に、実は中身がおっさんだったり
「ただいま帰ったぞ。留守中なにごともなかったかね」
やたら老獪な口調に、耳の上で結んだツインテール。間違いない、あの入居面接のとき大家さんの隣にいた幼女だ。
背中に渋いブラウンのランドセルを背負って、両手には荷物を満載した重そうな手提げ袋を持っている。制服のスカートから覗く膝小僧にはくま柄の絆創膏が貼ってあった。
そう、確か、社長兼おさんぽ屋さんとかいう。
「御覧の通り、新しい社員が到着したわよ」
「うむ。きみは『みらい屋さん』のしのぶだね」
「わああああ!」
とんでもないことを平然と口にした幼女もとい社長の口を、僕は慌てて塞いだ。なに言いだすんだこいつ。あれはそういう面接だと聞いていたから言ったのであって、初対面のアパートの住民にいきなり言い触らすものじゃない。
目を丸している苑爾さんと赤金さんに、僕は口元を引き攣らせる。いくらなんでも過剰反応しすぎたかもしれない。
「あ、あの……まあ話の流れで、そういう感じに」
「なにを隠すことがあるのだ、しのぶ。未来が視えるなんて、きょうみぶかくてステキな個性ではないか」
「だから言うなっての! 違うんですあのこれはその個性が何かって訊かれたので勢いで答えただけっていうか本気にしないでくださいね!」
僕と社長のわちゃわちゃしたやりとりを呆気に取られて眺めていた二人は、ちらりと視線を交わしてふっと噴き出した。
「だめよぉ、社長。世の中には自分の個性を隠している人もいるんだから、勝手に誰かに喋っちゃだめ。気をつけましょうね」
「む」社長はぐっと眉間に皺を寄せた。
すると赤金さんは社長の眉間に指を伸ばし、ぐりぐりと揉みほぐしてやる。
「そうだぜ、社長。レディたるもの、人の秘密はぺらぺら口外しねーもんだ」
「むむむ! なんと!」
何が「なんと!」だこいつ。
恨めしい気持ちになっていると、社長は突然がばりと頭を下げた。
「このたびは大変もうしわけございませんでした」
「社長ランドセル全開なんですけど……!」
勢いよく跳ね上がったランドセルのかぶせ部分。逆流してきた教科書やペンケースは僕の膝を直撃した。かぎを閉めろ!
何はともあれ、苑爾さんたちも本気にしなかったみたいだからセーフだろう。「幼女相手に未来が視えるとか自称するやばいやつ」認定は免れたか。社長も悪気があったわけじゃないし、口止めしなかった僕にも非はある。
社長のランドセルの中身を拾い集めていると、赤金さんも手伝ってくれた。
「社長ずいぶん荷物が多いな。今日が修了式だったのか」
「あらほんと、おてて真っ赤じゃない。二階まで一緒に運びましょうか?」
「いいや。ことこはじりつした女性をめざしているので、荷物はじぶんではこぶ」
どう見ても小学校低学年の女の子の口から飛び出す「自立した女性」とかいう言葉の違和感すごい。
だけど苑爾さんは慣れているらしく、花咲くように微笑んだ。
「自立した女性はね、荷物は前々から計画的にちょっとずつ持ち帰るものよ」
「ぐうっ」痛いところを抉られた社長が力なく歩きだす。苑爾さん、容赦ない。
肩を落としているせいで手提げかばんが地面を擦っていたので、僕は慌てて両手から取り上げた。
「ちょっと、かばんに穴があいちゃうよ」
「しのぶ……こんなふがいないことこを許してくれるのか……」
「べ、別に最初から怒ってないから」
さっきから社長の語彙が独特すぎる。
実は中身がおっさんだったりするんだろうか。嫌な想像をしてしまった。
「忍くん、社長のことお願いね。その子あなたのお隣さんだから」
「あっ、はい。わかりました」
今日の到着後に部屋まで上がっているので、二階へと到る階段がレトロかつけっこう急なことは知っている。確かに、大荷物のこの様子ではうっかり転げ落ちかねない。
にこやかに手を振って出て行った苑爾さんたちを見送り、僕は社長を見下ろした。
「……じゃあ、行こっか」
「うむ、かたじけない。じりつした女性にはまだまだ遠いな」
武士なのか?
「自立した女性だって、自分で持ちきれない荷物は周りの人に頼ったっていいと思うよ」
「そうかな?」
「うん」うなずいたあと、ちょっと自信がなくなって「たぶん」と付け足した。
「ありがとう。忍はやさしいなぁ」
苦笑いしか返せなかった。
情けないことに、優しいと言われたことなんてなかったから、どういう反応が正しいのかわからなかったのだ。
二月の面接で大家さんに「ほんなら入居日いつにする?」と話を進められたあと、そのまま僕はこのアパートに連れてこられた。そのときに驚いたのが、いとゆう荘には『食堂』と『遊戯室』なるものがあるということだ。
エントランスを抜けると真っ直ぐな通路が伸びていて、右手前にあるのが『遊戯室』。窓からビリヤード台やグランドピアノが見えている住民たちの娯楽スペースだ。その奥にはアパートの住民たちがご飯を食べる『食堂』、料理が趣味という大家さんが希望者に食事をつくってくれるのだそうだ。食堂の奥は大家さんの住む一〇三号室。
左手前には二階へ到る階段があり、その奥に一〇一号室、一〇二号室と並ぶ。
階段を上るのかと思ったら、社長はまず食堂に直行した。
「ただいま帰ったぞ、光舟!」
大家さんは、食堂の端っこにあるレトロなソファで優雅にティータイム中だった。
「おかえりぃ、琴子社長。これまた大荷物やね、忍くんまで荷物持ちにして」
「うむ、ふがいないことに」
「忍くんも搬入お疲れさま。なんか手伝うことあったら言ってな。差し当たって今日の晩ごはんは下で食べるやろ?」
食事に関しては毎晩、大家さんが翌日のメニューを黒板に書いて食堂前に掲示してくれるので、住民たちは寝るまでに朝昼晩の食事の要不要を書き込んでおく。食べたぶんだけ月末に請求されるらしい。
メニューは確認しそびれたが、引っ越し初日から自炊なんてできないし、有難くうなずいた。初対面の人と食事というのは不安だけど、初日くらいは顔を出しておかなければ。
「ほんなら今晩、忍くんマルっと。琴子社長、みんなのとこ回って晩ご飯の出欠とってきてくれへん? 昨日、出欠表出し忘れててん」
「うむ、昨日、メニューが置いていないなぁと思いながら部屋に戻ったぞ!」
「社長あのね、気ぃついてたなら教えてくれません?」
「任せろ!」
元気よく返事した社長に「行くぞ忍」とぐいぐい引っ張られ、あっという間に食堂を連れ出される。もちろん二階まで荷物を持って送るつもりではいたが、半強制的に出欠確認も付き合わされるようだ。
食堂を出て真正面にあるのは一〇一号室。表札には『真田』と書かれている。
その下のインターホンには社長では背が足りないだろうと思って人差し指を伸ばしたが、彼女は小さな握りこぶしを作ってドアを叩いた。
どんどんどんどんどん。どんどんどん。
「叩きすぎでは?」
「じーん! 今日の晩は帰ってくるのかー?」
しばらく待ったが返答はない。
社長はむんと腕組みをして僕を見上げる。
「陣はしごとが忙しいので、あんまり帰ってこないのだ。帰ってきても寝ていることが多い。だからインターホンよりドアを叩いたほうがいいんだ」
「へえ……」社畜なのかな。「真田陣さんっていうんだね」
「うむ。陣はいいやつだ。いつもケーキを買ってきてくれる」
一〇一が無人なことは半ばわかっていたのだろう。初っ端から出欠がとれなかったが社長はあっさりと見切りをつけて、隣の一〇二号室の前に立った。
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