第78話 貴妃の無事





 *・*・*







 まず恋花れんかが向かったのは、緑玲りょくれい妃のところだった。咄嗟にくろわっさんは置いてきたけれど、どこまで対処出来ただろうか心配になったからだ。


 林杏りんしんや双子の姉妹は、鈴那りんなも無事かどうか、あの時だとわかっていなかったから。りょうと急いで向かえば、私室の中では緑玲妃がキビキビと侍女や女官らに部屋の片付けを指示していた。



「恋花!! 無事だったのね!?」



 その様子に恋花が入り口でぽかんとしていると、こちらに気づいてくれた。少し駆け足で距離を縮め、恋花の前に立つと優しく抱擁してくれたのだ。



「緑玲妃……様」

「本当に無事で良かったわ!! 陛下から紅狼こうろうも無事だと式で知らせはあったけど、あなたのことは大丈夫だけとしか聞いていなかったから」

「……怪我はしてません」

「良かったわ。……こちらは、何人か亡くなった子がいるけれど」

「!? あの、私と同室の子は!」

「彼女たちは大丈夫よ」



 緑玲妃の言葉に驚きを隠せないでいると、奥の方からこちらへ駆け寄ってくる人影がいくつか見えた。



「恋花ぁ!!」

「無茶し過ぎぃい!!」

「よがっだぁー!!」



 林杏や蘭香に蘭々。擦り傷はあったが、皆五体満足で無事のようだ。緑玲がさあ、と前に出るように動かされると彼女らが雪崩れ込むように恋花へと抱きついていく。


 まるで子どもがじゃれつく勢いだったが、恋花がどれだけ頑張ったかをきちんと見てくれたからだろう。ただ、もみくちゃになったので梁に引き剥がしてはもらったが。



「皆? 恋花の無事がわかって何よりだけれど、仕事にはきちんと戻りなさい? 終わってからなら、いくらでもお話はできるでしょう?」

「……はい」

「申し訳……」

「ございません……」



 にっこり笑顔の緑玲妃ではあったが、少し背の方に黒い靄のようなものが見えた気がしたが、瘴気のようなものでなく怒気の表れなのだろう。


 女性は怒ったら怖いと言うのは、この貴妃のことでよくわかった。であれば、今ならここへの差し入れに作った麺麭ぱんを配れるはず。



「緑玲妃様。あの、少し前にお渡しした麺麭は?」

「ああ、あの麺麭ね? 女官たちに投げさせて靄を祓ったからすべて使ってしまったの。おかげで対処は出来たけれど、美味しそうだったのにもったいなかったわ」

「いえ、あれはまたお作りしますので。ひとまず、手軽に作れる方をお持ち致しました。皆様でお召し上がりください」

「まあ、嬉しい!」



 ふっくらはしてないが、甘辛く炒めた菜葉を餡がわりに入れた素焼きの麺麭。それは緑玲妃もだが、林杏らにも大層喜んでもらえたようで良かった。


 次に紅狼のとこに向かおうとした時、緑玲妃に待ってと言われたので慌てて立ちどまったが。



「な、なんでしょう?」

「ここを離れた時に、紅狼の話をしたでしょう?」

「え、はい」



 これから告白しに行くとは皆の前では恥ずかしくて言えないが、この女性にはおそらく見通されているだろう。恋花の顔を見ながら、とてもいい笑顔でいたから。



「理由は色々あるでしょうけど、わたくし付きの料理人にしたいからって……男の子ではなく女の子を連れてくるだなんて有り得ないのよ? あなたは必要以上に彼から気にかけられているわ。従姉妹のわたくしが保証するわよ?」

「そ……そうですか」

「あら? 先に確信する出来事でも起きたの?」

「…………お話があると」

「うふふふ。いってらっしゃい」



 上品な女性だと思ったが、意外にも子どものような一面があった。だがむしろ、あの快活な性格の皇帝陛下とよくお似合いだと素直に思えた。


 とりあえず、行くことに礼をしてから恋花は部屋を出たのだった。

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