第9話

 FOR SEASONに入社して、早一か月が過ぎた。



 最初はどうなるかと思ったが、意外と自分でも上手くやっていると思っている。



 社内は相変わらず、9月のブリリアントのイベントに迎えて忙しそうだ。



「ランディングページのデザインどうなってる?!」



「あー、あとスライスしてコーディングするだけっすね」



「つかクライアントにちゃんとOKもらってんだろうな」



「ぬかりないっすよ」


 このバタバタとした空気。



 落ち着かないけど、徐々に慣れてきた。



 トウマさん曰く、このバタバタした感じはそんなにしょっちゅうあるもんじゃないそうだ。



 今回のオーダーの規模が大きいので、こんなにもバタバタしているらしい。



 

 さて、そんなことよりも……問題は、ハルくんだ。



 この会社で働く決意をした以上、もう棚に上げておくことはできない。



「そういった訳で今晩よろしく」



「……?」



 ハルくんはマウスを掴んだまま固まっている。



 私の決意と覚悟を感じ取ったのかな。さすがデザイナー感性のスペシャリスト。

「今晩……って、なんだ? もしかして俺誘われてるのか?」



「そうだけど」



 出来るオンナみたいじゃないか私っ!



 加々尾さんを思い出す、今あんな感じじゃない?



「主語がないよね、主語が。……分かった。じゃあ18:30に……」



「ストップ! 場所は私が決めるの! 場所は……」

 ――そういった訳で、ハルくんを呼び出すことに成功した。



 渋谷のあるダイニングバーにハルくんと待ち合わせた。



 私の知る数少ないお店の一つで、マイやミユキとも何度か来たことがある。



 ……っていうか、マイに教えてもらった。



「いらっしゃいませ」



 ドア付近で店員の声が聞こえた。



「あ、連れが来てるんで……お、いたいた」



 来た……! ハルくんだ。

「こっちこっち! こっちですよハルくん!」



 大きなジェスチャーで手を振る。



 わざとらしいくらいがちょうどいい! ←自分に言い聞かせている。



「お、おう……」



 3人掛けの背の高いテーブル席、ハルくんは私の正面に座った。

 俺サマどもがひしめき合うオフィスの中では比較的まともな種類(だと思っている)なハルくんは、さすがに二人っきりで呼び出されることに緊張しているようだ。



 ハルくんが席に着くのを確認すると、奥からスタッフの女子がオーダーを取りに来た。



「ハルくん、なに飲む? 私はなにしよーかなー……」



「あ、じゃあジンバックで」



「じゃーモービル? このモービルを……」



 ふとスタッフの女子を見ると、目が『?』になっている。

「モービル?  モービルじゃないの?」



 ハルくんが前のめりに私が見ているメニューを覗き込んだ。



「お前、これモヒートだろ。間違えるか普通」



 スタッフの女子の目が『?』から『!』に変わり、大きくうんうんと頷き笑うとカウンターへと消えていった。

「……いいのかよ。また飲んじゃって」



「しまった!」



 ぎょっとした様子で驚くハルくん。



 うっかり! 私ったらまた同じ過ちを……



「しまったって……おまえは本当に……」



「バカですよ! どーせバカですって!」

「カワイイ奴だな」



「ほひゃっ!」



 そそそ、そうきたか……。



 落ち着け、落ち着くんだあんこ……。



 ここでやられたらまた同じことを繰り返す……。

「お待たせしました」



 スタッフの女子がドリンクを持ってきてまた去っていった。



 私の目の前には葉っぱの入ったソーダっぽいドリンクが置かれている。



「……これ、葉っぱ?」



「葉っぱって……お前そんなことも知らないで頼んだのか」



「いや、なんか一番大きく書いてあったから……」

「まったく……しゃーねーな」



 ハルくんは私のグラスを自分に寄せると、マドラーでくしゃくしゃと中の葉っぱをつぶし始めた。



「こーやって、飲むんだよ。ほら」



「あ、ありがとう」



「じゃー、ひとまずおつかれさん」



「お疲れ様―」



 チン、と透き通った音で乾杯し、お互いに一口ずつ飲んだ。

「もひー!」



「ははは、もひーってなってんのか?」



 思っていたよりもずっとスースーする味に思わず舌を出した。



「これ流行ってんの? ……すごくもひーってなるけど」



「なんだよ美味いじゃんか」



 私の手からグラスを奪うと、ハルくんも一口つけた。



「かー、うめー」

「えーマジー?」



「なんだよ、疑ってんじゃない? じゃあ俺のと変えてやるよ。ほら、こっちはジンとジンジャーエール割った奴だから飲みやすいから」



 差し出されたものを飲んでみる。



 うむ、確かにうまい」



「ほへー」



「……それなんだよなぁ」



「はい?」

 ハルくんは頬杖をついて、私を見詰めていた。



 少しタレ目な眼差しに、一瞬ドキっとする。



「その無防備さが、危なっかしくていいんだよな」



「は、はい?」



「あのさ、言っていい?」



 嫌な予感がする。



「だ、だめです……」

「俺、あんこのこと好きなんだよね」



「きゃーあーあーあー」



 聞こえない聞こえなーい! なんにも聞こえなーい!



「だ、大体、シュンくんとハルくんの声を聴き分けたからって……そんなことでいちいち好きになってちゃこれから大変じゃん? だ……だめだめだめだめ!」



 両手をぶんぶんと顔の前で振りながらパニクる私。



 そんな私をじーっとみながら、ニコニコと笑う。


「そんなこと? いやぁ、すげぇことじゃない。

 

 言っとくけど、うちの親でさえ見分けつかなかったからね」



「……へ」



「俺とシュンは好きなものも、なにもかも一緒でさ。違うのはせいぜい酒飲めるか飲めないかくらいで……。

 職場まで一緒だし、まるで一心同体っつうか」



「あの、なんで一緒の職場なの? 離れ離れだったら……」



「うーん……なんでだろうな。それは多分ある意味敵対心だったのかも」



「敵対心?」

「俺もシュンも、一人の人間を二つに割ったみたいにいつも見られてて、なんだかひとりじゃ半人前みたいな目で見られ続けてきたからさ。

 違うフィールドだったら優劣わかんねーじゃん。お互いがお互いにいつも負けたくないっつうか」



「……複雑なんだね」



「そうさ。俺たちは複雑な双子なんだよ。でも誰よりも俺たちを見る他人が俺たちを複雑に見ている。

 俺をシュンと呼び間違えたときの顔とか、その逆とか。


 俺たちですらどっちでハルでシュンなのか混乱するときだってある」



「……」



 こんなにもハルくんのコンプレックスが深いものだとは思ってもみなかった。

「だからさ、お前は“そんなこと”っていうけど、俺にとってはすげえ重要なことだったんだぜ。

 声だけで俺をハルだって分かったのは。


 初めて俺は自分の名前をちゃんと読んでもらえた気になった」



「で、でもたまたまかもしれないし」



「いや、そんなことはない。俺もあの朝はお前がヤマ勘で言ったのかと思ったけど、何度か試して違うことを確信した。

 それどころか、お前は俺たち二人の声を「全然似ていない」とまで言った」



 “何度か試した”……そうか。


 メガネガエルと一緒の時にわざわざ私のところに電話してきたのは……。

 段々と私はハルくんの見方が変わり始めてきた。



「このことはシュンにも言ってねぇ。もしもあいつが知ったら……きっとあいつもお前を必要としてくる」



「そんな、まさか……」



「俺たちは悔しいけど、悲しいほどに同じ思考をしてんだ。間違いないよ」



「……」



 うう、ちゃんとケジメをつけるつもりで呼んだのに……どんどん気圧されてる……。

「……あの」



「ん?」



「ハルくんが私のことを……その、好き(小声)だって……いうのは、あの……


 声を聞き分けられるってだけ……?」



「ん?」



「そ、それだけじゃないよね!?」



 少し大きな声でハルくんを見た。



 負けちゃいけない。どうしてもここで言わなくちゃ。

「わ……わたしと……その……えっち(超小声)……したから!」



「あん?」



 肝心なところでとぼけやがって!



 乙女の口から何度も言わすんじゃないわよー!



 心臓がバクバクと鳴る。今日はまた一団と太鼓叩き職人が気合いを入れて私の心臓を叩いているようだ。



 ハルくんは、少し上を見詰めて右手をこめかみに当てて考えている。

「……あ」



 ようやく思い出したわね! この鬼畜! 鬼畜双子!



「ああ……あの日か……」



「そう! その日! ……どうせ、エッチ(超小声)した上に声を聞き分けるからこの女イケんじゃないのって思ったんでしょ!!」



 ハルくんはククク……と声を殺して笑った。



 わ、笑ってやがる……? 



 まさに下衆の極み!

「ひ、ひどい! ひどいよハルくん! ハルくんからしたらあの時のキスだって全然平気だったんでしょ!?


 私なんて……私なんて……」



 なんだかモーレツに悲しくなってきた。



 今までは思い出すだけでお尻がキュッとなりそうなむずがゆさと、胸をギューと締め付けられる思いでどうしようもなかったのに、



 今は思い出すだけでただただ泣きそうになる。



 そんな私をちらっとみるとハルくんは、少し氷の溶けたモヒートをぐびっと飲んだ。

「あのさ、俺お前とヤってねーよ」



「ほら! 言った通りじゃない! やっぱりハルくんは……ヤってない!!?」



 肯定するようなことを言ったと思い、返事を途中まで言ってしまったところで、ハルくんが全然違うことを言ったことに気付いた。



『ひそひそ……』


『くすくす……』



 結果、「ヤってない」というところだけが大声になってしまい、他のお客さんの注目の的になってしまった。



 小さくなりながらジンバックをちびりと飲む。

「え……ちょっと、え? え? し、シてないの……?



 パニック!



「その様子じゃ、なにも覚えてないんじゃない。あの後、お前飲みまくって……次行くって会計済ませて外に飛び出たんだよ」



 う、全く覚えていない。



「でもあの日台風かなんか大雨だったじゃん? びちょびちょで歌いながら歩いていくもんだから、慌てて追いかけて無理やりタクシー乗せたらそのまま寝たんだよ」



「そ、……そうなの?」



「家わかんねーし、勝手にバッグいじくるわけにもいかねーし、しゃーなし俺の家に連れて帰ったんだよ」

「ででで、でも、あたし裸だったよ!?」



「自分で脱いだんだろ。言いがかりだっての」



「じゃじゃじゃあ、なんでハルくん裸……」



「俺は朝シャワー派なの! 人のケツ拝んでおいてよく言うぜ」



「ぷっひゃぁああっ!」



 椅子の背もたれに全体重を委ねる。



 全身の力が手足のつま先から流れでる。

「なぁあんだよそれぇえ~~~」



「なんだよ、それでずっと悩んでたのか。エレベーターで呼び止めた時、妙によそよそしいと思ったんだ」



 ははは、と笑ってハルくんは笑い、豆の盛り合わせを頼んだ。



「でもさ……」



 一息つき、お豆を一つまみ口に投げ入れるとテーブルに肘を乗せて、ハルくんは私を見た。

「あのキスは本当だぜ」



 ……う……。



 となると、やっぱりその話になるよね。ていうか最初に好きって言われたし……。



「もう一度したい」



「いや、……もう一度って……」



「次は本当に、あんことシたい」



 まっすぐに見つめられて言われた。



 シ、シたい……ってキス……?



 じゃなくて……

「だから、俺と付き合ってくれ」



「………………」



 こんな時、なんていえばいいんだろう。



 私、告白したことはあるけど……されたことなんて初めてだし……



「でも、私……ほらチビだし」



「チビ最高」



「あの、ぽっちゃりだし」



「抱き心地よさそう」



「頭悪いし……」



「毎日が楽しそうだ」


「そろそろ気づいてくれよ」



「……え」



 ハルくんが、まっすぐ、……まっすぐに私だけを見詰める。



「俺、もうお前のこと“おまんじゅう”だなんて呼んでねえんだぜ」



「!!……」



 太鼓叩き職人が、私の心臓を突いた。叩くんじゃなく突いた。



 心臓は間違いなく数秒止まったんだ。

「俺のこと、好き……だろ?」



 ハルくんは右手を伸ばし、私の前髪を撫でる。



 ドドドドドド、例えるならそんな鼓動の速さ。



 私は今日、死ぬかもしれない。



「でも……職場で……あの……」



 急に目の前が暗くなった。



 


 代わりに唇に感触が。

 ――私はこの唇の感触を知っている。




 不意打ちなことは前回と変わらないけど、ハルくんに対する気持ちが変わっていた。



 おかしいな、




 おかしいな。




 こんなはずじゃなくって、……元の同僚に戻るって……




 

再び目の前が明るくなった時、さっきよりもずいぶん近い距離にハルくんの顔があった。




 ――キレイな顔してるな。



 

 こんな状況なのに、ハルくんのよくできた顔に見とれた。



 ダメだ、まともな思考じゃない。



 こんなのいつも私じゃ……



 


 もしも、ここでハルくんがあの言葉を言ったら……



「俺と付き合えよ。あんこ」






 逆らえない……。





「……よ、……よろしく……お願いします……」












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