第86話 記憶の中で①


『こーにぃ、だっこー!』

『いいぞ、恋花れんか



 恋花らしい少女が、年若い紅狼こうろうに抱き上げてほしいと願い出ていた。女子どもが苦手だと緑玲りょくれい妃に聞いたが、この時期の彼は違ったのか。


 幼い恋花の願いをすぐに受け入れ、本当に嬉しそうに抱き上げてやった。後の皇帝らしい斗亜とあも『俺も俺も』と言うと、恋花らは『駄目』と軽く舌を出した。



『恋花は今こーにぃにだっこだもん!』

『そうだ。俺が受けたんだ』

『ずっりぃ!? 仲良し二人ずるい!!』

『お前には緑玲がいるだろう?』

『……そーだけどぉ。妹分を可愛がってもいいだろ?』

『とーにぃはあとぉ』

『恋花ぁ』



 仲の良いやり取りに、こんな時間が本当に過去にあったのか信じがたい気持ちだ。九十九つくもも無しにここまで他者との交流を共にしていた記憶を、いつから玉蘭ぎょくらんが封じたのだろう。


 九十九を介して、と気を失う前に聞こえた気がしたが……りょうはどこにいるのだろうか。この時点で既に玉蘭へと化けていたのか。それにしては、両親が健在なのは不思議だけれど。


 まだ意識が浮上する気配がないので眺めていると、幼い恋花や紅狼の胸の辺りが小さく光を灯し……それぞれの九十九である梁らが出てきたのだ。



『久しいな、紅狼。恋花はそなたが来るのを心待ちにしていた』

『……紅狼も恋花に会いたがっていたな』

『こーにぃ、いっしょ!』

『ああ……いっしょだ』

『俺総無視かよ!?』

『斗亜はいつも不憫だな』

『であるな』

『くっそぉ!?』



 梁も紅狼と斗亜に会うのが初めてではない。だとしたら、この後の記憶に関係していると言うのだろうか。その先を見てみたいと見守っていると、奥の方から何かが物凄い勢いで飛んできて、斗亜の後頭部に直撃した。



『うるさいね!? 陛下んとこの糞坊主!?』

『イッテェ!?』

『ちょ、母さん!?』

『……お義母さん。相変わらずね』



 大きな声とともに家の中から出てきたのは、封印されていた身体の年齢と同じ年頃の玉蘭だった。怒っているのか、苛立ちの表情がよく表れていた。



『来るたんびに、恋花を構いたがるのはいいが……恋花は紅狼の方がいいんだろ? それを無理矢理引き剥がすのは止めな!』

『……だからって、炭飛ばすなよ。玉蘭!』

『まだ炭でいいだろう? 皇太子任命前の糞坊主が』

『ひでぇ!?』

『んで? 久しぶりの来訪かと思えば……なんか引き連れてきたのか?』

『……御名答』



 斗亜の表情もだが、紅狼の表情も真剣なものになると……恋花を梁に預けて前方を見れば。


 黒ずんだ霊体のようなものが、湧き出るように出現した。その黒ずんだ淀みが、恋花が後宮の中で視たあの女性と同じものだと感じた。



(ここから……どうなるの?)



 玉蘭が自分で封印をかけたとか、両親はほんとうは病死ではないのとか。様々な考察が頭の中を巡るがこの記憶の中で、恋花は麺麭ぱんを投げて対処出来ないことが歯痒くて仕方なかった。

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