第3話 令和のボッコちゃん後編

 翌月、その子はエヌ氏の店に


 「マスター、どうだい、オタククラフツマンマツウラ渾身こんしんの作だぜ。」


 黒髪ロングに雪のように白い肌、すらっと伸びた手足、長いまつ毛に愁いうれいを含んだ瞳。

 そんな「彼女」が入ってきた。


 「ほお、これは。」


 エヌ氏は若い頃の妻に瓜二つの姿に何十年かぶりに顔を赤らめた。


 「予算を抑えたからできることは限られるが、外観がいかんには力を入れたぜ、なんせ俺とお前の初恋の相手だしな、それと日本ロボティクス社の製品にはない機能もつけてある、それは後のお楽しみだ。」

 「この子の名前はどうする?」


 「そうだな、保子やすこちゃんの代わりだからというのはどうだろう。」


 「いいかもな、昔読んだ星新一のショートショートの主人公の名前だな。」

 軽いノリで決まってしまった。

 


 こうしてエヌ氏のスナックは廃業はいぎょうを免れ、ボッコちゃんは予想を上回る人気を誇ることになった。


 そんなある日、ある青年がふらっとエヌ氏の店に現れたのである。

 彼は大手IT企業のエリートエンジニアでデータセンターの大規模改修のために長期滞在することになった世界有数の天才プログラマーであった。

 これまでも世界中を飛び回り、あらゆるプログラム上の問題を短時間で解決して高い評価を受けている。

 そんな彼の趣味はガールズバー通いであった、厳密げんみつにはそこの高性能アンドロイドとの対話であった。


 入店した彼は真っ先にボッコちゃんに話しかけた。

 「こんにちは、初めまして、君の名前は?」


 「私の名前はボッコちゃん。」


 「ボッコちゃんか、いい名前だ、マスター!この店で一番高い酒をくれ。」


 こうしてこの青年は仕事終わりにはエヌ氏の店に毎日顔を出すようになった。


 青年は高性能アンドロイドとの会話には慣れていたのだが、ボッコちゃんとの会話は勝手が違っていた。

 何を聞いてもおうむ返しのような返答が多いし、きつい言葉を使うとすねる、落ち込むと心の隙間すきまに入りこむような慰めなぐさめの言葉をかけてくれて、たまにバカみたいにはしゃぐ。


 完璧なアンドロイドに慣れた青年には新鮮すぎるエキサイティングな体験であった。

 同時に底しれぬ恐ろしさを感じることもある、彼は次第にボッコちゃんに心を奪われていった。

 

 「ボッコちゃん、僕を愛しているかい?」

 「ええ、あなたを愛しているわ。」


 「ボッコちゃん、僕と結婚してくれないかい?」


 「ええ、あなたと結婚したいわ。」


 一ヶ月もしないうちに青年は、頭ではボッコちゃんが単なるアンドロイドだと理解していたがもう現実との境界が曖昧きょうかいがあいまいとなり、どこか別の世界の住人となっていた。


 「マスター!俺とボッコちゃんを結婚させてください。」


 なんだかとんでもないことを言い出したな。


 周りの常連たちが注目する。


 「ワタシあなたとは結婚できないわ。」


 「もう僕のことは愛してないのか?」


 「ええ、もう愛してないわ。」


 青年は店を飛び出した。そしてしばらく現れることはなかった。

 

 「ワタシひどいこと言ったかしら。」

 「君は人を楽しませるためのなんだ、彼もそれは理解してるさ。」


 しかし、マスターの考えは浅かった。


 この一ヶ月間で青年の恋心とも呼べる感情は激しく燃え、その精神を揺さぶり、激しく変質させてしまったのである。


 初めの3日間は会社を休むほど寝込み、次の3日は完全に呆けてほうけていた。


 そして7日目には抜け出せない漆黒の絶望しっこくのぜつぼうからボッコちゃんを殺して自分も自殺をする、そしてその前に同時に全世界のインフラ全てを麻痺、破損させる防御、修復不可能の最凶のコンピュータウイルスをUSBスティックに仕込んだのである。このウイルスはネット環境に接触するだけで広がり、時間と共に加速して数時間後には恐ろしい速度で増殖しながら全てのプログラムやサーバーを破壊する大悪魔の頂点に君臨する魔王レベルのものである。金融システムは全てダウンし、病院の生命維持装置も停止するだろう、それだけではない、政治システムや大量破壊兵器の制御装置も機能不全を起こす、交通管制システムがダウンして交通麻痺が起こり多くの航空機が空路を見失い墜落、衝突することになるだろう、まさに全世界の終わりラグナロクを意味するのだ。


 青年は一週間ぶりにエヌ氏のスナックに姿を現わした。


 「マスター、この前は変なことを言ってすまなかった、仕事も終わったので今日はお別れを言いにきたんだ。」

 何か吹っ切れた感じの青年を見てエヌ氏は少しホッとした。


 「そうですか、残念です。またこちらに来られたらぜひ寄ってくださいね。」


 「ああ、そうだな、そうするよ。」


 「ボッコちゃんに最後に挨拶してもいいかな。」


 青年はボッコちゃんを抱きしめる、そして耳元で囁く。


 「ボッコちゃん、永久にさよならだ。この世界と共にね。」


 青年はボッコちゃんの首筋のUSBポートに隠し持った悪魔のUSBを挿入した。

 これで高速インターネットを介し、世界中のインフラが修復不能にまで破壊、機能停止するだろう。


 店を出た青年は笑い始め次第にその声は大きくなり完全に発狂して暴れ出し、駆けつけた警察官に取り押さえられた。

 犯罪などない小さな町の大事件として小さなニュースとなり、そしてそのまま忘れ去られたのである。


****


 店を閉めた後、エヌ氏は店の2階の自宅に帰って妻と話す。


 「彼は何と言ってたんだい?」


 「よくわからないわ、永久にさよなら、この世界と共に、とか何とか言ってたけど。」


 「俺はボッコちゃんがアンドロイドじゃないのがいつバレるか横からヒヤヒヤしていたよ。」


 「ごめんなさいね、つい調子に乗って営業トークが行き過ぎちゃったわ、本当にごめんなさい。」


 そこにはVRヘッドセットを外した妻の保子が座っている。


 クラフツマンマツウラの力作は自律型アンドロイドではなく二階から保子が6Gの高速伝送で遠隔操作えんかくそうさするロボットであったのだ。


 よわい60を過ぎ、腰や膝こしやひざに問題を抱えた保子は店での立ち仕事はキツくなっていた。

 そこでクラフツマンマツウラは保子の分身となる遠隔操作ロボットを作成したのである。これならば費用も100万円を切るくらいで作成でき、保子も生きがいを持って仕事を続けることができるからだ。


 首のUSBポートは日本ロボティクス社の製品に似せるためのダミーである。

 ボッコちゃんはインターネットを介さず直接保子が操縦しているため世界崩壊の悪魔の企ては寸手のところで阻止されたのである。


 意図せず、そして誰にも知られることなくエヌ氏夫妻は大悪魔の企てを阻止し世界を救った勇者となったのであった。

 そのことはエヌ氏夫妻自身も永久に知ることはなかったが。


****


 ただ、悪魔のUSBはエヌ氏のカウンター裏の忘れ物置き場にまだ眠り続けている。

 その悪魔がいつの日か目を覚ますかどうか、今は誰にもわからなかった。

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