポンと撫でた。その仕草になんとなく従兄を思い出して懐かしい気持ちになる。
「赤金さんって、大学の何か……スタッフなんですね」
「あーコレな、助っ人。俺の本職こっちなの」
そう言って赤金さんは、黒いジャンパーの胸ポケットからくしゃくしゃの紙を取り出した。
雑に折り畳まれた紙を広げてみると、新入生歓迎用のチラシのようだ。
「『お助けサークルES』?」
「そ。学生の、学生による、学生のための便利屋さんみたいなモン。引っ越しの手伝いとか、イベント人員とか、まあ色々やってんだよ。そんで、今日は大学の学友会から入学式交通整備の助っ人依頼」
僕はチラシを二度見し、三度見した。
赤金さんが述べた通りのサークル名や活動内容が書かれた下に、メンバー紹介として目の前のこの人と、よく知る住民の顔写真が載っている。
「これ、代表赤金と副代表六条って、書いてあるんですけど……」
「そーだけど?」
赤金さんはこともなげにうなずいた。
この、ややいかつくてチャラそうで陽キャ属性の人が、人助けサークルの代表……。
そういうボランティアグループの代表というと、にこやかで人当たりのいい人というイメージだったので、納得するまで時間を要してしまった。
「なんか、よろず屋みたいですね」
「おお。苑爾がESに入ったって聞いて、社長も人助けしたいって言い出したらしいぞ」
「そういうつながりがあったんですか。なるほど」
「新入部員募集中だから、暇なら入っとけよ。とりあえず履歴書には『人助けサークルに所属してました』って書けるぞ」
赤金さんは言いながら、横断歩道の対岸を見た。
黒ジャンパーの青年が物凄い顔でこっちを睨んでいる。先程「諏訪」と赤金さんが呼んで声をかけていた人だ。ちょっと話し込みすぎたのだろう。
赤金さんは「戻るわ」とまた僕の頭をぐりぐり撫でた。
ちょうど歩行者用信号が青になる。
「気ぃつけて帰れ」
「はい。ありがとうございます」
赤金さんはにやりと口角を上げた。
お助けサークルの代表というよりも悪の組織のボスのほうが似合いそうな悪人面である。
しかしこれが彼にとっての普通の笑顔なのだと、僕はようやく慣れたところ。
いとゆう荘は大学から南へ徒歩七分。
昔の趣を残す閑静な住宅街のなかを通って、不意に見えてくる満開の桜が目印だ。
食堂に入ると、二〇二号室に住む宗像家の琴子社長がひとりでお絵かきをしていた。
「しのぶ。おかえり」
「ただいま、琴子社長。ひとり?」
「うむ。史龍は打ち合わせのため、朝から東京えんせいだ」
まるでオタクがイベントに行くような言い方をされているが、保護者である宗像史龍氏は、わりと名の知れた小説家であるらしい。いとゆう荘の住民からは『史龍先生』と呼ばれていて、打ち合わせや取材のため東京や地方に出かけることも多いという。
食器棚に並んでいる自分のカップを取り出し、冷蔵庫のなかのお茶を注いだ。
食堂の冷蔵庫にある飲み物や食べ物は、特別に名前が書いていない限り、誰でも利用していいことになっている。
僕の様子をじっと観察していた社長が、はたりと色鉛筆を置いた。
「しのぶ、まさか……こんなにはやく帰ってくるとは……」
「えっと、早く帰ってきてはいけなかったでしょうか」
「しのぶはまさか、ボッチなのか?」
あまりの言いように一瞬固まってしまった。
というか、春から小学二年生の女児に『ボッチ』なんて単語を教えたのは誰だ。
そりゃ友だちが多いほうとは言えないけど。というか、ほとんどいないけど。入学初日からボッチなのは何も僕だけじゃないはずだ。さすがに暴論である。
「ボッチっていうか……まだ入学したばっかりだし……。別に、知り合いが全くいないってわけでもないし……」
「知り合いって、えんじとあかがねか? だめだぞ、友達作りは最初がかんじんなんだ」
ぐうの音も出ない。
僕は深い溜め息をついて、社長の隣の椅子に腰かけた。
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