第16話

 先日のサソリ女との戦いから数日が経った。

 あの日以来、日課の妖魔探しで獲物は発見できなかったが、それはそれで平和なことなので喜ぶべきことだろう。

 炎さんも優先順位は守ってくれているようで、今のところ千代さんを奪取しようとする動きは見せてこない。これも重畳である。

 が、当の千代さんは窓を見てため息をついている。


「千代さん」

「へぁっ!?」


 肩に手を置いて声をかけると素っ頓狂な声をあげる。恥ずかしかったのか顔を赤らめて「はうはう」と口をモニョモニョしていた。なんだ、この可愛い生き物。


「なにか実家関連以外の悩み事でもあるの?」

「い、いえ。そういうことでは。ただ今まではここまでのんびりとさせていただいたことはないので」

「のんびりできてるなら嬉しいね。家事とかやってもらっておいてなんだけど」


 言うほど彼女に精神的ゆとりがあるのか、とは思わなくもないが。

 彼女からしてみれば数日前のことが消化されているのかもしれないが、俺個人としてはまだ終わりではない。

 あのサソリ女を妖魔にしたのは間違いなく、母さんを殺した妖魔のことだろう。

 母さんが命がけで重傷を負わせ、逃げ去った妖魔。人語を解し、かつ人間の姿形を持っているおまけ付きだ。

 まだ存在しているということがハッキリわかった、葉山の敵討ちついでにこの情報を得られたのは大きい。だが人間の姿形を得たというのはどういう経緯なのだろうか。その部分はハッキリ言って意味がわからない。

 だがこれだけでも危険性の上がり方は段違いだ。人の姿になれるというのなら、人間社会に溶け込むことすらも容易であると推察できる。

 だからこそこの数日他の妖魔が姿を見せないと言うことには違和感がある。

 この状況はもしかしたら嵐の前の静けさ、というやつなのかもしれない。


「主人様?」

「ん、何?」

「眉間にシワがよっておられます。主人様も悩み事があられるのですか」

「うん。あるよ。でも千代さんには話せないかな」


 彼女を匿っているのは俺の都合。そして俺が例の妖魔を探しているのも俺の都合。

 前回は千代さんが無理やりついてきちゃったけど、俺は彼女に妖魔狩りを手伝ってもらう気はない。

 元々命がけの任務が嫌で、知らない誰かのために戦うのが嫌だった彼女に都合のいい時だけ手伝ってもらおうなんていうのはお門違いにも程があるだろう。しかも家事全般はやってくれているんだからそれだけで千代さんは十分以上に助けてもらっている。

 ぽん、と彼女の頭に手を置いてなでる。赤い顔をさらに真っ赤にさてこれまた可愛い。


「あ、主人様!?」

「気をつかってくれてありがとう。それだけでも俺は十分に幸せな気持ちをもらってるから本当に嬉しいよ」


 いつまでこの生活が続けられるかわからない。

 この世の中、表面上はとても幸せに見えるがほんのささいなところで地獄のような場所に早変わりだ。一体何人の人間が妖魔の糧となり、被害者遺族にどれだけの無念が募っているのだろうか。

 今でも失踪者扱いで、戻らない家族を待ち続ける人がたくさんいる。世間的には悪人である人間も含めて数えきれないだろう。

 だからこそ治安維持のため炎さんたちのような忍者もいるわけだし、母さんのような人もいたわけだ。

 きっとこの時間だって奇跡のようなものなんだ。ほんの少し、どこかの歯車がずれただけでこうなっていなかっただろう。

 俺があの日、あの場所で妖魔退治をしていなかったら。そもそも千代さんが抜忍となっていなければはじまり得ないことだった。

「俺はそう簡単にくたばりもしないし、死んでやる気もない」

 少なくともあの妖魔を殺すまでは、意地でも殺されてやらない。

 そう言って微笑むと、千代さんは少しだけ黙った後に「わかりました」と呟いた。本当のところは納得の言っていない表情に見えなくもないが、これでいい。

「それじゃ、今日のご飯楽しみにしてるね」

「はい。腕によりをかけて作らせていただきます」



「先輩、忍者のお仲間がやられたって本当ですか?」


 深夜の巡回中、葉山邸殺人事件の捜査に関わった巡査が先輩である巡査部長に聞く。巡査部長も「事実らしい」と重々しい口調で返事をする。

 普段は軽口を叩き合いしながら巡回していたが、忍者という都市伝説だと思っていた忍者が警察との繋がりがあり、ましてや妖魔という怪物まで出てきた。

 末端である彼らは録画された映像を見るまで妖魔の存在を信じなかったが、先日の事件の現場でもとても人間業とは思えない死体と忍者を見てしまった以上否定することはもうできない。


「でも信じられませんよね。実際に実力を肌で知った身としては」

「まさか署の精鋭十数人がたった一人に完膚なきまでに叩きのめされたからな」


 一方的でしたよね、と巡査は語る。

 最初は急にやってきた女子高生くらいの娘が大人三人を従えていたことにうさんくささもあり、警察の中には金持ちの道楽だと疑うものもいた。だからうろたえている板挟みにされている署長を目にした隊長である炎は「では実際に実力を見てもらおうかな? ウチの山田から柔道で一本でもとれたら潔く引き下がるよ」と提案した。

 結果は巡査部長の言ったとおり警察側の惨敗に喫した。

 相手をしていた山田も戦闘能力的には一番下、と本人が言っていたことでさらに意気消沈してしまった。


「……警察官である自分たちにできることってないんですかね」

「あるさ。こうやって巡回して市民を家に帰させる。もっとも、家にいるからと言って安心もできないんだがな。混乱に乗じて火事場泥棒が現れないとも限らない」

「真面目ですねぇ先輩も」

「常にこのくらいは心構えをしていろ、という話だ。俺もお前も警察官だからな」


 はい、と巡査は答える。


『そういう心構えというのはよろしいですね。善性というのはあるべきものです』

「そうそう……!?」



 背後から声が聞こえ、振り向く。そこには白髪の少女が佇んでいた。

 だがその雰囲気の異様さは明らかに一般人のそれとは異なっている。周囲の空間がねじ曲がっているかのようにさえ見えた。


「おや? 私を気にせずにお話を続けてくださってもけっこうですよ。人の話を聞くのは面白くもあるので」


 緊急事態に遭遇し、二人は拳銃を引き抜いて眼前の少女に向ける。

 対して少女はなんの驚きもなく「そういう反応ですか。危険を察知するのには長けているようですね」と淡々と目の前の事実を語る。そして背中からは、クワガタを思わせるような羽根が出現した。


「貴様……いつからいた」

「忍者のお話をしていたあたりですかね。なにぶん人間よりも耳がいいもので」

「よくも拳銃突きつけられて冷静でいること……」


 巡査の言葉に「おかしいことはないでしょう」と少女、天叢雲は返した。


「あなた方を殺すのは造作もありません。加えてその拳銃とやらは我々妖魔には通じませんよ? いや、まったく効かないとは言いませんが……それでも忍者の身体能力から繰り出す武器やあの珍妙な鋼鉄兵器でもなければ有効打にはなりえ」


 ません、と言い切る前に二人は発砲する。

 不幸中の幸と言うべきか近隣に住民はいない場所だったので目立つ心配はなかった。加えて外しようのない距離である。

 だが、その弾丸は……天叢雲の三本の指で掴まれていた。まるで問題ないように、表情は変わらないまま。

 連続で発砲するもののそれも今度はノーガードで受けきる。

 全弾を撃ち尽くしてもなお、天叢雲はなにごともなかったように涼しい顔をしている。


「……痒くもない」


 まぁもういいか、と天叢雲はこぼして右腕を薙ぎ払うように振るった。

 同時に、巡査部長たちの上半身と下半身の二等分に切り裂かれていた。自分たちが死んだことも気づかないうちに二人の身体は崩れ落ちた。

 やれやれだ、と天叢雲はため息をつく。


「まぁ、忍者ほどではありませんが戦士としての素質はいいものでしたから、栄養にはなりますし」


 痕跡も残さないようにいただきますか、と呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鋼鉄騎士と抜忍クノイチ @housouzero

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ